教室に、人だかりが二つ。それぞれに、大量の女子生徒が男子生徒を取り囲んでいた。
 女の子達の中心にいる男子は二人。山本武と、獄寺隼人。山本が笑顔で女子達の好意を受け入れている一方、獄寺は「ついて来るな」と怒鳴りつけている。
 今日は朝からずっと、この調子だった。休み時間になる度に、他のクラスからも女子生徒が押し寄せてくる。放課後になっても、それは途絶えないらしい。寧ろ、時間が豊富にあり教師達も教室に来ない事で人数はよりいっそう増している気がする。
 弥生は鉄パイプを手に、ふらあっと立ち上がった。
「鬱陶しい群れ……叩くよ」
 女子生徒達は悲鳴を上げ、逃げ惑う。
 そんな中、相変わらず笑顔の山本が弥生をなだめた。
「まあまあ……。そんなカリカリすんなって。それに、教室で棒振り回したら雲雀に怒られるんだろ?」
「……」
 弥生は渋々と鉄パイプを下ろす。
 身を引いていた女子生徒達は、一気に山本に押し寄せた。そしてまた、騒ぎ出す。
「さすが山本君!」
「このチョコ、私が作ったの! 貰ってー!」
「はは、サンキュー」
 獄寺の方も、似たような状況だ。彼がどんなにガンを飛ばそうと、怒鳴り散らそうと、恋する乙女達が引く様子は無い。
 弥生は不貞腐れながら、帰りの支度を整える。
「自分も群れの一員だって、解ってるのかな……」
「仕方ないよ。今日は、バレンタインなんだもん」
 声を掛けてきたのは、京子だった。
「弥生ちゃんは、誰かにあげないの?」
「別に。好きな男とかいないからね。そう言う笹川さんはどうなの」
「私はね、友達と今日チョコ作る約束してるんだー。緑中の子なんだけどね、ツナ君の家で会う約束してるの」
「沢田の家で、緑中……。三浦ハルって子?」
 京子は目を瞬いた。
「弥生ちゃん、ハルちゃんと知り合いなの?」
「一度だけ、会った事がある」
 それに綱吉の家に来る女子と言えば、他にいないだろう。
 京子は、ぱあっと顔を輝かせた。
「それならちょうどいいかも。弥生ちゃんも、チョコレート一緒に作らない?」
「でも私、あげる人なんて――」
「別に好きな子じゃなくてもいいんだよ。ほら、友チョコとか義理チョコってあるじゃない? 日頃の感謝を込めて渡すの。私も、そのまま友達やその家の人達と食べるつもりだよ。後、お兄ちゃんにも作って帰ろうかなって」
「お兄ちゃんに……」
 弥生は呟く。京子はにっこりと笑って頷いた。
「うん。弥生ちゃんも確か、お兄さんいるでしょ? チョコあげたら、きっと喜ぶと思うな。帰りにこのまま、ツナ君の家に行くの。一緒に行こう」
「わ……私は……いいよ……」
 思わず、弥生はそう返していた。
 鞄を引っ掴み、教室を飛び出す。
 明るく柔らかい笑顔。嫌味の無い優しい言葉。決して悪い子では、ないのだけど。
 弥生が駄目なのだ。あんまり親しくされると、戸惑ってしまう。どうして良いかわからなくなってしまう。
 ――バレンタイン、か……。
 弥生が向かう先は、応接室。





No.10





「……何、これ」
 応接室に入った弥生は、ぽかんとした表情でその光景を見つめていた。
 応接用の机の上に積み上げられた箱や袋。奥の雲雀の机にも、書類の倍はある箱が積み重なっている。
 その包装は、どれも贈り物――バレンタインの物。
 雲雀は箱の一つを手に取り、包みを開く。箱の中にはやはり、チョコレート。トリュフを一つ口に放り込み、言った。
「今日はやけに校則違反の所持が多くてね。どの子も、自ら没収されに来るんだ」
「それ……」
 どう考えても、雲雀へのプレゼントだ。他に考えられない。
「食べてしまって良いそうだよ。弥生も一ついる?」
「……いい」
 弥生はふいと踵を返すと、応接室を出て行った。
 ――お兄ちゃんがバレンタインに貰わない訳がない。
 雲雀が女子にモテるのは、誇らしい事だ。誇らしい事、のはずなのだけど。
 気に食わない。
 幸い、当の雲雀はチョコレートを贈ってくれた女の子達の事を何とも思っていないらしい。それどころか、本当に風紀委員としての没収だと思っている始末。女の子達も、それを承知の上なのだろう。
 ……幸いも何も、雲雀の恋愛事情に口を出す権利など、弥生には無いのだけれども。
 自分勝手な独占欲が頭をもたげて、どうにも落ち着かない気持ちになる。兄を奪われたくない。弥生自身を認めてもらってさえいないくせに。
 帰りがけに商店街でスーパーに寄り、カップ麺を買い込む。こう寒い日が続くと、パンやご飯よりラーメンの方が食べたくなる。鍋辺りも温かそうかつ火をつけて湯に野菜をくべれば何とかなりそうだが、如何せん一人暮らしでは作る量に困る。
 学校の鞄とスーパーの袋を手に提げ、弥生は商店街をぶらつく。特に何か探していた訳ではない。探していたつもりはないが、やはり少しは気になっていたのかも知れない。女性向けの雑貨店の前に、それはあった。
 バレンタインに合わせた、チョコレートの販売。綺麗に包装されたチョコレートの数々。店の中には、少し高価なチョコレートも置かれているのが見えた。
 学生はもうほとんど、昨日までの内に買うなり作るなりして学校で渡しているのだろう。客層は弥生よりも若干年上の女性が多い。
『チョコあげたら、きっと喜ぶと思うな』
 喜んでくれるだろうか。
 京子の誘いは断ってしまったけれど。これから一人で作るなんて出来る気がしないけれど。だけど、買うのなら。
 弥生は財布の中を確認する。大丈夫だ、今月はまだまだ余裕がある。
 どれが良いだろう。苦い必要はないが、あまり甘過ぎない方が良いかも知れない。大きな一枚よりは、味にバラエティのある物で――
 チョコレートの一つを手に取り、弥生は停止した。脳裏に、帰りがけに見た応接室の様子が思い起こされる。机の上に積み上げられたチョコレート。雲雀は校則違反の所持品の没収だと信じ込んで、それらを受け取っていた。
「……」
 チョコレートの箱を手にしたまま固まっていると、聞きなれた声がした。
「――げっ。雲雀妹」
 こんな態度を取るのも、こんな呼び方をするのも、一人しかいない。
 何も、こんな所で会わなくても。弥生は、じとっとした目で振り返る。
 獄寺は弥生の手にある箱に目を留めた。
「チョコレートか? どうせ、兄貴にやるんだろ」
「……別に。お兄ちゃんには、あげないよ」
「え?」
 ぽろりと、獄寺の口から煙草が落ちる。
 弥生はチョコレートを棚に戻すと、スタスタと歩き出した。
「お、おい待てよ!」
「何」
 弥生は足を止め、振り返る。獄寺は言葉を詰まらせた。
 思わず呼び止めただけで、特に用は無いらしい。
「用が無いなら――」
「だっ大体、チョコじゃねーならこんな所で何してんだよ?」
「君だって何してるの。女の子達はどうしたの。囲まれてたじゃん」
「鬱陶しいから振り払って来たに決まってんだろ。商店街には、そこの本屋に雑誌買いに来たんだよ」
 獄寺は、少し先にある書店を指差した。
「私だって、そこのスーパーで夕飯買ってただけ。まあ、ちょっと見てはいたけど……」
 弥生はちらりと、チョコレートの並ぶ棚に目をやる。
「……買ったって、他の子達から貰った中に埋もれるだけだから」
「はあ?」
 応接室の机に山積みにされていたチョコレートの箱や袋。あれだけ貰っていたら、弥生があげても何の意味も無い。
 それどころか、同じ物ばかりかさばって迷惑にもなりかねない。
「君には解らないよ。沢田の右腕として頼られてるかどうかは兎も角、少なくとも本人に友達として大切にされている君には。
 私は、これ以上お兄ちゃんに嫌われたくない……」
 何を言っているのだろう、こんな奴に。
 他人に話したところで、どうなる問題でも無いのに。
 再び歩き出そうとした弥生の背中に、声がかかった。
「バッカじゃねーの、お前」
 弥生はムッとして振り返る。
「嫌われるも何も、てめーがアニキに引っ付きまわってるのなんて、今に始まった事じゃねー。今更ブラコン自重したところで、どうしようもねーだろ」
「な……っ」
「力量が足りないなら、強くなる。相手にされないからって諦めない、って――そう言ってたのは、てめーじゃねぇか」
 弥生は振り返る。
 獄寺はそっぽを向き、がしがしと頭を掻いた。
「そう言ってたお前……ちょっと、その、カッコイイななんて思ってたのによ……」
 弥生は目を見張る。
「――けど、見過ごしたぜ。人には偉そうな事言っといて、自分は怯えてばっかじゃねーか」
 弥生はキッと眉を吊り上げた。
「違うってのか? 自分のアニキが他の女にも人気あるからって嫉妬して落ち込んで、自分の気持ちも押し殺して身を引こうとしてる奴が? 結局お前、口先だけだって事だろ。力量が足りないだの強くなるだの言っておきながら、何をする訳でもない」
「……誰が」
 弥生はスタスタと獄寺の方まで戻って行くと、棚に置かれたチョコレートの箱を一つ手に取った。
「上等。こんなのお兄ちゃんに渡すくらい、何でもないよ」
 弥生はふいとそっぽを向くと、そのまま店に入りレジに箱を叩き付けた。





「どうしたの、弥生。こんな時間に」
 夕日に照らされた校舎。弥生は再び、応接室へと来ていた。
 机の上にあったチョコレートも、書類も、無くなっている。
「……もしかして、帰るところだった?」
「用があるなら、別に急いではないけど」
「ここにあった、チョコは」
「一人で片付けるには多過ぎるから、草壁に任せて風紀委員で分けてもらったよ」
「そっか……」
 弥生はそわそわと鞄の紐を握り締める。
 思い返せば、小さい頃一緒に住んでいたとき、バレンタインには弥生からあげるだけでなく雲雀からも貰った事が多い気がする。それも、雲雀の方からは複数。あれは、こう言う事だったのか。
「ね、お兄ちゃん。今日、何の日か知ってる?」
 案の定、雲雀はきょとんとしていた。
「やけに群れの多い日だったね」
「あのね、バレンタインデー」
 雲雀はカレンダーに目をやる。そして、ムッと不機嫌な顔つきになった。
 彼の考えている事は解る。校則違反の所持品を没収していたつもりが、彼女達の贈り物を受け取る形になっていたのだ。自分の意図を逆手に取られたのが気に食わないのだろう。
 弥生は、鞄から箱を取り出した。
「それで……あの、私もお兄ちゃんにチョコ買って来てて……もう十分に貰ってるのは知ってるんだけど……でも、昔は毎年あげてたし……あの……私は、お兄ちゃんはまだお兄ちゃんだと思ってるから……!」
 雲雀は、無表情で弥生を見つめていた。
 弥生は真っ直ぐに、彼の瞳を見つめ返す。鏡を見つめているかのように、よく似た顔立ち。
 弥生にとって、彼は兄だ。昔も今も、それは変わらない。……例え彼に、否定されていたとしても。
 雲雀が動いた。そのまま、応接室の扉へ向かう。
 すれ違いざま、弥生の手からチョコレートの箱を取り上げた。弥生は目を見開き、通り過ぎる雲雀を振り返る。
 雲雀は背を向けたまま、軽く箱を振った。
「……ありがとう」
 弥生はの表情がぱあっと明るくなる。廊下に出たが、既に雲雀は廊下を曲がって行くところだった。

 学校を出た弥生は、一目散に商店街へと駆けて行った。
 目的の人物は、書店にいた。『月刊 世界の謎と不思議』と書かれた雑誌を読み耽っている。
「タコ頭!」
 直ぐに、彼は振り返った。
「てめえ!! 奴と同じ呼び方してんじゃねぇ!」
「体育祭で呼ばれてるの聞いたから。それとも、煙草男がいい?」
「獄寺隼人だ! 人の名前ぐらい、覚えとけ! てめー、転校してから一体何ヶ月経ってると思ってんだ!?」
「それぐらい知ってる。君だって、私の名前まともに呼ばないでしょ。
 そんな事はどうでもいいんだ。私、お兄ちゃんにチョコ渡してきたよ」
 胸を張り得意気に話す弥生を、獄寺は呆れた目で見ていた。
「んな事わざわざ伝えに来たのかよ」
「『ありがとう』って言われた」
「あー、はいはい」
 適当に相槌を打って、獄寺は雑誌をレジに持って行く。
 支払いを行っている獄寺の後頭部に、こつんと小さな何かが当たった。獄寺はぐるんと勢い良く振り返る。
「てめぇ暴力女!! 何しやがんだ!!」
「あくまでも義理だからね! この前と、今日と……感謝する相手にって、笹川さんも言ってたから。お兄ちゃんの分のついでに買っただけだから!!」
 一息に叫ぶと、弥生は本屋を飛び出して行った。
 獄寺の足元には、チロルチョコレートが一つ。獄寺はそれを拾い上げる。
「……あの、クソ女。雲雀の分買った店には、こんな安っぽいチョコ置いてねーだろ」
 どうして弥生を励ますような事をしたのか、獄寺は自分でも解らなかった。……ただ、彼女が落ち込んでいると調子が狂う。
 買った雑誌を手に書店を出る。チョコレートの小さな包装紙を剥がし、口に放り込む。チョコレートの甘い味が口の中に広がった。


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2011/08/11