「隼人の看病は私がつきっきりでするわ!! 邪魔するのなら出てって!!」
病院は危険だ。騒ぎを聞きつけ現れたリボーンの言葉で、獄寺は学校の保健室へと運ばれた。
半日で授業を終えた学校に生徒の姿は無く、辺りは静まり返っている。
獄寺はビアンキの手によって止血され、ベッドに寝かされていた。もちろん、この部屋にいる保険医は診てくれない。
ふらりと綱吉が部屋を出て行く。相当責任を感じているのだろう。柿本千種と名乗ったあの少年は、綱吉を狙っていた。その理由までは分からないが。
並中生が次々と襲われた。風紀委員が負かされた。そして、獄寺までも。敵の懐に潜り込んだと思われる雲雀は、一向に帰って来ない。
ベッドに寝かされた獄寺は、固く目を閉じたまま。
せめてあの時、弥生がその場を離れていなければ。綱吉と獄寺の直ぐ傍にいれば。
「あなた、隼人と一緒にいたのよね?」
「あ……」
ビアンキが、弥生の前に立っていた。強い眼差しが、弥生を見据える。
「別にあなたを責めている訳じゃないわ。相手は何者だったのか聞きたいだけよ。あなただって、隼人を心配してくれているのでしょうし」
「……っ」
――心配なんて……。
誰がこんな奴の心配などするものか。いつもなら直ぐに出て来る言葉が、どういう訳か声にならなかった。
「弥生に聞かなくても、獄寺を始め並中生を襲っている奴らの事なら分かったぞ」
リボーンが口を挟む。弥生、山本、ビアンキ、シャマルの四人は戸口を振り返る。彼は丸くなったレオンを頭に乗せていた。
「最近、黒曜中に転校して来て間も無い内に不良を締めた三人組がいたんだ。リーダーの名は、六道骸」
――黒曜……。
「う……」
僅かに、獄寺が身じろぎした。咄嗟にビアンキが駆け寄る。
「隼人!」
「ほげっ」
ビアンキの姿を見まいと、獄寺は布団でガードする。
リボーンは構わず、続けた。
「その六道骸らを捕らえるよう、ついさっきツナに指令が下った」
「六道骸……?」
目が覚めたばかりの獄寺は、まだ青い顔をしながらきょとんとする。
「黒曜中に、骸っつー超強い奴が転校して来たんだってよ」
「なるほど! そいつが犯人だという事っすね、リボーンさん! もちろん、俺も十代目と共に倒しに行きます! 十代目は!?」
「ツナなら走って行ったぞ」
「なっ。早速お一人で!? こうしちゃいられねぇ!!」
ビアンキの制止も聞かず、寧ろ振り切る意味合いも込めて獄寺は保健室を飛び出して行った。
「よーし。俺達も行くか、弥生!」
「……私、行かない」
山本は目を瞬く。
弥生はふいと背を向け、保健室を出て行く。
「お、おい弥生!」
弥生は開け放たれた扉の前で立ち止まる。
「何度も言ってるよね。私は、君達と群れるつもりは無い」
振り返らずに言い、その場を立ち去った。
弥生の脳裏に、幼い頃の事が蘇る。
『いい加減にしてよ。弱い奴なんて要らない』
もう、弱くなどない。弥生は強くなったのだ。
群れたりなんて、しない。
No.17
「大丈夫? 怪我してない?」
本格的な夏を前に、蒸し暑い日だった。地面に転がる死屍累々。その中に立つ小さな男の子。彼は、ベンチの前でうずくまる更に小さな女の子に駆け寄る。
彼女は立ち上がると、駆け寄って来た兄の腰に抱きついた。
「弥生、怪我してない?」
雲雀は再度重ねて尋ねる。弥生は、雲雀に抱きついたままこくりと頷いた。
ぽん、とその頭に手の平が乗せられる。
「もう大丈夫だよ」
弥生は顔を上げる。
「お兄ちゃんは? ケガしてない?」
雲雀は目を瞬く。それから、少し微笑った。
「うん。大丈夫」
「よかった。お兄ちゃんはむてきだね」
にっこりと笑って、弥生は離れる。雲雀はぽんぽんとその頭を撫でて、手を差し出した。
「帰ろう。そろそろ雨が降りそうだよ」
「うんっ」
弥生は嬉しそうに差し出された手を握る。それから、地面を見やった。
「アイス、おちちゃったね」
「……」
雲雀は無言でそちらを見やる。地面に落ちた二つのアイスクリーム。弥生に買って来たところへ、先日咬み殺した群れが現れたのだ。もちろん返り討ちにしたが、トンファーを握った拍子にアイスは落としてしまった。
ぽんぽん、と雲雀はポケットを叩く。運良く、袋入りの煎餅が一枚入っていた。
「これあげるから」
「わーい」
弥生は小さな手で袋を開く。そして、パキンと煎餅を二つに割った。
「はい。はんぶんこ」
「ありがとう」
弥生はへへ、と小さく笑って煎餅に噛り付く。
家へ辿り着く前に、雨は降り出した。ぽつぽつと降り出し、あっと言う間にざーっと音を響かせる。玄関に駆け込んだ時には、二人とも頭のてっぺんから足の先までずぶ濡れだった。
雲雀は靴と靴下を脱ぎ、奥へと駆けて行く。間も無く、二枚のバスタオルを両腕に抱えて戻って来た。
「ほら、拭いて」
「暑いからすぐかわくよ」
「でも拭くんだよ」
言われるままに、弥生は手足を拭く。スカートを絞ると、ぽたぽたと玄関に水溜りが出来た。
雲雀はしゃかしゃかと弥生の頭を拭き、ある程度乾いて来たのを見て取ると、言った。
「着替えておいで」
「はーい!」
元気良く返事をして、弥生は自室へと駆け上がる。
弥生が着替えて隣の部屋へ行くと、部屋は蛻の殻だった。勉強机とは別に床に置かれた机の上には、弥生の宿題のプリント類が綺麗に整頓されて置かれている。
階下へ降りると、着替えを済ませた雲雀が玄関を出ようとしていた。
「お兄ちゃん、どっか行くの?」
「学校。今日はまだ行ってないから」
この場合の学校とは、弥生達の通う小学校ではなく並盛中学校の事である。校門から見渡すだけだったり、こっそり侵入してみたり。町中を歩いた後いずれ入学する並盛中へ行くのが、この頃は日課になっていた。
「私も行く!」
「雨強いから、弥生は家で留守番してて。直ぐ戻るから」
「えー……」
ぷくっと弥生は頬を膨らませる。
「宿題終わらせてなよ。そろそろお母さんも帰って来るだろうから。帰ったら、弥生の作ったハンバーグ食べたいな」
ぱっと弥生の表情が明るくなる。
「うん! いっぱい作るね!」
「楽しみにしてるよ」
雲雀はレインコートを被り、玄関を出て行った。
弥生は急いで雲雀の部屋へと駆け上がる。帰って来るまでに、宿題を終わらせなければ。そして、ハンバーグを作る準備に取り掛かるのだ。とは言っても、もちろん弥生はこねて丸めるだけなのだが。
国語の作文は既に終わっている。弥生は連絡ノートに書かれたページを確認し、算数ドリルとノートを開いた。
宿題を始めて間も無く、玄関のチャイムが鳴った。まだ出かけたばかりなのに。何か忘れ物だろうか。弥生はドリルとノートを開いたまま、玄関へと駆けて行く。
「お兄ちゃん、どうし――」
鍵を開けた先に立っていたのは、雲雀でも他の家族でも無かった。見知らぬ大きな少年達。
ぴしゃりと締めようとした扉と枠の間に、足が差し込まれる。
「こんにちは、弥生ちゃん。ちょっと用があるんだけど、一緒に来てくれるかな?」
「知らない人についてっちゃダメって、お兄ちゃんが言ってたもん!」
ぐぐ、と引き戸を押すが、小さな弥生が適うはずも無くあっさりと開かれてしまった。
「そんな冷たい事言わずにさ」
「大丈夫。お兄さん達、怖くないから」
「いやーっ!!」
弥生は甲高く叫ぶ。ぎょっと彼らは外の通りを振り返った。
弥生は叫びながら、家の奥へと駆けて行こうとする。後頭部を衝撃が遅い、世界が暗転した。
目が覚めて飛び込んできたのは、くすんだ白い天井だった。埃の溜まった鉄骨の梁が露になっている。
「あっ! 起きた!」
知らない声。弥生は慌てて起き上がり、後ずさりする。
背中に、ドラム缶が当たった。地面はコンクリート。どうやらここは、何処かの倉庫らしい。複数の少年達が、弥生を取り囲んでいた。誰も彼も、弥生はもちろん、雲雀よりもずっと年上だ。
「良かったーっ。まさかこんなガキ殺しちゃったのかと心配だったんだ」
「バッカ。脈はあるって、先輩も言ってたろ」
「先輩! 大丈夫みたいッス!」
一人が、倉庫の隅に固まって話し込んでいる集団に大声で呼び掛ける。
「わりぃな、痛かったろ?」
最初に安堵の声を上げた少年が、弥生の顔を覗き込む。案外、良い人達なのだろうか。
「弥生ちゃんだっけ? お前には恨みは無いんだけどよ、雲雀恭弥を誘き出すための人質になってもらうぜ。大人しくしててくれりゃ、何も危害は加えないからさ」
――やっぱりわるいやつらだ!
お兄ちゃんは正義。雲雀の敵は皆、弥生にとって悪者である。
立ち上がり、駆け出す。
「あっ、おい!」
「待てコラ!」
扉に辿り着く前に、弥生はあっさりと捕らえられた。
「やっ! 放して!」
身を捩らせる弥生の耳元で、チャッと小さな金属音がした。視界の端で光る刃。
「ガキだからってあんまりなめた真似してると、痛い目見るぞ」
サバイバルナイフや鉄パイプなどを見た事も、向けられた事も幾度となくある。しかし、それはいずれも雲雀の背中越しであった。いつでも、雲雀が守ってくれた。ナイフも、鉄パイプも、弥生に届く事は無かった。
今ここに、雲雀恭弥はいない。
足元から震えが上がってくる。この場に弥生の味方は、誰一人いないのだ。
少年達は弥生を取り囲んだまま、どう雲雀を痛めつけるか話し合っていた。
弥生は俯き震えながら、それを聞いているしかなかった。
「可愛い可愛い妹がこっちの手にあるとなりゃ、あのガキもそう簡単に手出しできねーだろ」
「いっそ全裸にひん剥いて写真撮って、こればら撒くぞって脅すか?」
「えー……お前、それはやりすぎだろ……」
「気にするこたねぇだろ。相手こんなチビなんだしよ。これぐらいの年って、まだ着替えも男女一緒だったりするだろ。兄ちゃんだけ勝手に気にして自爆。手堅いし、ガキ一人を抑え続ける必要も無くなるから手軽じゃね?」
「おーし、誰かカメラ持ってるかー?」
「マジでやるんスか!?」
「何、お前こんなガキ相手に意識しちまうわけ?」
「違いますよ!」
「俺、コンビニ行って買って来ます」
「急げよーっ。あの坊主が乗り込んでくる前にな」
「はーい」
少年の一人が、倉庫を出て行く。流れ込んで来る、ざーっと言う雨音。同時に、外で声がした。
「なっ、てめ……! ぐわっ」
「どうした?」
一人が顔を外に突き出す。彼は、弾き飛ばされるようにして反対側の壁に叩き付けられる。
ぴちゃり、とコンクリートに出来た水溜りを踏むような足音がした。
扉が大きく開く。
「なっ。お前は……!」
そこに立つのは、弥生を取り囲む少年達よりもずっと小さな男の子。けれども、彼らよりずっと強い一匹狼。
弥生の目に涙が浮かぶ。
「お兄ちゃ……」
「外の奴ら、何してたんだ!? 報告しろって言ったのに……!」
「報告なんて出来るはずないよ。外の群れなら皆、僕が咬み殺したからね」
雲雀はレインコートをばさりと脱ぎ捨て、トンファーを構えた。
「僕の妹を返してもらうよ。ハンバーグを作ってもらう約束なんだ」
返答の間も与えず、次の犠牲者が地に沈んだ。一人、また一人、と雲雀が動く毎に敵は減って行く。
「ま、待て!」
弥生はむんずと肩を掴まれ、強い力で引っ張られる。腕が弥生の首を抱えるようにして回される。視界には再び、間近に迫るナイフが移っていた。
「動くな! それ以上動いたら、こいつがどうなるか分かってんだろうな!」
「……弱い奴の卑怯な手管だね」
「武器を捨てろ」
「……」
雲雀は、足元にトンファーを放った。
「お兄ちゃん!」
駄目だ。このままでは、雲雀が負けてしまう。弥生が捕らえられているばかりに。
――お兄ちゃんは、むてきなのに。
弥生はがぶりと、顔の前にある腕に噛み付いた。
「って!」
少年が叫ぶと同時に、弥生の肩を激しい痛みが襲った。
じんわりと右肩が熱くなって来る。頭が真っ白になって、悲鳴も出なかった。
「あ……やべ」
血の付いたナイフがカランと床に落ちる。握っていた人物は、地面に叩きつけられていた。
無言のまま、雲雀は彼にトンファーを振り下ろす。怯え逃げ出す者、腰を抜かしその場にへたり込む者、一人残らずトンファーの餌食となる。瞬く間に、その場に立つのは一人となった。
トンファーの叩き付ける音が響く中、小さく呻き声が上がった。ハッと雲雀は我に返りそちらを振り返る。
「弥生!」
駆け寄り、弥生の身体を抱き起こす。その右肩は、紅く染まっていた。
全治二週間。子供の身体には大変な出血量であったが、幸い命に別状は無かった。
弥生が目を覚ましたのは、病院の一室。翌日退院した弥生に、雲雀は言った。
「君、明日から転校してもらうから」
「え……?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
転校? 弥生が? ……弥生だけ?
「親戚の叔父さん家が、預かってくれるって」
「え……あの……え……?」
「もう決まった事だから。準備も済んでる。必要な荷物も、もう全部送ってあるよ」
雲雀は目を合わせようとしない。
「お兄ちゃんは? お兄ちゃんも一緒なんだよね?」
「僕は行かない」
「じゃあ、私も行きたくない! お兄ちゃんと一緒に並盛中に通うんだもん」
雲雀は、そっぽを向いたまま。弥生は、不安げに彼を見上げる。
ふーっと雲雀は深く溜息を吐いた。
「……いい加減、うんざりしてるんだよ」
雲雀は弥生を振り返る。
向けられた視線は、今まで向けられた事の無いような冷たいものだった。
「いつもいつも、お兄ちゃんお兄ちゃん。弥生、僕が群れるの嫌いなの知ってるよね。いい加減にしてよ。弱い奴なんて要らない」
愕然と、弥生は彼を見つめているしか出来ない。
「君は他所の学校で、友達でも作って群れていればいい。そうすれば、今回みたいな事も無いだろうしね」
何も言葉を返せないでいる弥生を玄関先に残して、雲雀は家を出て行った。
弥生は、ぺたんとその場に座り込む。刺されたわけではない。殴られたわけでもない。けれども、包帯を巻かれた右肩よりもずっと痛かった。苦しかった。
大粒の涙が、ぽろぽろと零れる。いつものように撫でてくれる温かな手は無い。
夕飯の時間になっても、雲雀は帰って来なかった。……明日の朝には、弥生は家を出てしまうのに。
制止の声も構わず、弥生は家を飛び出した。
並盛中学校、並盛中央公園、商店街――心当たりはあれども、道など全く分からなかった。いつも、何処へ行くのでも、弥生はただ彼の後を付いて行けば良かったのだ。いつでも、雲雀が手を引いてくれた。
気が付くと弥生は、寂れた工事現場に来ていた。昨日の乱闘があった場所。不良達はいない。鉄パイプやら金属バットやらの散乱する現場を、ぽつんと灯った電灯が心許なく照らしている。
『僕の妹を返してもらうよ』
弥生にとって彼が特別なのと同じように、彼にとっての弥生も特別なのだと思っていた。妹として大切に思われているのだと、そう思っていた。自惚れていた。
群れたくない。群れは咬み殺す。それは、弥生にも適用されるものだった。
いつも、守られてばかりで。いつも、泣いてばかりで。
『弱い奴なんて要らない』
電灯の下にある鉄パイプを、弥生は拾い上げる。
……その晩、雲雀が家に帰って来る事は無かった。
夏休み直前と言う妙な時期に転入して来た生徒に、クラスメイト達は興味津々だった。
家庭の事情。弥生の転入理由は、非常に簡素に説明された。
「ね、弥生ちゃん、お家どこ? 私ね、緑団地の方なの。同じ方こうだったらいっしょに帰ろう」
「どこの学校かよってたの?」
「おれたち業間休みにドッジボールやるんだけどさ、弥生ちゃんはドッジ得意?」
「あたしも四月に転校してきたんだー。よろしくね〜」
「……よろしくしない」
言って、弥生は席を立つ。
「君達と群れる気はないから」
「なっ。お前、そんな言い方――」
伸びて来た男子の手に、弥生はびくりと肩を揺らす。
飛び退き、鉄パイプを構えた。
『咬み殺す』
群れる奴らを見据える時の、獲物を見つけたような雲雀の瞳。
彼は無敵だ。弥生にとっての、強さの象徴。
転入生を物珍しげに囲んでいた群れを、弥生はキッと見据える。
「近寄ったら叩きつぶす」
呆然とするクラスメイト達を残し、弥生は教室を後にした。
――友達なんて、いらない。
群れるのは、弱い証。強くなるのだ。雲雀のように。守られるのではなく、戦力として求められるように。それしか、彼の傍にいる術など無いのだから。
決して、群れたりなどしない。群れてはいけない。
――お兄ちゃんに、認められるためにも。
2012/01/14