すっごく大好きなアニメキャラクターがいたとする。
何も、アニメにこだわる事はない。小説でも、漫画でも、ゲームでも。とにかく、大好きなものがあったとする。――そう、それは「もの」。決して、そのブラウン管――もう液晶かな?――やら、紙面やらからは出て来ない。決して、交わる事の無い存在。
決して交わる事が無い存在なんだけど――もし、もしもだよ? それが、自分にとって現実になったとしたら。単なるキャラクターじゃなくて、大切な人になったとしたら。
……こう言った方が早いかな。家族なり、友達なり、恋人なり、あなたの大切な人の未来を、ひょんな事から知ってしまったら。それが途方もなく辛く厳しく、自分なんかじゃどうしようもなくって……そんな未来を知ってしまったとしたら。
――あなたは、その人のために命を賭して戦う事ができますか?
No.1
「こちらフェア開催中でして特典が付きますが、どちらになさりますか?」
私は迷わず、右上を選ぶ。カードに描かれているのは、長い黒髪にカチューシャをした少女。
暁美ほむら。
それが、そのキャラクターの名前だ。尤も、ファンの間でその名前が正確に呼ばれる事は少ない。ほむほむ、と愛情を込めてファン達は彼女を呼ぶ。かくいう私も、その一人。
購入したグッズを鞄にしまい込み、ほくほくと店を出る。DVDを予約したとき、コミカライズを買ったとき、ついでに予約もしたとき、そして今回。ほむほむのカードばかり大量に溜まっているけれど関係無い。そこは保存用実用観賞用布教用ですよ! 全話録画していようが、発売日未定だろうが、DVDも予約する。それこそファンの誇り。おかげでこの先半年分のお小遣いと誕生日のプレゼントが無くなったけど、後悔なんてあるわけない。
相変わらず二車線ほど違反駐車で埋まっている通りを渡り、社宅の公園前まで来たときだった。私は社宅の前に、妙な人影があるのに気付いた。
私と同じくらいの背格好の、髪の長い女の子。別に、挙動が不審って訳じゃない。挙動じゃなくて……その、服装。えーと、あれは、コスプレ? ゴスロリって奴とは、別物だもんなあ……。アニメや漫画の制服みたいな服。ベースとしては制服っぽいんだけど、こんな制服リアルにあってたまるか、って言うような。
街中でコスプレはちょっと……ね。あんまり関わりたくないなあ。そう思っていたら、当の本人と目が合ってしまった。げ、こっちに来る。
「上月加奈だよね」
そう問うた彼女は、無表情だった。
「え……は、はい……」
恐る恐る頷く。途端に、がしっと腕を掴まれた。やめて、関わりたくないーっ!
一瞬、ジャンプでもしたかなと思った。地から足が離れたのだ。
でももちろん、私はジャンプなんてしていない。目の前のコスプレ少女だって、腕しか掴んでない相手を持ち上げられる訳が無い。
私はぎょっとしてしまう。な、何コレ!? 周りの景色が渦巻いている。眩暈なんかじゃない。文字通り、渦になっている。
コスプレ少女は、にこっと笑った。
「本当は、色々準備させてやりたいんだけどね。食料とか着替えとか。でも、時間が無いから」
「は、はあ……?」
「魔法少女まどか☆マギカ、知ってる?」
出て来たアニメタイトルに、再び、ぎょっ。いやでも、この子は社宅の前にいたのだ。私が店で買い物をしていた姿なんて、見ていないはず。
もちろん大好きだ。それは、放送再開を心待ちにして毎日公式サイトに張り込んでいるほどに。でも目の前の少女があまりにも怪しくて、私はうなずく事ができない。
私が答えないのにも構わず、彼女は言った。
「今日から君、その世界に行ってもらうから」
「はあっ!?」
ちょ、ちょっと待ってよ! それは、何? 異世界トリップって奴? そんな非現実的な事が……いやいや、でもこの景色既に非現実だし……。
で、でもやっぱり待って!
「そんなの突然言われても困るよ!
大体、あの世界、危険だらけじゃん! 欝展開まっしぐらじゃん! 見るのはいいけど、行くもんじゃないって!」
「言ったでしょ、時間無いって。他に適性ある人を探すような時間は無い。君なら、来られるって分かってたから」
そんな理由で連れて行かれてたまるか! 完っ全に、あんた一人の都合じゃん!
「そもそも、あんた誰? トリップものによくある、時空の管理人ーとか、神様ーとか、何とか?」
コスプレ少女は、不敵な笑顔。
「飲み込み早くて助かるよ。まあ、今はそんなものだと思ってくれればいい。――そうだな、明海とでも呼んで」
暁美ほむらをパクったような名前名乗ってんじゃねーぞ。
「因みに苗字は穂村」
「明らかにパクってんじゃん、それ!」
思わず叫んだときにはもう、周囲の風景は変わっていた。全く知らない街中。抵抗する術も間も無く、私はまどマギの世界につれて来られてしまっていた。
……つれて来られたんだと思う、多分。見覚えの無い通りだから分からないけど。でも、全く違う風景だし。目の前にあった社宅も公園も無くなっているし。
ついでに、明海と名乗った少女もいなくなっている。
「え……っ!? ちょっ! あいつ、どこ行ったわけ!? こういうのは、ちゃんと住む所まで手配してくれるのが普通じゃないの!? トリップした目の前にキャラがいたりとか! 『行く宛が無いの? じゃあうちおいでよ』って展開とか!」
目の前にはお馴染みのキャラクターどころか、通りには猫の子一匹通らない。通りも学校やらキャラクターの家やら分かりやすい目標物のある場所じゃなくて、全く見覚えの無い場所。これでも私、何回も見返して背景も結構覚えている方のはず。それでも、ここがどこなのかてんで判断がつかない。
私は呆然と立ち尽くす。……どうすんのよ、これ。どうしろって言うの?
ふと足音がして、振り返る。通りに現れたのは、コーギーを連れたおばさんだった。先生でも、まどかの母ちゃんでも、自殺しかけた女性でさえもありません。完全なるモブ。モブでさえないよ、こんなの。
ぼーっと立ち尽くす私をおばさんはちらりと見たけど、全く気にせず通り過ぎて行った。ああ、せめてここで「あらどうしたの?」とでも言ってくれれば、「行く宛無いんです……!」って言えたのに。
何処にも行く宛が無くて、道も分からなくて、私は途方に暮れてしまう。
どれくらい、その場に立ちすくんでいただろう。日が傾き始め、目の前の影が伸びて、私は歩き出した。このまま、誰も通らないような通りで暗くなるのは嫌だ。
右も左も分からない町を、適当に歩く。何か、手がかりは見付からないだろうか。どこか、見覚えのある風景は出て来ないだろうか。
少し行くと、大きな通りに出た。……うん、でもここどこ?
部活帰りの見滝原中学生でも、通りかからないかな。学校の場所が分かれば、ほむほむやまどかやさやかに会える確率も、ぐっと上がる。
せっかくトリップして来たんだ。ここが本当にまどマギの世界だって言うなら、せめてほむほむには会いたい。
――でも、そう都合良くはいかず。
日は完全に落ち、夜の幄が町に下りる。冷たく静かな町。大通りを歩いているのだから車の往来する音はあるのだけど……でも、そう言うのじゃない。何だか、静寂とか冷たく硬い感じとか、そう言った印象を受ける町。清潔なんだけど整理されていて、人間味が無いような。
「明海ー……」
呼んでみたけど、答える声は無い。
何なんだよ、あいつっ。勝手に連れて来ておいて、そこらに放置なんてっ! 何のために私をつれて来たわけ? しっかり責任とってよねっ!
ガードレールの柱に背を預けて、私はその場にうずくまる。
帰りたいよぉ。お腹空いたよぉ。寒いよぉ。
立ち止まる人なんていない。
あぅ。腹が大きな音を立てる。いいやい、いいやい、どうせ知り合いなんて誰も通りやしないんだ。誰も知り合いなんていない町。誰も知り合いなんていない世界。
「帰りたいよぉ……」
ぴたりと、私の前で止まる足音。
腕から顔を上げると、目の前にポッキーの箱。――まさか。
ぽかんと見つめる私に、彼女は言った。
「食うかい?」
2011/04/21