公園の桜は、ちらほらと花を咲かせつつある。立ち並ぶ住宅地。屋根の向こうに見えるアパートやら社宅やら。駅のある方へ目を向ければ、少し高めのビルも見える。
 ここを離れたのは、ほんの二週間前の事。けれども、随分と懐かしく感じられた。もう、ずっと昔の事のように。
 わいわいとした話し声と共に向こうからうちの学校のジャージを着た集団が歩いてきて、私は慌てて公園の陰に隠れる。――ホッ。知り合いはいないみたい。
 ここは地元。いくらもう会う事が無いだろうと言っても、知り合いにこの格好は見られたくない。
 私は公園のトイレに入る。鏡を前に、ソウルジェムを掲げた。
 顔を変えて。髪も少し長くして印象を変えて。いきなり命を賭けろなんて言われたら、きっと私は逃げ出してしまうから。それが未来の自分なんて言ったら、尚更。私、天邪鬼だから。きっとその運命に抗おうとする。
 上月加奈は、一人で十分。私が死んでしまったら、次はあの子がほむほむの傍にいてくれるように。
 何も私自身でなくても良いのだけど。でも、トリップに適性があって、まどマギの世界に引かれやすくて、魔法少女の素質があってなんて人物、今から他に探すような時間は無いから。
 鏡の中に映るのは、「穂村明海」と名乗ったあの少女の顔。
 名前なんて要らない。姿なんて要らない。気付いてもらえなくたっていい。ただ、彼女の力になれるなら。彼女の傍にいる事が出来るなら。
 私は踵を返し、自宅へ急ぐ。時間が無い。時空の歪みが直る前に、昔の私を連れて行かないと。この世界との繋がりを断ち切らないと。
 さっきいたのよりも小さな公園の横を通って、社宅の前まで辿り着く。そして、社宅を一望した。
 何もかも懐かしい。ここに、私の家がある。私の部屋がある。お母さんがいて、お父さんがいて。
 ――ダメ。急がなきゃ。
 社宅から視線を外して、私は公園の前に佇む人影に目を留めた。ぽかんとこちらを見つめる女の子。私の視線に気付き、ぎょっとする。
 私は、彼女の前まで歩いて行った。
「――上月加奈だよね」





No.14





 加奈は、明らかに不審そうに私を見ていた。
 問答無用で、私は自分達のこの世界との繋がりを断ち切る。あたりの風景が渦巻き始める。
 加奈は、不安げに辺りを見回す。
 大丈夫、大丈夫。私はへらへらと笑って誤魔化す。
「本当は、色々準備させてやりたいんだけどね。食料とか着替えとか。でも、時間が無いから」
 何も持たないまま見知らぬ世界に放り出されて。それがどんなに心細かった事か。
 でも、準備なんて悠長な事をしている時間は無い。
「魔法少女まどか☆マギカ、知ってる?」
 加奈は答えない。私は続けて言った。
「今日から――君、その世界へ言ってもらうから」
 あんた、と言いそうになって、私は言い換える。まだ気付かれてはいけない。口調だって、変えた方がいいだろう。
 案の定、彼女は盛大に拒否った。嫌だ嫌だと、大声で喚く。んー、喚いたところで、もう向かってるんだけどね。
「そもそも、あんた誰? トリップものによくある、時空の管理人ーとか、神様ーとか、何とか?」
 あー、パニクってるとは言え、色々駄々漏れになってるなあ。
 昔の自分の言動に苦笑しながら、私は言った。
「飲み込み早くて助かるよ。まあ、今はそんなものだと思ってくれればいい。――そうだな、明海とでも呼んで」
 咄嗟に思いついたのは、その名前だった。未来の自分が名乗ったのと、同じように。
 最初にこの名前名乗った時間軸の私はやっぱり、ほむほむから取ったのかなあ。加奈も、パクるなって顔をしてる。だから私は、ニヤッと笑って言ってやった。
「因みに、苗字は穂村ね」
「明らかにパクってんじゃん、それ!」
 加奈がそう叫んだとき、ぐにっと辺りが歪んだ。加奈の姿が歪む。
「え――」
 加奈の姿は消えていた。時空の歪みが戻ろうとしてるんだ。加奈は振り落とされてしまった。
 ――ああ、そうか。だから。
 だから、私は一人でトリップしてしまったのだ。加奈もきっと、私と同じように一人で迷っている事だろう。
 ほむほむが巻き戻すのは、見滝原転入の前まで。当然、私が戻るのもその地点だ。
 真っ白な光が近付いてくる。そして、私は巻き戻った世界へと抜け出した。

 抜け出した足元に、地面は無かった。
「……へっ?」
 あわわわわわ、落ちる落ちる落ちる――――っ!!
 と、飛ぶ? 跳ぶだか飛ぶだか判らないけど、魔法少女達ってめっちゃ滞空してたよね。私だってできるはず! できるはずだけど……どうやんの!?
 不意に、ふわりと少し反動を受けながら、落下が停止した。見れば、黄色いリボンが私の身体を受け止めていた。――これって。
 ゆっくりと地面に下ろされる。目の前には、くるくるカールのお下げの女の子が立っていた。やっぱり凄いおっぱい。
 マミさんは、にっこりと微笑む。
「大丈夫? あなた、新入りの魔法少女かしら」
 私はハッと辺りを見回す。――大丈夫。QBはいない。
「どうしたの?」
「何でも……。助かったよ、ありがとう」
 ぺこりと頭を下げて、そそくさとその場を立ち去る。いつ奴が戻って来るか分からない。私は絶対に、ワルプルギスの夜まで生き残らなきゃならないんだから。ほむほむを一人で戦わせたりなんかしない。
 廃品回収に出されている古紙を、こっそりと持ち去る。人気の無い路地裏まで行って、その束にソウルジェムを掲げる。イメージする――自分の姿を変えたのと、同じように。
 古紙は、紙幣へと変わった。
 犯罪だとか何とか、そんな事言ってられない。生きるには、何だってやってやる。
 荷物は全て、前の時間軸に置いて来てしまった。あるのは、ポケットの中の携帯電話だけ。
 安いホテルを探し、チェックインする。食事は安売りのパンやらお菓子やら。杏子にはあんなに口をすっぱくして世話してたくせに、自分も同じになるなんてねぇ。
 携帯電話があって、どこから電波引っ張ってるんだか使えるのは幸いだった。駅に置かれた求人情報誌やらネカフェからの求人サイトやらでバイトを探して、学校時間帯で働けるものに片っ端から連絡取って。これからもずっと偽札で生活するなんて、さすがに気が引けるもんな。おおっぴらに魔女を狩ることができないんだから、余分な魔力を使うのも避けたいし。
 朝方の新聞配達と、昼間のチラシ配りと。何とか見つけた、週払い・日払いで現金直渡しのバイト。一週間は、最初に作った偽札で凌がなきゃいけない。……うぅ、ホテル代もあるのになあ。
 初めてのアルバイトに戸惑いながらも、バイトの後には見滝原へ行って魔法少女達の動向を視察する。
 巻き戻った二日後に、ほむほむは見滝原に姿を現した。巻き戻って、直ぐに退院して来たんだろな。まどかのために。
 薄暗い工事現場。ほむほむがQBを追い駆けている足音と銃声を、私は遠くに聞いていた。
 原作通りなら。下手に手出しをしなくても、まどかが契約することは無い。いっぱい傷ついて、いっぱい悩んで。あの子には悪いけど、それで契約を留まってもらう。
 問題は、ワルプルギスの夜。あの戦いさえ越えられればいいんだ。まどかに契約させずにあの戦いを越えられれば、ほむほむが時間を巻き戻すことは無い。迷路の中で、同じ道を堂々巡りするのは終わる。
「インキュベーター……絶対、あんたの思い通りになんてさせない」
 小さく呟くと、私は建物を後にした。


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2011/06/11