「もしもし……」
 携帯電話に入っていた留守電に折り返して、私は電話を掛けた。お菓子の魔女との戦いから、数時間。夕飯なんて食べる気にもなれなくて。真っ暗な部屋の中、携帯電話の青白い光だけが小さく点っていた。。
「はい……ご心配おかけしてすみません……。それで、明日の事なんですけど――はい……はい。すみません……ありがとうございます。はい……はい……」
 電話が切れてからも、私は暫くそのまま握り続けていた。
 カシャンと音を立て、携帯電話が手から滑り落ちる。私は、背もたれにしていたベッドに顔を埋める。
 私……何してるんだろ……。





No.17





 三時前になると、新聞配達のバイトへ赴いた。対人であるチラシ配りに比べて、エリアを配達して回るだけなら出来そうだったから。それにこちらは、毎日同時刻のシフト制。他の登録者から急募をかけられる日毎バイトと違って、そう簡単に穴を開けるわけにはいかない。
 配達所の古い自転車で、カラカラと町内を回る。家ごとに門前で停まって、新聞をポストに突っ込んで。マンションは、いったん降りてポストへ出しに行って。
 戻って来て私は、自転車の前で足を止めた。
 通りの向こうにある下りの階段。その向こうに見える、大きな噴水。
『そろそろ必殺技を考えなきゃね』
 ほんの短い間だった。でも、恩が無い訳じゃない。
 助けたかった。助けられなかった。
 ひびの入ったソウルジェムは、時間を作動させると共に砕け散る。ほむほむをそんな場面に追いやったのは、私。
 私はふいと公園から視線を逸らす。自転車に飛び乗ると、強くペダルを漕いだ。ひたすら、前へと進む。後戻りなんてできないんだ。巴マミが亡くなった。次に訪れるのは、佐倉杏子――そして過去の私、上月加奈。
 最終目的は、ワルプルギスの夜。
 けれどもそれまでに、またチャンスがあるのなら。もう一度杏子を救うチャンスがあるならば、私は、彼女を失いたくない。
 彼女の生死のキーとなるのは――美樹さやか。

 病院前で息を潜めて、私は一日中張っていた。バイトを休んでしまうと、一日がすっごく長い。皆、学校あるもんなあ。
 夕方になって、ようやくさやかあちゃんは病院前に姿を現した。沈んだ様子で歩いてきて、病院前で顔を上げ、ぱしっと自分の頬を叩く。そうして歩き出そうとした彼女の前に、私は割って入った。
「――初めまして、美樹さやか」
 目をパチクリさせるさやかに、私は笑いかける。
「突然、ごめんね。――キュゥべえとの契約の事で、君と話したくて」
 さやかの表情は変わった。
 驚いた顔から、警戒するような表情に。
「……あんたが、マミさんの次に来た魔法少女ってわけ。グリーフシード目当てに」
「色々とハズレ。まず私はもっと前からこの町にいるし、それにグリーフシードは目当てじゃない」
「前からこの町にって……まさか、あんたがマミさんの言ってた小豆色の魔法少女……!?」
 え……ちょ、おいーっ。
「マミってば、話しちゃったんだ……」
「あの転校生の肩を持つんだってね。やっぱり、グリーフシード目当てなんじゃない。昨日も、あいつと一緒にマミさんが死ぬのを待ってたってところ?」
 ……むか。
「それは違う」
 いくら何にも知らないって言ったってな、言っていい事と悪いことがあるぞ。
「私は、あの場で戦うわけにはいかなかったから。暁美ほむらを向かわせたよ。――間に合わなかったけれども」
「そりゃあね。あいつだって、マミさんが死ぬのを待って手柄を奪うように――」
「だから、違う。あの子は拘束されてたんだよ。マミさんが、信用できないからって……」
「嘘を吐くなら、もっとマシなの考えたら? マミさんがそんな事するわけないじゃん」
「随分と巴マミを神格化してるんだね。彼女の優しさと面倒見の良さは確かだけど、だからって彼女も人間。完璧ってわけじゃないよ」
「あんた、マミさんを悪く言う気!?」
 さやかは、今にも掴みかかりそうな勢い。
 あーもーっ、私はあんたと喧嘩したいわけじゃないんだっての。どうして毎回、こうなるのかな。
「私は君と喧嘩したいわけじゃない。私は、キュゥべえとの契約の事を話したくて君を待ってたの」
「……ご心配なく。それなら、さっき断ったから」
「上条恭介と会っても、その想いは変えずにいられる?」
「な……っ」
 さやかの手が、私の胸倉を掴んだ。
 ぎり、と奥歯を食いしばり、憤怒の形相で私を睨みつける。
「あんた、恭介に一体何を……!」
「何もしてないよ。ただ、彼の手は深刻な状態なんでしょ? その可能性が無いとも言い切れない。君、思い立ったら直ぐ行動しちゃいそうだから。
 これは私からの忠告。キュゥべえと契約したって、その先にあるのは絶望だけだよ」
「……ライバルは、少ない方がいいってわけ?」
「またグリーフシード? あのね。君が思ってるほど、グリーフシードばかりに固執する魔法少女はいないよ。どの魔法少女だって、自分の願いのためにキュゥべえと契約してるんだから。その願いがグリーフシードコレクションなわけないでしょう」
 そんなの集めるぐらいなら、私ならほむほむ追っ駆け回して生写真をコレクションするね、うん。
 さやかは、胡散臭そうに私を見る。
「あんたの願いって、何よ?」
 うー……。はっきり言ったって長い話だし突飛過ぎて信じてもらえそうにないけど……でも、黙ってたら黙ってたで、感じ悪いよね。
「……大切な人を、助けたいから」
 最初は、単なるミーハーなファン精神だった。だけど、まどかのために頑なに独りで頑張ろうとする彼女を見て。自分自身をも切り捨て、表情を殺したあの瞳が忘れられなくて。自分の方がずっと辛いだろうに、大変だろうに、私の心配をしてくれて。こんな私でも、信じてくれて。できることがあるんだって、頼ってくれて。
 なのに私は、その信頼に応えられなかった。
 ずっと、ずっと迷ってばかりで。逃げてばかりで。泣いてばかりで。決心したときには、もう遅かった。
 だから私は、もう迷ったりしない。彼女のために突き進むって、決めたから。
「過去の私は、何の力にもなれなかったから。だから、今度こそは力になりたい。彼女、ずっと独りで戦っていてね。それが、あんまりにも寂しくて。彼女を独りにはしたくないから」
「……」
 さやかは目を伏せっていた。
 彼女だって、上条のために契約を考えたんだ。誰かのために戦いたい。その気持ちが解らないほど、わからずやではない。
「……だったら、あんただってあたしの気持ちは解るんじゃないの」
 ぽつり、とさやかは言った。
 思いも寄らない言葉だった。そして、すごくもっともな言葉。
「あたしだって、恭介が今より酷い状態になったりしたら、あいつのために戦いたい。あたしにその手段があるなら、あたしが代わりに恭介の願いを叶えてやりたい。
 あんたの話が本当なら、あんただってそれは解るはずでしょ?」
「……そうだね。私、ちょっと自分の事ばかり考えすぎてたかもしれない」
 さやかは拍子抜けした表情。
 私だって、わからずやじゃない。さやかの気持ちは、私と同じだったんだ。誰かのために、戦いたい。その赴きはちょっと違うけど。でも、大切な人がいるのは同じこと。
 でも、だからってさやかを魔法少女に――魔女にするわけにはいかない。
「美樹さやか。君は、彼の夢を叶えたいの? それとも、彼の夢を叶えた恩人になりたいの?」
 さやかの表情が硬くなる。
 マミも問うた、大切な質問。
「例え魔法少女になることで彼の願いを叶えても、当然彼にはそれがわからない。『ありがとう』さえ言ってもらえない。
 彼だって、まだ中学生だからね。退院したら、君なんてそっちのけで学校の友達に囲まれている可能性もある。今まで全くできなかった分、バイオリンを弾くのに従事する可能性だってある。見舞いの恩なんて、忘れてしまったかのように」
「な、に――」
「退院してきた彼に、告白を考える女の子だっているかも知れない」
 さやかは顔を赤くして、食ってかかった。
「そんな事になれば、あたしだって――」
「対抗するって?」
 私はぐいと、小豆色のソウルジェムを彼女の目の前に突きつけた。
「――こんな姿になったとしても?」
「え……は……?」
「これが、魔法少女の本体。キュゥべえは、自分の企みのために大事な部分を隠して君たちに契約させようとしている。君達、騙されてるんだよ」
 さやかは眉をひそめる。
「何言ってんの……? キュゥべえがあたし達を騙すって、何のために?
 何か企んでるのは、あんたの方じゃないの。ずっと一緒にいたキュゥべえと、マミさんのピンチにも現れないで突然接触してきたあんたと――どっちを信じるかなんて、決まってるじゃない」
 私はぐっと、拳を握り締める。
 やっぱり、駄目なのか。キュゥべえが騙してるって、信じてくれないのか。
「じゃあ。あたし、恭介の見舞いに行くから」
 さやかはふいと背を向ける。
 その背中に、私は言葉を投げかけた。届く事を祈って。
「忠告はしたよ! 魔法少女になるなら、きちんと考えて――その先にある絶望への覚悟を固めてからにして! 魔法少女の絶望は、他の人達をも巻き込む脅威になるんだから――」
 さやかは振り返らず、病院に入って行く。
 果たして、私の言葉が届いたのか否か。私はしばらくその場に佇んでいたが、キッと前を見据えるとさやかの後に続いた。
 さやかが乗った後に続いて、エレベーターの前まで行って。停止した階を確認して、隣のエレベーターで後を追う。
 これ以上、彼女を説得できるとは思えない。これで駄目なら、もう後はどうしようも無いだろう。契約の瞬間にQBを殺したって、どのみち奴は蘇る。それよりも、そんな強硬手段で信用を失う方が後々面倒だ。
 ただ、少しでも流れを変えられていれば。それを、確認したかった。
 上条恭介の名を探して、私は慎重に廊下を歩く。
 不意に、ガシャンという音が響いた。私は病室の一つに駆け寄り、そっと中を覗く。叩き割られたCD。猶も手を傷つけようとする恭介の腕を、さやかは必死に止めていた。
「……動かないんだ」
 上条の声は、涙声だ。
 私は覗くのをやめ、扉の横の壁にもたれかかる。開いた扉の隙間から、会話は十分に聞き取る事ができた。
 絶望的な、上条の声。
「もう、痛みさえ感じない。こんな手なんて……!」
「大丈夫だよ! きっと、何とかなるよ! 諦めなければ、きっといつか――」
「諦めろって言われたのさ! もう演奏は諦めろってさ。先生から直々に言われたよ。今の医学じゃムリだって。
 僕の手はもう二度と動かない。奇跡か魔法でもない限り、直らない」
「あるよ!」
 聞こえたのは、さやかの力強い声。
 ――ああ、やっぱり。私の声は、彼女には届いていなかった。
「奇跡も、魔法も、あるんだよ」
 もう、彼女は止められない。
 私は踵を返すと、病院を後にした。向かうは、この後現れるはずの魔女の元。きっとそこへは、さやかが来る。魔法少女となったさやかが。ただ、念のために。





 夕焼けに染まる路地裏に、一人の少女が投げ出された。
 彼女は辺りをきょろきょろと見回し、途方に暮れる。
「え……ちょっと!? 何処に行ったわけ……!? ――明海!!」
 上月加奈は、呆然と立ち尽くしていた。


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2011/06/25