は、と彼が気の抜けた返事をする。なによ、快斗が学校を休んでたのが悪いんじゃない。青子の機嫌が降下していくのが分かって、彼はすぐにその顔をおさめた。悪い悪い、と言う。なにを悪かったと思って謝ってるの?と責めたくなった。ただ、謝る言葉さえ言えばそれでいいと思ってない?
「いま、俺の耳日曜だった。なにも聞こえてなかった。もう一回、言ってくれ。文化祭が何だって?」
「その耳が月曜の朝を迎えるまで何回でも言ってやるわよ。文化祭の出し物が人魚姫になりました。差し当たって、舞台のセットを作らなきゃいけません、快斗と青子は魚の係です」
「役者は?」
「、役者は、まだ決まってないの。とりあえず、魚を描くのよ」
今度は、快斗の機嫌が降下する。眉が寄って、至極嫌な単語を聞いたという顔をする。彼に手が三本以上あったら、自分で縁がちょしてるだろう。
風邪だかおたふくだか麻疹だか捻挫だか骨折だか盲腸だか虫垂炎だか何だか知らないが、学校を休んでた快斗が悪いのだ。見舞いに行っても何もレスポンスがないし、入院したのかと思って職員室に行っても誰も知らないし、電話もメールも通じない。そのくせ、学校に出てくれば元気そうにへらへらしてる。ばーかばーか。
この男はきっと、何も考えちゃいないのだ。学校に出てきたとわかった瞬間に、どこかでマジックやってると聞いた瞬間に、誰かがスカートめくられたとうったえられた瞬間に、青子がどんなに、青子が、どんなに、
だから、これは罰ゲームの一環なの。青子をこれだけいつもいつも心配させているんだから、一緒の役職について、一緒に何かをしてもいいじゃない。
「・・・なにを、描くんだっけ」快斗が頭を抱えて、そう言う。青子は言った。宣言。
「魚。図鑑をよく見て、上手に描いてね」
快斗のマジックにきゃあきゃあ言ってる奴らに見せてやりたい。こいつ、魚がだめなのよ。知ってる?こいつ、魚を見るのもだめなの。おなか抱えて笑ってやりたい。
「無理!勘弁!!そうだ、海藻、俺、海藻描くから!!わかめとか!昆布とか!岩も描くよ!」
「だめ。岩は大道具の係の子が新聞紙でハリボテにするって言ってるんだから」
「海藻は!?」
「魚の係、青子と快斗の二人しかいないんだよ?青子に魚を全部任せるつもりなの?」
図鑑を快斗のほうへ押し出す。彼は、押し出されたぶん、図鑑から距離をとる。快斗の嫌いな魚の写真ばかり載っている本。それから逃げてるのが可笑しい。
「魚じゃないと思えばいいと思うんだけど。これに載ってるのは魚じゃなくて、鳩とか、ヤギとかだと思えば?」
「無理だろ!どう見たって魚だろ!」
「違うよ鳩だよ、快斗何見てるの?」
「冗談言うなそれ近づけんなほんと止めて勘弁してお願い」
いつも譲歩するのは青子のほうだ。青子のほうから快斗を許して、青子のほうから快斗に条件を出す。それがいつもだ、という気がしている。それが日常、それがいつも。いつもってすばらしいことよ。変わらない、安定しているってことは、希望とイコールだと思う。
鱗だけでいい、と青子は言った。青子は魚の形と顔と、その尾を描くから、快斗は鱗を描いて。
画用紙を扇形に小さく、いくつも切って彼の前に積み上げる。鱗だけなら、なんとかなるでしょ、快斗が描いたやつを青子が貼るから。それでも、彼は無理だ、と何回か言った。
いいじゃない、鱗じゃなくて花びらだと思ってよ。花びらくらいなら、なんとか思いこめるでしょ。
快斗がまた嫌がるので、青子は彼に背を向けた状態で、背中合わせに作業する。快斗が見えなくても、なんとなく、背中に彼がいるということだけ感じる。いないより、ずっといい。
快斗の手元を覗き込む。天才的に器用な手先。筆が彼の指みたい。
「・・・なに?青子、こっち見るのはいいけど、おまえが描いてるのこっちに持ってくんなよ」
うん、と返事をする。自分でも生返事だな、と思った。集中がすべて、彼のつくっている鱗に注がれる。何をつくってるんだ、このひと。ああ鱗か。そうだ、鱗、なんだよね。魚の鱗。
快斗が筆を動かす。筆の毛が、まるで彼の神経すべてがそこに通っているように動く。濡れた房が、扇形の紙のぎりぎり端を撫でていく。はみ出したり、塗り残しが出たりしない、ギリギリのライン。筆についている絵の具の濃淡で、一度なぞっただけで、その紙にはグラデーションができている。すごい、なに、これ、
「なんだよ」快斗が不機嫌そうに、そう言う。何でもない、とだけ答えた。
すごくきれい、なにあの鱗。瑪瑙みたい。あんなきれいな鱗の人魚姫、どこにもいないよ。
青子の塗った魚の胴体に、快斗のつくった鱗を貼った。上等の魚。魚屋に並んでいたら、さぞかし高価だ。
鱗を貼り付ける作業を終えて、青子は嘆息。さすがにこの作業は、快斗は嫌がった。鱗までついた本格的な魚ができあがるのだから、魚嫌いの彼にはたまらないだろう。しかし、それにしても、いい出来。満足。
そう思ってぼんやり完成した魚を見ていると、目の前にすっと手があらわれる。
「ほら、」快斗の声。近すぎてすぐに合わなかった焦点が、ゆっくり結ばれる。
「なに、これ」小さな紙の花、手のひらにちょうどのるくらい。
余りの鱗を合わせてつくったのだろうか。青子が魚を仕上げている間に、快斗がつくったのか。
「ありがと」手の上に、その花は落ちた。
きれいな濃淡。水墨画を描いてるみたいにすらすらと動いた筆で、この花びらのひとつひとつは出来ている。快斗の描いた花。瑪瑙みたい。
青子が笑う。今までのことは水に流してもいいや。彼は少なくとも、今日一日はつきあっていてくれた。
まだ言ってない、人魚姫のキャストのことは、いつ伝えたらいいかな。
またリクエスト受け付けて貰っちゃいました! ありがとう! 本当ありがとう!
青子も快斗も可愛いですv もう、終始にやにやvv 快青大好きだーっ!!
2010/05