森の中に、カン、カン、と釘を打ち付ける音が響く。最後の釘が奥まで埋まり、沙穂はふうっと息を吐いて額の汗を拭った。
「よっと」
屋根から飛び降り、作り上げた小屋を見上げる。
一見すれば、木々の間にポツンと佇む小屋。入り口には、「御手洗」の文字。見た目はどこにでもある公衆トイレだが、実際のところは急ごしらえで板を貼り合わせただけのハリボテ。ちょっと強く壁を押せば崩れてしまうのだから、小屋どころか箱とも言い難い代物。
今回は、これで良い。入ってしまえば、こっちのものなのだから。
「みぃー、こっちなのですよー」
梨花の声だ。近づいて来るのは、複数の足音。
間も無く、梨花に引率された複数の男たちが木々の間から姿を現した。
「あっ! あったぞ! トイレだ!!」
ワッと男たちはトイレへと駆け込む。
彼らの歓声は、悲鳴へと変わった。中で誰かが当たったのだろう。ぐらりと壁が傾き、建てたばかりの小屋が崩れ去る。
壁が倒れ、屋根も横に滑り落ち、そこに現れたのは、地面に掘られた大きな穴と、底に落ち呻き声を上げる男たちだった。
「悪戯好きな猫さん達が、罠にハマってにゃーにゃーなのです」
「見たか、私たち部活メンバーの力! 魅音の妹に手を出したりするからだ」
「みー。珍しく沙穂が知らない人相手に堂々としているのです」
梨花に突っ込まれ、沙穂は「う……」と言葉を詰まらせ顔を背ける。すぐに這い上がっては来れないしどうせ聞こえないと思って発した言葉が、滑稽に思えて恥ずかしかった。
「それにしても、梨花、よくこの場所が分かったな」
「み?」
圭一からの緊急召集で向かったエンジェルモート。魅音の妹が客から嫌がらせを受けているとの話だった。本人への手出しからはレナが守り、沙都子の下剤で店を追い出し、ここへ誘った訳だが――
「木材を運ぶ都合で、予定とはズレた位置になってしまったのに。この辺りを歩いていれば見つかるだろうが、もう少し時間がかかると思っていた。まるで場所が分かっていたみたいだ」
彼らはともかく、梨花の足では真っ直ぐ来ない限りこう早くは辿り着かないだろう。
「わかっていたのですよ」
「え……」
沙穂は隣に立つ梨花を見つめる。
「……全ては、決まっている事なのですよ」
そう静かに呟く梨花の表情は、風に煽られた髪に隠れ見てとる事はできなかった。
No.1
詩音を迷惑な客達の魔の手から救い出した翌日も、沙穂は興宮を訪れていた。
「いらっしゃい、ご入用は?」
店を入るなり声を掛けられ、沙穂はあたふたしながらメモを取り出す。
慣れない人と話をするのは、どうも緊張してしまう。読み上げた声はか細く、上ずっていた。
「あいよっ。ちょっと待ってね」
店員が店の奥へと消え、沙穂はふーっと深くため息を吐く。
肩の力を抜いたのも束の間、いくつかの木材を抱えて、すぐに彼は戻ってきた。
「結構な量があるけど、車かい? ご両親は?」
「あ……っ。あの、えっと、私だけです。自転車で……土台の補強用だけください。他は後で、小此木農園のトラックが引き取りに来ます」
「ああ。綿流しの準備だね」
会計を済ませ、店員が自転車に固定してくれるのを待っていると、聞き慣れた、だけど調子は異なる声が聞こえた。
「はろろーん。お姉のお友達ですよね」
白いトップスに、スリットの入ったロングスカート。顔は瓜二つでも、髪を下ろしているせいか、服装のせいか、魅音とは真逆の印象を与える姿。
「……詩音、さん」
「詩音で良いですよ。昨日はありがとうございました。沙穂さんでしたっけ」
沙穂はこくんとうなずく。
受ける印象は違っても、魅音と似ているからだろうか。他の知らない人よりは、緊張しなかった。
「私も、沙穂でいい」
「ああ。私のは皆にこういう話し方なので気にしないでください。口調ぐらい変えておかないと、お姉と区別がつかなくなっちゃいますし」
戯けて話すその言葉は、半ば本心のようにも思えた。それぐらい、彼女の外見は魅音と似ている。
「沙穂……?」
声がして、振り返る。そして、沙穂は目を見開いた。
少し先、横断歩道の前に一人の女性が立っていた。見知った顔。昨日会った詩音はもちろん、部活メンバーの誰よりも、長い付き合いの彼女。
「……お母、さん」
沙穂の呟いた声に、彼女はハッとした顔になる。フイと顔を背け、青色が点滅する横断歩道を渡って行ってしまった。
「え……え? 沙穂さんのお母さんですか? 親子喧嘩でもされてるんです?」
困惑する詩音の声。それはそうだろう。娘を見て、無視して去っていく母親なんて。
ずっと、一緒だった。お父さんが亡くなっても。父方の実家に身を寄せる事になっても、人見知りする沙穂に母はいつでも味方になってくれていた。厳しい祖父との間に入ってくれていた。
なのに。
「お母さんは……私を、捨てたんだ……」
シンとその場が静まり返る。
彼女は、雛見沢を出て行った。沙穂を祖父母の家に残して。
最初は優しいお母さんだった。だけど、古手夫妻の死をきっかけにだんだんとよそよそしくなっていって――そして去年、再び怪死事件が起きて、彼女は怯えて沙穂を捨てた。
「私はオヤシロさまに嫌われてる――おじいちゃんは、そう言うんだ。最初はお母さんも相手にしてなかったけど、怖くなったみたいで――」
「何ですか、それ! 馬鹿馬鹿しい迷信を信じて子供を捨てるなんて!」
急に腕を掴まれ、沙穂は面食らう。詩音はいきり立っていた。
「行きましょう、沙穂さん! 何も無視する事ないじゃないですか! 私がガツンと言ってやります!」
「えっ、い、言うって、何を……」
「もちろん、文句ですよ! オヤシロさま? 馬鹿馬鹿しい! あの村はおかしいです。どいつもこいつも――」
「ま、待って、詩音」
詩音は沙穂の腕を引いて、ぐいぐいと歩いて行く。幸い、歩行者用信号は既に赤だった。立ち止まった拍子に、沙穂は腕を振り払う。
「沙穂」
「……いいんだ。怖いんだ。何か話したとして、またお母さんに拒否されたら……怖がられたら……」
「沙穂……」
沙穂はぐいと顔を上げる。そして、笑った。笑えている、はず。
「ありがとう、詩音。詩音の気持ちは嬉しいよ。だけど、それにほら、おつかいの途中だから。日が暮れてしまう前に戻らないと」
詩音はじっと沙穂を見つめていたが、ふと手帳を取り出し、何か書くとそのページを破った。
差し出された紙切れを、沙穂は受け取る。
「私の電話番号と住所です。いつでも遊びに来てください。昼間は、もしかしたらバイトでいないかもしれませんけど」
「どうして……」
沙穂は目をパチクリさせ、詩音を見上げる。
詩音とは、昨日会ったばかり。エンジェルモートでの恩があると言っても、沙穂達は圭一に頼まれて協力したまで。母親に向けた怒りと言い、そこまで詩音が気にする事でもあるまい。
「あら。連絡先の交換ぐらい、何もおかしい事ではないと思いますよ。学校の友達ならともかく、私は興宮に住んでいて、連絡先ぐらい知らなければまた会う事もできないでしょうし。お近づきになる最初の一歩じゃないですか」
「それは……まあ……」
「でも、そうですね」
詩音は背を向け、木材店の方へと歩き出す。そして振り返り、微笑んだ。
「……沙穂さんの事、ちょっと他人事とは思えなかったのかもしれません」
ざああ、と風が街路樹を鳴らす。昼間は暑くなってきたとは言え、この時間の風は少し冷たさが残る。
詩音はにっこりと微笑む。
「お互い、あの村の迷信には苦労しますねって事です」
明るく話すその様子は掴みどころがなくて、これ以上聞くなと壁を作られている気がした。
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「
Why they cry…
」
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2021/06/19