まだ寒さの残る三月のある日の事だった。父の訃報が入った。交通事故だった。沙穂を駅まで迎えに来ようとしていた父は、確認もせず右折してきたトラックの側面に突っ込んだ。
実家の無い母と孫に当たる沙穂を、雛見沢の祖父母は呼び寄せた。岡藤家に嫁ぐ嫁として母が何とか上手く立ち回る一方、人見知りの激しい沙穂は村の子供達に溶け込めずにいた。放課後は一人でそそくさと教室を出る。しかし家に帰ったところで、祖父は仕事、母も仕事探し。祖母は沙穂らが越して来て直ぐ田圃へ転落し、入院していた。
行く宛ても無く村をふらふらと歩き回っていた沙穂に声を掛けてくれたのが、古手神社の神主――梨花の父親だった。
一人ぼっちの沙穂を、彼はとてもよく気にかけてくれた。沙穂は毎日のように、古手神社へと通うようになった。――綿流しの翌日、彼が亡くなってしまうまでは。
古手夫婦が亡くなって間も無く、母が帰って来なくなった。祖父母は相当慌てた様子だった。やがて母の書置きが見つかり、村を出て行ったのだと判った。
意気消沈している沙穂の傍にいてくれたのは、悟史だった。彼は、クラスで一番に沙穂に話しかけてくれた少年だった。優しく、人見知りの沙穂を気遣ってくれた。
しかしその悟史も、翌年の綿流しの後に失踪してしまった。
父の死。祖母の怪我。古手神社神主の死。母の家出。悟史の失踪。いつしか沙穂は、村人達の噂に上るようになった。――あの子はオヤシロ様に嫌われている、と。
そして同じく、悟史の失踪によって噂に上がるようになった少女がいた。
北条沙都子。悟史の妹。
「北条家は祟られてるんだよ。あの沙都子って子も、無事じゃ済まないだろうねぇ。それか、周りが不幸になるか」
いつだったか、祖母が言っていた言葉。
――同じ、だ。
沙都子は同じなのだ。共に暮らす血縁者に疎まれ、オヤシロ様からも忌み嫌われた存在だと言われる沙穂と。
No.11
沙都子が登校して来た翌日。いつもの待ち合わせ場所に、圭一の姿は無かった。
待ち合わせ場所に一人で待つレナの姿に、ざわりと胸騒ぎがする。恐らく魅音も同じだったのだろう。浮かない顔のレナに、尋ねた。
「おはよう、レナ。……圭ちゃんは?」
「おはよう。家まで行ってみたんだけど、誰も出なくて……」
沙穂と魅音は顔を見合わせる。
「あ……はははっ。圭ちゃんの事だからさ、寝坊だよきっと。後から、慌てて走って来るんじゃないかな」
無理矢理笑っているのがありありと伝わってきた。魅音だって、不安なのだ。心配なのだ。
レナも沙穂も答えない。
学校までの無言の道のり、その半ばほどで沙穂は口を開いた。
「……魅音。昨日の話だが……本当に、沙都子を預かるのは無理なのか?」
「……」
魅音は背を向けたまま、僅かに顔を傾かせた。
「……うちには、ばっちゃがいるからね……許してくれる筈無いよ」
「魅音自身の家が駄目でも……親戚を当たる事は出来ないのか? 園崎だろう。分家を辿っていけば、いくらでも顔は利くだろう。
無理だって言うのは、本当に打診してから言っているのか!?」
「沙穂ちゃん」
レナが強い声を出して、沙穂の言葉を遮った。
沙穂はばっとレナを振り仰ぐ。
「だってそうだろう!? 別に沙都子を猫の子みたいに扱ってる訳じゃない。一緒に暮らして、食事や生活をするんだ。梨花と沙都子が子供二人だけで今まで出来ていた事だぞ? それを大人が出来ないなんて――」
「沙穂ちゃんは、打診したの?」
沙穂は言葉を詰まらせる。
レナは静かに、しかし強い口調で言った。
「今の沙穂ちゃんが言ってる事、昨日の圭一君と一緒だよ。昨日も私、言ったよね。
魅ぃちゃんにばかり押し付けて、だったら沙穂ちゃんがおじいさんおばあさん説得して、預かればいいじゃない」
「うちは……」
「聞いてみたの? 聞いてないよね。聞けないよね。魅ぃちゃんの親戚って、それ沙穂ちゃんだよね。聞いた事あるよ。沙穂ちゃんのおばあさん、魅ぃちゃんのおばあさんのいとこだって。園崎家分家筋の岡藤沙穂。――それとも、自分は棚上げ?」
何も言い返せる言葉など無かった。
レナの言う事は尤もだ。沙穂はただ、昨日圭一が行った言葉を繰り返しただけ。それは無茶な事だって、昨日レナの説教も聞いたはずなのに。
沙穂は魅音を見上げる。項垂れた背中。魅音だって、決して心配していない訳ではない。沙都子を見放している訳ではない。何かしたい、その想いは同じなのに。
「……ごめん……魅音……」
「うん……大丈夫」
魅音は、沙穂を振り返った。くしゃりと笑って見せる。
それから、後方へと目をやった。
「それにしても圭ちゃん、遅いねぇ……。こりゃ、遅刻かな」
「休みじゃ、ないよね?」
「それは無いだろう。少なくとも沙都子の安否を確かめるためにも、学校へ来るはずだ。――沙都子、来てるといいんだが……」
希望も空しく、その日も沙都子は欠席していた。
教室にも、圭一はいない。先に来た訳ではないようだ。
沙都子と、圭一と。ぽっかり空いた二つの席は、教室に大きな空洞を作っていた。
昼休み、沙穂達が机を寄せ合わせている所に、彼はやって来た。
「圭ちゃん! どうしたの一体……」
「圭一君まで来ないから、皆心配してたんだよ!?」
魅音とレナが咄嗟に駆け寄る。
教室を出る間際、千恵は振り返って言った。
「前原君と委員長……お弁当を食べたら、職員室まで来てください」
遅刻した圭一だけではなく、クラスの委員長である魅音も。千恵の話は恐らく――沙都子の事。
圭一は、沙穂達四人を見回して言った。
「なあ……ちょっと、いいか?」
圭一は昨日、沙都子の様子を見てきたと話した。叔父の虐待を受ける沙都子。沙都子の身体は、痣だらけだったと言う。
弁当にも手をつけず、沙穂達は圭一の話に耳を傾けた。
自分は家で仲間と麻雀をしていながら、大量の酒と煙草を沙都子一人に買いに行かせる叔父。難癖を付けては、沙都子を怒鳴りつけ、物を投げつけ。人前なのだから、それでも恐らく軽い方。沙都子は笑って、傷は自分で転んで出来たものだと言い張る。
「俺は沙都子の意思に関わらず、助けるべき時があると思う。それが……今じゃないかと思ってる。
先生に言うしかないと思う。例え、それは沙都子の意思に反する事でも。……もちろん、公的機関への通報で沙都子が保護されるのが……確定してから」
沈黙が降りる。
魅音が、ぽつりと言った。
「難しいね……。先生との会話の中で、その確約が取れればいいけど……」
「……ボクは、圭一が話すべきと判断したなら……それでいいと思うのです」
梨花の言葉に、魅音が頷く。レナ、そして沙穂も頷いた。
同意を得て、圭一はキッと表情を引き締める。
「――よし。行こう、魅音」
「うん」
教室を出て行く圭一と魅音を、沙穂、レナ、梨花の三人は見送る。
「通報……聞き入れてもらえるといいね」
「……ああ」
レナの言葉に、沙穂は頷く。
梨花は、何も言わなかった。
放課後は、梨花と共に綿流しの準備だ。いつもなら、梨花と共に学校から直接古手神社へと向かう。しかしこの日沙穂は、梨花とは途中で別れ一度家に帰った。
家へと着いた沙穂は、離れへと駆け込む。机の横にランドセルを放り投げ、ポストの形をした貯金箱に手を伸ばした。
次に棚から取り出すのは、工具箱。金槌を出して、きょろきょろと辺りを見回す。本宅へ行って新聞紙の間から、要らないだろうと思われる不動産のチラシを一枚拝借する。それを離れの扉前の石畳の上に広げ、上に貯金箱を置いた。勢い良く、その上に金槌を振り下ろす。貯金箱は、ガチャンと小気味良い音を立てて割れた。
破片の中から、紙幣や小銭を掻き集める。越して来る前からお年玉や駄賃を貯めてきたそれは、そこそこの額になっていた。
沙穂はそれを連絡袋に入れると、広告と共に破片を捨てた。金の入った連絡袋を小さなリュックに入れて背負い、壁の長さや壁幅、床の長さなどをメジャーで測る。全ての長さのメモを終えると、自転車に飛び乗った。既に梨花は神社に着いているだろう。遅くなったら、祖父にどやされる。
案の定、神社に着くなり祖父は沙穂を怒鳴りつけた。
「遅いわ! 何しよったんね!?」
その剣幕に、沙穂は尻込みする。傍にいた準備会の老人が、祖父を宥めた。
「まあまあ、岡藤さん……沙穂ちゃんも、他に用がある事だってありましょう。梨花ちゃまを通して、あらかじめ連絡はくれていた事ですし」
祖父はフンと鼻を鳴らすと、封筒を差し出した。
「今朝言っとったお遣いだ。既に遅れとるのだから、急いで……ただし買ったもんを破損したりせんよう」
「う、うん……」
封筒を受け取り、沙穂は急いで走り去る。
封筒に貼られたリストにあるのは、櫓の組み立てに使う木材の種類と大きさ。長年使っている櫓の一部が、腐りかけているそうだ。大きな材木については、後で小此木造園のトラックで運んで貰う事になっている。沙穂が持ち帰るのは、先に必要な土台の補強用のみ。
それから――
「……あ、あのっ」
リストアップした木材を持って来た店員に、沙穂は緊張しながら声を掛けた。
「えっと……これは綿流しのとは別なんですけど、欲しい木材があるんです」
想定以上の木材を興宮から持ち帰ってきた沙穂に、祖父は目を丸くした。
「大きい木材は小此木さんが取りに行くと言っただろう。一体――」
「自分で買ったんだ……練習、用、に」
唖然とする祖父。
沙穂は畳み掛けるように言う。
「綿流しの準備の……練習、したいと思って……小遣いで、買って来た……。あっ、櫓のは、こっち」
沙穂は慌てて、束にした木材を他とは別に分ける。
祖父は、顔を綻ばせた。
「良い心がけだな。お前にもやっと、雛見沢の一員としての自覚が出て来たか」
いつもしかめっ面の祖父。彼のこんな表情は、珍しかった。
今なら、大丈夫かも知れない。
「あの……おじいちゃん。他に、要らない木材って、あるかな。切り加減変わったら意味無いから、ちゃんと使えるしっかりしたので――大きさとか、強度とか、そういう問題で櫓には使えないの」
祖父は顎に手をあて、「ふむ……」と考える。
「倉庫にあるかも知れんな。帰りに持ち帰れるよう、探しておこう」
沙穂はぱあっと顔を輝かせた。
「ありがとう!」
個人用として買ってきた木材は別にしてテントの所に置く。
置いてから、沙穂は固まった。このままここに置いていたら、櫓用の木材と間違われ兼ねない。何処かに持って行かれるだけならまだしも、使われてしまったらおしまいだ。
テントの下には、荷物の管理や話し合いなどで数人の大人達。
沙穂は彼らを見つめたまま、固まる。何度か口をパクパクさせ、勇気を振り絞って話し掛けた。
「あ……あのっ」
裏返った声に、近くの男性が振り返る。
沙穂は俯き加減に、早口でまくし立てた。
「ここの木材、私ので……えっと、櫓用じゃないので……えっと……」
「ああ、うん。解った。見ておくよ」
ぺこりと頭を下げると、沙穂はタタタっとその場から逃げるようにして準備に向かって行った。
他人と話すのは、どうにも上がってしまう。祖父に「村の一員としての義務」と言われ綿流しの準備に参加してはいるが、同じく役員として準備をする者達とは一向に打ち解けられなかった。
土台補強用の木材を抱えて、櫓の方へと駆け寄る。
若い青年から働き盛りぐらいの男達の中に混ざって、電動鋸で木材の大きさを調整したり釘を打ったりと櫓を組み立てて行く。大工仕事は得意だ。腕っ節も強い沙穂は、去年からこの作業に加わっていた。
「沙穂ちゃん、向こうでスイカの差し入れがあるらしいよ。食べておいで」
作業も半ば、声を掛けられて沙穂は頷く。
近くで作業をしていた男が顔を上げた。
「あっ。ついでに新しいなぐりが無いか探して来てくれるかい? こいつ、ぐらついてて使い物にならなくて」
「あ、はい」
沙穂は頷いて、本堂の方へ向かう。
休憩する者達の中には、梨花の姿もあった。老人達と話していた梨花は、目敏く沙穂の姿を捉える。
「沙穂! お疲れ様なのです」
「うん。お疲れ」
慣れない人達の間で強張っていた沙穂の表情は、ふっと柔らかくなる。
切り分けられたスイカを手に、二人は老人達の輪から出た。人ごみから少し離れた木陰に入る。
程よくあった岩に腰掛けた所で、沙穂は切り出した。
「そう言えば……梨花は、沙都子と二人で暮らしていたんだよな?」
沙都子の名前に、梨花の表情が翳る。
「その……生活費とかって、どうしてたんだ? 公由さんは、名義上だけなんだろう?」
梨花だけならば、彼は喜んで梨花の世話もするだろう。だが、沙都子の生活費も工面するとは思えない。法律上でも沙都子とは何ら関係が無く、面倒を見る義務も無いのだから。
それに、沙都子は北条家の子。村の老人達からは、疎まれている存在。
「沙都子は……入江の栄養剤の研究に、協力しているのです」
「入江……、監督の?」
「はい。定期的な検査とお注射で……その見返りとして、入江から生活費が援助されているのですよ」
言って、梨花は空いている手でぎゅっと緋袴の脇を握る。梨花はずっと沙都子と一緒に暮らしていた。その前から、梨花は沙都子と親しかった。前に叔父叔母夫婦に沙都子が虐められていた時も、一番に沙都子を気にかけていたのは悟史を除けば梨花だろう。今も、どんなに心を痛めている事か。
――学費や生活費の心配は、要らないと。
「そうか……なるほど。それが分かれば十分だ。ありがとう、梨花」
「沙穂……?」
資金は入江から出る。食事は、元々沙穂は大食いだ。それを少し我慢すれば自分と合わせて二人分ぐらい悠に確保出来るだろう。寝床も、あの離れなら小学生二人ぐらい十分に暮らせる広さ。
沙穂は、大きく口を開けスイカに齧り付く。ぺろりと平らげると、立ち上がった。
「じゃあ、お先に。トンカチを探して来ないと」
本堂前で収集しているゴミ袋にスイカの皮を入れ、倉庫の方へと回る。
祖父母に了承を取る事は出来ない。だが、沙都子は今も辛い状況に置かれているのだ。許可だの権利だの、甘い事を言っている場合ではない。物理的には、匿う事は可能。問題は、祖父母に見つからないような措置。幸い、離れは林と本宅との間にある。林の方を通れば、本宅から姿を見られずに庭を出る事も可能。
そちら側に、扉があれば良い。一見しただけではそれと分からないような、出入口が。それから、万が一窓から覗かれた場合に備えた室内の死角。あの部屋には押入れや人が入れるような箪笥なんて無い。机の下なんて、部活でかくれんぼをしたなら誰も隠れ家として選ばないだろう。
――無いなら、造る。
何も出来ないなんて嘆きたくない。ただ待っているなんて出来ない。
沙穂に出来る事。例え僅かだとしても、それが沙都子の救いになるならば。
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2011/08/24