翌朝、朝食をとりに向かった本宅にいたのは、祖父一人だった。
「おはよう、沙穂。おばあさんは見んかったかいね」
台所を漁っていた祖父は、戸口に立つ沙穂に気付くと少し振り返って尋ねた。沙穂は、首を左右に振る。
「ううん、知らない……帰ってないの?」
「祭りに着て行った浴衣もありゃあせん。酔いつぶれでもして、誰か連れ帰ってくれたんかな……おお、あったあった」
祖父は、棚の中から食パンの袋を取り出す。一枚抜き取ると、残りを沙穂に渡した。
「すまんが、今日の朝飯と弁当はこれで勘弁しとくれ。米も炊かんとお釜がからじゃ」
沙穂はこくりとうなずくと、朝食も食べず家を出た。
今はとにかく、沙都子と圭一が気掛かりだった。靴を履きながら、小走りに石畳を渡り、道路に出る。坂を下った所で、後ろから駆けて来た魅音と合流した。魅音も二人の事が心配で、急いで出て来たのだろう。
レナも、いつもよりずっと早い時間にも関わらず、すでに待ち合わせ場所にいた。圭一の姿は無い。
いくら待てども、圭一は来なかった。一人で下校し、綿流しにも来なかった圭一。もしかしたら、先に一人で登校したのかもしれない。そう判断し、三人は学校へと向かった。
登校中、会話はなかった。ただただ二人が心配で、学校へと走る。上履きに履き替える時間も惜しく、つま先に突っかけたまま、沙穂は教室の扉を勢いよく開いた。
「沙都子! 圭一!」
「おはようございますですわ、沙穂さん。大きな声を出して、まるで圭一さんみたいでしてよ!」
笑顔で迎える沙都子に、ホッと沙穂は胸を撫で下ろす。疲れは垣間見えるが、それでも、学校には来た。今はそれだけで十分だ。
「圭一は……」
沙穂は、教室内を見回す。
「みぃ……圭一は、来ていないのですよ……」
沙穂、レナ、魅音は、その場に立ち尽くす。
始業のベルが鳴り、授業が始まっても、圭一が教室に現れる事はなかった。
No.6
「やっと昼休みだーっ! もう、お腹ぺこぺこ!」
「あれ? 沙穂ちゃん、今日は重箱じゃないんだ」
「ああ、うん。おばあちゃんがいなくて……昨日から帰ってないみたいなんだ。魅音、何か知らないか?」
食パンの袋を開けながら、沙穂は魅音を見上げる。魅音は首を捻った。
「うーん……知らないなあ。そういや、宴会の席でも見かけなかったな……他の着付け係の人達は参加してたのに。梨花ちゃんは何か知らない? お祭りの後、着替える時も係りの人に手伝ってもらったでしょ?」
魅音は、梨花へと話を振る。
「……お祭りの後には、もういなかったのですよ」
梨花の表情は暗かった。沙穂はきょとんと首を傾げる。
「梨花……?」
「それじゃ、いつも以上に沙穂ちゃんが強敵になるんだね、だね! 負けないもんね!」
レナが、明るい声で話す。
「食パン五枚じゃ、沙穂には足りないだろうからねぇ。おじさんも負けないよ!」
「沙穂ちゃん、お箸使う?」
「ああ。ありがとう、レナ。――あれ? 沙都子も、いつもよりお弁当少ないんだな」
レナから割り箸を受け取りながら、沙穂は沙都子の前に置かれた弁当を見て何の気なしに言った。弁当箱の中には、ノリの巻かれた丸いおにぎりが二つ。おかずは無かった。
「お弁当を作る時間がなくて……叔父のご飯の支度をしなければなりませんでしたから……」
「え……?」
その場の空気が凍る。
叔父の食事。沙都子は、そう言った。しかし、北条鉄平は昨日、圭一が――
「えっと……沙都子。叔父さんは、今、家に……?」
「ええ……お友達と麻雀をするとおっしゃってましたわ……。だから、お酒とおつまみの用意をして来ましたの……」
沙都子は笑顔を浮かべようとするが、その顔に力はなく、擦り切れた人形のようだった。
「どう言う事だ……!? 北条鉄平は、殺されたんじゃないのか!? 魅音、死体はそっちで始末したんだよな!?」
教室を離れ、人気のない廊下で、沙穂は魅音に詰め寄っていた。
「沙穂、声が大きいよ」
「どうなんだ!? 答えてくれ! 死体は確かに、叔父だったんだよな?」
魅音は視線を落とす。そして、静かに告げた。
「……死体は、無かった」
「な……!? それじゃあ、奴は生きて――」
「でも、掘った後は二ヶ所あったんだ。だから、殺して埋めたのは確かだと思う。片方は空だったけれど、もう片方は土を埋め直していて、雨に流れたとは言え、僅かに血痕も残ってたって。そっちの穴に死体が埋められていたのは、間違いない。近くの林で、使われていないシャベルも見つかった。……たぶん、いったん穴を掘ったけど、場所が分からなくなったんじゃないかって……」
「何の場所が分からなくなったんですかぁ?」
沙穂と魅音は息をのみ、振り返る。大石が、廊下をこちらへと歩いて来ていた。
魅音は、キッと彼を睨み据える。
「不法侵入ですよ。学校に許可は取ったんですか」
「来賓受付を行おうにも、誰もいなかったのでねぇ。先生方を探していたところなんですよ、んっふっふ」
嘘だ。元々、許可を取るなんて面倒な事をする気はなかったに違いない。
不意打ちで、聞き込みをするために来たのだ。
「でも、ちょうど良かった。お二人にも、お話を聞きたいと思っていたんですよぉ。――昨晩の、前原圭一さんのアリバイについてね」
――そら、来た!
沙穂はギリ……と奥歯を噛みしめ、大石を睨めつける。
「圭ちゃんなら、私達と一緒にお祭りに行ってました。大石さんが来た時には、ちょうど別行動をしていましたけど……。昨日も、そう言いましたよね?」
魅音が堂々と偽証する。
その時、少し先の教室の扉が開き、生徒が二人出て来た。大石は、その子達を呼び止める。
「あなた達、昨日、お祭りには行きましたか?」
「行ったけど……」
下級生の子供たちは顔を見合わせ、恐々と答える。大石は、にんまりと笑った。
「昨日、前原圭一さんとは会いましたか?」
沙穂は息を詰め、大石と生徒二人を見つめていた。
鼓動が高鳴る。頬を汗が伝う。
ここでこの子達がノーと答えたら、全ては台無しだ。圭一のアリバイは無くなる。沙穂達が彼をかばって嘘を吐いた事がバレてしまう。
そうなれば、後は悟史の時と同じ。――転校してしまった、沙穂の最初の親友。沙都子の兄。
生徒達の口が開かれる。
「――会ったよ!」
大石は目を瞬く。対照的に、生徒たちは目を輝かせていた。
「凄かったよね、前原さんの射的!」
「うん! 私も、あのぬいぐるみ欲しかったなあ。あと、お好み焼き屋でも見たよ! 前原さん、一気に食べるから舌火傷しちゃって……」
クスクスと笑いながら、女の子は話す。
「な……」
大石は絶句する。
愕然とする彼に、魅音は畳みかけるように言った。
「ご満足ですか? この通り、圭ちゃんはあの晩、古手神社にいました。ただ、巡り合わせが悪くてあなたには会えなかっただけで」
「ぐ……」
「この子達まで嘘を吐いてるんじゃないかって疑うなら、どうぞ村中の人に聞いてみてください。まあ、得られる答えは同じでしょうけど」
大石を睨み据える魅音の目は冷たい怒りが満ち、まるで鬼のようだった。
「理解したならお帰りください。これ以上、沙都子や圭ちゃんに近付くな……!」
一日の授業が全て終わり下校する時刻になって、圭一は姿を現した。
「圭一くーん!」
校門の所でたたらを踏んでいる圭一を、レナが大声で呼ばう。沙穂達は、圭一の元へと小走りに駆けて行った。
「やっだなー、圭ちゃん。今頃、登校? もう下校なんだけどなあ!」
「あはは、圭一くん、お寝坊さんだね! はうっ!」
「まったくしょうがないな、圭一は」
いつもの調子で話しながら、校門を出た沙穂は辺りに視線を走らせる。
大石の車は……無い。しかし、何処で誰が話を聞いているか分からない。
「さては圭ちゃん、昨日のお祭りで大量飲酒したんでしょ! テンション上がってたもんねー」
「あはは、いけないんだ、圭一くん!」
圭一は、祭りにいた。口裏を合わさせるため、魅音とレナが目で合図を送りながら話す。
「圭一はボクの演舞、見ていてくれたですか……?」
「うん! ちゃんと見てたよ! あんなにいっぱい拍手してくれてたのに、梨花ちゃん、気が付かなかったのかな?」
「圭ちゃんに詩音のあんぽんたんがちょっかい出して来たのを、無視してねー!」
「演舞の時にでも来れば、大石も探し回ってた圭一に会えたろうにな。見事にすれ違ってばかりで」
「射的屋での圭一くんも凄かったよねー! はう! 圭一くんが取ってくれたぬいぐるみ、とっても大事にしてるんだよ!」
「あんな大きなぬいぐるみを落とせるなんて、誰も思ってなかったよねえ!」
圭一は賢い。昨晩、自分がやっていた事は、当然、警察の捜査が入るだろう事ぐらい、想定しているだろう。ならば、沙穂達の話に合わせない手はない。自分の所業が沙穂達にばれている事に動揺はするかも知れないが、それでも、沙穂達がかばおうとしている事は、いつもの前原圭一ならわかるはずだ。
射的、お好み焼き屋、奉納演舞、綿流し、公由村長や老人達との関わり――村中に根回ししている内容を伝えるべく、そして聞き耳を立てている誰かに誇示するべく、沙穂達は大声で口々に話す。
「……な、なあ、俺さ……昨日、い、いつ皆と合流したっけ……? ほら……俺、酔っぱらってたせいで、全然覚えてないんだ……」
「境内でだよ。巫女さん姿の梨花ちゃんと楽しそうに話してたよ」
アリバイ作りに乗ってきた圭一に、魅音はさらりと答える。
「圭一と会ったのは、集会所から村長さん達と出て来た時なのです。圭一は祭具殿の前にいたのですよ。村長さんが、『神聖な場所だから近付いてはならにゅ〜!』と怒りましたですよ。覚えてないのですか……?」
「……さ、沙都子は……? 昨日のお祭り、一緒に楽しんだんだろう――」
「あ……っ」
沙穂は、思わず声を漏らす。沙都子は昨日、結局帰ってしまった。叔父の世話があると言って。参加出来なかった祭りの話を振るのはまずい。
案の定、沙都子の声は暗く沈んでいた。
「圭一さん、何を言ってますの……? 私がいつ、お祭りで楽しく遊んだって言うんですの……?」
「え……?」
「沙都子ちゃん……誘ったんだけど……神社には、行けなかったの……」
レナが、圭一に説明した。神社の前で、沙都子が叔父を気にし始めた事。引き留めたが、それでも沙都子は帰ってしまった事。
「沙都子、どうして……!」
「圭一さんはいいですわね……。皆で楽しくお祭りを過ごせて……お羨ましいですわ……。私には、養わなければならない叔父がいますの……! 圭一さんみたいに、ご両親に養ってもらってる人とはワケが違いますの……!」
沙都子の瞳から、大粒の涙がこぼれる。
「私だって……皆と一緒に騒ぎたかった……、けど……そんな事したら、また……また……! 昨日だって、私にいっぱい意地悪して……! 怒鳴って、わめいて……! 今朝も! ご飯の時は起こせって言われたから、起こしたのに、怒られた……! 作ったご飯を投げられた……! お味噌汁をひっくり返された……!!」
「沙都子……!」
泣き叫ぶ沙都子を、沙穂はそっと抱き寄せる。
沙都子の言葉に、圭一は酷く衝撃を受けていた。
「そんな……! き……昨日は、叔父は家に帰って来てないんじゃないのか!?」
「圭一さんは……何をおっしゃってますの……!」
――駄目だ。まずい。
死体はなかったと、魅音は言う。しかし、やはり圭一は北条鉄平を殺害していたのだ。殺害したはずの叔父が帰った。この動揺は、その事へのものとしか考えられない。
「……圭ちゃん」
魅音が、静かに問いかける。釘を刺すように。それ以上、圭一が余計なことを口にしてしまわないように。
「叔父が家に帰って来てないって、どういう意味?」
ハッと圭一は我に返る。
「レナも聞いたよ? 叔父さんが帰って来ないって言った。どうしてかな? かな?」
「圭ちゃん、さっきから言ってる事変ー!」
「まだ酒が抜けてないんじゃないか?」
茶化すように、沙穂達は言う。
「お……お前らこそ、何を言ってんだよ……? 沙都子の叔父なんか……いない方がいいに決まってるじゃないか……」
冗談で流そうとしたのに、圭一は真顔でなおも話を戻す。
でも、圭一が確かに北条鉄平を殺害していたなら、この動揺は無理もないのかもしれない。圭一は、昨晩、北条鉄平を殺害した。しかし、彼は生きて家に帰り、今朝も沙都子を虐めていたと言う。
「叔父は確かに嫌な奴だよね……私も、いなくなった方がいいと思うよ……」
「……でもさ、いる訳だし仕方ないじゃない……」
そこが、沙穂達にも分からない。
止めを刺しきれず、生きていた? 自力で穴を抜け出して? しかし、ならば何故、警察に駆け込まない? 大石は、圭一が犯人だと疑っているが、断定はしていなかった。
「仕方ないって……! そりゃあそうだけど、でもそれじゃ、沙都子が……!」
「仕方がなければ……どうするのかな……?」
「そ、それは……」
「圭一。お前は何もしなくていい……放っておけば、その内解決する」
解決させる。沙穂達が。
慎重に調べる必要がある。これ以上、圭一が動いてはいけない。圭一は、警察に目をつけられているのだから。
「帰ろう、圭ちゃん」
「今日ね、レナ、久しぶりに宝探しに行くつもりなんだ。魅ぃちゃんと沙穂ちゃんも来るんだよ」
「圭ちゃんも一緒に行こ! もちろん、拒否権はないからね?」
がらりといつもの明るい調子に戻って、レナと魅音は圭一を誘う。
あそこなら、誰も来ない。ゴミ山の中心部まで行ってしまえば、大石も追って来れないだろう。慣れない人が登ろうとすれば、足場が崩れて物音が立つ。人目を避けた話をするのには持って来いだ。
しかし、圭一は誘いを断った。
「俺……あ、頭痛いんだ……だから……病院行くから……一緒には、行けない……」
――また。
『ちょっと用事があるんだ。だから、今日はごめん……』
事件が終わって。叔母がいなくなって。
全て終わった。また日常に戻れる。そう思っていた。祭りの翌日の誘いは断られ、悟史はポケットの中の封筒をちらりと確認しながら、家へと帰って行った。
……それが、悟史を最後に見た姿だった。
「本当に?」
問い詰めるように確認したレナの目にも、去年の悟史と今目の前にいる圭一が重なって見えたのかも知れない。
「なら……仕方ないね……。病院……明日、レシート見せてもらうからね……?」
圭一はうなずきもせず、逃げるように駆け去って行った。
村のはずれにある、不法投棄の山。レナが「宝の山」と呼んでいるそこに、レナ、魅音、沙穂の三人はいた。
「圭ちゃんの事……あれ、どう思う……? やっぱり、昨日、沙都子の叔父を……」
「うん……殺したんだと思うよ。……少なくとも、圭一くん自身は殺したと思ってる」
「でも……死体は、なかったんだよな……?」
殺害現場である森に埋めたのでは、すぐに警察に見つかってしまう。そう思って、魅音の伝手によって移動させた――移動させようとした。
しかし、そこにあったのは空の穴。人は、埋まっていなかった。
そして北条鉄平は家に帰り、昨日も今朝も、沙都子を虐めていた。
「人違い……って訳でもないよな。そもそも、誰の死体もなかったのだから」
「うん……。あとは、殺せてなかった上に、埋め方が甘くて自力で逃げ出したって可能性だけど……でも、そんな事って……」
「それなら、警察に行くよね……」
レナも、宝探しはせずに投棄されたワゴン車の上に腰掛けて話す。
考えても考えても、答えは出て来なかった。次第に辺りは薄暗くなり、ぽつり、ぽつりと滴が空から落ちて来た。
「雨……」
沙穂は、空を見上げる。たれ込める暗雲。降り出した雨は、次第に強くなって行く。
「……帰ろっか」
魅音がそう言って、立ち上がった。
「そうだ、沙穂」
ゴミ山を下り、思い出したように言う魅音を、沙穂は見上げる。
「離れを改築してるって言ってたよね。あれさ、やっぱり続けよう。私も協力するよ。沙都子には一回断られちゃったけど、でも、いざと言う時逃げ込める場所があるのと無いのとじゃ、全然違うだろうしさ……」
「レナも手伝うよ。それじゃ、明日の放課後は皆で沙穂ちゃんの家に集合だね! 梨花ちゃんと圭一くんも誘おう」
「魅音……レナ……」
沙穂はうなずく。
部屋を作って、そこに沙都子を匿えるとは限らない。やはり断られ、無意味に終わるかも知れない。それでもせめて、今の自分たちにできる事を。……もうそれくらいしか、今の沙穂達に出来る事などなかった。
――圭一……明日も、会えるよな……?
綿流しの翌日。全ては終わったはずなのに、消えてしまった悟史。帰って来ず、「転校」してしまった親友。
今、同じ状況にある圭一に、沙穂は胸中で問いかけていた。
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2016/07/02