翌朝、沙穂はいつもより早く家を出た。
 一刻も早く沙都子に会いたい。一刻も早く圭一に会いたい。一刻も早く学校に行って、そこに二人の姿がある事を確認したかった。
 それは魅音も同じなようで、いつもの集合場所に着く前に合流した。
「魅音……」
「いやー、やっぱ、いても立ってもいられなくてね……」
 いつもは遅れ気味な事を皮肉られるとでも思ったのか、魅音は頬を掻きながら苦笑する。
 しかし沙穂は何も言わず、その後は二人とも終始無言だった。
 レナは、既にいつもの場所にいた。
「圭一君、先に行ったみたい……家にいないって」
 レナの言い方は奇妙だった。魅音も眉をひそめる。
「家に、いない?」
「まだ早いかなと思いながらも家まで行ってみたんだけど……圭一君のお母さんもまだ寝てると思ってたけど、呼びに行ったらもう部屋にいないって」
「つまり、親が起きるよりも早く家を出た……?」
 沙穂達は学校へと急ぐ。
 圭一も、沙都子の事が心配だったのだろうか。もちろん、心配だろう。日に日に憔悴していく沙都子。沙都子の無事を確認したい。そう思うのは至極当然の事だが、どうにもそれが理由とは思えなかった。
 嫌な胸騒ぎ。
 当たってほしくない予感というものほど当たるもので、そしてそれは予想よりも遥かに最悪の形で現実となった。
 教室には圭一はおろか沙都子、そして梨花の姿もなく、沈み込んだ教室に入って来た知恵は暗い顔で告げた。
「……皆さんに悲しいお知らせがあります。古手梨花さんが、亡くなりました」





No.7





 通夜は、学校で行われる事となった。祖父に連れられて訪れた夜の学校は、どこか異質な雰囲気だった。そもそもこんな時間に学校へ来る事がないからか、それとも、こんなに大勢の村の人達が学校に集まっているところは見た事がないからか。まるで、夢の中の景色を眺めているような、ふわふわとした感覚。
 教室の黒板前に、祭壇が設けられていた。黒板の幅も超え、教室の横幅いっぱいに飾られた祭壇。その中央には梨花の写真が飾られ、いつもの「にぱー」という声が聞こえてきそうな笑顔の彼女が笑いかけていた。
「お悔やみ申し上げます」
 祖父が頭を下げるのにならい、沙穂も慌てて頭を下げる。古手家の親戚の人達なのだろうが、沙穂には名前も分からなかった。
「お顔を拝見しても?」
 祖父の言葉に、遺族は静かに首を左右に振った。
「……見ない方が良いでしょう」
 遺族の返答に、祖父は言葉をつまらせる。
 他殺だと、聞いている。遺体は、他殺でしかありえない状態だった、と。
 教室へは、次から次へと参拝客が訪れていた。沙穂と祖父は次の人達に譲る様にして、教室を後にした。いつもは少ない子供達だけしかいない短い廊下も、今は大人達で溢れかえっていた。
「岡藤さん」
「おお、冨田さん。一人かいの」
「うちのモンは隣の教室におる。皆、そっちに集まっとるらしい。おばあさんはまだ見つかっとらんのか?」
 沙穂の祖父に声をかけて来たのは、冨田の祖父だった。沙穂と祖父二人きりなのを見て、辺りを見回しながら尋ねる。祖父の顔が曇った。
「ああ。いったいどこで油を売っとるのか……もしかしたら、ここへ来れば会えるかもしれんとも思ったんじゃが」
「誰か知っとる人もおるかもしれんしの。皆にも聞いてみるとええ。町内会や祭りの実行委員の人らもちょうど集まっとる」
 二人は隣の教室へと入っていく。
 ……早く、帰りたい。
 憂鬱な気持ちで後に続こうとした沙穂に、背後から声がかかった。
「お、沙穂じゃん。おじいさんと一緒に来たの?」
 振り返ったその場にいたのは、喪服に身を包んだ魅音だった。沙穂はホッと息を吐く。
「魅音。一人か?」
「うん。ばっちゃ、お祭りの後から体調崩しててさ。明日の葬場祭には来られるといいんだけど……」
 魅音は困ったように言って、それから外を指差した。
「ね、ちょっと話さない?」

 学校へ来る人、帰る人、校庭もたくさんの人が行き来していた。沙穂と魅音は人混みを避けるようにして、学校の裏手へと回り込む。少ない窓から漏れ出る明かりしかない暗がりには、二人の他に誰もいなかった。
「圭ちゃんや沙都子は、見かけた?」
 魅音の問いに、沙穂は首を振る。
 結局、圭一も沙都子も今日は登校して来なかった。
「そっか……」
 突然知らされた梨花の死。
 そして、姿の見えない圭一と沙都子。
「どうして、なんだ……?」
 呟いた沙穂の声は、震えていた。
「どうして、梨花なんだ……!? 去年と同じなら、今年は北条鉄平のはずじゃないのか!? なんで、梨花が……っ」
 魅音はうつむき黙り込んでいた。
 綿流しの晩、一人が死に、一人が消える。毎年繰り返される、オヤシロさまの祟り。
 今年は沙都子の叔父なのだと思っていた。圭一が動いた。ならば、沙穂達も共犯となろう。圭一は消させはしない。そう思っていた。
 梨花が殺されるなんて、思いもよらなかった。
「それで、このまま圭一がいなくなるのか? どうして、私の周りばかり……」
「――あんたと関わったからだよ」
 ドスの効いた声に、沙穂は驚き目を丸くする。
 次の瞬間、魅音の手が沙穂の肩を掴み、壁へと強く押し付けた。
「い……っ、魅、音……!?」
「なんで自分の周りばかり? 分かってんでしょ? だってこれは、『オヤシロさまの祟り』なんだから」
 魅音の顔がグッと眼前に迫る。瞳孔の開いたその顔は、いつもの魅音ではないようだった。
 ……そう、まるで、鬼のような。
「魅音……? 魅音、なんだよな……?」
 沙穂の問いかけに彼女は答えなかった。まるで何も聞こえていないかのように呪詛を吐き続ける。怒り、憎しみ、恨み。強く握られた肩から、全ての負の感情がぶつけられているのを感じた。
 ――殺される。
「お前に声をかけたから悟史くんは消されたんだ疫病神のお前なんかに構ったりしたから悟史くんはあんなに頑張ってたのに全部終わって幸せになれるはずだったのにお前のせいで今年こそ守れたと思ったのに上手くできたと思ったのにお前がいたからお前がいたからお前がいたから――」
 ゴッと鈍い音と共に、沙穂の肩を掴む手が離れた。足腰から力が抜け、沙穂はずるずると壁伝いにその場にへたり込む。
 ふらついた魅音の背後に立つのは、鉈を握り締めたレナだった。
「レ――」
「沙穂ちゃん、逃げて!!」
 鋭く叫ぶ声に、沙穂はもつれた足をなんとか動かし立ち上がる。校舎の方へと向かいかけた沙穂に、もう一度レナは叫んだ。
「教室は駄目! 学校から逃げて! 早く!!」
 訳も分からず、言われるがままに沙穂は校舎に背を向け暗闇へと走り出す。
 林へと駆け込んだ沙穂の後を、ガサガサと追いかける音が聞こえて来た。
(どうして、魅音が)
 いや、あれは本当に魅音だったのだろうか。
 鬼のような形相。明らかに様子がおかしかった魅音。思い出し、ぞくりと背中を冷たいものが流れる。
 ――逃げなきゃ。
 レナはどうしたのだろう。魅音にやられてしまったのだろうか。それとも、沙穂を追う魅音を、追って来てくれているのだろうか。
 追いかけて来る物音から必死に逃げながら、ふと沙穂はレナの言葉を思い出す。
『学校から逃げて』
 そう、レナは言った。なぜ? レナは、いったい何を見たのか。
「わっ……」
 闇の中に沈んでいた木の根に足を取られ、沙穂はその場に転ぶ。
 物音が近づいて来る。一人、二人――三人、四人、五人。ぞっと血の気が引くのを感じた。
 違う。これは魅音ではない。レナでもない。
「ひっ……」
 音が迫って来る。取り囲まれている。逃げ場は無い。
 どうして、沙穂ばかりこんな目に。どうして。
『分かってんでしょ? だってこれは、『オヤシロさまの祟り』なんだから』
 闇に覆われた森の中に、悲鳴が迸った。





 昭和五八年六月二二日未明、XX県雛見沢村で広域災害が発生。雛見沢地区水源地の一つ、鬼ヶ淵沼より火山性ガス(硫化水素・二酸化炭素)が噴出し、村内全域を覆った。
 犠牲者1200余名、行方不明者20余名、周辺自治体から約60万人が避難する空前の大災害となった。

 最終的な生存者は、雛見沢村XXX番地の男子、前原圭一(1X歳)の一名のみ。


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2020/06/21