雑踏の中に佇む少女の姿があった。
上着の丈は短く、スカートの丈は長くした、セーラー服姿。背中まである黒髪。
柔らかそうに見える髪とは対照的に、鋭い瞳。その目は、屋根の向こうに見える校舎を見据えていた。
「並盛……久しぶり……」
少女は呟く。
「帰って来たよ、お兄ちゃん……。私、強くなったから……もう、邪魔になったりしないから……」
吹き抜ける一陣の風が、ざわざわと木々を鳴らして行った。
No.1
「おはようござます! 十代目!」
いつもながらの遅刻ぎりぎりの時刻。綱吉が学校へと走っていると、銀髪の少年が追いついて来た。
「あっ。おはよう、獄寺君」
駆け込み仲間がいる事に、綱吉は安堵する。
いつもは遅刻も早退も気にしない獄寺だが、綱吉に合わせて走る事にしたようだ。それから直ぐ、もう一人合流した。
「おっ。お前らも寝坊したのなー」
山本が片手を上げながら、綱吉と獄寺の隣に並んだ。
「山本! おはよう。山本がこんな時間なんて、珍しいね」
「寝坊じゃねー。俺は好きな時間に起きてるだけだ」
――それもそれで問題じゃ……。
獄寺のあからさまな態度に綱吉は冷や汗を流すが、山本はさっぱり気にしていない様子で笑っていた。
「朝練無いからバッティングセンター行ってたら、夢中になっちまってよー」
獄寺は相変わらず山本を敵視し、山本は気付いてもいない様子で笑って受け流す。いつもと変わりない、登校風景だった――途中までは。
少し先に校舎が見えて来た時、綱吉達は前方に人だかりがあるのに気付いた。走った甲斐あってか、歩いても何とか間に合いそうな時間。しかし学校前の大通りまではまだ少しあり、登校する他の生徒の姿は見えない。
人だかりはラフな格好をした年上の男達。何かを取り囲んでいるようで、辺りには不穏な空気が漂っていた。生徒どころか近所の人達の姿も見ないのは、そのためかも知れない。
――うわあ……嫌な場面に遭遇しちゃったなあ……。
人ごみは狭い道路をいっぱいに占領していて、脇をすり抜ける事は出来そうにない。ここから遠回りするとなると、遅刻は確定だろう。それでも綱吉は、面倒事に巻き込まれる気はさらさら無かった。
「山本、獄寺君、遠回りし――」
「待っててください、十代目。こいつら直ぐに退かしますから」
言いながら、獄寺はダイナマイトを手にしている。
「まあまあ、獄寺。花火はしまえって」
「花火じゃねえ!」
「まずはちゃんと、口で言わねぇと」
そう言ったかと思うと、山本は不穏な空気を放つ男達へと近付いていった。
「や、山本!」
「なあ。悪ぃけど、ちょっと道開けてくれるか?」
にこやかな笑顔で声を掛ける。
振り返った男達の表情からは、道を開ける気など全くもって無いと言う事が伝わって来ていた。
「何だあ? この餓鬼」
「邪魔すんじゃねーよ」
取り付く島も無く、二人の男は山本に背を向ける。
綱吉はホッと胸を撫で下ろす。これで、山本は戻って来るだろう。皆で遠回りだ。遅刻ぐらいなら、いつもの事である。
しかし、山本は引かなかった。
「な、頼むって。ここ通ってかないと、俺ら遅刻しちまうんだよ」
「邪魔すんなつったろーが!」
男は大きく腕を振りかぶった。危機一髪、山本はそれを避ける。
「うおっと、危ねえ」
輪の外側にいる数人が、こちらを振り返る。
彼らは、少し離れた所に立つ綱吉と獄寺にも目を留めた。
「ん? テメーらも仲間か?」
「ヒィッ!!」
返答も聞かず、彼らは駆け出した。
山本は襲い掛かってきた拳を避け、一人、二人と殴り倒して行く。しかし人数は多く、とても山本一人では倒し切れない。
「ツナ! 獄寺! 行ったぞ!」
「わああああっごめんなさいごめんなさいごめんなさいー!!」
「果てろ!」
――あああっ! 結局、ダイナマイト投げちゃったよ!!
ダイナマイトの爆発を直に食らった男達が、山本の倒した男達の上に重なり倒れる。
山本は慌てて爆風の下を掻い潜り、道の端に飛び退く。
「おい、獄寺気をつけろって! 俺もいるんだぞ!」
「知るか」
シャキン、と金属音が綱吉達の耳に届いた。
振り返る男の数は増え、更に彼らは小型ナイフを手にしていた。
「餓鬼だと思ってりゃ調子に乗りやがって……!」
「かかれー!」
「どっちに?」
男達の雄たけびの中、静かな声がした。ドゴッという鈍い音と共に、男たちは一人、また一人と倒れて行く。
綱吉達に襲い掛かろうとしていた男達は、焦燥の表情を浮かべ背後を振り返った。
「や……やべえ。もう、ここまで……」
言いかけた男も、人垣の中から突き出された鉄パイプに殴り倒される。
ふわりと、男達の間から人影が舞い上がった。長いスカートをはいた、長身の人影。着地と同時に鉄パイプが振り下ろされ、何人もの男達が同時に飛ばされる。
「私と戦ってるのに、暢気に他の人とお喋り? 随分と甘く見てくれてるんだね」
着地と同時に、急旋回。次々と男達が吹っ飛んでいく。
あっと言う間に、その場にいた男達は皆薙ぎ倒された。人影が動きを止める。二つに結んだ髪が、一拍遅れてゆっくりと静止する。
上着を短くし、スカートを踝まで長くしたセーラー服姿。現代の住宅街においてその格好は、あたかも数十年前から飛び出して来たかのような歪さがあった。
「女の……子……?」
薙ぎ倒された男達の屍は、通りを縦断するように数メートル先まで広がっていた。
彼ら全員を、相手していたと言うのか。
一番に声を発したのは、山本だった。
「お前、強いのな。でも、大丈夫か? 怪我とか――」
「平気だよ。邪魔しないでくれる」
「んなっ。こっちは、テメーらが道を塞いでたから――」
振り返った少女の顔に、獄寺の言葉は途切れた。
V字型の前髪。長さは違うが、さらりとした柔らかそうな黒髪。鋭い目つき。三人共、ほんの数日前に出会ったその顔を、忘れる筈がなかった。
思わず綱吉の声が裏返る。
「ひ……雲雀さん……!?」
「……そうだけど」
怪訝気な顔でその人物は答えた。
三人はぐっと額を寄せ合わせる。
「ど、どう言う事!? スカートだよね? 女の子の格好だよね?」
「お、落ち着いてください! た、多分よく似た別人かと――」
「でも、ツナの『雲雀か』って質問にうなずいたぞ?」
ヒソヒソと相談していると、その人物は鉄パイプを構えた。
「君達、群れて鬱陶しい……叩くよ」
「ヒッ!」
綱吉は短く悲鳴を上げ、直立不動になる。
「群れるなって……やっぱり雲雀っすよ、こいつ!」
「で、でも、雲雀さんどうしてこんな格好……?」
「まあ、人の趣味には色々あるから……あいつ、昔の不良っぽい格好好きみたいだし……」
「だからって、女の格好もすんのかよ!?」
「ねえ」
再び話しかけられ、三人はビクッと振り返る。
ロンタイのセーラー服を着たその人物は、既に屍の山を越えて数メートル先まで歩いていた。
「学校、行かないの。遅刻するよ」
「え、ああ、行く行く。サンキュ、雲雀」
数メートルの距離を保ったまま、暫く無言で四人は歩いていた。学校前の大通りに出ると、セーラー服を着た雲雀恭弥らしき人物に誰もがぎょっとして振り返っていた。
「だよなぁ……。やっぱ、驚くよなあ……」
綱吉は一人ごちる。注目を集めている本人は、気にする様子もなく数メートル先を歩いて行く。
その背中に、山本が遠慮がちに声を掛けた。
「――なあ、雲雀。えーっと……制服は、どうしたんだ?」
精一杯の遠まわしな質問だった。何故、女装なんてしているのか。制服と言っても彼ら風紀委員が普段着ているのは、他の生徒とは違う学ラン姿ではあるが。
前を行く人物は、振り返りもせず素っ気無く答える。
「間に合わなかったから」
綱吉達は、再びヒソヒソと会話を交わす。
「洗濯にでも出したのかな……」
「……つまり、あれって雲雀の私服って事ですか?」
「私服まで制服なんて、流石だな」
山本は既に、この奇妙な状況に順応し出している。綱吉と獄寺はそう簡単に割り切る事も出来ず、やはり前を行くセーラー服姿に目がいって仕方が無い。
校門に近付くと、リーゼントに学ラン姿の男達が二、三人立っているのが見えた。登校時間が迫り、まだ校門から遠い生徒は慌てて駆け出す。
「おはようございます、雲雀さん」
腰を九十度に折って挨拶をする風紀委員の前を、平然と歩いて行く。直ぐ後ろを歩く綱吉達もお辞儀する風紀委員の前を通る事になり、やや気まずい思いだった。頭を下げている分睨まれる事がないという点では、幸運かも知れないが。
「――やっぱり、転入生って君だったんだ」
木の陰から現れた人物に、綱吉達は眼を見張る。自然、前に続いて足も止めていた。
綱吉達とは違う制服。腕を通さずに学ランを羽織った姿。その腕にあるのは、「風紀」の赤い腕章。
「ひば……り……?」
雲雀恭弥は、怪訝気に綱吉達三人を見る。
「え……あれ……? じゃあ……?」
綱吉は目をパチクリさせ、セーラー服を着た少女に目をやる。
二つに縛った柔らかそうな長い黒髪、キツい眼つき。獄寺と同じ程度の背丈、並んでみて漸く彼より低い事が判る程度。
「それじゃ、雲雀さんかどうか聞いて、頷いたのは……」
「私は雲雀弥生。――雲雀恭弥の妹だよ」
唖然とする綱吉、獄寺、山本の三人。
雲雀恭弥が、トンファーを握った片手を軽く上げた。
「君達、僕が女子の格好をすると思ったの?」
「悪い悪い。雲雀に妹がいたなんて、聞いた事無かったもんだから……」
山本がなだめるように言う。
答えたのは、弥生だった。
「今日から転入して来たの。――お兄ちゃん、制服は」
「こっち。応接室で預かってる」
雲雀はトンファーをしまうと、妹と共に去って行った。
二人の姿が見えなくなり、綱吉は大きく息を吐く。
――か、咬み殺されるかと思った……!
兄によく似た妹。関われば、先日の応接室での一件ような目にも合いかねない。
しかし上級生なら、関わる事は無いだろう。
そう、思っていた。
「雲雀弥生です」
よろしくの一言さえなく、弥生の自己紹介は終わった。
綱吉は呆然とする。
――一年生だったのー!?
今朝のセーラー服は着替え、京子らと同じ並盛の制服姿だ。
「じゃあ、雲雀の席は――」
綱吉は首をすくめる。
しかし、横の席が空いているという事実は変わらなかった。
「沢田の隣だな」
そう言って、担任は綱吉の隣の席を手で示した。弥生は無言でうなずき、綱吉の方へと歩いて来る。
「えっと、よ……よろしく……」
しどろもどろになりながらも、綱吉は愛想笑いを浮かべる。
弥生はちらりと鋭い瞳を綱吉に向けた。
「よろしくしない」
素っ気無く言って、席に着く。
――やっぱり雲雀さんの妹だ……!
いつ咬み殺されるか知れない。恐怖心からか、その日の授業、綱吉は珍しく眠くなる事が無かった。
転入生と言えば、休み時間になるとクラスメイト達が集まって質問攻めにする光景がよく見られる。しかし、彼女についてはそんな事は無かった。皆遠巻きに眺め、近付こうとしない。弥生も自ら歩み寄る様子はなく、休み時間は一人ぽつねんと席に座り本を読んでいた。
放課後、綱吉はプリントの山を抱えて職員室へと向かっていた。一人になった隙に教師に手伝いを頼まれてしまったのだ。
――雲雀さんの妹とは隣の席になっちゃうし、先生には手伝い頼まれるし、ついてないなあ……。
前が見えないほどの量の紙束を、身体を横にして抱え歩いて行く。放課後の校舎は人気が無く、校庭の方から運動部の掛け声が幽かに聞こえて来る。
階段の踊り場を曲がった所で、危うく昇ってきた生徒とぶつかりそうになる。横に避けたその生徒と目が合い、綱吉はぎょっとした。
雲雀弥生だ。
弥生はぴたりと立ち止まり、じっと綱吉を見つめていた。睨むような眼差しに、綱吉は身を竦ませる。
「君、確か同じクラスの――?」
「えっ。あ、うん。沢田綱吉って言うんだ」
「隣の席だよね。皆からダメツナって呼ばれてる」
隣の席である事や登校時に会った事よりも、あだ名から覚えられているようだった。事実だが、悲しくなってくる。
「手伝おうか?」
綱吉が答える前に、弥生は綱吉の抱えていたプリントを上半分ほど取りあげた。一気に視界が開ける。
「あ、ありがとう……」
綱吉は呆気に取られる。思ったほど冷たい人ではないのかも知れない。
しかし職員室へ向かう道々、弥生は何も話す様子はなく、無言で綱吉の後をついて来ていた。
無言の息苦しさに屈して、綱吉は恐る恐る口を開いた。
「えっと……弥生さんは、転入前は何処に通ってたの?」
「君に関係あるとは思えないけど」
やはり、弥生の返答は素っ気無い。
機嫌を損ねてしまったろうか。綱吉がビクビクしていると、弥生はぽつりと呟いた。
「……言ったところで、知らないよ。地元の市立中学だから」
「地元って……そう言えば、雲雀さんと兄妹なんだよね? なんで、弥生さんだけ途中から転入なんて……」
キッと弥生は綱吉に眼を向ける。
――ヒィッ! 睨まれたー!!
触れてはいけない話題だったのだろうか。
「ご、ごめんっ。別に、無理に聞き出そうって訳じゃないんだ。嫌なら別に……!」
「私、親戚の家に預けられていたから。それと――」
プリントの束が舞った。
宙を舞ったプリントが落ち、綱吉はその向こうで壁に頭を打ち付けている生徒を見た。同時に一人が鈍い衝撃音に続き、階段を転げ落ちて行く。
制服を着崩したいかにもな風貌の生徒達が、綱吉と弥生を取り囲んでいた。弥生は鉄パイプを振り回し、襲い来る不良達を薙ぎ払って行く。
「戦いたいなら、正々堂々と来なよ」
不良達に話す弥生の声色は静かだ。
「――まあ、無理か。君達、弱いから群れでしか襲って来ないんだもんね」
綱吉は壁際に張り付いたまま、弥生が戦う様子を見ていた。上から下から襲い来る生徒達を、弥生は舞うような動作で倒して行く。
不意に、一人が上の階段から弥生の後ろに飛び降りて来た。弥生は振り返り様に薙ぎ倒すが、バランスを崩し身体が大きく傾く。
「危ない!」
「お前が助けろ」
何処からともなく聞こえてきたのは、リボーンの声。階段の手摺に座った小さな赤ん坊の手から、弾丸が綱吉に打ち込まれた。
綱吉は倒れ、そしてパンツ一枚の姿で起き上がる。額には、死ぬ気の炎。
「復活! 死ぬ気で弥生を助ける!!」
階段から落ちかける弥生を抱え、そのまま自分も階段を飛び降りる。下の段から襲い来る輩を踏み台に、階段の一番下まで降り立った。そして、まだ残る不良連中を倒して行く。
そこへ、ダイナマイトが投下された。爆風が晴れ、階段の上に現れたのは獄寺隼人。
「加勢します、十代目!」
生き生きと叫んで、ダイナマイトを逃れた者達を倒して行く。
間も無く、綱吉達に奇襲をかけて来た連中は一人残らず気絶又は逃亡した。死ぬ気の炎が消え、綱吉はその場に座り込む。即座に、獄寺が駆け寄った。
「大丈夫ですか、十代目!」
「う、うん。俺は大丈夫。そうだ、弥生さんは――」
振り返った綱吉の眼前に、鉄パイプの先端が突き付けられた。
兄によく似た鋭い瞳が、綱吉を睨めつける。
「勝手な事をしないでよ。私は強い。君達の助けなんて要らなかった。あれくらい、自分で着地出来るよ」
「ってめぇ! 十代目に何て口利きやがる!」
獄寺が、弥生の肩を強く掴んだ。
一瞬の停止。そして次の瞬間、鉄パイプが薙いだ。間一髪、獄寺はそれを避ける。
弥生は一瞬の内に後ずさり、遠ざかっていた。
「突然何しやがんだ!」
「私の半径一メートル以内に近付かないでくれる。叩くよ」
鉄パイプを両手で握り締め、獄寺に向かって構えながら弥生は静かに言った。その顔は、僅かに青い。
「……若しかして、男性恐怖症?」
単なる勘だった。そんな気がしたのだ。
しかし綱吉の勘は当たっていたらしい。弥生はキッと綱吉に視線を移した。
「悪い?」
「んなっ!」
――ひ、開き直ってる……!
思い返せば、朝の喧嘩も今の喧嘩も相手に決して触れていない。鉄パイプを武器にしているから気づかなかったが、トンファーを使う雲雀は蹴りも織り交ぜていた。
そして、綱吉は辺りを見回す。
「あれ? そう言や、リボーンは?」
綱吉に死ぬ気弾を撃った筈のリボーンは、あっと言う間に姿を消していた。
「それに、獄寺君はどうしてここに? ここ、三年校舎なのに……」
「十代目をお探ししてたら、プリントの山を抱えていたと聞いたので。教室にはいらっしゃらないので、こっちかと……」
「三年校舎?」
弥生がぴくりと反応を示す。
綱吉は頷いた。
「うん。こっちは三年生の教室が入ってるんだ。俺達の教室があるのは、隣に見えるあの校舎だよ」
そう言って、窓の外を指差す。
弥生は綱吉の示した先を目で辿り、そしてくるりと背を向けた。そのまま無言で、去って行った。
「も、若しかして、手伝ってくれたんじゃなく、迷子になってただけ……?」
言って、ハッと我に返る。
目の前の惨状。気絶した生徒達。綱吉と弥生の抱えていたプリントは、当然ぐちゃぐちゃだ。
――これ、怒られるんじゃ……!?
巻き込まれては踏んだり蹴ったりの日常。
危険要素が、また一つ増えた日だった。
2011/03/26