じっとりとした暑さに、弥生はだれていた。カーテンを閉めれば風が通らず暑い。しかし開けていれば陽射しが部屋を熱し続ける。
 授業が無ければ、登校前に朝食、昼休みに昼食、帰宅後に夕食と言う食事のリズムも完全に崩れてしまっていた。たまに腹が減ったら、そうめんなり豆腐なりを口にする。冷房も扇風機も無く、買えそうなほどの金も無い。暑い時間帯の活動を避け夕方に起き出すようになったのも、生活リズムの乱れの要因かも知れない。
「……暇……」
 声に出して呟く。宿題は七月中に終わらせてしまった。本を読むのも、こう毎日だと流石に飽きる。テレビなんて持っていない。あまり携帯電話を使い過ぎれば料金が怖い。
 新学期が始まるまで、後一ヶ月もある。こんな毎日が、後一ヶ月も続くと言うのか。
 思えば、並盛町へ戻って来る前も似たようなものだった。親戚がいるから寝食こそまともに取っていたものの、宿題をやって、テレビを見て、町をふらついては不良の群れを叩き潰して、毎日同じ事の繰り返しだった。喧嘩を吹っ掛けて来る奴らも、誰も彼も皆弱くて。張り合いの無い毎日。
 早く新学期になれば良いのに。
 ――お兄ちゃんにも、会ってないなあ……。
 雲雀の事だ。休暇中でも、学校にいそうな気がする。しかし、授業の無い学校に行く口実が無い。綱吉や山本のような補習常連組ならば休暇中も登校日があったかも知れないが、獄寺に張り合い学年二位の成績を収めるようになった弥生では、当然その必要も無い。
 夕暮れを告げる曲が町に流れる。弥生は身を起こし、ベランダに出た。洗濯物を取り込み畳んでいると、玄関のインターホンが鳴った。
 弥生は目を瞬く。わざわざ弥生の家を訪ねて来る友達なんていない。
 再度インターホンが鳴る。弥生は洗濯物を畳む手を止め、玄関へと向かった。
 扉を開いた先に立っていたのは、学ランに身を包んだリーゼント頭の大柄な男。
「……何」
「委員長が、弥生さんを迎えに行くようにと」
「お兄ちゃんが?」
「ええ。――今日は、お祭りの日ですから」





No.14





 まず初めに草壁に連れて行かれたのは、懐かしい場所だった。門前に立ち、弥生は目の前の家屋を見上げる。
 表札には、『雲雀』の文字。
「……なんで」
「弥生さんの浴衣を準備してらしているそうです」
「私の浴衣、もう小さくなってると思うけど」
「もちろん、新しい浴衣ですよ。随分と悩んでおいででしたよ。弥生さんがどのような柄をお気に召すか。私にもお尋ねになったのですが、何分私もそう言った物には疎くて……通りかかった他校の女子生徒を捕まえて、やっとお決めになられたんです」
「お兄ちゃんが」
「はい」
 雲雀がそこまでして選んでくれた浴衣。これが嬉しくないはずが無い。
 そわそわと家に入る。扉を開けるなり、そこには贔屓にしている呉服屋のご主人の妻が待ち構えていた。彼女も、店の従業員だ。何度彼女に着付けてもらった事か。
「お久しぶりです、弥生さん。随分とお綺麗になって」
 弥生はぺこりと慌てて頭を下げる。にこにこと笑う彼女に誘われ、奥の部屋へと向かった。
 畳の上に置かれた木製の台。そこに垂らすようにして、畳んだ浴衣が掛けられていた。紺地に、流れる川のような薄青色の曲線。裾の方に描かれた金魚が可愛らしい。
 弥生はやや尻込みする。こう言う可愛い浴衣は京子やハルのような女の子が着るものだ。四年前ならいざ知らず、兄と間違えられるような男顔の弥生に果たして似合うだろうか。
 ――でも、お兄ちゃんが選んだ浴衣。
 弥生が断る筈が無かった。
 数年ぶりの浴衣を着て、弥生は家を出る。草壁に連れられ、向かうは並盛神社。弥生はぽつりと呟く。
「懐かしいな……」
「お越しになった事がございますか」
「うん。小さい頃、お兄ちゃんと一緒に。今も花火ってあるの」
「ええ、ありますよ。恐らくその頃には、委員長も手が空く事でしょう」
「……え?」
 境内へと鳥居を潜った所で、弥生は立ち止まった。立ち並ぶ屋台の数々。町中から集まった人の群れ。
 一泊遅れて草壁も立ち止まり、振り返る。彼は、申し訳無さそうに言った。
「委員長は忙しく、弥生さんと回る事が出来ないんです」
 弥生はくるりと背を向ける。
「帰る」
 短く、一言。雲雀と会えないのならば、こんな所にいる意味も無い。
 草壁は慌てて弥生の正面に回りこんだ。
「お待ちください、弥生さん! 恐らく、花火の頃には会えると思いますから……!
 委員長のお計らいで、財布まで預かっているんです。このまま帰す訳にはいきません」
 弥生はムスッと草壁を見上げる。
「本当に? 絶対会えるって言える?」
 一時の間の後、草壁は答えた。
「……恐らく」
「確信無いんだね」
「……」
 弥生はふいと背を向け、屋台の方へと向き直る。
「いいよ。付き合ってあげる。ここで私が帰ったら、草壁が咬み殺されるんだろうしね」
「ありがとうございます」
 草壁は安堵の息を吐く。それから、屋台の方へと歩を進めた。
「それでは――綿菓子は、お召し上がりになりますか?」

 綿菓子、焼きそば、りんご飴――たこ焼きを買おうとする草壁を、弥生は止める。
「要らないよ。さっき焼きそば食べたばかりだし、飴まだ終わってない」
「左様ですか」
 前を歩く人々は、振り返っては散って行く。立ち並ぶ屋台。盆踊り独特の耳につきやすい音楽。吊るされたぼんぼりに、明かりが灯り始める。
 食べ終えたりんご飴の棒をゴミ箱に投げ込み、弥生は境内に目を走らせる。何処を見ても人ごみばかり。雲雀の姿なんて見つかりそうもない。
「お兄ちゃんって、私の事避けてるよね」
「……突然どうしましたか、弥生さん?」
「あなただって気付いてるんじゃないの。お兄ちゃん、あまり私と一緒にいないようにしてる」
「委員長は、誰とでも連れ添おうとはなさりません」
「それは……そうだけど」
 弥生は口を噤む。
 群れるのが嫌いだから、誰とも共に行動しようとはしない。しかし、雲雀からの連絡は殆ど草壁を介して行われる。それは、避けていると言う事にはならないだろうか。
「あれ!? 若しかして、弥生ちゃんかい!?」
 突然名前を呼ばれ、弥生は辺りを見回す。
 人ごみに囲まれた屋台で、一人の男性が大きく手を振っていた。弥生はきょとんと彼を見る。
「お知り合いですか?」
「知らない」
 弥生の返答を聞いて、草壁は弥生の代わりに前に出る。
「弥生さんに何の用だ」
 厳つい顔の草壁に怯む様子も無く、彼は必死に訴えかけた。余程切羽詰っているらしい。
「小さい頃お兄ちゃんに手を引かれて、よくうちの射的やりに来てただろ? 助けてくれ! 店の景品が全部持って行かれそうなんだ!!」
「強盗か」
「いや、そうじゃなく……」
 ワッと歓声が上がる。放たれた銃弾。銃弾と言えども、コルク栓で作られた軽い素材の物だ。にも関わらず、弾は一つ目の景品を倒した勢いのまま跳ね返って隣の景品、また跳ね返ってその下の段の景品をこちら側に落とす。野次馬達の歓声、店主の悲鳴。
 弥生は、人ごみの中心で銃を手にしている人物に目を留める。彼の方も、こちらを振り返った。
「ちゃおッス。久しぶりだな」
「あなたは……!」
 草壁も気付き、声を上げる。
 射的屋の店主は、弥生の方へと迫った。弥生は咄嗟に後ずさり、距離を取る。
「頼むよ、弥生ちゃん! 射的得意だっただろう!? こっちは客だから、追い払うなんて到底出来ない。何とか彼に勝つとか何とかで店から遠ざけて欲しいんだ……!」
「無理」
「へ?」
 あまりにも即答された言葉に、店主は間の抜けた声を上げる。
 弥生はリボーンに目をやった。
「こんな近い距離でただ弾を当てるだけなら、外す事は無いだろうけど。でも、彼みたいな常識外れの腕なんて持ってないよ」
「随分あっさりと諦めるんだな」
 そう言ったのは、リボーンだった。
「相手との実力差ぐらい判る。喧嘩なら兎も角、的を狙うだけの勝負なんて盛り上がらないしね。
 それに、お兄ちゃんの方があなたと戦いたがってる。私が先に戦って恨まれたりしたくない」
 リボーンは草壁へと視線を移す。
「お前は風紀委員の仕事に戻っていいぞ」
「いや、しかし……」
「雲雀には俺から話しとくから心配すんな」
「……では。失礼します、弥生さん。境内にはいますので、何かございましたらご連絡を」
 草壁は何か察したようにリボーンに頷き、その場を去った。
 リボーンはぴょこんと、屋台の台から降りる。弥生を見上げる、大きな瞳。
「お前は相変わらず雲雀基準なんだな」
「悪い?」
 リボーンは答えなかった。代わりに、妙な笑みを浮かべる。
「それじゃ、弥生は銃を使えるんだな」
「銃って……本物は持った事ないけど」
「大丈夫だ。いっつも重い鉄パイプを振るってるんだ。反動に耐えられるだけの腕力は備わってる筈だぞ」
 弥生はきょとんとするばかりだ。
 リボーンは構わず、射的屋の店主を見上げる。
「じゃあな。今日はこれくらいにしてやるぞ。景品はここに宅配にしてくれ。着払いで構わない」
 一枚の紙を渡して、リボーンは人ごみの中へと去って行った。恐らく、支払いの名前は綱吉になっているのだろう。自分のいない場で出費の増えているクラスメイトを憐れみながら、弥生はその場を後にした。

 遂に一人で回る事になってしまった。花火までまだ、時間がある。
 境内はいよいよ夕闇に包まれ、空も西の方を残してコバルトブルーに染まる。
 弥生はふと、屋台の一つに目を留めた。ビニル製の子供向けプールに浮かべられた、赤や紫の玉。それぞれに、油性マジックで模様が描かれている。
 ――水風船……小さい頃、お兄ちゃんによく取ってもらったっけ……。
 気が付くと弥生は、屋台の前へと歩み寄っていた。
「おっ。どうだい、嬢ちゃん。やってみるかい?」
 こくんと頷き、弥生は小銭を差し出す。引き換えに針金の付いたこやりを受け取る。
 プールの横にしゃがみ込み、手前にある風船の輪ゴムへとこやりを垂らす。針金は容易に輪ゴムへ引っかかった。さっと引き上げる。水風船の重さに負け、こやりはぷつんと切れた。
 背後でプッと笑い声がした。
 弥生は声のした方をキッと振り返る。そして、顔を顰めた。
 リボーンがいたのだから、いるだろうとは思っていた。しかし、よりによってこいつに会うだなんて。
「人の事笑うなら、君、やってみなよ」
「十代目をお待たせしてんだ。てめーになんか構ってられるか」
 言って、獄寺は立ち去ろうとする。その背中に、弥生は言葉を投げ掛けた。
「ふうん……本当は出来ないんでしょ」
「んだと!?」
 獄寺は足を止め、振り返る。弥生は挑発的な笑みを浮かべる。
「逃げるならどうぞ。情けない姿晒したくないだろうしね」
「上等だ! どうせ直ぐに釣って終わるからな!」
 獄寺は肩を怒らせて戻ってくると、屋台の店主に小銭を叩き付けた。
 こやりを引っ手繰るように受け取り、慎重に垂らす。
「針金と風船の重量の総和……支点から風船の先への距離が約15センチ……最善の角度は……」
 ぶつぶつと言いながら、輪ゴムに針金引っ掛ける。ゆっくりと引き上げる。
 水にふやけたこやりは、あっさりと破れ散った。
 弥生は思わず笑みを漏らす。
「やっぱり下手くそなんじゃない」
「うるせえ! 今のはちょっとミスっただけだ。計算は間違ってないはず……」
 獄寺は更に金を払い、再挑戦する。弥生も金を払った。
「君が釣れるのを待ってたら明日になる」
「ふざけんな。絶対俺の方が先に釣ってやる!」
 二人は並んで、ビニルプープの傍らにしゃがむ。先ほどは重みにこやりが耐え切れなかった。小さめの風船を狙えば、あるいは釣れるかも知れない。
 獄寺は相変わらず、重量だの耐性だのと呟いている。
 風船を救い上げる。僅かに掛かる重み。そして、やはりこやりは切れた。隣で、獄寺も釣りかけた風船をこやりの下半分と共に水に落とす。
「クソッ」
 獄寺は舌打ちし、次に挑む。弥生もムスッとして次のこやりを水に垂らす。
 恐らく、どの風船も水の量は同じ。ならば、一点に重みが集中する小さな風船を選ぶよりも、大きく膨らまされた表面積の広い風船を選んだ方が取りやすいかも知れない。紫の水風船に狙いを定め、輪ゴムに針を引っ掛ける。急いで上げたりせずに、慎重に風船を持ち上げる。今度は、こやりが切れる事も無く水風船を釣り上げられた。
 得意気に隣を見ると、獄寺も赤い水風船を釣り上げた所だった。
 獄寺は一瞬得意気な表情を見せたが、弥生も釣り上げているのを見て不機嫌そうな顔つきになる。
「私の方が早かった」
「関係ねーよ。つーかお前のはマグレじゃねぇのか?」
「君こそマグレじゃないの」
 証拠を見せようと、再度二人とも挑戦する。釣れる水風船。三回目ともなれば、こやりは水に千切れる。再度金を払って、二人は次の水風船を釣りにかかる。いつの間にか、釣れた個数の競い合いになっていた。
「私の方が多いね」
「てめーの方が何回も失敗もしてるだろ。俺の方が払った金少ないんだから当然だ」
「言い訳? 君がただ遅いだけでしょ」
「てめーこそ、何も考えずバカスカ釣ってるだけだろ」
「待てーっ」
 ふと聞こえた声に、二人は顔を上げる。やや迫力に欠ける、聞きなれた声。
 きょろきょろと辺りを見回し、先に見つけたのは獄寺だった。
「十代目」
 言うなり、彼は駆け出す。彼が置いて行った水風船も抱えて、弥生も後を追って駆け出した。
 人ごみの間を駆け抜ける。やがて、屋台の向こうに長い階段が見えて来た。その上方を駆け上がり、鳥居に消える綱吉の姿。
 階段の下で、獄寺に追い付く。反対方向から、山本も駆け寄って来ていた。
「おーい、獄寺!」
 階段下に追いつき、山本は弥生に目を向ける。
「弥生も一緒だったんだな。ツナが誰か追ってたの、お前らも見たか?」
「ああ。帽子かぶった奴、俺らの屋台の金庫持ってやがった」
 先頭は引っ手繰りと言う事か。しかし、階段の先は本殿があるのみ。
「沢田、はめられたのかもね」
 山本がきょとんとする。
「逃げるどころか人気の無い所に十代目を誘い込んだって事は、仲間か何かいるのかもって事だろ」
「ああ、なるほどな」
 獄寺は階段上を仰ぎ見る。
「ま。十代目がそう簡単にやられるはず無いけどな。――俺達も行くぜ!」
「おう!」
 威勢良く返事するのは、山本のみ。弥生は既に、階段を駆け上がっていた。
「あっ、てめっ! ホント、協調性ねーな!」
「ははっ。上まで競走か」
 山本は軽やかに石段を駆け上がり、弥生を抜き去って行く。ムキになってその後を追う獄寺。弥生も抜かれまいと、速度を上げる。
 やがて、階段を上り切った所に人の群れが見えて来た。弥生達より遥かに年上と見られる人々。それに対峙する綱吉と、もう一人。学ランを肩に羽織り、トンファーを握る姿。獄寺のダイナマイトが、間にいる男達を吹き飛ばす。
 爆風を突っ切り、弥生達は綱吉と雲雀の前に姿を現した。
「お兄ちゃん!」
「十代目!!」
「助っ人とーじょーっ」
 敵の頭は既に手負い。顔に湿布を張っている。とは言え、動く分には問題無さそうだ。
「気にくわねーガキどもがゾロゾロと……!」
「雲雀兄妹と初の共闘だな」
 言ったのは、何処からか現れたリボーン。
 群がる大量の獲物に笑みを浮かべながら、雲雀は言う。
「冗談じゃない。引っ手繰った金は僕が貰う」
「なぁ?」
「やらん!」
「当然っス」
 獄寺がダイナマイトを手に、輪の中へ突っ込んで行く。同じく飛び込んで行く山本。弥生は浴衣の裾をたくし上げて太腿の脇で結ぶと、鉄パイプを振るった。
 頭を殴りつけ、正面の敵を倒す。振り向き様に、背後に迫った敵。殴りながらも、視線は再び背後へ。空いてる方の手で、水風船を投げつける。怯んだ直後、一人を倒し終えた鉄パイプをそちらへ持ってくる。薙ぎ払われる男達。横から鉄パイプが襲い掛かってくる。鉄パイプで受けようとしたが、その前に敵はトンファーに殴り倒された。言葉を交わす間などなく、雲雀は次の敵を咬み殺しに行く。弥生も鉄パイプを握り締め、次へと掛かった。

 やがて、綱吉に喧嘩を仕掛けた男達は一人残らず敗走して行った。今は、綱吉、獄寺、山本の三人が雲雀一人を相手にしている。目的は、取り返した金の行方。
「弥生は参加しなくていいのか?」
 気付けば、リボーンが足元に立っていた。弥生はけろりと返す。
「お兄ちゃんが負けるはず無い。それに、獲物を奪う事もしたくないからね」
「……お前、もっと自分に素直になった方がいいんじゃねーか?」
 一陣の風が吹き抜ける。弥生は横目で、彼を見下ろした。彼の表情はひょっとこのお面に隠れ、上からでは見て取る事が出来ない。
「何の話」
「弥生」
 声を掛けられ、視線を上げる。雲雀が戦闘を止め、こちらへ歩いて来た。弥生の手を取ると、林の方へと歩を進める。本殿の横まで回り込み綱吉達の姿が見えなくなって、雲雀は立ち止まった。弥生はきょとんと雲雀を見る。
「着崩れ、直さないと」
「……あ、うん」
 弥生は慌てて、結んでいた裾を解く。新品の浴衣は皺くちゃになってしまっていた。
「ごめん。せっかく買ってくれたのに……」
「いいよ」
 短く言って、雲雀は弥生の帯を解き着崩れを直す。
「こっち側、持って」
 言われて、左の裾を持つ。
 右の裾を整え終えた雲雀に左を渡しながら、弥生は言った。
「昔も、こうやってよく着崩れ直してもらったよね」
「よく着崩してたからね。もう中学生になったんだから、そろそろ自分で着られるようにならないと」
「……うん」
 お兄ちゃんに着付けしてもらえるなら、自分で着られなくても良いかも知れない。
 喉に出掛かった言葉を飲み込み、弥生は頷く。
「袂、上げて」
 弥生は袂を両腕に巻きつけるようにする。帯を巻きながら、雲雀はやや厳しい口調で言った。
「さっきの喧嘩、動き悪かった」
『君、強いでしょ』
 やはり、あれは昔の雲雀だから。今の雲雀には、到底及ばない。弱いと思われている。
 雲雀は重ねて尋ねる。
「朝ご飯、何食べた?」
 弥生は目をパチクリさせる。予想だにしない質問に戸惑いながら、返答した。
「えっと……冷奴」
「昼は?」
「一緒……」
「同じ物を食べたって事? 朝昼同時って事?」
「後の方」
「昨日は」
「えっと……夜なら、そうめんを」
「朝や昼は?」
「……」
 昨日は洗濯物を干した後、直ぐ寝てしまった。起きたのは夕方。当然、朝も昼も食べていない。
 雲雀は大きく溜息を吐く。
「やっぱり。そんな所だろうと思った。最近、商店街での爆発報告が無いからね。学期中は、休日のお昼や夕方によくあったのに」
「……ごめんなさい」
 爆発物を投げているのは弥生の方ではないが、原因の一端には変わりない。
「学校が休みでも、生活リズムは崩したら駄目だよ」
「え……あ、うん」
「暑くて食欲が無いからって食べないでいると、体調も崩しかねない」
 もしかして、と弥生は思う。弥生がまともに食べない生活を送っているのを推察して、雲雀は夏祭りに弥生を来させたのだろうか。思えば、草壁は食べ物ばかり選定していた気がする。
「じゃあね」
 帯を巻き終えたらしい。雲雀はふいと弥生の横をすり抜けて行く。呼び止める間も無く、雲雀は闇の中に去って行った。
 ――花火、一緒に見たかったのに。
 しょぼくれながら本殿の正面側へと戻ると、明るい声が弥生を呼ばわった。
「はひ! 弥生ちゃんです!」
「久しぶりだね〜っ」
 弥生は顔を上げる。綱吉達と話していた京子とハルが、こちら側に手を振っていた。ランボとイーピンも加わっている。彼らは階段の降り口で話していた。どうあっても避けられない。弥生は仕方無しに、そちらへ歩いて行く。
 街灯の下に完全に入って、ハルが声を上げた。
「あ、その浴衣! それじゃやっぱり、あの人は弥生ちゃんのお兄さんだったんですね!」
「え……じゃあ、浴衣選びに協力してもらった他校の女子って、三浦さん?」
「ハルでいいって言ってるじゃないですかーっ」
 ハルはプッと軽く頬を膨らまし、それから頷いた。
「弥生ちゃんによく似た方でしたから、若しかしてとは思ってたんです。一緒にいた大きい人の話では、妹さんと顔が似てるとの事ですし。
 浴衣、よく似合ってますよ! ハルの目に狂いはありませんでした!」
「ハルちゃん、センスいいね! 弥生ちゃんによく似合ってるもん」
「あ……ありがとう……」
 どうにも慣れなくて、弥生は俯き加減になる。
「馬子にも衣装って奴だな」
 いつも、余計な事を言うのは獄寺だ。弥生はキッと彼を睨む。ハルの方が早かった。
「もう! どうして獄寺さん、そういう事言うんですか!?」
 ドンと階段の向こう、上空で低い音がした。ふっと弥生達はそちらを振り返る。紺青色の空に尾を引くようにして光が上がり、音と共に花開く。ババババ……と続け様に上がる色とりどりの花火。
「ここは花火の隠れスポットなんだ」
 リボーンが言った。
 階段の脇の草むらに腰掛ける綱吉達。京子が弥生の腕を引く。
「弥生ちゃんも一緒に見よっ」
 明るい笑顔に負けて、弥生は京子らと共に草むらに腰掛ける。
 空に花開く花火。笑い声に囲まれて、弥生はそれを見上げる。そして、思わず笑みを零した。


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2011/10/15