どこまでも広がる暗雲。風は強く吹き荒び、雷鳴が響き渡る。
木々が揺れる。草むらに霧がたちこめる。足元を歩いて行くピエロのような使い魔。横を通り過ぎていく象のような使い魔。
「……こっちに来たみたいだよ、ほむほむ」
声の届く位置に、彼女はいない。
でもきっと、ソウルジェムの輝きやワルプルギスの出現で彼女は気付く。
彼女が辿り着くまでは、一人で相手をしなくてはならない。
逃げることは許されない。もっとも、彼女を一人にしてまで逃げる気などさらさら無いが。
――例え、この戦いで死ぬ運命だとしても。
No.13
見滝原市内全域に非難指示が出され、ここら一帯の住人は皆、市の体育館に集まっていた。一世帯に一枚ずつシートが割り当てられ、毛布が配給される。
魔女や使い魔の姿は例によって一般の人達の目には見えず、ワルプルギスの夜は異常気象として捉えられていた。
まどかが家族の元を離れた。私は壁際を離れ、その後に続く。
「どこに行くつもり、まどか」
階段の手前で、まどかは立ち止まる。
「……加奈ちゃん」
「あんたが戦う必要なんて無いんだよ。この前ほむほむの家に来たとき、会ったでしょ? 魔法少女はほむほむの他にもう一人いる」
「解ってる。でも、心配なの。嫌な予感がしてならないの」
私は駆け寄って、まどかの前で通せんぼする。
「行かせない。まどかは、ここにいて。
約束したの。あんたを外に行かせるわけにはいかない」
「加奈ちゃんは心配じゃないの!?」
「心配に決まってるじゃない!!」
心配無いはずがない。ほむほむが戦っているんだ。明海もどこまで信用できるかわからない。彼女は、私の知る世界にはいなかった存在だから。
だけど、約束した。私にもできること。これさえもできなかったら、私は本当に無力になってしまう。ただ皆に面倒見てもらってばっかりの、お荷物になってしまう。
そんなの、絶対に嫌だから。
「お願い、加奈ちゃん。そこを退いて」
「退かない」
「退いて!」
「退かない!」
ドォンと轟音が響き渡った。ぐらりと地面が大きく揺れる。
「う、わ……」
「加奈ちゃん!」
伸ばされた腕が、空を掴む。
私は咄嗟に、腕で顔を覆った。ぐるぐると世界が回転する。身体中に、強い衝撃。
階段の下でようやく止まって、私はよろよろと起き上がる。――うん、大丈夫。足もくじいてない。手も変についちゃったりしてない。厚着が幸いして、大した怪我も見られない。
まどかが、急いで階段を駆け下りて来た。
「加奈ちゃん、大丈夫!?」
「へーき、へーき。ちょっと手を擦り剥いちゃったぐらいで――」
再び、ドンと大きな衝撃が襲う。
音に振り返ると、窓に叩き付けられた人影がずるずると落ちて行く所だった。
私も、まどかも、言葉を失ってしまう。
木々が風雨に大きく揺れていた、外の風景。その木々は、一本たりとも窓の外に無かった。そこにあるのは、鈍色の空。宙を漂う幾多の瓦礫。
私は駆け出す。まどかも同時に駆け出していた。
まどかと一緒にいなきゃ。まどかを体育館にいさせなきゃ。
そんなのもう、何の意味も成さない。この体育館自体がワルプルギスの夜に巻き込まれているんだ。もう、どこにいたって同じこと。
窓の開く箇所を見つけ、大きく開ける。首を突き出して下を見て、私は目がくらみそうになった。
地面が、あんなにも遠い。
きょろきょろと首を巡らす。少し離れた位置に、その姿はあった。
宙に浮かんだビルの瓦礫の中。横たわった、小豆色のワンピースを着た姿。胸の上に置かれた右手には、携帯電話が握られていた。
「嘘……そんな……」
彼女はぴくりとも動かない。
胡散臭い奴。
掴みどころがなくて、いつも腹に一物抱えてそうな笑顔を浮かべていて。
決して、最後まで心から信用することは無かった。ほむほむも、私が見ていた限りでは同じ。戦いの前、私が体育館へ向かう直前も、やはりほむほむは彼女に素っ気無い態度だった。
彼女と親しかったわけではない。信頼していたわけでもない。
でも――この感情は、何だろう。杏子を失った時とはまた違う。同じ想いを持った同士だったから、なのかな。
『私はほむらを一人にしたくなかった。孤独な戦いに、終止符を打ちたい。ただ、それだけ』
そう言っていた彼女。
――ほむほむは、一人になった。
私は踵を返す。まどかを止めなきゃ。彼女はきっと、戦おうとする。魔法少女になろうとする。
そんなの絶対にダメ。
まどかが魔法少女になる限り、ほむほむは何度でも時間を繰り返す。出口の見えない迷路を、いつまでも一人で歩き続ける。
ほむほむを一人にしたくない。
孤独な戦いに終止符を打ちたい。
体育館の扉を押し開く。そこにあるのは、変わり果てた見滝原の姿だった。
笑い声と爆発音がして、そちらを仰ぎ見る。ワルプルギスの夜の攻撃を逃れ、ほむほむが一人宙を飛んでいた。続けざまの攻撃をかわし、炎を円盤で受け止める。紫色の光は、魔法によるものだろうか。
「ひどい……!」
声がして、私はそちらを振り返った。
――いた。
少し先で、まどかとQBが戦いを仰ぎ見ている。
「仕方ないよ。彼女一人では、荷が重すぎた」
「そんな! あんまりだよ! こんなのって無いよ!」
「まどか、ダメ!」
私はそちらへ駆け寄る。辿り着く前に、再び大きな轟音。
仰ぎ見れば、ほむほむの姿が無い。紅い光線がビルへと叩きつけられていた。
「ほむほむ!!」
今しがた見た、戦いに敗れた魔法少女の姿が脳裏に浮かぶ。ぞわりと、身の毛がよだつようだった。
ほむほむが、まさか、そんな。
赤い光線が、目の前に落ちた。間一髪それは私たちを逸れたが、私とまどか達とを分断する。
「待って……ダメ!」
周りの轟音とキャラキャラと言う笑い声が酷くて、QBの声なんて聞こえない。まどかは真っ直ぐに、QBを見つめている。
ダメ。契約してはダメ。
乗っている瓦礫がそれぞれに浮遊して、彼女達の姿は遠ざかって行く。
「やめて……! あんたはダメ! まどかはダメなのぉ!!
魔法少女なんて、私がなるから……だから、契約しちゃダメ――――!!」
声は届かない。
桃色の光が、彼女達を包み込んだ。
――止められなかった。
ただ一つ、私に任された役割。まどかの契約を、阻止すること。それは、ほむほむの願いに直結するものでもあった。
まどかが弓を引く。放たれた矢は、真っ直ぐにワルプルギスの夜を貫いた。
装飾が弾けて、ネジのような部品が外れて、宙で回る大きな姿は崩壊して行く。まどかが放ったのは、たったの一撃。
同じ。十話の、あの展開と。ほむほむはまた、繰り返すんだ。
私は、呆然と見つめていることしかできなかった。
全てが水没し、誰も、何も無くなってしまった。空には雲が渦巻いている。その中心は、大きな黒い影。その影は今も、次々と瓦礫を吸い込んで行っている。
ほむほむは膝を突き、深く項垂れていた。
「ごめん……ほむほむ……私、止められなかった……」
「あなたを責める気は無いわ……」
ほむほむは力無く言う。
意気消沈した後姿。絶望するその姿があまりにも痛々しくて、寂しくて。
「本当にものすごかったねぇ、変身したまどかは」
私たちに背を向け、まどかだったモノを見上げてQBが言う。
「彼女なら最強の魔法少女になるだろうと予測していたけれど、まさかあのワルプルギスの夜を一撃で倒すとはね」
「その結果どうなるかも……見越した上だったの?」
「遅かれ早かれ、結末は一緒だよ。彼女は最強の魔法少女として、最大の敵を倒してしまったんだ。もちろん後は、最悪の魔女になるしかない。今のまどかなら、恐らく十日かそこいらでこの星を壊滅させてしまうんじゃないかな。
ま、後は君たち人類の問題だ。僕らのエネルギー回収ノルマは、概ね達成できたしね。
良かったじゃないか、加奈。君は、魔法少女にならずに済んだよ」
……こいつ。
「佐倉杏子が脱落した後に別の子が現れたときにはどうなることかと思ったけど、彼女でも駄目だった。彼女は戦いの最中、命を落とした。君たちのいる、体育館を守るためにね。結局彼女は何を願って、どんな能力を持っているのか分からずじまいだった」
……QBは、知らなかったんだ。
彼女が持つのは、人をトリップさせる能力。そう、説明を受けた。その能力で、私をトリップさせたのだと。私には潜在能力があるって、分かっていたから。
彼女の願いも知っている。その願いは、今の私と同じ。
ハッと私は目を見開く。
――そう。私と、同じ。
ほむほむはふらりと立ち上がる。そして、まどかに背を向けた。
QBは驚いたように、あるいはきょとんとするかのように問いかける。
「戦わないのかい?」
「いいえ。――私の戦場は、ここじゃない」
QBが息を呑むのが分かった。
「暁美ほむら……やっぱり、君は――」
QBが皆まで言う前に、ほむほむの姿はその場から掻き消えていた。妙な感覚――時空が歪んでいるんだ。
ほむほむは、一人で行ってしまった。
「時空遡行者、暁美ほむら――彼女は、数々の時間を渡り歩いて来たんだ。鹿目まどかのためだけに、次の戦いへ旅立って行った」
「……知ってる」
そんなの、アニメを見て知っていること。今更、QBなんかに説明されるまでも無い。
「ねえ、キュゥべえ。あんた、私にも魔法少女になる素質があるって言ったよね」
「うん。まどかは魔女になってしまった。ほむらはもうこの時間軸にいない。あと戦えるのは、君だけだ。君がそれを願うのならね」
ずっと、何もできなかった。
ずっと、私は無力だった。
全て知っているのに、この先に何が起こるかを知っているのに、防げなくて。いつも、ただ喚いてばかりで。泣いてばかりで。
でも、私は解ってしまった。
「私、魔法少女になる。キュゥべえ、私、あんたと契約する」
「その願いは、魂を差し出すに足るものかい?」
私は力強くうなずく。
「私、ほむほむを救いたい。共にいたい。彼女を孤独な戦いから、救い出したい。
……っ、う……ぐ……」
痛みと息苦しさに、思わず胸を掴んでもだえて。眩い光が辺りを包む。
「君は――そのソウルジェムは――」
痛みが消えて、私は小豆色のソウルジェムを両手で受け取る。ニッと笑って、私は自分とその世界との繋がりを断ち切った。
世界が歪む。色が交じり合う。ほむほむの時間遡行に出遅れた。急がなきゃいけない。歪みが直るまで、時間が無い。
私、魔法少女になるしかなかったんだ。これは、決められた運命だったんだ。
そしていずれ、死なねばならない事も。
2011/06/04