古手神社に戻る頃には、日はだいぶ西に傾きかけていた。
 沙穂は買ってきた木材を抱え、急いで神社の階段を駆け上る。境内には白いテントが張られ、綿流しの祭りの準備が進められていた。奥の方で櫓を組んでいた大人達の一人が、沙穂の到着に気づいて手を振る。
「おお、良かった、沙穂ちゃん。こっち、こっち」
 手招きされるがままに駆け寄り、買って来た木材を渡す。
 大人達は補修の箇所と使用する木材の確認に取り掛かる。沙穂は彼らが話す傍ら、きょろきょろと辺りを見回していた。
「おじいさんなら、冨田さんと一緒に本殿の方に行ったよ」
「あっ……えっと……」
 大人に声を掛けられ、沙穂は言い淀む。
 そして視界の端に、探していた物を捉えた。背中に背負えるよう、白い布に包んだ電動鋸。作業をしていた近くに置いていったそれは、テントの下のブルーシートの上に置かれていた。
 作業指示がまだ来そうにないのを確認し、テントの方へと駆け寄る。白い布を取り払う。間違いない、沙穂の物だ。
「沙穂!」
 掛けられた声に、振り返る。演舞用の巫女服を身に纏った梨花が、駆け寄って来ていた。
「梨花。よく似合ってるな」
「ありがとうなのです」
 梨花はにぱっと明るく笑う。
「沙穂ちゃん、こっちお願いできるかい」
「あっ。じゃあ、私……」
「みぃ……もう少しお話したいのです」
 梨花は、潤んだ瞳を呼びかけた者へと向ける。彼は、少し困ったように笑った。
「梨花ちゃまの頼みじゃあねぇ……沙穂ちゃん、終わったら声を掛けておくれ」
 沙穂はこくんとうなずく。それから梨花に目をやった。
「どうしたんだ?」
 引き留めてまで、何か重要な話でもあるのだろうか。そう思ったのだが。
「……みぃ。用事がある訳ではないのです。ただ、沙穂はもう少し、ここにいた方が良いのですよ」
 沙穂は目を瞬く。
「いったい――」
 木材の大きく割れる音、それからガラガラという轟音に、後の言葉は掻き消された。
 組みかけの櫓が崩れ、辺りに濛々と砂煙を上げていた。





No.2





 沙穂は、櫓の方へと駆け寄る。
 大人達が右往左往する中、沙穂は呆然と立ち尽くしていた。何人か軽傷を負った者はいるようだが、幸い、誰かが下敷きになったり大怪我を負ったりはしていないようだ。
「何があったんね!」
 本殿から、沙穂の祖父が飛び出して来る。
 石段の上から櫓の惨状を見渡し、それから彼の視線は電動鋸を手に立ち尽くす沙穂へと留まった。
「沙穂!!」
 びくりと沙穂の肩が揺れる。
 祖父が大股で近づいて来る。沙穂は身動きもできず、硬直していた。
「何をやらかしよったんね! 人様に迷惑をかけるなんて――」
「待つのです、岡藤。沙穂は」
「ああ、梨花ちゃま。無事で良かった」
 助け舟を出そうとしてくれたのだろう。梨花が駆け寄ってくる。その言葉を遮り、祖父は続けた。
「この櫓は奉納演舞に使われる大事なモンじゃ! 何遍も言うたろうに、ええ!? 沙穂が怪我をするなら構わないが、梨花ちゃまにもしもの事があったりでもしたら――」
「ご、ごめ……なさ……」
 声は恐怖に引き攣り、か細い囁きとなって漏れ出ただけだった。
「岡藤さん! その辺に――」
「いいんです。この子は、これぐらい言わないと――」
「沙穂ちゃんは何も関係ありゃせんよ。沙穂ちゃんが補強用の材料を買いに言っている間、仮の支えで他を進めていたんじゃが、持たんかったようで――」
「沙穂はついさっきまで、ボクとお話していたのです。櫓に近付いてもいなかったのですよ」
 周囲の大人達や梨花が話すのを、沙穂は俯き震えながら聞いていた。
 雛見沢の一員として。そう言われて、引っ越して来てから毎年、祭りの準備を手伝って来た。
 オヤシロさまに認められるために。
 オヤシロさまへの信仰心を示すために。
 そう、祖父は言う。――沙穂は、オヤシロさまに嫌われているから。
「沙穂がさっさと買って来ていれば、こうはならんかったんじゃないかね。どこで油を売っとったんだか」
「ごめんなさい……」
「はよう手伝いに戻るんね。サボろうものなら、オヤシロさまは見とるからの」
 沙穂はうなずき、作業する大人達の中へと加わる。
「あの……何をすれば……」
「え、あー……子供には危ないからねぇ……。おーい」
 沙穂に声を掛けられた男は、少し離れた所で指示を出している初老の男に呼びかける。
「あー……それじゃ、そっちで運ぶのを手伝ってもらえるかな」
 こくんとうなずくと、沙穂はそちらへと向かった。

 日が暮れて、人がいなくなった境内に沙穂は一人残っていた。
 本宅の裏手。綿流し実行委員会の者達は、こちらまでは来ない。夫婦がいなくなり、今は使われていない住居。当然、縁側も雨戸が閉められていて、入る事はできない。
 沙穂は雨戸に背を持たれるようにして、縁側に上がる踏み台用に置かれたような平たい岩の上に座っていた。
 家へ帰る気にはなれなかった。祖父と顔を合わせたくない。帰ったところで、沙穂は離れに住んでいて、本宅には風呂と食事の時に行くのみ。元々は母も一緒だったが、今は一人だ。
 離れにこもってしまえば出会わなくて済むかもしれないが、神社から家まで同じ道。同じ門。どこかでまた会わないとも限らない。沙穂の顔を見れば、また説教が始まるだろう。
『沙穂が怪我をするなら構わないが、梨花ちゃまにもしもの事があったりでもしたら――』
 祖父も祖母も、熱狂的なオヤシロさま信者だった。実の孫よりも、梨花の方が大事。
 そしてそれは、祖父と祖母だけではない。雛見沢の、特に老人には多い傾向。
 沙穂が声をかける人、かける人、誰もが困ったような声色。
 こんな子供がいたところで。あまり関わりたくないのに。そう思われている気がする。
 ――沙穂は、オヤシロさまに嫌われているから。
 古手神社の神主――梨花の父親だけは、沙穂に優しかった。引っ越して来たばかりの沙穂に、優しく接してくれた。梨花の母も、自分の娘のように優しくしてくれた。彼らがいたから、最初のお祭りの手伝いは楽しかった。いつもこの縁側から訪れて、梨花と遊んだり、神主の仕事を見学したり、料理を教えてもらったりしていた。
「おじちゃん、おばちゃん……なんで、死んじゃったの……?」
 震える声で絞り出された沙穂の問いに、答える声は無かった。


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2021/07/01