結界が晴れる。そこに立つのは、三人。呆然と佇む杏子と、震えるまどかと、そしてさやか。さやかは、手にしたGSを、杏子の方へと放る。
「あげるよ。そいつが目当てなんでしょ?」
「おい――」
「あんたに借りは作らないから。これでチャラ。いいわね?
 さ、帰ろう。まどか」
 杏子に有無を言わせる間も与えず、さやかはまどかと一緒に去って行った。ふらつくさやかを、まどかが支えるようにして。無理も無い。てこずった魔女相手に、痛覚を遮断して無茶な特攻をして。随分力を消費しただろうに、浄化するためのGSも杏子に譲ってしまって。
 二人の姿が見えなくなっても、杏子は彼女達が消えて行った先を見つめていた。
「……あの馬鹿」
「杏子……」
 同じく闇を見つめながら、私は声をかける。
「杏子のソウルジェムって今、状態どう? グリーフシード、余裕ある?」
「ああ……まあ……」
「じゃあ、そのグリーフシードは取っといて。――その内、さやかに必要になるから」





No.10





「あれ〜。今日は早いんだねー」
 ごそごそと物音がして、私は目を擦りながら顔を上げる。
 杏子は着替えて身支度を整え、使い回しの封筒に紙幣を入れようとしていた。
「あー、今日はいいよ。まだ買ったの残ってるし。食費も暫く大丈夫だと思う。どっか出掛けるの? 今日はさやか? それとも魔女? ゲーセン?」
 杏子が出掛けるのは、この三択。朝早いって事は、誰かの時間に合わせていると言う事。って事は、さやかかな?
「どれもハズレ。ほむらの所だよ。ワルプルギスの夜に向けて、作戦立てないと」
 ――ほむホームですと!?
 私はがばっと起き上がる。
「待って、杏子! 私も行く! 直ぐ用意するから!」
 顔を洗って、髪を梳いて、コートを着て、トリップして来た時に持っていた鞄を手に取って、それから思い出して慌てて着替えて。改めてコートを着て、私は杏子に駆け寄った。この間、二分。
「はっや……カップラーメンもできないぜ」
 杏子は唖然としている。
 ホテルを出てほむほむの家に向かいながら、杏子は言いにくそうに切り出した。
「えーっと、加奈……あの、先に謝る。ごめんな?」
「へ?」
 な、何ぞや?
「その……ちょっと、倒しちゃってさ。それで開いてたみたいで、中身出ちゃって、その……」
「何の?」
「……加奈の鞄」
「別にいいよー。割れ物とか入ってる訳じゃなし――」
「あの、カードみたいのとかストラップとかってさ……加奈が自分で作ったの?」
 ピシッ。
 私は固まってしまう。恐る恐る杏子を振り返った。首からギギギ……って音がしてきそうだ。
 私の鞄と言えば、トリップ時に持ってきた物。
 トリップしたのは、買物帰り。その鞄に入っている物と言えば。
「もしかして、加奈を助けてくれた魔法少女って、あいつ?」
「……え?」
「違うの? 随分とあいつの事好きみたいだから、てっきりそうなのかと思ったけど。魔法少女ファンって言ってたじゃん?」
「ん……あー! あー! まあ、ウン、そう。ほむほむが助けてくれたんだよねー」
 そう言う事にしておこう。他に理由つけるの面倒臭いし。
 どうやら杏子は、あのオタクグッズ群をファングッズと取ったみたいだ。まあ、そりゃそうか。この世界じゃ、彼女達はアニメじゃないもんね。大分熱狂的と思われたかも知れないけど、実際熱狂的なんだから構わん。既に杏子の前では色々漏れ出ちゃってるもんなー。杏子のグッズがまだ出ていない事が、不幸中の幸いか。流石に自分の持ってるの見たら、微妙な気持ちだよねえ。
「それって、本人には言ったのか?」
「えっ。いやあ……。えーと、な、なんか照れくさいじゃん? 本人に面と向かってファンですって言うなんてさ」
「でも、礼は言いたいだろ?」
 んー、あー、そうかー、お礼かー。助けてもらったって事になっちゃあ、お礼言わなきゃ変だよなー。
「……うん、じゃあ、今日言う」
「そういやあんた、あいつの事『ほむほむ』なんて呼んでんだな。いつの間にそんな仲良くなったんだ? また買物の時に会ったりでもしたか?」
「会ってないよ。私が勝手にそう呼んでるだけ。本人に言う勇気は無いし。
 だから、杏子。本人には絶対言わないでね」
「別に言わねーよ……」
 杏子はどこか呆れ顔。
「でも、それじゃ結構あいつの事知ってたりすんの?」
「ん? 家も初めて行くし、道も分からないけど……例えば?」
「あいつの能力とか。キュゥべえも、あいつはイレギュラーだって。いまいち、手の内が解らないんだよなー。加奈、何か知ってない?」
 んー……これは、言っちゃって良いものなのかなあ。考えがあって隠しているなら、下手に私の口から言うべきじゃないだろうし。
「能力ねぇ……なんか、動き速いよね。テレポートみたいに一瞬でパッて移動しちゃってるの」
「――やっぱ、知らないか。でも、テレポートってのはいい線行ってるかもな。そんな感じの動きだった」
 テレポートじゃないよ〜。
 でも、訂正はしない。知らないって事にしておこう。





 思えば、朝ごはんがまだだ。今日は私の方が遅く起きたもんな。私たちは途中でスーパーに寄って、カップ麺を買ってほむほむの家へと向かった。
 杏子がインターホンを押す。玄関から出て来たほむほむは、私を見て少し驚いた顔をした。
 私はえへら、と笑う。
「えへへ……ほむらちゃんち行くって聞いて、私も来ちゃった。いい?」
「別に構わないけど……私達、真面目な話をするの。遊ぶわけじゃないのよ」
「はーいっ。わかってまーす!」
「本当に解ってんのかあ?」
「解ってるよー」
 茶々を入れる杏子に、私はぷっと頬を膨らます。
 私達は、中へと通された。魔法でも使われているのか、白くて広い空間。宙に浮かぶ画面のようなものは、ちょっと透けている。SF映画で見た事がある。ホログラムって奴だ。そこに投影されているのは、様々な角度から見たワルプルギスの夜の姿。天井から吊るされた鎌のような形の振り子が、部屋に大きな影を作る。
 部屋の中央には丸テーブル。それを囲むように赤と青の同心円に彩られたソファが置かれていて、私達はそこに座る。薄紫色の机の上には、いくつかの書類が重ねられていた。
 座るなり、杏子は買って来たカップ麺を取り出す。
「食っても?」
「構わないわ。スープ飛ばさないでね」
「はいよ。湯ある?」
 ほむほむがポットを持って来てくれて、杏子がそれを受け取る。ポットの順番を待つ内に、私は鞄の中から先日のプリクラを出した。
「はい、これ! この前の。ほむらちゃんってば、印刷待たずに帰っちゃうんだもん」
「加奈のも湯入れるよ」
「うん、ありがとー」
 ほむほむは、差し出されたプリクラをおずおずと受け取る。
「あなたは、これを渡すために?」
「んー、まあ、それもあるけど。……単純に、家に来たかったじゃ、駄目?」
 ほむほむは無表情。ちょっとずつ、解ってきたぞ。これは、きょとんとしてる。
「えーっとね、私、ほむらちゃんとただ仲良くなりたくて」
 うう……本人に面と向かって言うのって、結構恥ずかしいぞ。
「でもほむらちゃん、冷たいんだもん。最初会った時足引っ張っちゃったのは……ごめん。でもね、私、ほむらちゃんの力になりたいの。まどっちの事だって、出来る事なら手伝いたい。ほむらちゃんと仲良くなりたいの。でも、プリクラのときも、直ぐ帰っちゃうし……」
「――あなたは、鹿目まどかと面識があるの?」
「へっ?」
 思わず声を上げてしまった。だって、どうして突然まどか? ほむほむが冷たい、仲良くしたいって話してたのに。
 本当、何処までもまどかまどかなんだなあ。うぅ、ちょっとズキン。
「あなた、まどかの事……今、親しげなあだ名で呼んだじゃない」
「親しげな?」
 尋ね返したら、何故かほむほむは言葉に詰まった。
「その……ま、まどっち、って……」
 少し頬が紅い。
 やばいよ、何この子可愛すぎるんですけど……!
「あなたは美樹さやかのように彼女と同じクラスと言う訳でもない。私もあなたを見たのはあの日が初めてだわ。――一体、どう言う事?」
 あー、そっか。なるほどね。
 ほむほむってば、嫉妬してるんだ。私がまどかと仲良しなんじゃないかって。
 可愛い、可愛すぎるよほむほむ……!
 でも、そのせいで冷たい態度取られるのはなー。
「いやあ、別にさやかほど彼女と仲良しな訳じゃ。ただ、私が勝手に呼んでるだけだって。私はむしろ、ほむほむと仲良くなりたいなーって……」
 彼女の眉がぴくりと動いた。
「ほむほむ?」
 うあ――!! やっちまったああああああ!!
 ほ、本人の前では言わないように気を付けてたのにぃ。やばいよ、引かれたかな。まどかはどんな子相手でも優しいけど、この時間軸のほむほむお堅いもんなあ。ほら、睨んでるよ〜。
「……馬鹿だろ、あんた」
 杏子が小さく呟いた。そして、わしっと私の頭に手をやりほむほむを見る。
「こいつ、あんたのファンなんだってよ。助けられた事がある、って」
「記憶に無いわ」
「本人もいた事に気付いてないだろうって言ってたよ」
 杏子、ナイスフォローだ。
 ほむほむは杏子から私へと視線を移す。
「……いつ?」
「え、えーっと。結構前。でも、一ヶ月は経ってない。えっと……その……病院で」
「ああ……」
 おっ? 納得してくれた?
 私もナイスだ! お菓子の魔女、シャルロッテ。あの場所なら、他に人がいたっておかしくないもんな。
「えと……ありがとう」
 ああっ。何だか、罪悪感。嘘でお礼を言うのって、すっごく違和感がある。
「こいつ、悪い奴じゃないし、仲良くしてやれよ。――そろそろ出来たかな」
 杏子はカップ麺の蓋を全開にする。薄っすらと白い湯気が立つ。
 ほむほむは杏子、そして私を見て、軽く溜息を吐いた。
「別に、嫌ったりしているわけじゃないわ。ただ、よく知らないだけ」
 お、おおっ!? それは仲良くしてやってもいいって事ですな? そう取りますよ?
 最初に会った時邪魔しちゃって、嫌われたかと思ってた。プリクラもあまり乗り気じゃなかったみたいだし。良かったーっ。

「……本題に入ってもいいかしら」
「どうぞどうぞー」
 杏子に続いて私は箸を割り、パンと手を合わせる。杏子は既に、麺を啜り始めている。
 ほむほむは、紫のテーブルに地図を広げた。そして、腰を上げる。
「ワルプルギスの出現予測は、この範囲」
 静かに言って、地図上を丸く指で辿る。
 私は大人しく、二人の会話を聞いていた。ワルプルギス……私も、何か手伝える事無いかな。
「……ね。ワルプルギスの出現見張りって、人数多い方が良かったりする?」
 おずおずと、口を挟む。
 ほむほむも、杏子も、私を注視する。
「あんた、何言って――」
「危ない事はしない。自分が無力だって事は、弁えてるよ。でもさ、こうやって話聞いてるのに、私だけ何もしないってのも、何か悪いじゃん?」
 杏子は顔をしかめる。
「……この前の落書きなら、そんな深刻に受け止めんなよ。あんた、そういう冗談通じる奴だと思ったから――」
 落書き……? ああ、プリクラの事か。そういや、そんな事も書いたな。
「違うよ。別に私、命を賭けるってわけじゃない。出現予測は、一箇所に決まってるわけじゃないんでしょ? だから、出てきそうだったら『こっちだよー!』って教えるぐらいの役割はさ。もちろん、その後は大人しく引っ込んでる。お荷物になっちゃうだけだって、解ってるもん」
「ソウルジェムも無いのに判るほど現れてから逃げて、間に合うわけないだろ。あたしは反対だ」
「……間に合うんじゃないかな。直ぐに、ほむほむに連絡すれば」
 私はほむほむを見る。彼女は、時間を止められる。そして私は、その影響を受けない。出て来て、すぐにほむほむに連絡して、時間を止めてもらえば。そしたら、私が逃げる時間も、二人が駆けつける時間も作れるはずだ。
「……そうね。あなたの手も借りられるかもしれない」
「おい!」
「じゃあ――」
「上月加奈。あなたには、まどかと一緒にいて欲しい」
 ……へ?
「確かに、人手が大いに越したことはない。でもそれは、魔法少女の場合よ。あなたの言うとおり、時間を作ることはできる。けれども、万一にも私が遅れたら? あなたの連絡が遅れたら? ――あなたは、ワルプルギスの夜を解っていない」
「そんな事――」
「佐倉杏子と一緒にいるあなたを見る限り、確かに戦いを大人しく見ていることもできるでしょうね。だけど、ワルプルギスの夜には結界が無い。自ら首を突っ込まなくても、巻き込まれる危険性が高いのよ。私達は、あなたを守りながら奴と戦うことなんてできない」
 私は項垂れる。……いい考えだと、思ったんだけどな。
 やっぱり私、何も出来ないのかな。――魔法少女にでもならない限り。
「あれ? でも、じゃあ――何を加奈に手伝ってもらおうってんだ?」
 杏子が首を傾げる。
「今、言ったろ。加奈にも手を貸してもらえるかもしれないって」
「だから、鹿目まどかと一緒にいて欲しいって言ったのよ」
 言って、ほむほむは真っ直ぐに私を見つめる。
「私たちの戦況が厳しくなれば、あの子は魔法少女になろうと考えるでしょうね。――だから、加奈」
 はいっ。
 私はカップ麺を横に置き、ぴっと背筋を伸ばす。
「私達は魔法少女だから。ワルプルギスの夜と戦わなきゃいけないから。――これは、あなたにしかできない役割。解るわね?」
「――うん」
 そうだ。
 ほむほむの第一目標は、まどかをキュゥべえと契約させないこと。まどかを、絶望の運命から救い出すこと。
 そのために何度も何度も同じ時を繰り返して。何度も何度も絶望を目にしてきて。
 ――うん、いいよ。私、ほむほむのためなら頑張る。まどかの契約を止めて見せる。
 帰る方法なんて、他に探せばいい。要は時空が歪めばいいんだ。ワルプルギスの夜を越えて、数日経って、それからちょっと一日だけ戻してもらうとか、それでも時空は歪むだろう。できるのかどうかは別として。
 魔法少女になる必要なんてない。このままの私でも、できることはあるんだ。
 私が現場には行かないことになって、杏子もちょっと安心した風。
 ほむほむは言う。
「それに、予測が数箇所と言ってもその距離は狭い。最低二箇所を押さえていれば、何とかなるわ」
「でも、その根拠は何だい?」
「統計よ」
 杏子の問いに、ほむほむは短く答える。能力を教える気は無いようだ。
 杏子は「統計ぇ?」と素っ頓狂な声を上げ、麺を啜った。
「以前にもこの町にワルプルギスが来たなんて話は聞いてないよ。一体何をどう統計したってのさ」
 ほむほむは答えない。黙ったまま。
 杏子は溜息を吐く。
「お互い、信用しろなんて言える柄でもないけどさあ、もうちょっと手の内を見せてくれたっていいんじゃない?」
「それはぜひ、僕からもお願いしたいね。暁美ほむら」
 可愛らしいんだけど感情の無い、どこか耳につく声が割って入った。
 見れば、傍らにQBの姿。その白い姿は、すぐさま杏子の槍に隠れ見えなくなった。
「どの面下げて出てきやがった、てめえ」
 杏子の声からは、怒りがにじみ出ている。
 魔法少女たちを騙して契約させ、絶望を生み出す全ての元凶。
「やれやれ。招かれざる客ってわけかい? 今夜は君たちにとって、重要な筈の情報を青鳥に来たんだけどね」
「はあ?」
「美樹さやかの消耗が予想以上に速い。魔力を使うだけでなく、彼女自身が呪いを生み始めた」
 私とほむほむは息を呑む。
 ……やっぱり来た、この展開。ほむほむの表情は硬い。
「誰のせいだと思ってんのさ……」
「このままだと、ワルプルギスの夜が来る前に厄介な事になるかもしれない。注意しておいた方がいいよ」
「何だそりゃ? どういう意味だ?
「僕じゃなくて、彼女に聞いてみたらどうだい? 君なら既に知っているんじゃないかな、暁美ほむら」
 ほむほむは答えない。
 ノーとも、言わなかった。
「やっぱりね。どこでその知識を手に入れたのか、僕はとても興味深い。君は――」
「聞くだけの事は聞いたわ。消えなさい」
 ほむほむはQBの言葉を遮り、辛辣に言い放つ。
 QBはちょっとこちらを振り返りつつ、壁を通り抜けるようにして去って行った。
 杏子は槍を消し、ほむほむを振り返る。
「ほっとくのかよ、あいつ」
「潰しちゃえば良かったのに……」
 私も呟く。銃撃したり、蜂の巣にしたり、既に躊躇いは無いだろうに。
 ほむほむは静かに言った。
「あれを殺したところで、何の解決にもならないわ」
 あー……そっか。代わりはいくらでもある、だっけ? あの白い悪魔め。
 杏子は不服そうながらも、QBの去っていった方へ目を向ける。
「それよりも美樹さやかだ。あいつの言ってた厄介ごとってのは何なんだ?」
「……彼女のソウルジェムは、穢れを溜め込みすぎたのよ。早く浄化しないと、取り返しの付かないことになる」
「取り返しのつかないことって……」
 私は、すっくと立ち上がった。
「探そう。さやかを。今ならきっと、まだ間に合う」
 私はこの先の展開を知っている。
 さやかが魔女になってしまう。杏子が死んでしまう。魔法少女がほむほむ一人になってしまう。
 そんな絶望なんて迎えるもんか。――絶対に。


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2011/05/28