ごめんなさい。
 私の為に急いでいて、お父さんは死んじゃった。
 ごめんなさい。
 私は「やくびょうがみ」だから、可愛がってくれたおじちゃんに「びょうげんきん」を移しちゃった。
 ごめんなさい。
 「やくびょうがみ」に声を掛けたから、あなたは転校してしまった。
 ごめんなさい。
 私は「やくびょうがみ」だから、お母さんは私を捨てた。
 ごめんなさい。
 「やくびょうがみ」は、祖父母をも不幸にする。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 雛見沢の守り神に、私は嫌われているんだって。
 オヤシロ様は、私を守ってくれないんだって。

 ……ごめんなさい。
 私は、そんな馬鹿げた迷信なんて信じない。





No.1





 一陣の風が、緑の木々をざわめかせ過ぎ去っていく。
 四方は山に囲まれ、足元には田圃が広がり、蝉達は夏を告げ懸命に鳴く。強い日差しに汗ばむが、時折吹く風は心地良い。車も滅多に見かけないような、長閑な村。いつもの朝の風景を、沙穂はぼんやりと眺めていた。
 そんな静かな時間に、不意に友人の声が割って入った。
「ちょっと沙穂、聞いてる〜?」
 その声で、沙穂は我に返る。
 視界に映るのは、緑の髪をポニーテールに結んだ友人。腰を曲げて沙穂の視線の高さに合わせ、顔を覗きこむようにしている。
「……聞いていなかった」
 沙穂の返答に友人――魅音は、はぁーっと息を吐く。本気で呆れたような溜息ではなく、何処かおちゃらけた口調。
「まーた、どっかトリップしちゃってたってトコ? あんまり置いていかれちゃうと、おじさん寂しいなぁ」
 沙穂は返事の代わりにクスクスと笑った。それを見て、魅音もニッと笑う。
「魅ぃちゃん、沙穂ちゃん、遅れてごめーん!」
 聞こえて来た声に、沙穂と魅音は同時に振り返った。
 レナと圭一が、こちらへ駆けて来る所だった。魅音がびしっと指を突きつける。
「遅い! どうせまた、圭ちゃんが寝坊したんでしょ」
「まったく。私と魅音は、待ち惚けだぞ」
 沙穂も腕を組み、圭一を横目で見る。
 圭一はふてくされたように口を尖らせた。
「ちぇっ。たまにこっちが遅れたら、これかよ。沙穂は兎も角、いつも寝坊してんのは魅音なのによ」
「なにをーっ」
 圭一の言いように、魅音は食って掛かる。止めたのは、レナだった。
「早く行かないと、遅刻しちゃうんじゃないかな? かな?」
「そーだ! 急がねぇと!」
「よっし。それじゃ、学校まで競走だ! 一番に席に着いた子が優勝。ビリはもちろん、罰ゲーム!」
 言うなり、魅音は駆け出した。
「あっ。ズリぃぞ、魅音!」
「待ってよーぅ」
 叫んで圭一やレナも駆け出す。
 皆より一歩遅れて、沙穂も慌てて駆け出した。背中のランドセルがガタガタと揺れる。
「競走なんて、私が一番不利に決まってるではないかっ」
「なーに言ってんだよ。一番タフな子がさ〜!」
「誰が一番になるかなっ? かなぁ?」
「男として、絶対負ける訳にはいかねーなぁ」
 沙穂はふくれっ面になりながらも、地面を強く蹴ってスピードを上げた。それに気付き、三人も走るスピードを上げる。
 この場にいる四人の中で、沙穂が一番年下だった。レナも魅音も圭一も、ランドセルなんて背負っていない。本来ならば中学校と小学校とに分かれてしまうような年齢だが、雛見沢は人口の少ない過疎の村。村に学校は一つしかなく、クラスも一つしかない。小学校一年生から中学三年生までが、同じ教室で勉強していた。
 沙穂がこの村に越してきたのは、二年前。人見知りが激しく一年以上も浮いていた沙穂も、今ではすっかり皆の中に溶け込んでいる。これも、根気良く声を掛け続けてくれた魅音のお陰だ。魅音は、沙穂が皆の中に早く溶け込めるようにと、部活も作り出してくれた。尤も、それは沙穂だけの為では無いのだが。

 団子になって走っていた沙穂達は、上履きに履き替える所でやや差が開けた。昇降口を一番に飛び出したのは、圭一。彼が駆ける後を、三人は続いて駆けて行く。
「よっしゃぁ! 一番乗りだぜ!」
 圭一は勢い良く扉を開け、教室に駆け込む。
 次の瞬間、圭一の姿が視界の先から消えた。沙穂達三人の予想は的中。盥と共に転げている圭一の横を通り抜け、自分の席へと座る。まだ、先生は来ていないようだ。
 立ち上がる圭一に、小さな少女が高笑いをする。
「おーっほっほっ。そんな所で盥を被って、何をなさってますの圭一さん?」
 北条沙都子。罠を仕掛けるのが好きで、最近では圭一が目下の標的になっている。
 魅音が部活を作った理由のもう一人と言うのが、彼女だった。以前虐待を受け、暗い顔をしていた沙都子に少しでも家の事を忘れさせようと、魅音は部活を考案したのだ。
「沙都子、てめぇ……!」
「みぃ……圭一、かわいそかわいそなのです」
 そう言って圭一の頭を撫でるのは、古手梨花。幼いながらにして古手神社の当主、年寄りの間ではオヤシロ様の生まれ変わりとさえ言われている。
 沙都子や梨花は、沙穂よりも年下だ。けれど彼女らも、沙穂の立派な友達だった。
「何にせよ、圭ちゃんは罰ゲームだね」
 魅音が勝ち誇ったような笑みで圭一に言う。
「はあ? 何言ってんだよ、俺が一番だっただろ」
 沙穂は教科書をランドセルから机に移しながら、肩を竦めて言う。
「魅音は、一番に着席した者が優勝だと言った」
「はぅ〜……圭一君のメイドさん姿、楽しみだよぉ〜」
 レナは早くも、妄想に入っている。今日は部活の初めから、レナのお持ち帰りモードで大変そうだ。
 そう思い、沙穂は苦笑した。





 放課後になると、クラスメイト達が帰っていく中、沙穂達五人は机を寄せる。部活の開始だ。
 魅音が持って来たゲームを行う。それが、部活の内容だった。
 いつでも本気勝負。勝つ為には、いかなる手段をも厭わない。それが、部活の鉄則だ。
 負けた者には、罰ゲームが課せられる。それは決して生半可な物では無く、珍しいタイプの物だった。それを目的に、教室に残るギャラリーもいるほど。例えば、今回の圭一だ。
「はぅ〜。圭一君、かぁいいよぅ。お持ち帰りぃ〜!」
 メイド服姿になった圭一を、レナは抱えて走り去ろうとする。
「お、落ち着けレナ!」
 慌てて逃れようとする圭一。沙穂達も、慌ててレナの衝動を抑えようとする。
 何とか落ち着いて席に着いたが、レナはまだぽーっとしたままだった。圭一は恥ずかしさのあまり、悔しげな表情を浮かべながらも俯き加減だ。
「駄目だよ、レナ。部活はこれからなんだから。
ま、部活が終わった頃には、圭ちゃんはこの上更に猫耳とかスク水とか追加されてるかもしれないしねぇ」
 魅音は圭一に目を向け、意地悪気に言う。圭一は顔を上げた。
「誰がんなもん、着るもんか! 終わった後にそれを着てるのは、お前かも知れねーぜ?」
「言うねぇ〜。昨日も、私達にボロ負けだった癖に」
「うっ……」
「でも、ま、昨日の最後にはコツを掴んでいたからな。そう、油断も出来ないと思うぞ」
 沙穂は机に肩肘をついて、口を挟む。
 圭一は「よく言った!」と言うように、頷く。
「その通りだ! だから、いつまでも俺が負けっぱなしだと思うなよ!」
「つまり、集中攻撃も大丈夫という事なのですよ。にぱー」
「いや、流石にそれは……」
「あ〜ら、怖気ついていますの?」
「誰が! よーし、集中攻撃だろうと何だろうと、どんと来い!! いつでも本気勝負ってのが、会則だからな!」
 大口を叩いただけあって、昨日に比べ圭一は格段にレベルアップしていた。
 沙都子、沙穂、梨花、レナ、魅音、次々と罰ゲームを受ける羽目になっていく。メイド服やらスク水やら、教室は大変混沌とした状態に陥った。このまま圭一の連勝かと思われたが、そう簡単にはいかない。何度目かのゲームの後、沙穂は隣に座るレナを仰ぎ見た。
「残念だな、レナ。ここで圭一を負かせば、これらの服を着た圭一の姿が見られたのに……」
「レナ」
 続いて口を挟むのは、梨花だ。
「圭一に勝ってくれたら、ボクをお持ち帰りしてもいいのですよ」
 頬を染め、やや上目遣いで梨花は言う。これで、レナのお持ち帰りモードが発動しない訳が無かった。
 結果、とうとう圭一の敗北。罰ゲームは全部と言うくじを引き当て、悲惨な事になる。ギャラリーの生徒達も、流石に同情している様子だった。
 そこへ、千恵先生が入って来た。彼女もこの部活風景には慣れている。何の突っ込みも入れる事無く、梨花を職員室に呼ぶ。梨花は罰ゲームの猫耳や鈴が付いたまま、先生の後について教室を出て行った。
 圭一が不思議そうに首を傾げる。
「珍しいな。梨花ちゃん、何かやったのか?」
「圭一さんと一緒にしないでくださいまし。梨花は、綿流しの実行委員なんですのよ」
「綿流し?」
 聞き慣れない言葉に、圭一は更に不可解そうな顔をする。説明したのは、レナだった。
「毎年雛見沢で行われている、古手神社のお祭なんだよ」
「こりゃ、綿流しまで部活はお預けかなぁ……。沙穂も、今年も手伝い行くんでしょ?」
 魅音に尋ねられ、沙穂は頷く。
「ああ、まあ……」
 そのまま俯き加減で、盛り上がる皆の会話を聞いていた。
 沙穂は毎年、祖父母と共に綿流しの準備を手伝っている。この村の一員になるからには、それぐらいせねばならない。引っ越して来て最初の綿流しの時、祖父が言った言葉だ。沙穂の祖父母も、梨花同様綿流しの準備委員に加わっている。自然、沙穂はそれについて行く事となっていた。
 祭の準備は嫌いでない。櫓を組んだり白テントを建てたりするのは、寧ろ好きな方だ。
 けれど……。





 翌日の放課後、沙穂は梨花と共に部活をせずに教室を出た。
 自然に囲まれた雛見沢では、蝉の声が至る所から聞こえてくる。
「今年もまた、この季節がやって来たんだな……」
「楽しみなのですよ。にぱー」
 梨花は明るく言って、軽い足取りで前を歩く。
 沙穂は表情こそ合わせて笑顔を浮かべつつも、足取りは重かった。行き先は、古手神社。二年前ならば、もっと明るい足取りで、毎日のように通い詰めていたと言うのに。
 舗装もされていないような道。周りの風景は田畑や山、木々、そして平たい民家ばかり。ランドセルを背負った背中は、ベッタリと汗で濡れている。
「おお、梨花ちゃまでねぇですか」
 通りがかりの老人が立ち止まり、梨花に話し掛ける。学校は終わったのか、これから綿流しの準備か。話すのは、他愛も無いような事ばかり。
 梨花が立ち止まっている間、沙穂は隣で会話が終わるのを待つ。
 少しして、老人は立ち去って行った。梨花はにこやかに手を振り、また歩き出す。沙穂も足を動かす。
「いつもながら、梨花はお年寄りにモテモテだな」
「にぱー」
 梨花は、何の嫌味も無い笑顔を見せる。
 梨花は老人達の間で、オヤシロ様の生まれ変わりとさえ言われている。オヤシロ様信仰が根強いこの雛見沢で、梨花の人気は当然の事だった。別に、その事を沙穂は妬む気持ちなど無い。老人達に好かれた所で、度々声をかけられて立ち止まったりと、面倒なだけだ。

 やがて、道沿いに掲げられた旗が何本か見えてきた。その旗に包まれるようにして上へと伸びる石段――古手神社だ。
 古手神社は村より高い位置に建てられている。したがって、この石段もそれなりの長さを有する。都会から引っ越してきたばかりの頃、この石段がどれ程辛かった事か。二年も経った今ではもう、すっかり慣れてしまった。
 石段を登り切り、鳥居を潜る。既に本部となる白テントが一つ、張られていた。境内には準備委員の村人達がいて、打ち合わせたり、荷を運んだりと忙しなく働いていた。鳥居の傍にいた老人がやはり梨花に気付き、ありがたやと手を合わせる。
「それじゃあ、ここでお別れなのですよ。お互い、頑張りましょうなのです」
「ああ」
 短く返事をし、奥へと駆けて行く梨花を手を振って見送る。
 沙穂は本部のテントが張られた方へと向かった。張られたテントは、まだ一つ。例年、本部のテントは三つ張られる。それから、飲食場として離れた所に二つ。
「あのぉ……」
 本部のテントへ長机を運んできた男性に、沙穂はおずおずと声をかける。男性は破顔した。
「待ってたよ、沙穂ちゃん。そっちに行ってくれないかい。次のテントを建てたいんだけど、どうも伸びた枝が邪魔になってね」
「はい」
 沙穂は小さく返事をして、テントの反対隣へと回り込んだ。そこには、テントを張る担当であろう男達が輪になっていた。地面を念入りに確認している者もいる。
 沙穂の登場に気付き、皆ばらばらとこちらを向く。
 話によると、テントを張ろうにも伸びた枝が邪魔になっているらしい。切り落とそうと言う話になったが、脚立や梯子をかけるには足場が悪い。上ろうにも、問題の枝先までは細く、大の大人が上るには危険過ぎた。
 沙穂は了解すると、辺りを見回す。
「おじいちゃんに、電どこを持ってくるように頼んだのだが……」
「ああ、これかい」
 その場にいた一人が、隣のテントの下に置いていた電動鋸を手に取る。
 沙穂の身体には、まだやや大きすぎるようなそれ。けれど沙穂は受け取り、それを抱えたまま器用に木を上って行く。
「そこの枝ですか?」
 大人達に確認し、沙穂は枝を伝って先まで行く。
 切るべき箇所まで来ると、刃に厳重に巻かれた布を取り払った。取り払った布は肩に掛け、垂れ下がった布の先は邪魔にならぬよう縛る。そして、枝に刃を宛がう。
「危ないから、離れててください」
 下にいる者達に告げ、鋸のスイッチをオンにした。鋸の刃が動く音と、木が削られる音とが、その場に響き渡る。
 やがて、バキッと音を立てて枝は地面に落ちた。重みによって折れた断面を、沙穂は丁寧に丸の形にする。全て完了すると、切り落とした枝の横へと飛び降りた。
 切り落とした枝を運び出し、テントを張る作業に映る。
 沙穂の加わる力仕事は、ほかの部署に比べ村の中でも比較的若い男性が多い。とは言っても老人も含まねば足りず、指揮を執るのは年配の者だ。自分達が任された箇所の杭を打ち終え、沙穂はきょろきょろと境内を見回す。
「ん? どうしたんだい、沙穂ちゃん」
「あの……おじいちゃんは……」
「ああ。岡藤さんなら、統括に話をしに行ってるよ。櫓を組むのが、どうも明日になりそうでね」
「なんでですか?」
「木材が、予想以上に朽ちかけていたそうでね。若しかしたら、興宮まで買いに行かなきゃいけないかも知れんなぁ……」
 一つ目の白テントを張る作業が終わり、次に取り掛かり始めた所へ、沙穂の祖父は戻って来た。
「枝は落とせたんかい」
「ああ、岡藤さん。ええ、お孫さんがやってくれましたよ」
 祖父と眼が合う。反射的に、沙穂は身を縮めた。
「……そうかい」
 たった一言、そう言っただけだった。
「……」
 そのまま、祖父は作業する者達の中に加わる。とは言っても祖父は高齢の身。同じ場で作業をしていても、沙穂と同じ仕事を請け負う事は無い。荷物を運んだり、組み立て中のテントを押さえたり。精々、その程度だ。

 日が西に傾きだした頃、本堂の方からどよめきが聞こえて来た。
 テントの準備を終え、一息吐いていた沙穂は本堂の方に目をやる。どうやら今日は、梨花の服の採寸をしていたらしい。巫女の服を着た梨花が、年配の女性達に囲まれて出てきた所だった。自ら出てきたと言うよりも、連れ出されたと言った方が近い。
「梨花ちゃま、よう似合っとるなぁ」
 そう呟いたのは、祖父。他の老人達と同様、梨花の所へと集まる。
 梨花は照れたように笑っていた。沙穂は老人達の輪の外から、それを見つめる。
 梨花と一緒に出てきたのは、女性が三人。彼女らは、誇らしげに回りに話していた。その内の一人に、沙穂は視線を移す。中でも年老いたその女性は、沙穂の祖母であった。
 沙穂に気付き、梨花が縁側の上から手を振る。沙穂は笑顔を浮かべ、手を振り替えした。
 空は、夕焼け色に染まりつつあった。


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2009/05/24