夜闇に包まれた町。冷たい静寂の中を、私はとぼとぼと歩いていた。
清潔だけど整理されていて、人間味の無い町。寒々しくて、どこか拒絶されているかのような。
私は道の端に、膝を抱えて座り込んだ。通りかかる人はいない。
「食うかい?」
そう言って差し出されたポッキーの箱。あの時杏子と出会って、杏子が手を差し伸べてくれて、私は立ち上がることができた。この世界で、生きて来られた。
鞄の紐をぎゅっと握って、私は駆け出した。
まだ、ほむほむからの連絡は無い。諦めるなんて嫌だ。もしかしたら、もしかしたら、もう帰ってきているかも知れない。オクタヴィアと戦って、倒した世界もあったんだ。その時はマミさんに殺されちゃったけど、この世界はマミさんがもういない。杏子が生き延びる可能性だってあるかも知れない。
――解ってた。そんな可能性、無いんだって。
解っていたけども、頭は現実を拒否していた。藁にもすがる思いで、ホテルへ帰って。
そして見たのは、ホテルの前に停まるパトカー。物々しい様子のロビー。黄色いテープが張られた部屋の前。
さやかの死体が発見された。
……そう、死体。彼女はもう、元に戻ることはない。
その光景は、この部屋の住人はもう帰ってくることがないのだと物語っていた。
No.12
ホテルを出た。
あの場には、いたくなくて。いられなくて。
行く宛も無く、ふらふらと歩く。パトカーやら野次馬の群れやらから遠ざかった辺りで、正面に影が射した。私はそっと、視線を上げる。
「佐倉杏子はあなたの言った通り、鹿目まどかと一緒にいたわ」
朝日を背に、ほむほむは淡々と述べる。
「美樹さやかのグリーフシードが産んだ魔女は、佐倉杏子が屠った。……その身を犠牲にして」
――ああ、やっぱり。
私はうつむく。ようやく搾り出した声は、震えていた。
「……そっか」
世界がにじんで、ほむほむの顔もにじんで。熱い物がこみ上げてくる。
分かっていたのに。知っていたのに。さやかとも、杏子とも話す機会があって、なのに何もできなかった自分が悔しい。
「あなたは、知っていたのね」
「……うん」
泣きじゃくりながら、私はうなずく。
私、今、すっごいブッサイクな顔してるんだろうなあ。
「あなたは一体、何者なの? ソウルジェムのことや、佐倉杏子の身に起こること……どうしてあなたは知っていたの?
あなたは時間停止の影響を受けない。もしかして、あなたも――」
「ううん」
フルフルと首を振って、袖でグイ、と目じりを拭く。
「私は魔法少女じゃない。……ただ、つれて来られただけ」
「つれて来られた?」
「うん。穂村明海って偽名を名乗る――小豆色の魔法少女に」
私は話した。トリップのこと。元の世界のこと。アニメのこと。私がそこで知った知識。アニメ十話までの話。
何も今まで、隠していたわけではない。ただ、信じてもらえないだろうと思っていたから言わなかっただけのこと。
でも、ほむほむなら。
自身が時空移動なんてことをやっているほむほむなら、信じる余地はあるんじゃないかって思った。現に、疑う素振りもなく、ほむほむは私の話を聞いてくれた。さすがに「この世界はアニメだ」って言ったときは、戸惑う様子だったけど。
話しながら辿り着いたのは、ほむホーム。招かれるままに、私は家へと上がらせてもらう。
そして、私たちの会話は途絶えた。
部屋には、ほむほむの帰りを待つ姿があった。くりっとした紅い瞳が、暗闇から見つめ返す。
「やあ。遅いと思ったら、加奈の所へ行っていたのか」
QBは薄紫色の机から降りる。
私はキッと、奴を睨んだ。
「私、許さない、あんたのこと。杏子を焚きつけるような真似して……」
「佐倉杏子には、本当に美樹さやかを救える望みがあったの?」
「まさか! そんなの不可能に決まってるじゃないか」
「――こいつ!」
私はQBに掴みかかる。QBはひょいと軽やかに私を避け、少し先へ行った。再び私は掴みかかるが、何度やっても、何度やっても、奴は私の指先をすり抜けて行く。
「無駄だよ。君みたいな普通の子に捕まえられるわけがないじゃないか」
睨むしかできない。
こいつのせいで、杏子は命を落としたのに。
「どうしてあの子を止めなかったの?」
ほむほむが詰問する。
QBは、悪びれる様子も無く言った。
「もちろん、無駄な犠牲だったら止めただろうさ。でも今回、彼女の脱落には大きな意味があったからね。
これでもう、ワルプルギスの夜に立ち向かえる魔法少女は君だけしかいなくなった。もちろん、一人では勝ち目なんて無い。この町を守るためには、まどかが魔法少女になるしかないわけだ」
「――果たしてそうかな?」
声がした。
現れたのは、小豆色のワンピースを着た少女。彼女は、ほむほむに軽く笑いかける。
「ごめんね。上がらせてもらったよ」
もしQBが人間だったなら、目を丸くしていたのだろう。
「君は――?」
「残念でした。私も魔法少女だよ。ワルプルギスの夜に臨める魔法少女は、暁美ほむらと私とで二人。まどかが契約する必要なんて、どこにも無い」
「君も魔法少女なのかい?」
「そう聞こえなかった? この通り、ソウルジェムも持ってる」
言って、明海は小豆色のSGを掲げる。
「何だったら、この場で変身してあげてもいいけど」
「随分とひどいんだね、君は。巴マミや美樹さやか、佐倉杏子を助けに入ることもできたんじゃないのかい?」
「君の目について破滅した魔法少女を知っているからね。この時が来るまで、身を潜めてることにしたんだ。ワルプルギスの夜と、戦うために」
その場に沈黙が下りる。
わたしは唖然と明海を見つめていた。ほむほむも、呆然としている。
すっかり忘れていた。今、トリップの元凶として話に出したばかりだったのに。
そう。彼女も魔法少女だ。ほむほむを一人で戦わせたくない。一人でも人数が多い方が良いだろうから。そう言っていた。当然、ワルプルギスの夜に参戦するつもりだということ。
これまで表に出て来なかったのは、QBを避けてのことだったらしい。ワルプルギスの夜まで、確実に生き残れるように。
QBは追い出されるようにして、去って行った。
明海はこちらを振り返り、にっこりと笑う。
「そういうわけで。――暁美ほむら、私と手を組んでもらえるかな?」
「――ってたの?」
「え?」
怒りを押し殺した私の声は、彼女の耳には届かなかった。
私は彼女に掴みかかった。
「あんた、何やってたの!? 魔法少女が三人いて、それでどうして杏子が死ぬことになるの!? キュゥべえと接触したくなかったって……それじゃまさか、あんた、ずっと黙って見てたっていうの!? 助けようともせずに!!」
「……」
「やめなさい、加奈。
言ったはずよ。無駄な争いをする馬鹿は嫌い」
「――でも!」
「それに彼女は、あの場にいたわ。美樹さやかを殺そうとする彼女を止めたのは、杏子自身よ」
「そんな……」
私は言葉を失う。力の抜けた手を、明海は軽く払った。
「そういうこと。こいつの相手はあたしがする、ってね。オクタヴィアに向かってナイフを投げたら、あいつに弾かれる始末。見も知らない奴が手を出すなって……笑っちゃうよね」
明海は「ははっ」と渇いた笑いを漏らす。
……なんで、笑えるの。
「なんで笑うの……杏子が死んだんだよ……? 杏子だけじゃない。さやかも救えなくて……あんただって、知ってたんでしょ……なのに、なんで……」
「美樹さやかに対してどうしようも無かったのは、君も知ってるじゃない。その場にいたんだから。彼女は私の話を聞く耳なんて持たなかった。疑うばかりで。殺すしか、道が無かった。でも逃してしまった。その後も、ね」
明海は同意を求めるように、ほむほむを見る。
「佐倉杏子の得物が大きいのは厄介だったわね。味方につけば、頼もしいのだけど」
「君も知っている通り、佐倉杏子に邪魔されて、二人一緒に捕まっちゃったわけ。ほむらの爆弾で逃げたときにはもう、さやかは行方不明。その後も探したけどね。次に見つけたのは、魔女になった後だった」
淡々と、明海は話す。その口調は、少し明るいくらい。明るくて、でも無機質で。
本当、QBみたいな奴。
「……あんたは一体、何なの」
私は真っ直ぐに、明海を見据える。
「私をトリップさせて、この世界のこと、アニメのこととか知っていて……どうして? 魔法少女なら、この世界の人じゃないの?
さやかに疑われたときだって、せめて名前くらい名乗れば良かったじゃない。あんなの、誰だって怪しむよ」
「穂村明海なんて名乗ったって、偽名だって直ぐにばれるでしょ。彼女は、ほむらと知り合っているんだから」
「だから、偽名じゃなくて! なんで名乗らないの? ねえ!」
ほむほむが身動きする。少し歩を進め、私の横に並んだ。
「私も、彼女に同感だわ。あなたの戦い方に口を出すつもりは無い。でも、名前くらいは教えてもらえないかしら」
一瞬、明海の瞳が揺れた。
「ごめんね。無理」
「どうして――」
ちらりと私を見て、そして彼女は言った。
「私に名前は、無いから。とうの昔に、捨てた」
にっこりと、笑みを浮かべる。
「そのまま明海なり、何なり、好きに呼んでくれていいよ。よろしくね、暁美ほむら。
作戦会議は後日改めてでいい? 今日はもう、美樹さやかの件でお互い疲れちゃってるから。私は学校通ってないから、明日にでも大丈夫だよ。そちらの都合で」
「そう。助かるわ。それなら、明日の夜に」
「了解。ここでいい?」
ほむほむはこくりとうなずく。
明海は家を出て行った。
外はもう陽が高く昇っていて、通勤通学の人々が往来していた。どこにでもある、平凡な朝の風景。
「加奈」
ほむほむに呼ばれ、私はハッとする。
ほむほむは、通学鞄を手にしていた。
「私もそろそろ学校へ行かないといけないわ。まどかの出欠だけでも、確かめないと。あなた、大丈夫?」
「え――あっ、そ、そうだよねーっ。ごめんね? 長居しちゃって。私も行かなきゃ――」
「どこへ?」
私は黙り込んでしまう。
ほむほむは拳を突き出す。私は手を椀の形にして、受け取る。それは、家の鍵だった。
「え……これ……」
「合鍵よ。他に行く宛も無いのでしょう? 私も家族は、いないようなものだから。気にしなくていいわ」
ほむほむは髪を払い、背を向ける。
門を開けるほむほむの後姿に、私は慌てて呼びかけた。
「あのっ、私!」
ほむほむは振り返る。全てを押し殺した、無表情。
「杏子死んじゃったけど……でも、それでも、ワルプルギスの夜には協力するから。ほむほむの目的、遂げられるように手伝うから。
無力な私にもできることがあるって教えてくれたの、ほむほむだから。私、頑張るから……!」
ほむほむは少し、目を丸くしていた。
ふっとその表情が柔らかくなる。
「そう。助かるわ」
学校へと向かう後姿を、私はずっと見送っていた。
私は無力だ。知識はあるくせに、何もできない。何も変えられない。
でも、そんな私でもこの世界に来たのだから。きっと、私にしかできないことがあるはずだから。
この永遠の迷路から、ほむほむを救い出したい。彼女を一人にしたくない。彼女と共にいたい。それが、私の願い。
きっと、ずっと。
2011/06/02