翌日には、チラシ配りのバイトへも復帰した。心配してくれたディレクターさんに、先日の早退を謝り倒して。
バイトを終えた私は、見滝原中学校へと向かう。
今日は何も、急ぐような事も無い。いつもより遅い時間までバイトをやって、今の内に生活費を稼いでおく。
黄昏の中、白い校舎が紅く浮かび上がる。日も暮れかけた頃、先生に見送られて一人の少女が出て来た。――懐かしい姿。
校門を出て来た彼女は、ぼうっと空を見上げて大きな声で言う。
「ほむほむー」
うわああああああ!! これ、端から見るとかなり恥ずかしい!
No.18
過去の私。上月加奈。
私が姿を現すなり、彼女は一気に責め立てた。
「一体どこ行ってたわけ!? 私、あのまま餓死するしかないかと思ったんだから!!」
んー、でも、杏子が拾ってくれたんだよね? 結局はさ。
でも、今の私はそれを知っていたけれど、この時の私は何も知らなかったからなあ。右も左も判らずに、知らない町で。それがどんなに不安な事か、私は思い知っている。これが、多少の寝泊りやなんかの準備を整えた上での事なら、いくらか腹もくくれたかもしれないけど。
「謝るよ。君には、何の準備もさせてやれなかったわけだから。君が怒る気持ちも解るし」
「解ってない! 解るもんか!」
喚きながら、加奈は泣き出してしまう。
うん、不安だったよね。解ってる。私は、身に染みて体験しているのだから。
でも、帰してくれるのかという問いには、私は約束する事はできない。
「……帰れるかどうかは、君次第。私には、多分もうできない」
「何……それ……?」
私がいるのは、ワルプルギスの夜にほむほむを一人で戦わせないため。ワルプルギスの夜までの不安な日々を、少しでも和らげてやりたいから。かつての私が、やっていたように。
そして私はきっと、ワルプルギスの夜に敗れて死ぬ。
瓦礫の上に横たわった小豆色のワンピースを着た姿。胸元には、携帯電話を握り締めて。いずれ訪れる自分の姿は、瞼の裏に焼き付いて離れない。
私は、覚悟の上で魔法少女になった。それが、私の運命なのだと悟ったから。
そして、私が駄目になっちゃって、そしてまたほむほむがループするようなら、今度は次の私が――
目の前の私は、不安げな瞳をしている。何の力も無くて、逃げてばかりの弱い私。魔法少女になるのも、拒み続けていて。
なるべくなら早めに魔法少女になってくれた方が、手っ取り早いんだけどな。でも、強制はできない。
魔法少女になれば、帰る手段がある。実際、私自身も一度元の世界へ帰っている。そこに留まる事はせず、過去の自分自身を連れてこちらへ再び戻って来たというだけの事。
私はふいと背中を向けた。あまり、長く自分自身と話したくない。顔も口調も変えているとは言え、中身まで変わったわけじゃない。あまり長く一緒にいると、ボロが出てしまいそうだから。
立ち去ろうとした私を、加奈は慌てて止めた。もー、何だよー。
「何?」
「何、じゃないでしょ。また放置するの? せめて家とか生活手段とか、与えてくれたっていいんじゃないの。神様なんでしょ?」
あー、そんな感じの説明もしたっけ。
「ああいう場として、そんなようなものと言っただけ」
私は、私自身の持つ能力について説明する。異世界へ転移する潜在能力、彼らに起こる浮遊状態。そして私がする役割。彼らを世界に繋ぎとめる楔を断ち切り、浮遊させる事。後は、磁石の要領だ。それぞれの適性のある世界へと飛んで行く。
うん、自分自身に説明するのって、結構楽だな。私が理解できる内容は、彼女も理解できるって事だし。言い回しも、特殊な用語も、何も頓着する必要が無い。
加奈は何もかも聞き出そうとするけれど、私はそれを拒否する。
「私は十分に話したよ。後は君が、自分で答えを探さなきゃ」
それが、重要なのだ。
いっぱいいっぱい悩んで、いっぱいいっぱい落ち込んで、いっぱいいっぱい迷って。そうして、今の私がある。この決意に辿り着いている。
住居だって、そう。一人暮らしなんてしてしまったら、皆と関わる機会がぐっと減ってしまう。最期の結論に至ってもらうためにも、彼女には杏子達と親密な関係になってもらわないと。
「ワルプルギスの夜が来るまで、二週間」
私は指を立てて話す。彼女の瞳を、真っ直ぐに見据えて。
「時空の移動を意図的に誘発する能力は、私にも君にも無い。ワルプルギスの夜――過去に何度も、この日に暁美ほむらは時間の巻き戻しを行っている」
「それを……利用するの?」
加奈はちょっと咎めるように尋ねるけど、私は気にしたりなんかしない。
だって、結局は利用ではなくなるのだから。自分自身がその歪みで帰ってしまうのではなく、ほむほむを追う事になるのだから。
一通り話し終えると、私はそそくさと彼女の元を立ち去った。
自分と話すのって、ばれやしないかと本当冷や冷やする。
暗く歪んだ世界。辺りを跳ねる小さな球体。私は両腕を広げ、私は身体の周囲に大量のナイフを出現させる。
腕を前にやり、ナイフを一斉投下。身を守ろうとすると、どうにも縮こまった体勢になってしまう。だけど、それじゃあ魔法の範囲だって狭まる。大きく動いた方が、魔法は使いやすい。マミさんから学んだ事。
使い魔はブンブン言いながら掻い潜っていく。ナイフは当たる事なく、使い魔の周囲へ。
外れて使い魔の周りに落ちたナイフは、ぐいぐいと伸びていく。そしてあっという間に、使い魔を籠の中に閉じ込めた。
ただ闇雲に刃物を投げるだけじゃダメ。イメージする。姿形を変える――籠の内側を、無数の針に。
出現した針は、確実に使い魔を仕留めた。
不安定な結界が消えて行く。球体は、人へと姿を変えた。これ、被害者達だったのか。傷つけなくて良かったーっ。使い魔の武器かなとも思ってたんだよね。
足音がして、私は振り返る。――あ。
「あんた――今の、使い魔だよ? グリーフシードなんて落とさない……」
「言ったでしょ。私は、グリーフシード目当てなわけじゃないって」
私はさらりと言って、土手を登る。
さやかは呆然と、私を見つめていた。私は、ニッと彼女に笑いかける。
「でも君、新人にしてはやるじゃない。時間が経っちゃって、昨日の場所からじゃあこの使い魔の手がかりは掴めなかったでしょ?」
杏子の邪魔が入って、さやかが逃がしてしまった使い魔。学校が終わってから探してたんじゃ、時間も少なくて大変だったろうに。私はたまたま、新聞配達の時に再遭遇したからその移動ルートから予測して辿り着く事ができたってだけ。
でもこれは都合がいいな。
私が使い魔を倒しているのを見た事で、さやかはいくらか警戒を解いてくれた様子。
「あんたさ、この町に新しく魔法少女が来たって事は、知ってる? 杏子とかって言うみたいなんだけど」
「……知ってるよ」
昨日の杏子とさやかの戦いだって、私は陰から見ていた。その場に割って入る事は、しなかったけど。
さやかはぐっと伸びをして、そのまま腕を頭の後ろで組む。
「そいつ、ムカつく奴でさあ。使い魔は放置しろって言うんだよ。被害者出して、魔女にしろって。そしたらグリーフシード落とすから。見付かったら、あんたも襲われるかもよ」
「今日は大丈夫」
まだ、この時間は。私は、ポケットの中の携帯電話をぎゅっと握り締める。
「え?」
私は変身を解く。
「キュゥべえは? 一緒じゃないの? 鹿目まどかも」
私が尋ねると、さやかはウッと言葉に詰まった。
「……まどかに、今言った魔法少女と仲良くしろって言われちゃってさあ」
さやかはムスッとする。
「できるわけないじゃんっての。あいつは、グリーフシードのために人間を餌にしてるような奴なのに……。
……あたし、てっきり、あんたも同じなんだと思ってた。マミさんからは、あの転校生を支持する魔法少女がもう一人いるから気をつけろって言われてたし。実際、あたしが魔法少女になるのを止めようとしてたし」
「グリーフシードをより多く手に入れようとするのは、決して悪い事ではないよ。私だって、使い魔を倒したのはほんの気まぐれ。ソウルジェムの状態が危うければ、余計な戦いなんてするつもりないしね」
和らいでいたさやかの表情が、僅かに硬くなる。
「……じゃあ、やっぱりあいつらの肩を持つって事?」
「理想を語るなら、君やマミの考え方は素晴らしいことだと思うけどね。でも、所詮理想は理想。そんなに思い通りにもいかないもんなんだよ。いくら使い魔を倒したって、ソウルジェムを濁らせ過ぎちゃったら元も子も無い。私は、君が使い魔を倒すのまで杏子みたいに邪魔しようとは思わない。だけど、ソウルジェムの輝きは保たなきゃいけないんだって、それだけはよーく肝に銘じておいて」
「でも、ソウルジェムが濁ってても魔女や使い魔が現れたら……」
「じゃあ、その時は他の魔法少女を頼る。他の魔法少女に任せる」
私が今使い魔を倒したのだって、多くはそのため。
これから、さやかはどんどんムリをする。ソウルジェムが濁ってしまうような出来事に直面する。
彼女はもう、魔法少女になってしまった。ならば、少しでも彼女のソウルジェムの濁りが遅れるように。戦うだけでグリーフシードを落とさない使い魔は、私も退治する。放置すれば、それはさやかの仕事を増やす事になるのだから。
「絶対、ムリはしない事。己の限界を超えたりしない事。
魔法少女には、人々を救う力が備わってる。つまりね、それだけ身勝手はできない立場なんだよ。勝手に諦めちゃいけない。勝手に自分をないがしろにしちゃいけない」
さやかはぽかんと、私を見つめていた。
えーと、なんできょとん顔? 話、解ってる?
だって、魔女にナルンダヨーとか言ったって、簡単に信じてくれるとは思えないもん。こういう言い方するしか無いじゃない。
「……あたし、あんたの事誤解してたかもしれない」
え、あ、そういう驚き顔だったわけね。
さやかは不思議そうに首を傾げる。
「あんた、どうしてマミさんと喧嘩になっちゃったの? あんたなら、マミさんと協力して上手くやっていけたと思うんだけど。そしたらマミさんだって、あんな事には……」
「……考えたって、無駄な事だよ。どの道、私はあの時間は他に用があった。孵化した時に病院の近くにいて、突然ソウルジェムが光ったから気付けただけ。
喧嘩はねぇ……うーん……。考え方の違いかなあ……。君だって、私の事敵視してたんでしょ? 私が意見言っちゃうと、同じくマミとも反発しちゃったわけ。私の言い方も悪かったのかもね……。君とはこうして再び話す機会があったけど、マミとは時間が無かったのが大きいかな」
もし、再び話す機会があったら。
そうしたら、何か変わっていたのかな。マミさん、生き延びる事ができたのかな。
あんな酷い結果じゃなくて。
「……マミさんの事、敵視してるわけじゃないんだ?」
「うん。君達を魔法少女に誘導するのは、賛同できなかったけど……でも、恩があったのは確かだよ。彼女には、二度も助けられた。まだ戦い慣れてない私を、指導もしてくれた。それは、凄く感謝してる」
さやかは無言で私を見つめていた。
そしてふと、携帯電話を取り出した。ぱかっと開いて、私に笑いかける。
「連絡先……聞いても、いいかな。不味いときには、頼るために」
私は目をパチクリさせる。そして、微笑った。
「――うん。もちろん」
さやかと別れ、私は弾むような足取りで街中を歩いていた。
さやかとは、その気が無くても会うたびに意見の食い違いから喧嘩みたいにばかりなっていた。私の言う事は、妙に攻撃的な意味に取られちゃったりして。彼女とは馬が合わないんだって、諦めかけていた。
でも、信じてくれたんだ。こんなに嬉しい事ってない。
この世界、もしかしたらさやかを魔女化させずに済むかもしれない。不味いときは頼るって、さやかはそう言ってくれた。例えこの先上条と仁美の事があっても、私がグリーフシードを差し出したら彼女は受け取ってくれる。その可能性が高まった。
さやかがそのままなら、杏子だって死ぬ理由が無い。杏子がいて、さやかがいて。後はマミさんがいれば、完璧だったんだけどな。でも、あの二人だけでもワルプルギスの夜に戦力として加われば、ぐっと期待は高まる。今度こそは、乗り越えられるかも。ほむほむの願いを叶えられるかも。
ゲームセンターの前で、私はぴたりと足を止めた。
ダンスのアーケードゲームは無人。私はそっと、奥へと入る。
奥に設置されたプリクラの落書きボックスから、賑やかな声がしていた。
「ほむらが見切れちゃってるのばっかだなー……」
「あっ、ねえ、これは? これ、三人とも綺麗に入ってる!」
「あ、こっちも良さそう」
「えーっ。それ、私変顔になってんじゃん!」
「いやあ、面白くていいって。なあ、ほむら」
「……いいんじゃない?」
「ほむらちゃんまで賛成するのーっ!?」
「はい、この二枚に決定ー」
「やーだー」
杏子と私の声。
ほむほむは、あまり積極的に加わろうとはしなくて。でも付き合ってくれる辺り、あの子も楽しんでくれてたのかななんて思ったり。きっと、ずっと入院でこういう所で遊ぶ事って無かったんじゃないかと思うから。ループの三周目ぐらいまでは、もしかしたらまどか達と撮った事あるかも知れないけど。
三人は、わいわいと騒ぎながら落書きをする。私は少し離れた位置から、そちらをじっと見つめていた。
携帯電話を取り出し、そこに貼ったプリクラを見つめる。気圧された様子のほむほむ。ニッと微笑う杏子。立派なカール髭を描かれた私は、二人の腕を引っ張っている。写真の上部には、「打倒! ワルプルギス!」の文字。
思わず笑みがこぼれる。
踵を返し、ゲームセンターを後にする。三人が、落書きを終える前に。
ワルプルギスの夜まで、後二週間。この世界を壊させたりなんてしない。きっと。
2011/06/26