『これからもまだ変わらぬ関係でいようとしたんだ。また、夏休みに帰ったら三人で遊べるような、小学生の頃の関係を夢見てたんだ……』
『これは、俺もなんだけどさ。正面から本音を明かしてぶつかろうとしない。まず、自分が自分の本音を認めようとしない。正面からぶつからないで、その事に触れないようにしてりゃ、そりゃあ、何も変わらねぇよ。何もしない内から、諦めちまってるんだから』
『ごめんなさい! だって、知らなかったんだもん!! 信じてたんだ! 信じてたのに……っ』
『日記に書き込めば、ジニーから力吸い取るのは中止するって言ったから。ジニー、今にも死にそうだったんだよ』
『困難に対抗するのと、憎しみに任せて復讐するのは、別物だよ』
最初は、ナミの子供だったから。友人――それも密かに想いを寄せていた相手の子供だったから、気にかけていたに過ぎなかった。
そう、子供だ。あくまでも、子供だとしか思っていなかった。
明るく元気で、お転婆を超えて粗暴とも言えるぐらい「女性」からは程遠くて。
溌溂とした笑顔の裏に、誰にも見せまいとする弱さがある事を知った。ガサツな言動は、泥沼の中で困難に立ち向かっていくために得た盾なのだと知った。
それでも彼女は、子供だった。二十も離れていて、どうして恋愛対象になど見られようか。彼女に沸く情も、教師として、大人としての庇護欲に過ぎないのだと思っていた。
『誤解されるのが嫌だった。本当なら、好きな人と行きたかったよ。でも、セブルスは無理みたいだからさ……』
――彼女の笑顔が、隣から消えた。
これで良いのだと、最初は思おうとした。左腕の刻印は、日に日にその濃さを増していく。闇の復活が近付いている。自分に課せられるであろう任務を思えば、彼女に深入りするべきではない。彼女はまだ若い。この先、いくらでも出会いがあるだろう。自分なんかよりも、もっと幸せになれる相手を選ぶ道があるはずだ。
避けるエリを見る度に思いを巡らせ、そして、自分自身は彼女の想いを拒絶していない事に、気付かざるを得なかった。
+++閉ざした扉の向こう側
「セブルス!」
暗い荒野へと現れたセブルスを追うようにして、現れた姿があった。黒いマントに、銀の仮面。もし第三者がこの荒野にいて、この光景を見ていたならば、二人は何もない空中から現れたと思っただろう。
「吾輩は忙しい。何か、危急の用でも?」
「ハッ。忙しい、か……それは、我が君に与えられた任務か? それとも、ダンブルドアの小間使いの事か?」
男は、嫌味を込めて問う。珍しい問答ではなかった。
「そのどちらでもある、マクネア。君もご存じの通り、吾輩はダンブルドアの懐に居座り、情報を引き出して来るよう、闇の帝王から仰せつかっている」
「我が子をお前に贔屓してもらっているマルフォイやノットなんかはお前を信用しているようだが、皆が皆、お前を信じている訳じゃない。四年間もハリー・ポッターのそばにいながらお前は、何もせず――」
「それは君とて同じ事だ。ヒッポグリフの処刑でホグワーツを訪れていた君にも、機会はゼロではなかった」
マクネアは黙り込む。
「用はそれだけか? ならば、これで失礼する」
セブルスはふいと背を向けると、「姿くらまし」した。
スピナーズエンドに帰ったセブルスを迎えたのは、窓が戸棚に遮られた薄暗い部屋と、奥から聞こえるガサゴソと言う物音だった。
物音のする方へ、セブルスは剣呑な視線を向ける。帰宅した家に他人の気配があると言うのは、気持ちの良いものではなかった。
「そこにいるのか、ワームテール。ついでだ。紅茶を持って来い」
ひょっこりと、丸い顔が棚の向こうから姿を現した。
「わた――私は、小間使いのためにここに置かれたのではない!」
「君に帰れる家があると言うなら、大手を振って外を歩けると言うなら、何なりと出て行くがいい。闇の帝王のご希望もあるとは言え、何も出来る事のない君を置いてやっているのだ。多少は働いても良いだろう」
「私が何も出来ないだと? よくも、そんな事を――私がいなければ、闇の帝王は復活し得なかった。帝王の呼び立てにも応えず、ダンブルドアの下でぬくぬくと過ごしていたような奴に見下されるいわれはない!」
セブルスは、ペティグリューへと目を向ける。その視線は空虚で、何の感情も見えなかった。
「そのおかげで、我輩はダンブルドアの信頼を勝ち得た。君が腕を差し出したと言うなら、我輩は情報を差し出した。そして、今もダンブルドアの下に潜り込む事に成功しているのだ」
ペティグリューは忌々し気にセブルスを睨めつけ、棚の向こうへと消えた。
秘密の守り人であったピーター・ペティグリューが裏切った事により、リリーは殺された。
しかし、その恨みを彼にぶつける事は、本心が彼女のためにある事を明かす事と同義だ。それは決して、悟られてはならない。
セブルスに安息の場所はなかった。騎士団本部やヴォルデモートの下はもちろんの事、自宅においても、心を閉じ、憎悪も復讐心も押し殺し、平常心を保たねばならなかった。
ヴォルデモート卿自身の信頼は勝ち得ども、死喰人からは疑惑の目を向けられている。不死鳥の騎士団でも、ダンブルドアがかばってはいるがセブルスを疑う者は少なくない。
――それでも、構わない。
例え針のむしろでも、あの子さえ――リリーの忘れ形見さえ、守れるのならば。
「再提出だ、シャノン。調合の手順補足に、誤りがある」
大きくバツ印を付けた羊皮紙を、セブルスは机の上にぞんざいに放った。追加課題を突き返されたサラは、剣呑な目つきでセブルスを見上げる。
「何か文句でもあるのかね? ミス・シャノン」
「いいえ、先生」
サラはつっけんどんに答える。既に、クラス全体にはレポートの課題を出している。加えて、本日もサラには追加で四年生の復習課題を与えてあった。
終業と共に、サラは鞄を掴み足早に教室を出て行く。セブルスは鋭い視線で、その後ろ姿を見送っていた。
昨年行われた、三大魔法学校対抗試合。その、第二の課題の朝。研究室へ空き巣に入られていたセブルスは、犯人がサラやハリーなのではないかと疑った。研究室の前で彼女の姿を見て、犯人が現場に戻って来たのだと思った。
もちろん、サラは認めない。開心術を使い、得られた情報は、空き巣の事実ではなかった。
彼女の部屋に積み上げられた、アニメーガスの参考書。孤島の監獄に囚われた、ルシウス・マルフォイ。
サラは酷く動揺し、セブルスを振り払って逃げ去った。
――彼女は、父親と同じ未登録のアニメーガスになろうとしている。
これは明白だった。何故か? 次に見た、アズカバンと思しき光景。無関係のものだとは思えなかった。彼女の祖母は、予見者だった。彼女自身も、その才能を受け継いでいても不思議ではない。あれは、彼女が見た未来の光景という事だろうか。
彼女に、時間を与えてはならない。
彼女を、アニメーガスにしてはならない。
彼女の計画を、挫かねばならない。
セブルスは何かと理由をつけ、サラに追加課題を与え続けた。片付けなければならない課題を山積みにする事で、アニメーガスの特訓の時間を奪う算段だった。
生徒達が出払い、一人になった教室で、セブルスは机の上に積み上げられた羊皮紙の束を見て溜息を吐く。例年以上に多い、課題の山。その三分の一は、サラに出した追加課題のものだった。
課題の採点を進めていると、不意にゆっくりと教室の扉が開いた。セブルスは小さく溜息を吐く。しかしその溜息は、課題の山を見た時とはまた別の種のものだった。
「――相変わらず、ノックはしないんだな」
顔を上げずとも、セブルスのいる部屋にノックなしで入って来る者など、一人しかいなかった。
「えへへ……ちょっと寮に戻る道間違えて、近くに来たからさ」
エリは取り繕うように笑って、教室へと入って来る。冷たい地下牢教室に、ポッと火が灯ったかのようだった。
エリは何か用があって来る訳ではない。会話はいつも、他愛のないものだった。セブルスから警告を発したり、何かあれば報告を受けたりする事もあるが、基本的にはクィディッチの事だったり、授業の事だったり、フィルチとの鬼ごっこだったり。
エリはよく喋る。セブルスは、彼女の話を聞いている事の方が多かった。晴れやかな笑顔で意気揚々と話したり、口を尖らせ愚痴を零したり、照れくさそうに微笑ったり。ころころと変わる彼女の表情を見るのは、楽しかった。
彼女は、セブルスを疑ったりはしないし、何らかの駆け引きをする事もない。ほんの一時、セブルスがただ、セブルス・スネイプと言う一個人でいられる時間。
戸を叩く音が、二人の時間を遮った。エリは表情を強張らせ、心配げに扉へと目をやる。セブルスは立ち上がり、戸口まで向かった。
開いた扉の先にいたのは、警戒した相手ではなかった。エリやサラの妹、セブルスの寮の生徒であるアリス・モリイがぺこりと礼儀正しく頭を下げた。
「こんにちは、スネイプ先生。――あら? エリ?」
「彼女は魔法薬学の補習に来ている」
アリスは質問があって来たとの事だったが、その質問は的を射ないものだった。
トム・リドルの日記について。日記に短い書き込みしかしていない者が乗っ取られるような事は考えられるか。あるとするならば、何故ハリーは無事だったのか。日記はずっと、ルシウス・マルフォイの手にあったのか。
「何か、気になる事でもあるのかね?」
セブルスは、アリスの目を見据える。そして、驚愕した。
――読めない。
アリスはにっこりと微笑んだ。
「いいえ、何も」
閉心術を身に付けていた? いつの間に?
どこか食えないところのある生徒だとは思っていた。しかし、サラのように暗い企みを内に抱く様子もなければ、エリのように要注意人物に目を付けられるのも構わず暴れ回る訳でもない。アリスについては、全くのノーマークだった。
アリスは、スリザリン生だ。死喰人を親に持つ生徒と関わる事も、エリやサラに比べて多いだろう。まさか、そちらからアリスに手が伸びているのか。
教室を出て行こうとするアリスに、セブルスは重ねて問うた。
「本当に何もないのだな? これは、子供のいざこざとは規模が違う。もし、何か得た情報があって意図的に伏せているようなら……」
「必要があれば話します。プライベートな事の干渉はされたくないでしょう? 先生とエリも」
セブルスは息をのみ、そして、エリを振り返った。エリは、自分が漏らしたのではないと主張するように、ブンブンと大きく首を振っていた。
「それじゃあ、お邪魔しました」
意味ありげに言って、アリスは教室を去った。セブルスは、よろよろと席に戻る。
アリスの言葉は、明らかな脅しだった。これ以上追及するようならば、二人の関係性を他者に明かすと。
エリの告白を受け入れるのは危険だ。彼女を巻き込み兼ねない。それは、解っていた事だった。それでも手放す事が出来なかった。幾度も悩んだ。幾度も、やはり別れるべきなのではないか、彼女を解放するべきなのではないかと思った。
しかし踏み出す事は出来なかった。
決して、知られてはならない。弱点となってはならない。肝に銘じていたつもりだった。まさか、アリスに脅しのネタにされるだなんて。
目の前に出された紅茶を、一気に飲み干す。エリはセブルスの机の前にしゃがみ込み、目から上だけを覗かせていた。
「お、おかわりいる?」
「要らん。君の妹、最近、何か変わった事は?」
気が付かなかった。いつの間にか、彼女が閉心術を習得している事に。彼女が何かを掴み、リドルの日記を探っている事に。任務やサラの事にばかり気を取られてしまっていた。
エリも、特に心当たりは無いようだった。
「アリスは、何か隠している。警戒すべきは、シャノンだけかと思っていたが……まったく、君の姉妹は次々と問題を増やしてくれるな」
「そういやそのサラへの警戒って何なの? 一人にするなって言うから、とりあえず見かけたら声掛けて付きまとってみたりはしてるけど……」
「言えば、君は隠し通せないだろう。現に、アリスに見抜かれていたように」
「あ、そっスね……」
「説明もなしに協力を求めるのは理不尽だと言う事は、理解している。我輩の方でも、彼女の課題を増やして時間を奪ってみてはいるが……」
「いや、それはいいよ! あたしも嘘苦手だってのは自覚してるし、あたしにも出来る事があるなら、協力したいしさ。ただ、セブルスも一人で抱え込んでるの苦しかったら、相談ぐらいは乗れたらなって……」
セブルスは、エリへと目を向ける。彼女は、嘘は言っていないだろう。しかし、彼女自身、覚えていないだけと言う可能性はある。手掛かりはあれども、気付いていないだけかも知れない。
開心術によって流れ込んで来たのは、ただただ、セブルスを心配するエリの感情だった。セブルスが危険な任務に身を置いているのではないかと言う不安。隠し事が下手であるが故に、相談に乗れないもどかしさ。それでも頼って欲しい、セブルスの力になりたいという願望。
他に気にかけているような映像も台詞もなく、表面の言葉の通り、セブルスの事で今のエリの心は満たされていた。
机の向こうから覗く二つの目。まるで柵の向こうの小動物のような愛らしさに、セブルスは自分でも無意識の内に彼女の頭へと手を伸ばしていた。性格の割に手入れされた艶やかな黒髪は、するりとセブルスの指を受け入れ心地良かった。
アリスに脅されようとも、エリの補習授業をやめるという選択肢はなかった。
今の成績では、エリがふくろう試験でOを取る事は不可能だ。それは絶対的事実だった。
何としても、エリにいもりクラスの授業を受けさせる。試験に落とさせはしない。これは、セブルス自身のプライドでもあった。
とは言え、エリが望まないのであれば、無理強いする訳にもいかない。通常の課題と普段の授業、そしてクィディッチの練習で彼女が忙しいのは、承知している。しかし彼女が補習授業を嫌がる事はなく、セブルスは順調に自分の知識を彼女に教え込んでいった。
一対一で教えてみれば、エリは決して物覚えが悪い方ではなかった。むしろ、記憶力は良い方だ。細やかな作業は雑になりがちだが、予め注意事項を認識していれば気を配れるし、手際も良い。後は――
セブルスは、エリの手元をじっと見つめる。催眠豆を入れた後の撹拌。四回で終えるはずだが、エリの手が止まる様子はない。視線は鍋に落ちてはいるが、どこかぼんやりとしている。
長時間に渡る調合での集中力は、今後の課題だった。
セブルスは杖を用意し、構える。ここまで掛かった調合は不意になってしまうが、また最初から作れば復習にもなる。一度、爆発でも起きればいかに集中が必要か、彼女の身も引き締まるだろう。事実、これまでも一度間違え、惨事となった手順は、彼女も注意深くなり二度と間違えなかった。
撹拌が五回目に入り、セブルスはエリの肩を強く引く。エリをかばいつつ、盾の呪文を鍋の方へと向ける。鍋は爆発し、魔法薬が四方八方に飛び散っていた。
「何回かき混ぜた?」
杖を振り、零れた薬や小瓶を片付けながら、セブルスは問う。エリは無言のままだ。
「聞いているのか? 催眠豆の汁を入れた後、何度――」
振り返り、セブルスは固まった。
熟れたトマトのように真っ赤な顔が、目の前にあった。
(……しまった)
床に引き倒されたエリ。彼女の顔の横に手をつき、馬乗りになったセブルス。もちろん、爆発の衝撃から彼女を守るためではあるが、この体勢はまずい。非常にまずい。この距離もまずい。
紅潮した頬。真一文字に結ばれた唇。潤んだ瞳。セブルスの視線に耐えかねたように茶色の瞳が揺れ、伏せられる。長い睫毛が揺れる。
「……すまない」
何に対しての謝罪なのか自分でも分からなかったが、他に言葉が出て来なかった。セブルスは、そろそろとエリから離れ、立ち上がる。
エリから顔を隠すように背を向け、黒板の方へと向かう。
「そのようなつもりはなかった。分かるだろう? 手順を誤るとどうなるか、身をもって体験した方が良いと思った。特にこの薬は少しの手違いで、大きな事故を引き起こす――これだけの結果になると分かれば、もう間違えんだろう。今なら、間違えても我輩が対処出来る――」
視界になくなっても、エリの顔が目に焼き付いて離れなかった。いつになくしおらしく、頬を染め、伏し目がちになった表情。
子供だと思っていた。セブルスとしては、非常に耐えがたい事ではあるが――顔は父親似だと思っていた。しかし、間近で見た彼女は父親と重ねようもない、一人の大人の女性だった。
(いやいやいやいや……落ち着け。彼女はまだ十五だ。学生だ)
彼女が学生である内は、決して手を出さないと決めている。彼女の告白を受ける時に、心に誓った事だ。エリ自身のためにも。エリとの関係を悟りながらも応援してくれた、かつての旧友を裏切らぬためにも。
悟られぬように小さく深呼吸をし、心を落ち着かせる。
「それで、何度かかき混ぜていた?」
平静を装って振り返り、セブルスは問う。エリは、返答に詰まっていた。やはり、数えていなかったようだ。
撹拌の回数を暗唱させ、注意点を述べる。エリは真面目に授業に応答していたが、その顔はまだ赤く、視線は揺れていて、セブルスと目が合うと慌てたように視線を外した。
「――今日はここまでにしよう。次回、またこの薬の調合を行う。本日失敗した部分について、復習しておくよう」
「えっ? 初めからやり直しじゃないの?」
エリの疑問はもっともだった。寮の門限には、まだだいぶ早い。調合に時間がかかる事を理由に、セブルスは終了を押し通した。エリは逃げるように、教室を出て行った。
誰もいなくなった教室で、セブルスは机に手をつき、もう一方の手で顔を覆っていた。
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2017/01/09