名前

名前(フリガナ)


 

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「こっちの霧の守護者のお出ましだぞ」
 現れた少女の姿に、弥生がハッと息を飲むのが聞こえた。
「Il mio nome e' Chrome――クローム髑髏」
 告げられた名前。少女はちらりと、弥生へと視線を向ける。しかし特に何か言葉を交わす事はなかった。
 獄寺は、そっと弥生の顔を盗み見る。
 弥生は愕然とした表情で、クロームを見つめていた。





 ――弥生の様子が、おかしい。
 夜が明けるなり向かった中山外科医院。そこには弥生もいたが、彼女はいつもの如く、兄の勝利を信じて疑っていなかった。
 彼女が来たのは、クロームの容体を確認するため。
 授業中も、弥生はずっと上の空だった。黒板を見つめてはいるが、その手はノートの上に置かれたまま動いていない。
 前の席から順に黒板の問題を解くよう指名されていく。前の生徒達が立ち上がっても、弥生は座ったままだった。
「……オイ」
 獄寺も席を立ち、目の前に座ったままの弥生に声をかける。
 彼女のノートは、真っ白だった。
「呼ばれたぜ。九十ページの問三」
 弥生は教科書をめくりながら、席を立つ。今日は獄寺と同じく、教科書を持って前に出て、その場で問題を解いていた。
 いつもなら他の生徒達と同様、クソ真面目にノートに解いていて、指された問題だけその場で解く獄寺にチクチクと嫌味を言ってくるぐらいなのに。
 獄寺と同時に指された時は、黒板に書くのですら速さを争っていた。しかし今日はそんな様子もなく、獄寺がさっさと解いて席に戻っても悔しそうな顔一つしない。
 無表情で淡々と解いて、席に戻って来る。獄寺の事など、視界に入っていないかのようだった。
 ずっと伏目がちで、何か考え込んでいるような表情で。
 授業が終わっても、弥生はぼーっと席に座ったままだった。
「獄寺ー、弥生ー。行こうぜ」
 次は移動教室だ。教科書やノートを抱えて、山本が獄寺達の席までやって来る。
 獄寺は立ち上がったが、弥生は何の反応も示さない。
「弥生?」
「あっ、オイ……」
 山本が弥生の目の前でひらひらと手を振る。
 そんな事をすれば鉄パイプが飛んできそうなものだが、弥生はやはりぼんやりと座り込んだまま。
 獄寺は、手にしたノートでポンと軽く弥生の頭を叩く。ようやく、弥生の肩が揺れ動き獄寺と山本を見上げた。
「行こうぜ、理科室」
「うん……」
(……素直!?)
 いつもの弥生とは思えない反応だ。
 弥生はすごすごと教科書を入れ替え、立ち上がる。
「お前、大丈夫か?」
「……何が?」
 弥生はきょとんとしていた。全く自覚が無いらしい。
 何か悩んでいるのだろう。恐らくクローム髑髏と名乗った、あの少女の事。
 とは言え、どう切り出して良いのか、そもそもいつも喧嘩しているような間柄で話せる事なのかも分からず、獄寺はただ言葉を濁すしかなかった。

「弥生、今日、様子がおかしいよな?」
 昼休み、いつもの屋上で弁当を広げながら山本は言った。
 購買に新商品が入っていたので、弥生は兄に届けに応接室へ行った。様子はおかしくても、その辺りはぶれないようだ。
「今夜は雲の守護者戦だから、気になってんのかな」
「あいつの頭に兄貴が負ける可能性なんて存在してねーだろ」
 そもそも、弥生の様子がおかしいのは昨日からだ。昨日の霧の守護者戦に、クロームが現れてから。
「ノートも全然取ってねーし、実験でも豆電球繋ぎ忘れてショートさせてやがるし、見てらんねーよ」
「へー……獄寺、弥生の事よく見てるのな」
「なっ……真後ろの席だから見えるんだよ!! 変な言い方するんじゃねえ! 理科室じゃ出席番号順だから隣のテーブルだし――」
「ハハッ、実験中に他の班なんてそうそう見ないだろー」
「視界に入るんだよ!!」
 山本はニコニコと笑っていた。獄寺はケッと悪態を吐いてそっぽを向く。
 昨日の晩、クロームが登場した時のあの顔を見て以来、気になっているのは確かだ。
 嵐の守護者の戦いは終わったとは言え、何が起こるか分からない。相手はあのヴァリアーだ。またいつ戦闘になるか知れない。本当なら今日も一日修行に費やしたかったところだが、学校に来たのは弥生の様子が気になったから。
(これは十代目の右腕としてだ……!)
 弥生は、ボンゴレの事を知った。それに、雲の守護者である雲雀恭弥の妹だ。悩みの対象も、霧の守護者と関係がある様子。
 守護者絡みの話であれば、把握しておかなければならない。
 綱吉が手を離せない以上、気になる事柄は自分が動かなければ。
 ……そう、ただそれだけの事。





 放課後になると、山本は部活へと向かった。まったく呑気なものだ。
 京子に「相撲大会」について問われ、獄寺と弥生は逃げるようにして教室を後にした。流れで二人きりでの下校となってしまったが、これはこれで、聞き出すチャンスかも知れない。
 風紀委員へのメールを打つ弥生を、獄寺はじっと見つめる。
 昨日の晩から様子がおかしい弥生。クローム髑髏を見た時の、あの表情。
 弥生は、彼女の事を知っているのだろうか。ここで会うとは思わなかった、そんな顔をしていた。
 パタンと携帯電話が閉じられ、視線を上げた弥生と目が会った。
「何?」
「えっ、いや……」
 獄寺は慌てて目を逸らす。
 とりあえず歩き出したが、どう切り出したものか。逡巡の末、一先ず回答の分かっている質問をしてみる。
「……それじゃ、弥生は今夜も見に来るのか?」
 弥生の返答は、予想通りのものだった。
「当然。だって、お兄ちゃんの戦いでしょ」
「たぶん、黒曜の連中も来るぜ。クローム髑髏って名乗ってたあの女も……」
 弥生の顔つきが変わった。
 思い詰めた表情で俯き、歩いていた足も止まる。
 ――やっぱり。
「やっぱり、お前、あの女と何かあるんだろ」
 弥生は顔を上げない。
 獄寺は、一気に問いかけた。
「昨日、髑髏が出て来た時、知ってるような顔だったし、あの後からずっと様子がおかしいし――あいつは、何なんだ? 一応、味方ではあるようだけど……」
「……知らない」
 雲雀弥生のものとは思えない、か細い声だった。
 何かを、思い詰めているような。
「いや、お前、知らないって顔じゃ――」
「あの子が幻術を使える事とか、六道骸との関係とか、私は何も知らなかったの。たまたま会った事があって、友達になれるかもって勝手に思っていただけ……」
 獄寺は目を瞬く。
 ――友達。
 弥生の口から、この言葉がはっきりと出て来るのは、珍しい事だった。
「友達になれると思ったのにな……」
 もう一度、弥生はつぶやく。寂しそうな声だった。
 彼女は霧の守護者――ボンゴレの、それも綱吉の味方だ。今は敵ではない。
 とは言え、そう簡単な話ではないのは獄寺にも分かった。
 戦いの中、クローム髑髏は六道骸へと姿を変えた。六道骸に監禁された恭弥。弥生からすれば、苦々しい思い出だろう。
 再び歩き出しながら、獄寺は確認する。
「クローム髑髏と六道骸は、一応、別人なんだな? リボーンさんは分けて考える事はできないって言ってたけど……」
 弥生は、こくんと首を縦に振った。
「今朝、沢田から聞いた話も踏まえると、六道骸の別人格とかそう言う事ではないみたい。あの子自身がいて、六道は彼女の身体を借りてる――憑依弾でもなくて、彼女自身にも貸せる能力があって、って事のようだけど」
「今朝!? 十代目、俺にはそんな話、何も……!」
「話す前にリボーンに連れて行かれたんじゃない」
 綱吉からの説明を獄寺より先に弥生が聞いたと言うのは悔しいが、とりあえず戦闘中の変身が何だったのかはようやく理解できた。
 やはり、彼女は六道骸本人という訳ではない。クローム髑髏と言うあの少女は骸とは別に存在していて、身体を貸していたに過ぎないと言う事か。
「まあ、六道骸の仲間とあっちゃ、複雑だよなあ……。お前にとっては兄貴の仇だろうし」
「お兄ちゃんが負けたみたいな言い方やめて。ちゃんとお礼参りして終わってるから」
「ほんと、めんどくせーなお前……」
 そう言いつつも、獄寺は少し安堵していた。いつもの弥生の調子が戻って来たようだ。
「お兄ちゃんの事もあるけど……その後が、嫌だったの」
 そう言って次に彼女の口から飛び出して来たのは、獄寺を大きく動揺させる言葉だった。
「君が乗っ取られた時が、凄く、凄く……嫌だった」
「はっ!?」
 兄の件ではなく、獄寺が乗っ取られた事の方が嫌だった?
 いったい、それはどういう意味なのか。
 考えを廻らせようにも、頭が真っ白になって何も考えられない。当時を思い出しているのか、弥生は心底嫌そうな顔をしていた。
「獄寺は、あんな顔しない」
「……顔?」
 獄寺はぽかんと復唱する。よほど腹の立つ挑発でもされたのだろうか。
(六道骸の奴、俺の身体でどんな変顔したんだ……!?)
 次にまた骸と会う事があったら、問い詰める必要がありそうだ。
「えーと……それじゃ、友達になりたいけど、その骸の仲間だからって事でずっと悩んでるのか?」
「……」
 弥生は答えないが、否定もしなかった。
「俺も六道骸は信用ならねー男だとは思うけど、十代目が受け入れたんだから、今は味方って認識でいいんじゃねーか」
 個人的感情としては、あの六道骸をフォローするような事を言うのは不本意だ。
 だが、事実は事実として認めなければならない。
「……抗争上、味方なのは理解してるよ。六道もあの子も、守護者である事に反対する気もない。ただの、私の感情の問題」
 ぴたりと弥生は足を止める。
 弥生の家の方向とは、ここで分かれ道だ。
「……獄寺って、この後お兄ちゃんの戦いの時間まで、どうするの?」
「ん? そりゃもちろん、何が起こるか分かったもんじゃねーし、ロケットボムの特訓を……」
「……そっか。じゃあ、また夜にね」
 その声が少し沈んで聞こえたのは、気のせいだろうか。
 何か、別の答えを期待していた? 特訓なら邪魔してはいけないと身を引いた?
「……まさかな」
 遠ざかっていく背中から視線をはずし、獄寺は家へと帰って行った。


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2021/09/09