夏休みも終わりに近付いた昼下がり。火花を散らしながら足早に進む二人組みがいた。
「ついて来ないでくれる」
「誰がてめーなんかの後ついて行くか! 昼飯食おうと思ってる店がこっちなんだよ」
「昼ご飯って……まさかそれ、この先で百円引きやってる牛丼屋じゃないよね」
「……まさか、お前もそこ行くって言うんじゃねーだろーな」
「嫌なら変えてよ。その方が私も嬉しい。煙草臭い中で食事なんて、ごめんだからね」
「誰がてめーなんかのために変えるか! てめーが変えろ、暴力女」
キッと獄寺は弥生を振り返る。
同時に、彼の肩が正面から歩いて来ていた三人組の一人と触れた。
「おい、ぶつかっといて無視か小僧?」
「ああ? そっちがぶつかって来たんだろうが」
この手の事は日常茶飯事だ。獄寺は鬱陶しげに相手を睨み返す。
「んだと!? やる気か? 女連れてチャラチャラしやがって……」
「あっ」
三人組の中でも比較的小柄な男が声を上げた。獄寺にぶつかった男の袖を軽く引っ張る。
「不味いですよ、兄貴。あいつ、雲雀恭弥の妹です」
「お前はほんと肝が小さいなあ。あんな餓鬼、恐かねーよ。寧ろ、良い機会だ。兄ちゃんの分も楽しませてもらう事としようぜ」
男の手が、弥生に伸びる。
「あ、バっ……」
獄寺が止める間も無く、男は鉄パイプに叩き飛ばされていた。
「半径一メートル以内に近寄らないでくれる」
「な……っ」
「このアマ、兄貴をよくも……!」
残りの二人は額に青筋を浮かべる。
獄寺は横目で弥生を見やった。
「お前、人の喧嘩に手ぇ出してんじゃねえよ」
「こっちに来たから叩き潰しただけ」
それに、と弥生は地面に伸びている男から獄寺に視線を移す。
「君の彼女だと思われるなんて、不愉快極まりないしね」
「こっちだって願い下げだ、てめーみたいな暴力女」
「てめぇら、無視してんじゃねーぞ……!」
一斉に飛び掛った男達は、呆気無く地面へと叩きつけられ気を失った。
弥生は涼しい顔で獄寺に向き直る。
「じゃあ、こうする? 先についた方が当初の予定通り、そこで食べる。後の方はついて来た事になるんだから、大人しく諦める」
獄寺は後方から視線を戻し、あっさりと言った。
「今日のところは譲ってやるよ。他の用思い出したからな」
煙草に火を点け、ふいと背を向ける。
珍しく引き下がる獄寺に、弥生はぽかんとしていた。
「え……あ、そう……」
「ま、俺はそこまで安売りに拘らなきゃいけないほどケチでもないしな」
弥生はム、と獄寺を睨む。
「叩き潰されたいの」
釈然としない様子の弥生を残し、獄寺はその場を離れる。
暫く歩いて、ふと路地裏に曲がり込んだ。続いて駆け込んで来る二人の男達。曲がって来た一人目の顔面に肘鉄を打ち込み、二人目も頭をむんずと掴み蹴りを食らわせる。そのまま壁に押し付け、彼の口にダイナマイトを突っ込んだ。男はもごもごと悲鳴を上げる。
「このクソ暑いのにうぜーんだよ。何だ? てめーら」
いざこざの中、通り過ぎる事もなくずっと背後の物陰から見ていた二人。加勢しなかったところを見ると、絡んできた三人組の仲間ではない。
「誰の指図だ? 言わねーと……」
言って、獄寺は煙草を近付けダイナマイトに点火する。ヂヂヂ、と音を立て導線が縮んでいくダイナマイト。飛んで来た鞭が、その先端を切り落とした。
「俺だよ」
声に、獄寺は振り返る。
そこには、鞭を構えた金髪の男がいた。
「んー、いいんじゃねーか。なかなか適任だと思うぜ」
「ディーノ!」
No.15
路上に討ち捨てられた死屍累々。弥生は振り払った鉄パイプの先端を、ゆっくりと下ろす。
「弱い奴が群れたって、弱いままだよ」
弥生は吐き捨てるように言って、その場を立ち去る。
携帯電話を開くと、もう五時になろうとしている。弥生は顔を顰める。もう、タイムサービスは終わってしまった頃合いだ。夕方の値下げシールは貼られているかも知れないが、スーパーに着く頃には付近の塾生のラッシュで調理が不要な類は殆ど残っていないだろう。
「着く頃……」
弥生はきょろきょろと辺りを見回す。立ち並ぶ家々。少なくとも商店街ではないし、学校も見えない。
「何処……ここ……」
獄寺と共に倒した三人組は、仲間を引き連れ再び弥生にかかって来た。街中で暴れる訳にはいかない。呼び出しに応じ、彼ら全員を叩き潰したまでは良い。弥生は今、自分が並盛の何処にいるのか完全に道を失ってしまっていた。
適当に歩いていれば、いずれ見知った道に出るだろう。まだ明るいにも関わらず夕暮れを告げる曲が流れる町を、弥生は適当に歩き回る。
案の定、住宅街で更に迷い込んだまま陽は傾き出した。
どれくらい歩いただろう。間も無く陽は暮れようとしていた。暗くなってしまうと、更に辺りの様子が分からなくなる。夕闇に沈もうとする町を、焦燥に駆られながら走る。角を曲がった所で、背後から大きな声がした。
「あーっ! 弥生だもんねー!」
弥生は振り返る。牛柄のタイツを着た男の子が、駆け寄って来た。後に続くのは、中華服の赤ん坊。ランボとイーピンだ。二人は、ぱんぱんに膨らんだビニル袋を三つ抱えたツナの母親と共にいた。
「こんばんは」
弥生はぺこりと軽くお辞儀する。
彼女達が通りかかると言う事は、ここは綱吉の家の近所なのだろうか。彼女は、にこにこと人懐っこい笑顔を浮かべる。
「こんばんは、弥生ちゃん。何処かへお出かけ?」
「夕飯の買出しに……」
弥生の返答に、彼女はパンと手を叩く。
「若しかして、お夕飯まだかしら? ちょうど良かったわ。今日はご馳走なの。良かったら、弥生ちゃんもどう?」
「え……そんな、悪いです」
「そんな事言わずに。獄寺君の送別会なのよ。あまりに突然だったから、他に誰も呼べてなくて」
弥生は目を瞬く。
「え……送別会……?」
綱吉の家を訪れた弥生の姿に、案の定送別会の主役は良い顔をしなかった。
「何でてめーがいるんだよ」
「沢田のお母さんにお呼ばれしたんだよ。夕飯一緒にどうかって」
綱吉は慌てて母親を追って台所に入って行った。
「母さん! なんで、弥生ちゃんが……!」
「あら。だって、獄寺君の送別会なんでしょ? あなた達、四人で仲良いって言ってたじゃない。山本君も呼べたら良かったわね」
「いやまあ、よく一緒にはいるけど……」
「んだとてめぇ!?」
獄寺の怒鳴り声がして、綱吉は慌てて台所を飛び出す。獄寺が弥生の胸倉を掴もうとしたところだった。飛び出た鉄パイプを、獄寺は慌てて避ける。
「半径一メートル以内に近寄るなって言ってるよね」
「こンの暴力女……!
表出ろ。てめーとは、イタリア行く前に決着つけねーとと思ってたところだぜ」
「イタリア?」
予想以上に遠い地の名前に、弥生は目を瞬く。
獄寺は腕を組み、ふんぞり返った。
「ああ。ボンゴレ第六幹部の話が来て、遠方から十代目を……」
「わ、わーっ!!」
綱吉の叫び声が獄寺の話を遮る。
弥生はきょとんとしていた。
「カポ?」
「やっ、あの……! ボ、ボンゴレ大学加入の話が来て……イタリアの超有名大なんだ!
それより、弥生ちゃんも獄寺君も喧嘩はやめようよ……! ほ、ほら、外暗いしさ。それに最後なんだから、今日ぐらい仲良くさ」
――最後。
弥生は鉄パイプをしまい、靴を脱ぐ。
「お邪魔します」
「お、おい――」
しゃがみ込みながら、弥生は横目で獄寺を見上げた。
「今ここで喧嘩しても、沢田のお母さんにご迷惑だからね。私は君の送別会じゃなくて、沢田のお母さんにお呼ばれしただけだから」
揃えた靴を端に引き寄せ、弥生は奥へと歩を進めて行った。
一位、獄寺隼人500点。二位、雲雀弥生479点。
定期テストの後に張り出される成績上位者。どんなに寝る間を惜しんでも、勉強だけは彼に勝つ事が出来なかった。意地と根性で一年生の学期末に二位までは追い上げたものの、一位は不動。彼の下に名前を連ねながら、弥生だけが名前の横にある点数を僅かに上下させる。授業さえ真面目に受けている様子は無いのに、彼はいつでも満点だった。
喧嘩なら、負けないのに。短距離走なら、むしろ弥生の方が勝つのに。
「大学、か……」
どんなに成績優秀でも、所詮弥生は中学生レベル。大学なんて遠い話だ。
暗い自室。二学期に向けた予習をしていた手を、弥生はふと止める。
二学期にはもう、獄寺はいない。
「……」
弥生は乱暴に教科書とノートを閉じ、布団に潜り込む。
寂しくなんかない。むしろ清々すると言うものだ。何かと絡んで来る、ムカつく奴。顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた。暴言を吐き吐かれ、殴り爆破され。互いに相手が気に食わなかった。
――気に食わないけど……。
ごろりと弥生は寝返りを打つ。明日はまだ、夏休み。獄寺が日本を去るのは、明日の朝。つまり、午前の便。該当するのは一本だけだった。
転校してしまうにしても、まさか外国へ行ってしまうなんて。イタリア。弥生には何の縁も無い地だ。もう、会う事もないだろう。
――まあ、その方が清々するや。
イタリア。大学。彼は、弥生とは別世界へ行ってしまう。
獄寺がいなくなって、定期テストで万年二位だった弥生は学年首位になるだろう。――でも。
「あいつのいない学校で学年トップになったって、何も意味無いよ……」
プロペラの回る音が響き渡る。弥生は、操縦席に座る男を見やった。
「急にごめん。助かったよ、草壁」
「いえいえ。お友達が遠くに行ってしまわれるとなれば、お見送りなさりたいでしょうしね」
「別に寂しくなんかない。友達でもないよ、あんな奴」
「左様ですか」
草壁は軽く笑う。弥生は腕を組み、ふいと窓の外へ視線を向けた。
「ただ、あいつの言う通りまだ決着がついてないと思ったから。出発までに戦う時間は無いかも知れないけど、約束は取り付けて来る」
下方に、飛行場が見えてくる。飛び立つ旅客機。地上を走る業務専用車やバス。
「……また、会えるかな」
「会えますよ、きっと。決闘から逃げるような方ではないでしょう。
着地はいかがなさりますか? 滑走路を一部お借りしていますが」
「必要無い。ある程度高度下げたら、扉開ける」
「承知しました」
道路が近付いて来る。ミニチュア模型のようだった車や建物が迫り、人の姿が認識出来るようになる。
バスが連なって停車するロータリー。行き交う人の途切れた所の上空で、ヘリコプターは停止しホバリングする。弥生は勢い良く扉を開けた。
「着陸したら、私が迎えに行きます。三階のロビーから動かないでください。分からなくなったら、周りの人にお聞きになりますよう」
「解ってる」
弥生はややムッとして口を尖らせ、そして地面へと飛び降りた。
片膝を立てて着地し、直ぐに立ち上がり駆け出す。携帯電話の時計が示すのは、午前九時。出発まで、あと三十分しか無い。迷子になったらそこでアウトだ。
建物に入るなり、国際便ロビーへの行き方を尋ねて、慎重に何度も人に尋ねながら、弥生はロビーを目指す。
辿り着いたそこに、獄寺の姿は無かった。
トランクを引き海外へ向かう人々。ちらほらと見られるスーツ姿の手ぶらの外国人。弥生は辺りをきょろきょろと見回す。
もう、手荷物検査を受けて中へと入ってしまっただろうか。見送りの者は、これ以上奥へは入れない。
不安と焦りが募る中、気の抜けたような朗らかな声がした。
「あれ? 弥生じゃんか。若しかして、お前もイタリア旅行?」
弥生は目を瞬く。手を振りながらトランクを引いて来たのは、山本だった。
「いや……私は……。と言うか、なんで……」
「山本!?」
別の声が掛かった。やって来たのは、金髪の外国人。山本は彼に軽く会釈する。
「なんかイタリア旅行連れてってくれるって聞いたんスけど」
「獄寺はどうした?」
「行かねーって伝えてくれって」
「そうか……」
真面目な表情で、彼は相槌を打つ。少なくとも、獄寺がイタリアに行くはずだったのは事実のようだ。
しかしどうやら、彼はそれを断った。昨晩まで、あんなに行く気でいたのに。
ロビーへやって来た草壁の姿を見つけ、弥生はそちらへと駆け寄る。
「どうです? 獄寺さんとは会えましたか?」
「草壁。並盛に戻る」
二階の部屋からは、綱吉の突っ込む声が聞こえる。庭では、ランボとイーピンが走り回っている。
弥生は塀や軒を足掛かりにして、綱吉の部屋の窓へと姿を現した。
「……やっぱり、ここにいた」
頭を抱える綱吉の前で、ダイナマイトの手入れをする獄寺。
二人が振り向く間も無く、弥生は鉄パイプで獄寺に殴りかかる。
「っつ……てめー、何しやがんだ!!」
「ムカつくから」
「意味分かんねーよ!」
二撃目に備え、獄寺はダイナマイトを構える。慌てふためく綱吉。
弥生はキッと獄寺を睨んだ。
「イタリアへ行くんじゃなかったの。私がどんな思いで……」
言いかけ、弥生はハッと口を噤む。
綱吉と獄寺は唖然としていた。
「はっ?」
「え……もしかして、弥生ちゃん……」
「ちっ、違う! せっかくいなくなって、清々すると思ったのに……! ただそれだけ!」
「てめ……!」
獄寺の額に青筋が浮かぶ。
「やっぱりてめーは吹っ飛ばさねーと気がすまねー!」
弥生は挑発的な笑みを浮かべる。
「上等。叩き潰してあげるよ」
窓枠から飛び上がる。弥生のいなくなった空中で、ダイナマイトが爆発した。
弥生は軽くトンと音を立て、塀の上へと降り立つ。爆風の晴れた窓から、獄寺が身を乗り出していた。
「直ぐ行くからな! 首根っこ洗って待ってやがれ!!」
「言われなくても逃げも隠れもしないよ、私は」
皆まで答える間も無く、獄寺は部屋へと顔を引っ込ませていた。どたばたと階段を駆け下りる音がする。
足音が玄関へ近付いて来る。弥生は口元に笑みを浮かべ、鉄パイプを構えた。
2011/12/23