自分の席を見つけるなり、弥生は露骨に顔を顰めた。
 転入して来たばかりの頃のように、隣の席は沢田綱吉だった。それはまだ良い。問題は、後ろの席。今日に限って、遅刻もせずにまともに登校して来ている彼。
 弥生の視線を受けて、獄寺の方も不機嫌そうに睨み上げる。
「何だよ」
 弥生は押し退けるように、ガンと軽く机を蹴った。
「半径一メートル以内に近付くなって言ったよね。もっと離れてくれる」
「んだと、この暴力女! てめーが離れろ!」
「生憎、私の席はここなんだよ」
「俺だって、この席だ」
「先生に頼んで変えてもらえばいい」
「てめーが変われ! 俺は十代目を傍で見守れるこの席を譲る気はねぇ」
「私だって、沢田以外の男子が隣に来るのはごめんだ」
 自分の名前を出され、綱吉はおろおろと二人を交互に見る。
「ふ、二人とも落ち着いて……。弥生ちゃんは拒否反応あるんだから他の席移れなくても仕方ないし、弥生ちゃんもこの距離なら獄寺君いても拒否反応は出ないんだから……」
「いいえ。こんな暴力女が十代目のお隣なんて危なくて仕方ありません」
「その言葉、そのままそっくり返すよ。不良男君」
「どうやらてめーとは、一度決着をつけなきゃいけねーみてぇだな……」
「臨むところだよ……君は私が叩き潰す」
 二人の手にはダイナマイト、鉄パイプがそれぞれ握られている。綱吉は頭を抱えた。
「ああああ! またこのパターンだよ!」
「おっ。弥生も同じクラスか。よろしくなー。相変わらず仲良いのな」
「誰がこんな奴と!!」
 叫んだ二人の声は、仲良く重なった。それが発端になって、再び二人は怒鳴り合う。
「ツナ君、今年度もよろしくね」
「こ、こっちこそ、京子ちゃん!」
 京子に声を掛けられ、綱吉はパッと振り返る。花がその隣にいて、ニヤニヤと綱吉を見やっていた。
 沢田綱吉、山本武、獄寺隼人、雲雀弥生、笹川京子、黒川花。今日から始まる新学期。またしても皆、同じクラスである。





No.12





 弥生は緊張した面持ちだった。
 初夏が過ぎ去り、本日も汗ばむ陽気。授業の課題で小学校の夢について調べる事になった弥生は、同じ班になった京子と共にこれまた同じ班の綱吉の家へと向かっていた。
「笹川さんは、沢田の家行った事あるの?」
 彼の家へと向かう道すがら、弥生は尋ねた。
「うん、何回か。バレンタインも、ツナ君の家で作ったし」
「そう言えば、そんな事言ってたね」
「ほら、お花見の時にもいたでしょ? 獄寺君のお姉さん。あの人にチョコ作り教えてもらったんだ」
「あいつの? それでどうして沢田ん家?」
「理由は分からないけど、ツナ君家に住んでるみたい。他にもランボ君とかイーピンちゃんとか子供もいっぱいいるんだよ〜」
「ふうん」
 何となく解る気がした。彼の周囲には、人が集まりやすい。群れる事を嫌う雲雀でさえ、綱吉には一目置いている節があるぐらいだ。それが学校だけでなく、家でも同じだと言う事だろう。
 綱吉の家は、ごく普通の一軒家だった。京子と弥生を迎え出た綱吉は、随分と汗を流していた。京子の指摘に、綱吉は慌てて取り繕うような笑顔を浮かべる。
「いや……何でもないよ! 今日、台所でもいいかな?」
「うん」
 京子に続けて、弥生も無言で頷く。
 通された台所は綺麗に片付いていて、それなりに大きな机と椅子もあった。課題をするには十分な広さだ。
 席に着く綱吉と京子を、弥生は代わる代わる見つめる。そして、言った。
「ねえ、沢田。私、外した方がいい? そしたら、笹川さんとふた――」
 首根っこを掴まれ、弥生の言葉は途切れる。そのまま、廊下へと引っ張り出された。
 台所の扉を閉じて、漸く綱吉は弥生のシャツを放す。
「何するの」
「それはこっちの台詞だよ! 何言い出すんだよ、弥生ちゃん!!」
 ひそひそ声で綱吉は叫んだ。弥生はきょとん顔だ。
「だって、沢田は笹川さんの事好きなんでしょ。私、お邪魔じゃない?」
「いやっ、あのっ、そりゃ、京子ちゃんと二人っきりになれれば、それはまあ嬉しいけど――そ、そうじゃなくて!! 今はそう言うの関係無いだろ! 弥生ちゃんだって同じ班なんだし……それに、本人の前で言うなって何度も言ってるだろ!」
「うん、解った」
 真っ赤になって慌てている綱吉に対し、弥生は至って無表情。本当に解っているのだろうか。綱吉は不安を抱えつつも、弥生を連れて台所に戻る。
「ご、ごめんね。京子ちゃん」
「ううん。昔の作文、見つかった?」
 全く気にする素振りもなく、京子は問う。綱吉と弥生は頷いた。
「あ、うん。小二の時のが」
「……私は小三」
「わーっ、見たい見たい!」
 京子は大喜びで、綱吉の作文を手に取った。そのまま、声に出して読み上げる。
「ぼくのあだ名はダメツナです。でも母さんは今はダメでも人は変われると言います。ぼくもそう思います。巨大ロボになりたいです。――アハハ、かわいーっ!」
 京子は無邪気に笑うが、綱吉の方は過去の自分の作文に相当なダメージを食らっていた。気にせずとも、小学二年生ならこんなものだろうと思うが。
 どう読んでも、文章に不慣れな子供の作文。なのに、感涙する者がいた。ぐす、とすすり泣く声がして弥生達は廊下側を振り返る。
「いい作文っスね……! 巨大ってのが……」
「何故獄寺君――!?」
 綱吉の絶叫に近い声が響く。弥生はじろりと彼を睨んだ。
「なんで君がここにいるの。別の班でしょ」
「うるせぇ、暴力女。てめーに用はねぇよ」
 いつもの応酬が始まりそうになる二人。しかし綱吉は、今日は別の問題で焦っていた。
「あ……あれ? どうしてかな……部屋にいてって……」
「まず十代目に、改造してもらった武器を見てもらいたくて……」
「んなーっ!?」
「俺もまだ見てないんスよ」
 いきますよなんて言いながら、獄寺は庭に続く窓を開ける。弥生はムスッとして口を挟んだ。
「君、自分の班はどうしたの。沢田は今、私達と宿題やってるんだけど。邪魔しないでくれる」
「うるせっ。てめーに投げんぞ」
 獄寺は威嚇するが、それ以上喧嘩を続けようとはしなかった。随分と機嫌が良いようだ。
 綱吉が止める声も空しく、獄寺は空へ向かってダイナマイトを放った。
 パアンと音がして弾けるダイナマイト。辺りに撒き散る紙吹雪。飛び出す色とりどりの風船と鳩。
 弥生は目を瞬く。綱吉も、投げた当人である獄寺も唖然としていた。京子一人が、大喜びで手を叩いている。
「どう言う事か、ジャンニーニに聞いてきます!」
 言い捨てると、獄寺は二階へと駆け上がって行った。
 次に現れたのはリボーン。彼もいつもの拳銃を改造してもらったそうだが、失敗に終わっていた。同じく、ジャンニーニなる人物を締めると言って二階に消える。
 続いて、上から激しい物音がした。流石の京子も小さく悲鳴を上げる。様子を見て来ると言って、綱吉も台所を飛び出して行った。
 京子は綱吉の背を見送り、呟く。
「何があったんだろうね。大丈夫かなあ……」
「面倒事なんて、いつもの事じゃない。それより私達はこっち、続けてよう。プリント埋めなきゃならないんだし」
「そうだね。弥生ちゃんの作文も見ていい?」
「ん」
 弥生は鞄から作文用紙を取り出す。小学二年生の頃の綱吉よりはマシなものの、やはり一枚にも満たない内容だった。
「わたしの夢は、強くなることです。私のお兄ちゃんは、強くて自慢のお兄ちゃんです。お兄ちゃんはなみもりという町に住んでいて、今は別々にくらしています。強いお兄ちゃんは、悪いやつらといっぱい戦わなきゃいけません。わたしは弱いから、しんせきのおうちに引っこしてきました。わたしもお兄ちゃんのように強くなって、なみもりに帰って、お兄ちゃんのお手伝いができるようになりたいです」
 親戚の家にやられて、間も無い頃の作文だった。
 綱吉と同じく、二年生の頃――引っ越す前にも将来の夢について作文を書いた事があった。しかしそちらは、実家にある。それ以前に、当時の作文なんて他人に見せる気は無い。あの頃はもう、リセットしたのだから。
 京子はにっこりと弥生に笑いかける。
「弥生ちゃん、小さい頃からお兄ちゃん大好きなんだね」
「当然。笹川さんのは?」
 京子から作文を受け取ろうとしたその時、大きな爆発音が上階から響いた。二人は手を止め、天井を見やる。続いて聞こえる、幼い子供の泣き声。
「この声……多分、ランボ君だ」
 京子が心配そうに呟く。弥生は溜息を吐き、席を立った。
「私、様子見て来るよ。沢田も遅いし……笹川さんはここで待ってて」
 弥生は言い置いて、台所を出る。流石に、一般家庭で迷子になる事は無い。上へ昇る階段は直ぐに見つかった。
 怒り心頭で二階へ向かったリボーンと獄寺。聞こえて来る衝撃音や爆発音。そんな中に京子を行かせる訳にはいかない。それに、綱吉は彼らが階下へ降りて来た事に相当慌てた様子だった。台所に通した事と言い、京子には見られたくない状況なのかも知れない。
 ――ここかな……?
 一つの部屋の前で、弥生は立ち止まる。耳を傾ければ、綱吉と獄寺の話し声が聞こえて来た。間違い無いようだ。
 一応ノックをするが、返事は無い。扉を押し開いて、弥生は唖然とした。
 銃やら槍やら剣やら。剛球や爆弾なんて物もある。その他、部屋の中は様々な武器で溢れかえっていた。部屋の奥で、太った男が慌てた素振りで武器を修理している。スーツで肌は隠れているものの顔のあちこちに目立った傷が見られるから、彼が恐らくリボーンや獄寺の怒りの対象であるジャンニーニと言う男だろう。
「……何これ」
「弥生ちゃんー!?」
 綱吉が叫び声を上げた。弥生は彼に視線を移し――そして、その足元にいる人物に目を留める。
 リボーンやランボと同じような、小さな姿。しかしその銀髪や目つきの悪さは間違いなく――
「なんでそんな姿なの、不良男君」
 弥生はぷっと小さく吹き出した。
 獄寺の顔が、カーッと怒りで赤くなる。
「このクソ女! 人の事見下ろしてんじゃねぇ!! 果てろ!」
 投げたダイナマイトは、弥生の膝辺りまでしか飛ばなかった。爆発も無く、鳩や紙吹雪が飛び出す。
「そんなんじゃ果てない」
 言いながら、弥生は笑いを噛み殺せずにいた。それが猶の事、獄寺の怒りを煽る。どうやら獄寺本人は、自分が小さくなっている事に気付いていないらしい。
 喚く獄寺を無視して、弥生は綱吉に言った。
「なかなか戻って来ないから、様子を見に来た。笹川さんも心配してたよ。ランボの泣き声も聞こえたし……」
「あっ、ごめん。直ぐ行くよ」
 ランボはまだ泣いているようだった。ジャンニーニの傍らから、その身の丈には大きなバズーカ砲を取り上げる。綱吉とジャンニーニが焦り顔を見せた。
「あっ。駄目ですよ! まだ、修理中――」
「知るかー! ランボさんのだもんねー!」
 ジャンニーニの手を逃れるようにして、ランボは駆ける。途端、床一面に広げられた武器の一つに蹴躓いた。
 ランボの手を離れたバズーカ砲は、弥生の方へと飛んで行く。
「ああ! 十年バズーカが!」
「あのアホ牛!」
 爆発音が響く。
 爆風の中、現れたのは小さくなった弥生だった。しかし、獄寺よりは大きい。歳の頃は、フウ太と同じ程だろうか。多少は直ってきていると言う事か。それとも、十年の区切りさえ無視するようになったのは更に壊れていると言えるのだろうか。
 綱吉は頭を抱える。
「ああああ!! 弥生ちゃんまで小さくなっちゃった!」
「小さく……?」
 弥生はきょとんと綱吉を見上げる。弥生も自分で気付いていないのか。どう説明したものか。思案する綱吉に、弥生は小首を傾げて尋ねた。
「お兄さんたち、だあれ? ここどこ? お兄ちゃんは?」





 爆風から身を防ごうと鉄パイプを取り出したが、次の瞬間には辺りは静まり返っていた。場所さえも変わっていた。室内にいたはずなのに、曇天の下に立っている。地面は土。
 弥生は顔を顰める。靴を履いていないのに。
 とりあえず、直ぐ後ろにあったベンチに乗る。どうやら、ここは並盛中央公園のようだ。何故、今の一瞬で移動してしまったのだろう。ベンチの上から出入口の方を見やるが、綱吉達の影は無い。これは面倒だ。公園からの帰り道は不慣れだ。幼い頃に、何度か雲雀に手を引かれて訪れた程度。それも、一度襲撃に遭って以来は一度も来なかった。花見の時は運良く到着出来たが、帰りは綱吉達にアパートまで送ってもらっている。道はうろ覚えだ。
 駆けて来た足音が弥生の後ろで止まった。弥生は振り返る。そして、目を見開いた。
 両手にアイスを持ち、きょろきょろと辺りを見回す小さな少年。さらりとした黒髪。切れ長の瞳。今より幼いが、過去に見ているその顔を間違えるはずがなかった。
「お兄ちゃん……?」
 弥生の呟きに、雲雀は辺りに巡らせていた視線をこちらに向ける。彼はぶっきらぼうに言った。
「ここに、小さい女の子がいなかった?」
 弥生はふと思い出す。
 一連の事件の始まり。あの日、弥生は雲雀に手を引かれ公園を訪れていた。本格的な夏はまだだと言うのに、蒸し暑い日だった。空に垂れ込めた暗雲が、熱気を閉じ込めているかのようだった。雲雀は、絶対に一人で移動しないようにと弥生に言い含め、アイスを買って来てくれた。
 ――これは、過去だ。
 ランボが手にしていたバズーカ砲。十年バズーカと呼ばれていたか。以前にも弥生は、あれが使用されるのを見た事がある。では、あの時現れたのはランボ自身の十年後の姿だったのだろうか。
 ジャンニーニは、修理中だと言っていた。それで、弥生は過去へ来てしまったのだろう。恐らくは、獄寺のあの姿も十年バズーカによるもの。
「ねえ、聞いてる?」
 雲雀は、弥生に向かってトンファーを突きつけていた。早く答えなければ噛み殺すと言う意。雲雀はまだ小さく、弥生はベンチの上に立っているので、精一杯手を上げてやっと腹の辺りに届いている状態だ。
 弥生はベンチに正座し、視線の高さを合わせる。
 何と言ったものか。自分が弥生だと話したところで、彼が信じるとは思えない。
「……私が来た時には、いなかったけど」
 考えあぐねた末、弥生は答える。
 入れ替わったのだから、小さな子はいなかった。嘘ではない。
「迷子になるから動くなって言ったのに」
 雲雀は不機嫌そうに顔を顰める。それから、辺りを見回した。幼いせいか、今よりもずっと豊かな表情。その顔に浮かぶのは、明らかな心配の色。
 弥生の記憶にある、優しかった頃のお兄ちゃん。
「お兄――」
 ザ、と辺りの地面を踏みしめる音がした。
 一瞬にして弥生と雲雀は取り囲まれていた。相手は中学生。並盛の制服を着た者もいる。皆一様に、だらしなく着崩していた。
 雲雀はトンファーを下ろしたまま、彼らを見回す。
「何の群れ?」
「もう顔も忘れたか? クソガキの癖して、この前はやってくれたじゃねぇか」
「あいにく、草食動物は草食動物としか思わないからね。君達は、シマウマの群れを見て個々を判別するかい」
「昨日の商店街だよ!! 俺達の喧嘩に関係の無いガキがしゃしゃりやがって……!」
「……ああ。あの時の群れか」
「奴等をぶちのめしたと思ったらこっちもやりやがって! 一体どっちの味方だ!?」
「僕はどちらの味方でも無いよ」
 雲雀の口元に、笑みが浮かぶ。
 アイスクリームが二つ、地面に落ちた。囲んでいた内の一人が、吹っ飛んだ。雲雀は瞬時にそこまで移動していた。トンファーを両手で構え直し、告げる。
「ただ、群れる奴らは噛み殺すだけさ」
 取り囲んでいる中学生達の頭に血が上るのが分かった。
 雲雀は、弥生の直ぐ傍まで下がってくる。そして、言った。
「君は下がってなよ」
『大丈夫。弥生は僕が守るから』
 六年前と同じだった。弥生の前には、必ず雲雀の背中。雲雀は一人で、自分よりも大きい敵を相手に次々と薙ぎ倒していく。数も、体格の差も、雲雀にとっては何ら問題にならない。
 やがて、大勢いた中学生達は一人の小学生によって全て戦闘不能にされていた。
「毎度毎度、風紀の乱れた学校だね。まあそれも僕が入学するまでだろうけど」
 雲雀は足元で伸びている一人を蹴飛ばし、弥生を振り返る。
 弥生は咄嗟に、ベンチから飛び上がった。一回転して、距離を取った位置に片膝をついて着地する。雲雀は、無人のベンチに叩き付けたトンファーを引いて微笑った。
「やっぱり。君、強いでしょ」
「え……」
「どう避けていれば僕が守りやすいか、ちゃんと読んでいたみたいだからね」
 弥生は雲雀を見つめ返す。
 強い……弥生が?
「手合わせ願いたいところだけど――今はやめておくよ。急いで弥生を探さなきゃいけないからね」
「あ……」
 探したところで、見つかる筈が無い。弥生は、ここにいるのだから。幼い頃の弥生は恐らく、六年後の綱吉の家。
「あっ、待って!」
 駆け出そうとする雲雀を、弥生は慌てて呼び止めた。雲雀は煩わしそうに、けれども足を止めて振り返る。
「何。僕、忙しいんだけど」
「えっと……妹さんは……多分、大丈夫」
 雲雀は眉を顰める。
「あ、あのっ、私の知り合いが水かけちゃったみたいで……! 風邪引いたらいけないからって、今、乾かしに行ってる」
「君、誰もいなかったって言わなかった?」
「だ……だからメール。私は直接その子とは会ってないんだけど、メールが来て……」
 しどろもどろに言い訳する。
「その知り合いの家は?」
「ごめんなさい……私も道、覚えてない……」
 雲雀はムスッとした表情で弥生を見つめていた。かと思うと、ふいと背を向ける。
「来て」
 発せられた言葉の意図が理解出来ず、弥生はベンチの上に正座したまま目を瞬く。
 雲雀は少し先で立ち止まり、振り返った。
「聞こえなかった? 来て、って言ったんだけど」
「え……」
「君がいないと、その知り合いと連絡を取る事が出来ないだろう。それから、弥生に何かあったら君を噛み殺すからそのつもりでいて」
「うん」
 思いの外弾んでしまった声に、雲雀は怪訝気に眉を顰める。
 雲雀と一緒にいられる。それは弥生にとって、これ以上無い幸福だった。雲雀の方は人質のつもりらしいが、過去の弥生は安全な場にいると分かっているのだから何も恐れる事は無い。
「何処行くの」
 雲雀の後に続きながら、弥生は尋ねる。
 彼は、素っ気無く答えた。
「家。雨降りそうだから」

 雲雀家に着く前に、ぽつりぽつりと雨が降り出した。二人は、駆け込むようにして家に帰る。
 玄関に入り、弥生は立ち竦む。六年ぶりの実家。六年前なのだから当然だが、弥生の記憶と何ら変わりない。今、家には弥生達の他に誰もいないようだった。
「上がっていいよ」
「……お邪魔します」
 自宅なのに妙な感覚だが、一応弥生はそう口にする。泥に汚れてしまった靴下を脱ぎ、先を行く雲雀の後に続いた。
 冷房を利かせている訳でもないが、家の中は外とは打って変わってひんやりしていた。冷たい床が心地良い。
 真っ直ぐに、雲雀は自室へ向かう。壁に飾られた並盛町のロゴマーク。小学校の校章。まだ入学していないはずなのに、並盛中学校の物もある。本棚には教科書の他、町内の事件事故に関するファイルや年度が古い受験生向けの制服雑誌。これを資料に風紀委員の学ランを特注した事を、弥生は知っている。
 勉強机とは別に、床には低い机が置かれていた。机の上に広げられた筆箱は、弥生の物。幼い弥生はよく、自室ではなく兄の部屋で宿題をしたり本を読んだりして過ごしていた。
 床に落ちていた紙を、雲雀は拾い上げる。机の上にある他のプリントに重ねようとして、その動きを止めた。
 彼の手にあるのは、一枚の原稿用紙。
 弥生は引っ手繰るようにしてそれを取り上げた。ムッとした表情の雲雀が、弥生を見上げる。取り返そうと背伸びして手を伸ばしたが、弥生は原稿用紙を持った手を更に高くやった。
「何するの」
「……こんなの、違うから」
 弥生は原稿用紙をくしゃくしゃに丸めて、放る。小学二年生の頃に書いた作文。
 弱かった、あの頃。
「違うから。私、群れたりなんてしない。弱くなんかない」
「何言ってるの、君……」
 雲雀は目を瞬く。
 弥生は踵を返し、駆け出した。呼び止める声にも振り返らず、玄関へと走って行く。
 玄関前まで来た所で、突然爆風に包まれた。弥生はぽかんと立ち尽くす。
 爆風が晴れると、辺りの様相は変わっていた。実家ではない。きょろきょろと辺りを見回す。ごく普通の一般家庭の台所。その場にいるのは、綱吉、リボーン、そしていつの間に加わったのかイーピンもいる。
「弥生ちゃんも元に戻った!」
 二階から、爆発音が聞こえた。武器の直った獄寺が、ジャンニーニを再度締めているらしい。
 机の上には、小学三年生の頃の弥生の作文と宿題のプリントが残ったままだ。
「京子ちゃんには、先に帰ってもらったんだ。十年バズーカの効果がいつ切れるか分からなかったから……」
 弥生が獄寺のように怒り出すのではと怯えながら、綱吉は説明する。
 弥生は怒ってなどいなかった。無言で、プリントや原稿用紙を鞄に片付け始める。
「弥生ちゃん?」
「私、帰る」
 鞄を抱えて、弥生は綱吉の家を飛び出して行った。
『君、強いでしょ』
 馬鹿みたいだ。あれは、小学生の頃の雲雀から見た台詞。現在の雲雀には、足元にも及ばない。
 喧嘩だけでなく、内面も。
「……違う。もう、あんな弱くない」
 小学二年生の頃の作文。どうして、あんな事書いてしまったのだろう。過去の自分が許せない。
 兄に見放されて初めて、弥生は自分の愚かさに気付いた。もう遅かった。弥生は親戚の家に突き放され、並盛から追い出されてしまっていた。
 今は違う。強くなろうと、兄のようになろうと、五年間頑張って来た。群れたりもしないと決めた。だから、並盛に戻って来たのだ。
 家までの道も分からぬまま、弥生はひたすら走り続ける。





 将来のゆめ   二年一組 ひばり弥生
 わたしはお兄ちゃんが大すきです。お兄ちゃんは強くてやさしくてカッコイイです。大きくなったら、お兄ちゃんみたいな人とけっこんしたいです。
 でもみんなはお兄ちゃんをこわいと言います。みんなこわがって、わたしともあまりあそんでくれません。お兄ちゃんはこわくなんかありません。わるいやつらをやっつけるいい人です。わたしのことも、いつもまもってくれます。お兄ちゃんはすごいんだって、きっとみんなもわかってくれると思います。
 友だちをいっぱい作って、お兄ちゃんとこれからもずっといっしょにいるのが、わたしのゆめです。


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2011/09/09