がらんとした応接室。立派な調度品だけが、主のいないその部屋に空しく取り残されている。
「暴れん坊主ならまだ帰って来てねーぞ」
背後の声に弥生はびくっと反応し、一瞬の内に部屋の奥の窓際まで飛び退いた。右手には鉄パイプ。もう一方の手で後ろ手に窓の施錠を開け、退路を作る。
シャマルは無害だと主張するかのように両手を挙げた。
「そんなにびびんなくても、今は何もしねぇさ。ぶっ倒られでもしたら、リボーンに起こられるからな」
「……何で、ここに」
「俺にかかりゃ、女の子探しなんてあっと言う間よ」
「……」
弥生は鉄パイプを握り締める手に力を込める。やはり、叩き潰しておいた方が良いだろうか。
「皆、三十分後にツナん家集まり直してアジト突撃するってよ。行かなくていいのか?」
「私は、あいつらと群れるつもりなんてないから」
弥生はふいと背を向ける。
「そうそう、それと隼人の奴な、不本意だが治療しといてやったぜ。命に別状は無いが、俺の治療はちょいと荒療治だからな。アジトに向かっている間に、副作用の発作があるかも知れん」
「……それが、何。私には関係無い」
弥生は軽い身のこなしで、窓を飛び越える。地面に飛び降り、校庭を横切りながら携帯電話を取り出す。
呼び出し音が、一回、二回、三回……暫く続き、やはり留守番電話サービスへと繋がってしまった。まだ風紀委員内の連絡で忙しいのだろうか。
校門の所には、数人の風紀委員。その中の一人に、弥生は問いかけた。
「ねえ。草壁はどこ」
問われた風紀委員は、隣の者と顔を見合わせる。
そして、言った。
「副委員長は、襲撃に遭って病院に運ばれました」
「……え?」
No.18
「お恥ずかしい限りです。私まで、このザマとは」
「……」
弥生は無言で、草壁を見つめる。白いベッドに横たわる大きな身体。
首から胸にかけて巻かれた包帯が、患者用の寝間着の下から覗いている。顔にも湿布が貼られていた。
「怪我の様子は」
「首を狙われましたが、急所は外しました。後に残る事はないようです。後は、歯を五本持って行かれたぐらいです」
「……」
弥生は俯き、黙り込む。
草壁は、獄寺ほどの重症は受けていないようだ。獄寺が指摘していた通り、やはり狙いは沢田綱吉か。
「草壁を襲ったのも、黒曜生?」
「ええ……弥生さんと別れた後、病院を出た所で」
弥生は息を呑む。
「何時? 別れて直ぐ? 直後?」
「あまり間は空いていませんが、直後と言うほどでは……いかがなさりました?」
「……商店街まで行った所で、黒曜生に襲われた」
草壁の目が見開かれる。
「では……」
弥生はゆっくりと頷いた。
「犯人は複数。それもそれぞれ単独で私達や草壁やお兄ちゃんを相手取れるような奴が、少なくとも三人いる」
草壁はベッドから身を起こす。傷が痛むのだろう。僅かに顔を歪めながら言った。
「只今、風紀委員の者を呼びます。裏口からお帰りください。ご連絡差し上げるまで、決して外へは出ませんよう」
「な……」
「弥生さんの護衛には力不足かも知れませんが、万一の場合の囮や連絡係ぐらいにはなれましょう」
「馬鹿にしてるの。私、弱くなんか――」
「そう言う問題ではありません!」
突然の怒号に、弥生は身を竦ませる。
草壁は真剣な眼差しで、弥生を見据えていた。
「委員長の妹であるあなたに、我々のようなお怪我を負わせる訳にはいきません。その様子では一度は逃れたようですが、再び襲撃に遭わないとも限らない。敵の目的が委員長を誘き出す事であったなら、尚更……」
「そんなに心配しなくても、私がお兄ちゃんの人質になる事はない。私は絶対にならないし――例え敵の手に落ちたとしても、お兄ちゃんにとって私は人質にはなり得ないよ」
「そんな――」
「そんな事ないって? もう、いいよ。何のためにもならない慰めは」
弥生は至って無表情。感情的になったりせず、群れたりせず。兄のようになるために、心掛けてきた事。
――だから、それを崩すあいつらは気に食わない。
他の生徒と同じように怯える癖に、何かと関わって来る沢田綱吉。彼と関わる事で、同じく関わる事になる彼の周りの者達。特に、毎回突っかかってくるムカつくあいつ。
ふっと脳裏に、針を浴びた獄寺の姿が蘇る。血だまりに横たわり、身動きしない姿。意識を取り戻し綱吉を追って行ったものの、あの針による傷はまだ癒えていない筈だ。
弥生達を襲った千種と同等、又はそれ以上の人物が、最低でも後二人。
雲雀は無敵だ。何があろうと、彼が負ける事はあり得ない。けれども、綱吉達は。
群れる気など無い。群れてはいけない。
だけど。
「……草壁、黒曜ランドって、知ってる?」
「黒曜ランド……黒曜ヘルシーランドの事でしょうか? 今はもう営業していませんが、黒曜センターという複合型娯楽施設の中に、そんな名前の施設があったかと」
そこだ。
「草壁、風紀委員動かせる? うちのクラスの笹川さんや緑中の三浦ハルって女の子を捜して……そうだな、発見したら校医に連絡して」
「は……あの男に、ですか? 一体……」
「私は、お兄ちゃんの迎えに行って来る。
道の分かる人を貸してくれる?」
黒曜センターは、今は使われない旧国道沿いにあった。かつては地元客を中心としてそれなりに賑わっていたらしいが、今では見る影も無い。建物は崩れ、門は鍵が溶け壊されている。
『僕と契約しませんか、雲雀弥生』
すっかり忘れていたが、夢に出て来たあの少年。彼は黒曜センターへ来いと言った。
一連の事件の犯人は、黒曜生。
彼が口にした、黒曜と言う言葉。
何も関係無いかも知れない。ただの夢かも知れない。けれども、若しかしたら。
柔らかな地面には、幾つもの足跡が残っている。複数の人物のもの。明らかに、誰かが出入りしている。
「……わっ」
思わず、弥生はピクリと跳ね上がった。
足跡を辿った先に、黒い影が複数あった。近づいてみると、それは野良犬――その、死骸。
恐る恐る近づき触れてみるが、やはり冷たく動かない。彼らのものと思われる足跡も残っているから、そう時間は経っていないのではないかと思ったのだが。
「……っと」
進もうとした先にぽっかりと穴が空いているのに気付き、弥生はたたらを踏む。覗いてみると、底は見えるものの相当な高さがあるようだった。着地は出来そうな高さだが、脱出が困難だろう。
下はどうやら、建物のようだった。弥生は、天窓のような位置から覗き込んでいる形だ。暗くて判りにくいが、床に落ちた飛沫は赤黒い。少なくとも、水とは思えなかった。
「……」
下に、人の気配は無い。底が見える程度の深さではあるが、穴までの足場は無く万一行き止まりだった場合に這い上がるのは手間が掛かりそうだ。
ここは後回しにしよう。穴を離れ奥へと進む弥生に、ふと声が掛かった。
「――弥生……?」
辺りにあるのは、黒曜中学の男女の死屍累々のみ。もっとも、男子学生二名の方は、ただ制服を着ていると言うだけで中学生には到底見えない様相ではあるが。
戦地跡から少し離れた木陰に、その姿はあった。二カッといつものように底抜けに明るい笑みを浮かべるも、何処か力無い。
「やっぱり弥生だ。絶対来るって信じてたぜ!」
「山本……」
木陰に座り込むのは、山本だった。明るい口調だが、その息は荒く、言葉も途切れがちだ。
「なんで……」
「あれ……? 弥生も、あの坊主から敵のアジト聞いたんじゃないのか?」
「私は違う」
弥生は素早く答える。
まさか、ここ自体が、敵のアジトだったなんて。では、夢で会ったあの少年は敵地に呼び出していたと言う事か。一体、何故?
「でも……ちょうど良いや」
弥生は、薄ら笑いを浮かべる。
「元々、お兄ちゃんを迎えに行くつもりだったから」
「そっか。雲雀もアジト乗り込んでるんだな。……っつ」
「山……」
思わず駆け寄りかけ、弥生は足踏みする。
……群れない。そう、決めたのだ。
「……弥生……」
「……っ」
力無い声。しかし、彼は助けを求めるでもなく、言った。
「ツナ達は、六道骸を倒しに行った……あいつらを、手伝ってやってくれ」
「え……」
「俺はこんなんじゃ、進めないからさ」
そう言って、山本は困ったように笑う。自分も、皆を追いかけたいだろうに。連れて行ってほしいだろうに。でも、弥生では肩を貸す事が出来ないから。
ドカンと、何処かで爆音がした。弥生は、背後の建物を振り仰ぐ。
「これって……」
「獄寺だな」
ふと瞼の裏に、血溜りの中で動かない獄寺の姿が思い出される。……もう、あんな思いは嫌だ。
キッと、弥生は数十メートル先の建物を見据える。足を踏み出した弥生に、背後から声が掛かった。
「こんな時に迷子にならないようにな」
「大丈夫。音と火薬の匂いを辿ればいいだけだから……迷いようが無い」
「そっか」
弥生は何度も、彼と手合わせして来たのだ。彼のダイナマイトの爆発音も、火薬の匂いも、染み入るように覚えている。
「……お兄ちゃんを迎えに行くだけだからね」
「ハイハイ」
もう一度、念を押す。笑う山本に背を向け、弥生は地を強く蹴り駆け出した。
彼の戦う音、匂い。それが、弥生の道しるべとなる。建物の奥、しかし分かりやすい位置に、階段はあった。けれども爆発音も、匂いも、上ではない。
より大きく、爆発音が鳴る。ダイナマイトの火薬、そして、それに点火するための煙草の匂い。――この先だ。
ぎゅ、と鉄パイプを握り締め、弥生は歩を進める。
獄寺らが視界に入るまで、そう長くはかからなかった。突き当たりに見える爆風。その中でゆらりと揺れる姿は、弥生達を襲ったあのニット帽の少年のもの。
そして、その手前でもふらつく少年。心臓を押さえ、手にしたダイナマイトを取り落とす。
爆音が静まって、弥生は激しい足音がする事に気づいた。もちろん、弥生ではない。人の走るテンポとは違った、突進するような――動物?
音につられるように視線を動かし、弥生はハッと息を呑んだ。ひび割れた窓の向こうから、人と獣を掛け合わせたような様相の生き物が駆けて来ていた。真っ直ぐに、獄寺に向かっている。
弥生は、駆けるスピードをいや増す。
――お願い、間に合って。
今度こそ。
今度こそ――
獄寺は気付く様子も無く、あろう事か窓の方へと倒れ掛かる。バリンと派手な音を立てて、彼の直ぐ横の窓ガラスが割られた。鋭い鉤爪が、彼に伸びる。
振り下ろされたのは鉄パイプ。見事直撃し、それは床に転がった。
攻撃から逃れたと同時に支えを失いふらついた獄寺を、弥生はパイプの先でぞんざいに支えた。
「お前……!」
獄寺は驚いたように目を見張る。その顔色は悪く、額には汗が浮かんでいた。
シャマルが言っていた、副作用か。病み上がりで怪我も完治していないだろうに、無理をして。
「勘違いしないでね。私は、お兄ちゃんを探しに来ただけだよ。
それと、私は『お前』じゃなくて雲雀弥生って名前がある。いい加減、覚えてくれる? ――獄寺」
支えていた鉄パイプを退ける。獄寺は倒れ掛かりながらも、何とか体制を持ち直した。それでも立ち上がる事は出来ず、膝を着く。この状態では、戦闘は無理だ。
弥生は一歩進み出ると、目の前に立つ二人に鉄パイプを突きつけた。
「さあ、おいで。君達の相手はこの私だよ」
2012/05/26