カナカナとひぐらしの鳴く声がする。六月ともなれば日も随分と長くなって来て、まだ外は明るい。
家から出て来た沙都子を、沙穂、レナ、魅音の三人は笑顔で迎えた。
「良かったね、沙都子! お祭りに行くの、許してもらえて」
「今日はいっぱいいっぱい遊ぶんだよ、だよ」
「もちろんでしてよ! 昨日部活に参加出来なかった分、皆さんをたじたじにして差し上げますわー!」
うつむき加減だった顔を上げて、沙都子は元気良く言った。まるで、昨日の事など何も無かったかのように。沙穂達には断じて、辛い表情を見せようとしない。あんなに怯えて暴れたぐらいだ。既に、沙都子の心はズタボロだろうに。
やりきれない思いだったが、沙穂一人が暗い顔をする訳にもいかなかった。沙都子が「いつも通り」を望むならば、沙穂達はそれを叶えるだけ。無力な沙穂達に出来る事など、それくらいしかないのだから。
「圭一さんは、どうなさいましたの?」
「そろそろ来るんじゃないか?」
沙穂は圭一の家のある方を振り返る。しかし、沈んだ声が頭上から聞こえた。
「……圭ちゃんは、来ない」
ぽつりと、魅音は言った。
――同じだ、あの時と。
『悟史は、来ない』
きっとその場の誰もが、去年の事を思い出しただろう。あの時も同じだった。ただ違うのは、沙都子の顔に偽物の笑顔さえも無かったと言う点だけ。
悟史は綿流しの祭りに来なかった。その晩、悟史と沙都子の叔母は殺され――そして、悟史は「転校」してしまったのだ。
どんよりと灰色の雲が立ち込める空は、沙穂達の心情を写しているかのようだった。
No.13
言い知れない不安に襲われながらも、それを振り切るようにして沙穂達は古手神社へと向かった。この祭りの後に、何が待っているのかは分からない。――否、何となく分かる気はしていた。きっと悪い事が起こるのだと。今年も、また。それでも今夜だけはそれを忘れるようにして、今夜だけは沙都子も叔父の事を忘れられるように、努めて明るく沙穂達は振舞った。
しかし、境内へと続く階段の前で、沙都子は立ち止まってしまった。
先ほどまでの笑顔は何処へやら、何処か怯えたような無表情で沙都子は呟く。
「私……家に帰りませんと」
「沙都子ちゃん?」
「しなければならない事がたくさんありますの……お風呂を沸かして来ませんでしたわ。お夕飯も、温め直さないと……お部屋のお掃除も……」
「何言ってんのさ、沙都子。今日はいいんだよ。家の事なんて、全部忘れてさ……」
「私、帰らないといけませんわ。私がいないと、叔父は何処に何があるかも分からないんです。きっと、家中を探し回りますわ……!」
「大丈夫だよ。今日はめいっぱい遊んで来ていいって、叔父さんがそう言ったんだから。沙都子ちゃんはいっぱいいっぱい頑張ったから、今日はご褒美なんだよ」
「沙都子、今日は遊んでも怒られないんだ」
「駄目ですの。叔父が家で待っているのに一人だけ遊ぶなんて、悪いですわ」
誰の説得も、沙都子の耳には入っていなかった。ただ「帰らねば」と、それだけを繰り返す。
「沙都子!」
沙穂の呼び止める声も構わず、沙都子は駆けて行ってしまった。階段の下、沙穂達三人は立ち尽くす。
カナカナ……とひぐらしが鳴き始める。夜が来る。綿流しの祭りが始まる。
「……行こう。梨花ちゃんが待ってる」
魅音の言葉で、三人は階段を上って行った。境内に入って少し行くと、ちょうど本殿から巫女服姿の梨花がお年寄り達に囲まれて出て来たところだった。
梨花は沙穂達の姿に目を留めた。沙都子も、圭一もいない。梨花はやはり暗い顔をしたが、残念がると言うよりも何処か既にあきらめているような表情だった。
梨花はお年寄り達に短く何か言って、一人で沙穂達の方へと来る。魅音が、口を開いた。
「ごめん……沙都子、神社の前までは来たんだけど……叔父の世話をしなきゃって、帰っちゃって……。私達も、随分引き止めたんだけど……」
「……」
梨花は黙ってうつむく。沙都子と最も仲が良いのは梨花だ。叔母が殺され、悟史がいなくなり、叔父も雛見沢を出て行っていた間、沙都子と一緒に暮らしていたぐらいだ。今の沙都子の状況が、どんなにつらい事だろう。
「それから、圭ちゃんも……」
「……何言ってるの? 魅ぃちゃん。圭一君なら、来ているじゃない」
魅音も、沙穂も、梨花も、ポカンとレナを見る。レナは微笑み、言った。
「圭一君も、お祭りに来てる。だから、『去年と一緒なんかじゃない』。そうでしょ?」
ハッと沙穂は息を呑む。
去年、悟史も綿流しの祭りに来なかった。その晩、彼らの叔母が殺され、警察は悟史のアリバイを追及した。当然、沙穂達は誰も答えられなかった。
「……そうだね。圭ちゃんは、『ここにいる』」
レナの言わんとするところを察知した魅音がうなずく。
もう二度と、同じ事は繰り返さない。圭一は「転校」させたりしない。今度こそ、仲間を守ってみせる。魅音の表情には、断固たる決意が表れていた。
同意を求めるように視線を向けられ、沙穂もうなずいた。きっと、今夜も誰かが殺される。そして警察は、アリバイの無い人物を追うだろう。誰が殺されるのか、誰が殺すのか、その場の誰もが、何となく予感していた。とは言え、圭一が殺すか殺さないか。そんな事は、どうでも良いのだ。彼にアリバイさえあれば良い。例え罪を犯したのだとしても、沙穂達も彼に協力しよう。
仲間なのだから。圭一はきっと、沙都子を守ろうとする。その気持ちは、沙穂達も同じなのだから。
暗い空気から一転、魅音が声を張り上げた。
「さあ、それじゃあ今年も始めるよ! 綿流し四凶爆闘! ウィズ・新ルール!」
「新ルール?」
「そ。今年のルールは、回った屋台の数を競うの。射的や金魚すくいみたいなのもあるとは言え、メインが食べ物ばかりな屋台じゃ、毎年、沙穂が圧倒的有利だもんね〜」
「む。今年も圧勝だと思ったのに……!」
悔しがる素振りを見せながらも、新ルールの真意が何処にあるのか沙穂は理解していた。
全ては、圭一のアリバイ作りのため。
「回った証拠として、食べ物ならパックなり串なり、ゲームなら景品を取っておく事! もちろん、一番少なかった人には罰ゲーム!」
明るいノリでポンポンと話していた魅音は、ふと声を低くした。
「……万が一の事が起こったら、死体の隠蔽はこっちで手を回す」
万が一の事。四人の間に緊張が走る。
一片の過ちも許されない。嘘がばれれば、圭一の立場をかえって悪くしてしまう。
「……皆、も」
しどろもどろに、沙穂は言った。
「私達四人だけでなくて……皆にも、協力してもらった方がいいんじゃないか? クラスの皆に、私から話す。話を合わせてもらえるよう、頼んでみる……」
魅音は、やや驚いた顔をしていた。沙穂は、人見知りが強い。魅音達のような親しい仲なら気兼ねはしないし、クラスメイトであれば少しは話す事も出来る。それでも、自ら何かを頼むと言う事は沙穂にとって非常にハードルが高い。レナがぽんと、沙穂の肩を優しく叩いた。
「私も手伝うよ、沙穂ちゃん」
「ありがとう、レナ……」
ホッと沙穂は息を吐く。圭一のためならと自ら名乗り挙げたが、やはり誰かが手伝ってくれた方が心強い。
「それならボクは、お年寄りの皆さんに当たってみるのです」
「よーし、決まりだね。それじゃ、ミッション・スタート!」
魅音が掛け声と共に右腕を突き上げた。
「おや? 今日は、皆は一緒じゃないのかい?」
沙穂にそう尋ねたのは、富竹だった。沙穂は一気に二つ口に含んでいたたこ焼きを飲み込み、やや緊張しながら答えた。
「はい。その、今回は、いつもと違うルールで。回った店の数を競ってるんです」
「なるほど、それなら一緒にいなくても不自然ではない。考えましたねぇ〜」
背後からの声に、沙穂の緊張は更に高まる。大石が、そこに立っていた。
「岡藤さん、前原さんが今何処にいるかお教えいただけますかねぇ?」
富竹も二人で話した事はなく緊張するが、大石は更に苦手な人物だった。沙穂や沙穂の仲間達の事を何かと詮索して来て、疑いばかりかける。そして何より、今は圭一の敵とも言えよう。
「……富竹さんとの話を聞いていたのでしょう。今日はバラバラで回るルールだから、今の場所は分かりません。境内の、どこかには、いるはずです」
「本当にいるんですかねぇ〜?」
「……どういう意味だ」
「そのままの意味ですよ、んっふっふ。仮に、あなた達がゲームを始める段階で、前原さんもいたとしましょう。しかし今の居場所が把握できていないのであれば、今も境内にいるという確証はありませんよねぇ?」
「それは……っ」
「前原圭一君なら、ついさっき、射的の屋台でレナちゃんにぬいぐるみをプレゼントしていましたよ」
口を挟んだのは富竹だった。
嘘を吐く後ろめたさも垣間見せることなく、富竹はスラスラと話す。大石はやや腑に落ちない様子ながらも、射的の屋台がある方へと人ごみに消えて行った。
その背を見送り、沙穂はふーっと深い溜息を吐く。
「あ……ありがとうございます、富竹さん」
「困ってるみたいだったからね。あれで良かったかな?」
「はい。助かりました」
その後も大石は、度々沙穂の所に姿を現した。その度に沙穂は、他の所で見たと適当な場所を大石に教えた。それはレナ、魅音、梨花も同様で、祭りの間中、大石はいもしない圭一を追って境内をぐるぐると回っていた。
奉納演舞の時になって、ようやく沙穂はレナ、魅音、詩音と合流した。梨花はもちろん、やぐらの上。奉納演舞の主役だ。沙都子の虐待という気がかりな事があれども、梨花の演技に迷いの類は見られず見事なものだった。これぞ、プロ意識と言うものか。毎年行っている慣れもあるのだろう。
演舞の後には、綿流し。祭りの最後の行事だ。それを終えた所で、再び大石が姿を現した。
「おやおや、今度は皆さんお揃いですねぇ。それでもまだ、前原さんは一緒じゃないんですか?」
――こいつ……!
ここまでしつこいだなんて。いい加減、あきらめて帰れば良いものを。
魅音も、レナさえも、苦い顔をしていた。詩音が、サラリと答えた。
「圭ちゃんなら、公由村長に連れて行かれましたよ。彼の売り口上に惚れたみたいで」
「二人はどちらに? 案内していただけますかねぇ」
「公由さんなら本殿でしょうけど……入る事は出来ないと思いますよ」
魅音が冷たく答える。しかし、大石は引き下がらなかった。
「ええ、構いませんとも」
こう言われては、突っぱねる事も出来ない。一向は、本殿の出入り口へと大石を案内する。案の定、大石が入ろうとすると実行委員の者達に止められた。
「すみません。この先は、関係者以外立ち入り禁止になっていますので」
「警察です。前原さんを探していて、この中にいるとお聞きしたものですから」
「警察だろうと何だろうと、駄目です。どうしてもと仰るなら、捜査令状を持って来てください。神社とは言え、ここは私有地なんですから」
実行委員の者達は断固たる態度だった。少し離れた所で彼らの押し問答を眺めながら、沙穂は魅音を見上げる。
「もしかして、彼らにももう話は通っているのか?」
「もっちろん」
魅音はニヤリと笑う。
大石はあきらめ……たかと思うと、出入り口を塞がぬような位置で立ち止まり腕を組んだ。
「では、ここで前原さんが出て来るのを待たせてもらいますよ」
「うわっ、しつこ!」
魅音のニヤリ笑いはあっと言う間に崩れ、顔をしかめた。
大石は宣言した通り、その場を動こうとはしなかった。このまま、祭りが終わり皆が帰るまで居座るつもりだろうか。途中電話をかけていたから、彼の仲間が他の出入り口も見張っている事だろう。もちろん、圭一が本殿から出て来る事など無い。最後の人が出て来て、もう中に誰もいないとなればこれまでの圭一のアリバイは一気に崩れてしまう。
「詩音のバカ! あんたが、公由のじっちゃんと一緒にいるなんて言うから……!」
「本殿にいるって言ったのは、お姉じゃないですか!」
魅音と詩音はひそひそと言い合う。
「あ、沙穂ちゃんのおじいさん」
レナが声を上げる。沙穂は思わず、身を硬くした。
祖父は辺りをきょろきょろと見回しながら、沙穂達の方まで来た。そして、沙穂に問う。
「おばあさんを見んかったかいね」
沙穂は目をパチクリさせる。そして、フルフルと首を振った。祖父は、レナ、魅音、詩音、梨花にも視線で問うが、彼女達も首を左右に振る。
「いないんですか?」
そう尋ねたのは、魅音だった。
「特に用があると言う訳ではないんだが、見かけないのでね……」
「ボクも、奉納演舞の前に準備を手伝ってもらった以降は会ってないのです」
「そうか……。ところで、梨花ちゃま達はこんな所でどうしたんだい?」
祖父の質問に、梨花は本殿の方を指し示す。大石はまだ、じっと出入り口を見つめていた。
「圭一を待つつもりらしいのですが、圭一は嫌がっているのです。ずっとあそこにいられると、困るのですよ」
梨花の言葉に、祖父は顔をしかめる。大石は、雛見沢の人達によく思われていない。祖父も、例に漏れなかった。
「大石刑事か……今年は、圭一君を追い回しているのかい。まあ、祭りももう終わるんだ。彼も、その内あきらめて帰るじゃろう……」
祖父は、本部のテントの方へと戻って行った。
ぽつりぽつりと、人が帰り始める。大石はまだ、出入口を張っていた。
「大石さん、本当に動かないね……」
「こりゃあ、沙穂のおじいさんが言った通り、大石の根負けに賭けるしかないかな……」
魅音がそう言った時、集会場の方で悲鳴が上がった。何かが落ちる音、そして騒ぎ声が聞こえる。
「何があったんでしょう?」
「さあ……」
人が減り始めても、実行委員の者達はこの後に打ち上げもある。本殿の出入が絶える様子はなかった。集会所前の屋台は片付けを始めているが、本部のテントが畳まれる気配はなかった。沙穂達のいる位置からは段差があって見えないが、恐らくテントや屋台のあった辺りだろう。
何事かと訝っていると、岡村と富田が階段を上がって来た。随分と慌てた様子の二人を、魅音が捕まえる。
「何があったの?」
「うちのおじいちゃんと、沙穂さんの所のおじいちゃんがお酒飲んで喧嘩しちゃって……大石刑事、見ませんでしたか?」
「大石なら、そこに……」
魅音の指差す先を見て、二人は彼に駆け寄る。
喧嘩の勃発。子供に助けを求められて、警察が無視する訳にもいくまい。大石は渋い顔をしながらも、二人に連れられて本殿を離れて行った。
酒の入った老人二人の喧嘩は厄介なもので、治めるのに随分と手間取ってしまった。大石が本殿の方へと戻ってきた時、そこにいるのは古手梨花一人だった。
大石は苦い顔をする。彼女が一人でいるだけで、もう検討はついた。
大石に気付き、梨花が振り返る。そして彼女はにっこりと笑った。
「圭一ならついさっき出て来て、レナと魅音と沙穂と一緒に帰りましたですよ。にぱー」
家に帰った沙穂は、いつものように直接離れへは向かわず本宅にいた。玄関を入って直ぐ、土間の脇に置かれた電話の前に沙穂は立っていた。
「ああ、うん。誰に聞かれてもそう答えるようにして欲しい……。圭一が射的の屋台にいるのを見たと」
最後のクラスメイトへの電話を終え、沙穂は受話器を下ろし息を吐く。
慣れない人達と電話をして頼み事をしたのは、綿流しの準備の手伝いを入れても今日が今までで一番多いだろう。
ガラリと玄関の扉が開き、沙穂はびくりと肩を揺らす。
「電気がついてると思ったら、やっぱりこっちにいたんかい」
「あ……」
富田の祖父との喧嘩。きっとあれは、大石を本殿から引き離すために一役買ってくれたのだ。お礼を言おうと思っていたのに、言葉は喉の奥に張り付いたまま出て来なかった。
「どうしたんね?」
土間に立ち尽くしじっと祖父を見上げている沙穂に、彼は首を傾げる。
「なんでもない……」
沙穂は、ふいと視線を外すと、逃げるように本宅を出て行ってしまった。離れへと入り、電気もつけずに真っ暗な部屋にぺたりと座り込む。
「ありがとう」
たった一言なのに。どうしても、祖父の前では萎縮してしまう。祖父は、沙穂達を手伝ってくれた。あの場に梨花もいたからかも知れないが、圭一を助けてくれた事には変わりない。厳しいけれど、きっと悪い人ではないのだ。
ザーと音がし始めて、沙穂は窓の方に目を向ける。
「雨……」
ずっと怪しい雲行きだったが、ついに降り出したらしい。神社の片付けは終わっただろうかなどと、ぼんやりと沙穂は考える。
大石の追跡は巻いた。クラスメイトへの根回しも終えた。雛見沢の古老達にも、梨花が根回しをしているはずだ。圭一が綿流しにいなかった事など、ばれようはずもない。
例え今夜、北条鉄平が殺されたとしても、圭一に嫌疑が掛かる事はない。園崎によって死体が隠されれば、そもそも死亡自体を警察が知りうる事はない。
「これで……良かったんだよな……」
たった一人しかいない離れの部屋。呟いた問いかけに答える声はない。
ただ、雨の音だけが真っ暗な部屋に響き続けていた。
Back
Next
「
Why they cry…
」
目次へ
2013/06/19