「そこまでよ」
 ぴしゃりと言い放たれた言葉に、小さな少女が振り返った。
 少女の視線の先には、彼女と何処か似た面影のある女性が立っていた。彼女は一つに結んだ白髪を揺らし、ベランダへの出入り口を塞ぐように窓枠に体重を預ける。
 彼女の瞳は、油断無く少女を見つめていた。
 少女は首を傾けて微笑む。
「あら、お姉ちゃん。どうしたの? そんな怖い顔をしてたら、せっかくの美貌が台無しよ」
「よく言うわよ。同じ顔している癖して」
「おー、怖い怖い」
 冷やかすように言って、少女は肩を竦める。
「とぼけないで」
 再び、彼女はぴしゃりと言い放った。
「やっぱりあなた達、つるんでいたのね。学校での事、皆本君が話してくれたわ」
「やっぱり、追いかけてでも記憶を消しとくべきだったかー……」
 あと一分もすれば、逃げ切っていたのに。
 パンドラが学校に潜入していたのに、少女は何も手を出そうとしなかった。それで、ばれない筈が無い。承知していた事だ。
 もう、これで最後になってしまうのだと。





No.1





 廃墟の前に、三人の少女がいた。年の頃は十ほどだろうか。赤、青、紫と色違いのリボンの付いた制服を着ている。
「地下に通路があるみたい。そこから逃げる算段ね」
 紫穂は地面から手を離し、葵を振り返る。
「階段はちょうどこの真下まで続いているわ」
「了解。ウチの番やな!」
「罠が張られている可能性もある。十分に注意するんだぞ」
 皆本は、後方の車から三人のリミッターに仕込まれた無線に呼びかける。答えたのは、薫だった。
「平気平気! じゃ、行くぜっ。葵、紫穂!」
 葵が手を翳す。
 次の瞬間、三人はコンクリートの壁が続く真っ暗な通路にいた。あまりの暗さに、紫穂は思わず隣にいた薫の腕にしがみ付く。
 葵は、きょろきょろと辺りを見回した。
「真っ暗で何も見えへんなぁ……」
「じゃあ、明るくしてあげる」
 女の声が響いた。途端、辺り一帯が真っ赤に燃え上がる。薫は咄嗟に、自分達を浮かせて足元に広がる炎を避けた。
 火は、あっと言う間に四方を囲んだ。
「紫穂! 相手の動き読み取れるか?」
「駄目。触れる部分が少しでも空いていればいいんだけど……」
「こっちも、空間ノイズが多過ぎてアカン。どないしよ、皆本はん!?」
 しかし、皆本からの応答は無い。
「皆本? おい、皆本!」
 薫は血相を変えてリミッターに呼びかける。紫穂がそれを制止した。
「地下だからかも知れないわ。彼女、単独犯みたいだしテレポーターでもないもの。きっと、皆本さんは大丈夫よ」
「うん……」
「それより、早くここを切り抜けて追わなきゃ。皆本さん達はまだ後ろだもの。逃げられかねないわ」
 火はあっと言う間に空間を埋め尽くした。薫のサイコキノによって、かろうじて助かっている状態だ。薫の体力にも、限界はある。出口は見えない。皆本との通信は繋がらない。
 万事休す。そう思えた時、薫の作り出したバリアーの中に一人の少女が現れた。
 突然の出現に、三人は目を丸くする。青いブレザーに、グレーのリボン。それは、ザ・チルドレンの三人と同じ特務エスパーである事を表す制服だ。
 少女は三人を振り返り、にこりと笑う。唖然としている三人には構わず、手を掲げた。その手つきは、葵がテレポートする時と何ら変わりない。
 次の瞬間、周囲の炎は無くなっていた。薄暗い通路。前方には追跡中の女。
 不意に、三人は我に変える。女は気づき、小瓶を投げた。小瓶が当たる前に、葵が一瞬で他所へと送ってしまう。
 女は舌打ちし、懐に手を伸ばす。紫穂の声が響いた。
「そう。導線のある所しか燃やせないのね」
 紫穂の手にあるのは、葵が送った小瓶。その中に入っているのは、灯油だった。
「そして、ちょうどこの隣は、っと……」
 紫穂は、薫に目配せする。
 薫はにやりと笑った。飛び上がり、大きく手を振りかぶる。
「サイキック・デストロイヤー!」
 叫びながら、女の隣の壁に手をかざした。激しい音を立て、壁が壊れる。同時に、水が女へと噴出した。
「自分自身が濡れちゃ、導線は作り出せないわよね」
 紫穂はにっこりと笑う。
「う……」
 女は踵を返し、逃げ出す。その目の前に、葵がテレポートした。
「往生際の悪いやっちゃなあ。逃げられると思てんの?」
 女は振り返るが、そこに立つのは他三人のエスパー。構える薫とは対照的に、グレーのリボンの少女は口に手を当て欠伸する。紫穂が軽く手を挙げた。
「例え見失ったって、幾らでも追えるわよ」
 女は、がっくりとその場に膝を着いた。

 後から追いついた警察に、女は引き渡された。追いついた警察達に紛れている男性を見て、薫、葵、紫穂の三人は一斉にそちらへ行く。
「皆本ー!」
 まるで子猫のように彼に懐く三人を、少女は遠巻きに見ていた。
 彼が、皆本光一――ザ・チルドレンの担当主任。
 飛びついて来る子供達を、皆本は笑顔で受け入れる。こうして見ると、ただの小さな子供達が一人の若者に懐いている姿でしかなかった。エスパーもノーマルも関係無く、あの子達の間には絆がある。
 ――今は、ね。
「ほら、あの子よ」
 ふと、会話の中で紫穂がこちらを振り返った。
 薫が皆本の肩を離れ、こちらへ飛んで来る。
「さっきは、ありがとな! お陰で助かったよ。名前は? あんたも、同じ特務エスパーなんだろ?」
 皆本達三人も、こちらへ歩いて来る。
 白髪の少女は、にっこりと彼ら四人に笑いかけた。
「ザ・ワイヤーピュラーの蕾見優子って言います。初めまして」
 言って、優子は皆本のみを見上げる。
「……貴方が、ザ・チルドレン担当指揮官の皆本主任ですね。どうぞ、お見知りおきを」
 優子は微笑む。途端に、ピリッと周囲の空気が震えた。
 ――この女、皆本を狙ってる!?
 ――敵や!
 ――皆本さんは無理だって、分からせてあげなくちゃいけないかしら……。
 そんな胸中の言葉が聞こえてくるかのようだ。無駄な心配だが、可愛い子達だ。そんなにも、この子達はこのノーマルを信頼している。
 皆本は、優子の視線の高さに屈み込んで手を差し出した。何の警戒心も無い笑顔を、優子に向ける。
「よろしく、優子ちゃん」
『これからよろしく、京介君、優子ちゃん』
 優子は口を真一文字に結ぶ。
 分かった気がした。どうしてあいつが、この男をあんなにも嫌っていたのか。ただノーマルだからだけではない。――あまりにも、重なり過ぎる。
 皆本は、きょとんと首を傾げている。優子はただ、目の前に差し出された手を見つめるだけだった。
「そう言えば優子ちゃん、火ィん中でもテレポート出来とったよな?」
 優子は彼の手から視線を上げ、葵を見る。そして、にっこりと笑った。
「はい。私、ちょっと特殊で。空間ノイズ関係無しにテレポート出来るんですよぉ〜」
「複合能力か何かかい?」
 皆本だ。
 優子は、そのままの笑顔で彼を見上げた。
「うーん。どうなんでしょ。昔、大怪我をして、その影響ですから。元々、生体への干渉が得意だったんですよね。だから、細かい空間認識も得意と言うか。大体のノイズは、私にとってはノイズにならないんです」
「えーと……?」
 薫が、説明を求めるように皆本の顔を覗き込む。既に、ちゃっかりと彼の頭の後ろへと戻っていた。
「生き物の身体は、色々と複雑な作りになっているだろう。優子ちゃんは、それ相応の知識を持っているんだ。だから、細かな不純物があろうと操る事が出来る――賢木と同じだな。
そこへ、優子ちゃん自身の身体に大きなショックを与える事があった。それで、力が増大した――そんな感じかな?」
「まあ、そんなところです。賢木って言うのは――?」
「バベルで医務を担当している同僚だよ。彼もエスパーなんだ。サイコメトリーと、サイコキノを少し。テレポーターで生体コントロールって言うのは、珍しいね。やっぱり、基本的には医療系かい?」
「んー……医療では、あまり使いませんねぇ……。ちょっと、この場で話さない方がよろしいかと」
 優子は肩を竦め、子供達に目をやった。それで、皆本は大体を悟ったようだ。
 戦場での生体コントロール。この子達はその話を聞くのに、まだ早過ぎる。何にせよ、優子が戦争に参加していたなんて事は、その時が来るまでは黙っておくつもりだ。
 優子は手を後ろで組み、薫、葵、紫穂を順々に見た。
「まあ、これから一緒に仕事する事も多くなると思いますから、よろしくお願いしますね?」
 三人は、それぞれに笑顔で頷いた。
 ……優子がパンドラの一員だなんて、微塵も思わずに。





 薄暗い部屋に現れた男は、ぎょっとしたように立ち止まった。
 部屋にいるのは、一人の少女。彼のボスと同じ白髪だが、流石の彼も女の子には変装しまい。
 ぎょっとしたのは、別人がいたからというだけではなかった。彼女は、先日バベルに入って来た特務エスパーだ。
 優子はにっこりと笑い、久具津に手を振った。
「こんばんは、久具津。そんな心配しなくても大丈夫ですよ〜。私も、待ち合わせの一人ですから」
「え……」
 そこへ、ふっと一人の少年が現れる。学生服を着た白髪の少年――見た目こそ若いが、実際のところ彼は久具津らより、局長よりもずっと年上だ。髪だけが、年相応と言ったところか。否、その髪もふさふさと禿げる心配もなさそうなのだから、やはり彼は実年齢よりも若い。
 兵部京介。久具津らパンドラのリーダーだ。
「遅い! 二分遅刻!」
「うるさいな。君の時計が早いんじゃないかい?」
「携帯ですー」
「未婚で良かったね。嫌な姑になるところだったよ」
「どう言う意味?」
 久具津は持ってきた茶封筒を、慌てて兵部に差し出した。二人の押収は、そのまま続いてしまいそうな雰囲気だった。
「お話していたリストです。えーと、それで、この子は……?」
 兵部は、じろりと少女を見下ろした。彼が子供に対してこんな態度を取るのは珍しく、違和感を覚える。少女も、生意気な顔で兵部を横目で見上げていた。
 二人は同時に、久具津に視線を戻す。仲に比べてあまりにぴったりの動きに、思わず笑ってしまいそうになる。喧嘩するほど、という奴か。
 しかし、次の言葉でそんな事は吹き飛んだ。
「蕾見優子。君と同じ、バベルへのスパイだよ」
「え!? 蕾見って、まさか――」
「さっすが、久具津。ちゃんと調べてるんですね。貴方が入ってからは、お姉ちゃん、ずっと寝てるだけなのに」
 優子の姿は、十歳前後。
 蕾見不二子は、久具津もまだ会った事が無い。バベルの内情を調べる上で、創始者として出て来た名前だった。
「その通り、優子は不二子さんの妹だよ。だけどまだ、この事は黙っていてくれ。バベル内だけじゃなく、仲間達にもね。真木達にも、口止めしている」
「でも、蕾見不二子が起きたら直ぐに気付かれるんじゃ……? ねえ、モガちゃん」
 同意を求められた人形は返事をして頷いた。
 どう反応してよいか戸惑いながらその人形を見つめ、優子は答えた。
「そうなったら、仕方ありません。でもそれまでは、同じ子供同士の方がチルドレンに近づき易いでしょう?」
「それにこの姿は、元々彼女の趣味だしね」
「人を変態みたいに言わないでよ。京介だって、似たようなものじゃない。
まあ、そう言う訳ですので。何処でばれるか分かりませんから、お姉ちゃんが起きるまでは久具津も私の事、子ども扱いしてください」
「それから、いざと言う時に手を貸し合うのは構わないが、基本的にはそれぞれ単独行動で頼む。万が一の時、芋づる式にばれたんじゃ、二人いる意味が無いからね」
 久具津は言葉を詰まらせた。
 現に、そろそろバベルは内部のスパイに勘付いて来ている。優子が送り込まれたのは、若しやそれを知っての事なのだろうか。
「優子には、外から仕掛ける際の手引きや、情報の横流しをしてもらう。普段の内部調査は、今まで通り君が頼りだよ。
優子の能力については、聞いてるかい?」
「空間ノイズに強いテレポーターだとか……。担当指揮官は叶司郎――って、えぇ!? じゃあ、この名前……」
「主任なんていません。メンバーの名前を、適当に掛け合わせたんです。かと言ってそこからばれてもいけないので、バベルの奴らの前で呼ばれそうにない苗字や名前で。
いないというデータのままだと、新しく担当をつけられてしまう可能性もあるでしょう? そしたら、自由に動けなくなってくるじゃないですかぁ。私、テレポートの他にヒュプノの能力も持っているんです。それを知る人物で今も生きているのは、京介とお姉ちゃんだけ。お姉ちゃんが起きるまでは、誤魔化せると思いますよ」
「でもそれって、蕾見不二子が起きた時に面倒な事になるのでは……」
「その時は同時に、私の年齢やバベルでの立場もばれますからね。そっちを理由に言い逃れるつもりです。お姉ちゃんも実際、そう言う自由人ですから周囲への誤魔化しは効くと思いますよ。お姉ちゃん自身は、そう言う事しなくたって要注意人物に変わりないんですし。あの時から暫く行方を消していた時点で、疑いは掛けられていそうですから」
 ちらりと兵部を見上げると、目が合った。彼が政府職員を次々と虐殺していた時、優子もまた同じ事をしていた。けれども、優子の姿を見たのは死んだ者達だけ。仲間に銃を向けられたあの日以来、優子は姿を消したのだ。だからこそ、今、スパイとしてバベルに潜入出来る。例え不二子が疑ったとしても、彼女は何の証拠も持たない。
 兵部は、受け取った封筒をパタパタと弄びながら尋ねた。
「それで、他に何かあるかい?」
「そろそろ、僕、危ういかも知れません。担当は分かりませんが、バベル内のスパイ探しをしているみたいです」
「あ、それ私知ってるかも」
 優子が口を挟んだ。
「子供達が言ってました。皆本が、最近帰りが遅いって。女の子と遊び歩いているみたいだって言ってましたけど……彼、そんなキャラじゃありませんし、誘われたって断るぐらいの堅物みたいですしね。本人の話通り、仕事絡みと見て間違いないかと。表向きが合コンなら、彼の交友関係から見て――」
「賢木修二!」
 答えたのは高い声。久具津の持つ人形だった。
「……まあ、彼でしょうね。賢木はサイコメトリーだそうですし。どの程度かわかりませんが、サイコキノも少し持っているそうです。注意するに越した事はないかも知れません」
 兵部は顎に手を軽く当てる。
「声を掛けられたら、その場を乗り切ろうとせずに最後にした方が良いかも知れないな。
ついでに、片付けられるかい? 逃走経路は用意しておくよ」
「はい。全勢力を持って、臨みます」
 良いながら、久具津は胸ポケットの人形の頭を撫でた。
 ……一体、どう言う勢力なのだろう。
「優子は、巻き込まれたとしてもバベル側として動いてくれ。追う事になったら、捕まえる気で動いてくれて良い」
「言われなくても、そのつもり」
 久具津がぎょっとした顔になった。
 優子は笑い、彼の背中を叩く。
「大丈夫ですって。万が一の話ですから。まず、スパイ探しでこんな子供を疑うとも思いませんし」
「あ……はあ……」
 久具津は不安げに頷いた。


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2010/06/14