弥生はどうやら、犬を人間と認識していないらしい。放たれた針を跳んで避け、ヨーヨーが千種の手に戻るよりも早く彼に殴りかかる。直線的な攻撃は見切られ、鉄パイプは大きな音を立てて床を叩いただけだった。バランスを崩した弥生に背後から犬が飛び掛る。弥生は咄嗟に身体を捻り、彼に回し蹴りを打ち込む。吹っ飛び、壁に叩きつけられる犬。
カタギのくせに、スピードでは彼ら一人一人に負けていない。当てられれば強いダメージを与えられるだけのパワーもある。いつもの不良相手の喧嘩なら、負ける事など無いだろう。しかし、彼らはそれだけで勝てる相手ではない。ましてや、二人も同時に相手取るなんて。
発作による痛みに、獄寺は胸を押さえる。汗が顎まで伝い、雫となって滴り落ちた。
――せめて、俺が戦えれば。
二人で戦ったなら、勝てない相手ではないはずだ。ほんの一時でも、この発作が治まってくれれば。
弥生のスピードに対抗した犬は、再びチーターチャンネルを選択していた。千種のヨーヨーを避けるようにして、弥生は徐々に壁際へと追い詰められて行く。
激闘の中、背後から幽かに甲高い歌声が聞こえて来た。
No.19
相手の動きが突然速くなり、弥生は防戦一方だった。じり、と後ずさりした弥生の背中に、壁が当たる。襲い来る犬に鉄パイプを振るうも、彼は容易にその下を掻い潜る。咄嗟に身を翻すも、間に合わなかった。弥生の右肩に牙が立てられる。血飛沫が上がり、弥生はそのまま床へと押し倒された。
「……っ」
肩に走る激痛。
逃れなければ。
しかし弥生が行動を起こす前に、覆いかぶさる身体は無くなっていた。犬は窓をぶち破り、外へと弾き飛ばされて行く。
身体を起こした弥生の前には、広い背中。左腕の腕章には、風紀の文字。
「お兄ちゃ……」
「次は君を、咬み殺す」
あっと言う間だった。放たれたヨーヨーと毒針を雲雀はあっさりと掻い潜り、千種も犬と同じく外へとトンファーで殴り飛ばす。弥生があんなに苦戦したのも嘘みたいだ。
「おい、大丈夫か?」
獄寺が、壁伝いによろよろと歩いて来ていた。まだ苦しそうだ。
弥生は頷く。ずきずきとした痛みはあるが、急所は外していた。
「一体、何が……」
「お前が戦ってる時に、並中の校歌が聞こえて来たんだよ。うちのダッセー校歌に愛着持ってんのは、あいつぐらいだからな」
甲高い歌声が聞こえて来て、雲雀の方を振り返る。ふわふわと丸っこい小鳥が、雲雀の肩に乗り歌っていた。
「雲雀の奴、どうやらあいつらに閉じ込められてたらしいぜ。俺がダイナマイトで爆破した」
獄寺の示す先を見ると、崩れた壁があった。大きな穴の向こうは、空洞になっている。
「自分で出られたけどね」
イラついた調子の声。
弥生の傍らにしゃがみ込むと、テキパキと傷口の応急処置をする。無言の雲雀は、険しい表情をしていた。
――怒っている。
無理も無い。無様な姿を見せてしまったのだ。やはり弥生は、弱いまま。彼の役になんて、まだ立てない。
処置を終え、雲雀は獄寺を振り返る。
「君がいるって事は、沢田綱吉も来てるんだ」
「十代目は、六道骸を倒しに先に進んだ。俺もこれから……」
ふらりと倒れ掛かった獄寺の身体を、雲雀が支えた。
「連れて行ってあげるよ」
獄寺は目をパチクリさせる。普段の雲雀からは、考えられない言動だった。
雲雀は罰が悪そうに吐き捨てる。
「借りを作ったままにはしたくないからね。それに、僕もサル山の大将には用がある。――弥生」
獄寺に肩を貸し、雲雀は弥生を振り返る。
「君は、ここで待ってて」
「え……」
「そりゃ、ねーだろ。こいつはお前を心配して……」
「必要無い」
雲雀はきっぱりと切り捨てる。
『弱い奴なんて、要らない』
弥生は、ぎゅっと拳を握り締める。あの頃から、何も変わっていないのか。六年間、ずっと頑張って来たのに。強くなるために。兄のようになるために。
「弥生!」
呼ばれて、弥生は顔を上げる。獄寺の真剣な眼差しが、弥生を見据えていた。
「お前は、どうしたいんだ?」
「君、何を勝手に――」
「私も、行きたい」
六年間も、追い続けて来たのだ。今更、ただ少し上手くいかないからって諦めたりしない。こんな所で、引き下がったりしない。
「絶対に足手纏いになったりはしないから。だから……」
「……勝手にしなよ」
冷たく言って、彼は背を向けた。突然方向転換され、獄寺はバランスを崩し引きずられるように歩き出す。
弥生は俯き加減になりながら、彼らの後に続いた。
最上階では、綱吉が毒蛇に囲まれていた。綱吉と、リボーンと、床に倒れるビアンキとフウ太と、そして。
「あ……」
弥生は目を見開く。
雲雀がトンファーを投げつけた人物。それは、夢の中に現れ弥生にこの場所を告げた、あの少年だった。学ラン姿ではなく、黒曜中の制服姿。
獄寺のダイナマイトが蛇を蹴散らす傍ら、弥生と彼の視線が合った。赤と青のオッドアイ。彼は口元に笑みを湛える。
「おやおや。やっと来ましたか。お久しぶりです、雲雀弥生」
借りは返したと言って雲雀は獄寺を捨て、トンファーを構える。
「……君、弥生に何かしたの」
「心外ですね。君が心配するような事は、何もしていませんよ。ただ、ここへ来るように誘っただけです」
言って、彼は弥生に視線を戻す。
「ずっと待っていたんですよ? しかし今更来たところで、何の意味も無い。ランキングのトップは、ハズレでしたからね」
フッと雲雀が動いた。真っ直ぐに、少年――六道骸の方へと突進して行く。
「血の気の多い人ですね。仕方ない。君から片付けましょう……一瞬で終わらせてあげますよ!」
三叉槍を手に、骸も雲雀へと立ち向かう。
トンファーと三叉槍がぶつかり合う。連続する、鈍い金属音。
「君の一瞬っていつまで?」
二人は互いに間を取る。綱吉が賞賛の声を上げた。
「やっぱり強い! 流石ヒバリさん!!」
「当然だよ」
弥生は腕を組み、鼻高々に言う。隣で座り込む獄寺が呆れたような目で見上げているが、気にしない。
「こいつらを侮るなよ、骸。お前が思っているよりずっと伸び盛りだぞ」
「なるほど、そのようですね。彼が怪我をしていなければ、勝負は分からなかったかも知れない」
骸がそう言った途端、雲雀の肩から血が噴出した。
「お兄ちゃん!」
「時間の無駄です。手っ取り早く済ませましょう」
骸の右目に刻まれた数字が、四から六へと変化する。
ひらりと舞い落ちて来た薄桃色の花びら。弥生は目を瞬き、天井を見上げる。そこには、満開の桜が咲き誇っていた。ついさっきまでは、こんな物無かったのに。
何がしたいのかよく分からないが、どうやら骸はこれが雲雀の弱点だと思ったらしい。
雲雀は平然とした顔で、骸に殴りかかる。何故か、骸のみならず綱吉までも驚いていた。
「へへ……甘かったな。シャマルからこいつを預かって来たのさ。サクラクラ病の処方箋だ」
そう言って獄寺が出したのは、先ほどここへ来る間に雲雀に渡していた薬の袋。事実、いつの間にか桜は弱点になっていたらしい。
何があったのか問い詰めたいところだが、それより今は雲雀の戦闘中。獄寺をひと睨みするだけに止めておいた。
完全に油断していた骸は正面から雲雀の攻撃を受け、後ろ向きに吹っ飛ぶ。同時に、天井の桜は消え去った。彼が作り出した幻だったらしい。三叉槍が彼の手を離れ、地面に転がった。骸は床に倒れたまま、身動き一つしない。
獄寺が舌打ちする。
「おいしいとこ、全部持って行きやがって」
綱吉が叫んだ。
「お……終わったんだ……これで家に帰れるんだ!」
ぐらりと、雲雀の身体が傾いた。
「お兄ちゃん!?」
倒れた雲雀に、弥生、そして綱吉も駆け寄る。
身体を少し揺すり、弥生は手を止めた。怪我は、肩だけではない。骨が何箇所か折れている。普通の人ならば、動く事もままならないだろう。
早く皆を病院に連れて行かなければと言う綱吉の言葉に、弥生は携帯電話を出す。
「それじゃあ、今、草壁に……」
「その必要はねーぞ。ボンゴレの優秀な医療チームがこっちに向かってる」
「よかったっスね」
「獄寺君、無理しちゃ駄目だよ」
ふらふらと歩いて来た獄寺に、綱吉が慌てて言う。
ふと、人の動く気配に、弥生は振り返った。手には、鉄パイプ。突然の弥生の反応に、綱吉と獄寺も振り返る。
「その医療チームは不要ですよ。何故なら、生存者はいなくなるからです」
六道骸が起き上がっていた。ぴたりと、銃口をこちらに向けている。
照準は、恐らく綱吉。弥生はじり、と横に足を踏み出し、彼を背中に庇う。獄寺も前に出て、弥生の横に並んだ。
「てめー!!」
「クフフフ……」
骸が漏らすのは、夢の中と同じ特徴的な笑い声。
そして彼は、銃口を自らの頭に向けた。呟かれる、異国の言葉。
ズガン。
重い銃声の後、辺りは静まり返った。弥生達は呆然と、床に倒れる少年を見つめる。艶のある黒髪の間から、つーっと伝う赤い筋。それは白い肌を伝い、床に染み込んで行く。
「や……やりやがった……」
「嘘……」
「そんな……。なんで……こんな事……」
倒さなければならないとは思っていた。雲雀の敵だ。草壁を始め、風紀委員も大勢やられて。獄寺や山本までも。
けれども、まさか、殺そうだなんて思っていなかった。それはきっと、綱吉達も同じ事。
ただ一人、リボーンだけは相変わらず動じる様子も無かった。
「捕まるぐらいなら死んだ方がマシってヤツかもな」
「大丈夫? 沢田」
綱吉は青い顔で口元を押さえていた。心優しい彼に、この光景は辛過ぎるのかも知れない。
「ついに……骸を倒したのね」
声に、弥生達は振り返る。
「あ、獄寺の……」
「アネキ!」
「良かった! ビアンキの意識が戻った!」
「無理すんなよ」
ビアンキは上体を起こし、頭を抑えて呻く。そして弥生達を見上げ、弱々しい声で肩を貸してくれないかと頼んだ。
「しょーがねーな。きょ……今日だけだからな」
獄寺はやや顔を青くしながら、渋々と歩み寄る。確か、彼は姉が苦手だったか。弥生は、ふっと溜息を吐いた。
「君、怪我してるじゃん。いいよ、私がやる」
「怪我してんのはテメーだって一緒だろ。発作も治まって来たし、これぐらい何でもねーよ」
「獄寺君! 弥生ちゃん! 行っちゃ駄目だ!!」
不意に、綱吉が叫んだ。弥生達は、きょとんとする。
「どうかしたの? ツナも肩を貸して……」
「え……!? あ……うん……」
困惑顔で頷く綱吉に、獄寺が言った。
「いいっスよ、十代目は。何なら、弥生もいますし……」
「でも……」
「まあ、背丈近い方が支えやすいだろうしね。――でも獄寺、絶対、こっちに当たらないでよ」
「やっぱり面倒くせーな、お前……」
両側から支えようと、ビアンキの横にしゃがみ込む。そして、弥生は飛びのいた。
ビアンキは、骸の落とした三叉槍を突き出していた。咄嗟に後ずさった獄寺の頬に、小さな傷が付けられる。
ビアンキは、自分の行動に驚いた素振りを見せていた。リボーンが前へと飛び出し、ビアンキの鼻の頭を軽く叩く。
「しっかりしろ。刺したのは弟だぞ」
「私、何て事をしたのかしら」
言いながら、彼女はリボーンにも槍を突き立てた。リボーンはあっさりとそれを避け、宙返りして床に降り立つ。
明らかに、様子がおかしい。リボーンの話では、何かに憑かれているようだとの事。
まさか、そんな事が。けれども、素の彼女が獄寺やリボーンを襲うとは思えない。誰かに騙されたり脅されていたりと言うようにも見えない。
ふと、綱吉が呟いた。
「ろくどう……むくろ……?」
弥生は驚いて、綱吉を見る。ビアンキは、あの独特な笑い声を上げていた。
「クフフ。また会えましたね」
ゴーグルの向こうの瞳には、六の文字。
六道骸は、死んだはず。では、彼女は一体? お化け? 憑いているなんて、まさに心霊現象だ。オドオドと骸を振り返るが、やはり彼は床に倒れ伏したまま。
「クフフ。まだ僕にはやるべき事がありましてね。地獄の底から舞い戻って来ましたよ」
リボーン以外の三人は動揺するばかり。獄寺が何処で学んだのか、九字を切り出す。効果の疑わしいそれは、効目があったらしい。ビアンキは槍を取り落として苦しみ出し、その場に倒れた。
本当に祓われたのか、ただの演技か。放っておく訳にもいかず、綱吉が恐々と近付く。
弥生と獄寺も、その後に続いた。獄寺が途中で、ビアンキの落とした三叉槍を拾う。
そして彼は、ビアンキの傍にしゃがみ込むでもなく、綱吉の背後に立った。
「……?」
弥生は目を瞬く。何だろう、この違和感は。
「俺、やりましょーか?」
「獄寺く……骸!」
綱吉が声を上げる。獄寺は手にした三叉槍を振り翳した。弥生は地を蹴り、綱吉に跳びつく。そのまま彼を抱えるようにして、床を滑った。間一髪、獄寺が手にした三叉槍は床を貫く。
「ひいい!! 獄寺君が!!」
腰を抜かして後ずさりする綱吉。弥生は鉄パイプを握り締め、彼と対峙する。
獄寺も、右目に「六」の字が浮かび上がっていた。その視線の先は、綱吉。本来の獄寺ならば、決して見せない表情。
「ほう。まぐれではないようですね。初めてですよ。憑依した僕を一目で見抜いた人間は……」
骸が使ったのは、憑依弾だとリボーンは話す。リボーンが綱吉によく撃っているような類の不思議道具で、他人にとり憑き操る事が出来るらしい。骸が自害と見せかけて撃った弾は、それだった。
「マインドコントロールの比ではありませんよ。操るのではなく、のっとるのです。そして、頭のてっぺんからつま先まで支配する」
そう言って、彼は獄寺の身体で爪を首に当てた。
「つまり、この身体は僕のものだ」
爪を立て、首に切り傷を入れていく。弥生は、鉄パイプを手に飛び出していた。
振り下ろされた鉄パイプを、獄寺は避ける。同時に、手も首元から離れていた。
「おやおや。君が怒るとは。この身体を傷つけられるのが嫌でしたか?」
「知らない。ただ、君にムカついた。それだけ」
途方も無い嫌悪感。彼は、こんな話し方はしない。こんな表情はしない。
「厄介ですね……種明かしをされる前に、君も乗っ取っておくべきでした」
台詞の割には、彼は余裕の笑みを浮かべたままだ。それがまた、気に食わない。
「まあ、君に憑依できればそれも関係無くなりますがね。ボンゴレ十代目」
「なっ……お、俺!?」
弥生は厳しい表情で彼を見据える。やはり、標的はあくまでも綱吉か。弥生の攻撃を容易にかわす骸。雲雀は気を失ったまま、例え意識が戻っても動ける身体ではない。獄寺も、山本も、いない。それどころか、獄寺とビアンキは今、敵に回ったと言ってもいい。弥生一人で、綱吉を守りきれるだろうか。
――否、守らなければならない。
もう、守られてばかりの弥生ではないのだ。弱いままではいけないのだ。
不意に、獄寺は三叉槍を投げた。綱吉はしゃがみ込み、それを避ける。投げたと同時に、獄寺の身体はその場に崩れ落ちていた。
「その通りです」
獄寺の身体で喋っていた台詞を継いだのは、ビアンキ。槍の投げられた先で、再び立ち上がっていた。それで弥生は、骸が憑依を乗り換えたのだと気付く。
そして、彼女の足元には。
「――ダメ!!」
叫んだところで、六道骸が止めるはずもなかった。
「もっとも僕は、この行為を『契約する』と言っていますがね」
言いながら、三叉槍が雲雀に傷を付ける。弥生は愕然と、立ち尽くしていた。
『あの剣で傷つけられると、憑依を許すことになる』
雲雀は気を失って、倒れたままだった。骸は対象に傷を付けるだけで、駒を増やせるのだ。本当なら、一番に気をつけておくべきだったのに。
ゆらりと、雲雀の身体が起き上がる。
「そんな……お兄ちゃん……」
雲雀は握り締めたままのトンファーで綱吉に殴りかかり、そしてそのまま彼と一緒に床に倒れた。骸自身も、予想外な声を上げる。
この身体は使い物にならない。そう言って、再び雲雀の身体は倒れた。
「雲雀さん!! 骸の気配が消えた……!」
弥生は雲雀へと駆け寄ると、そっとその身体を抱き起こす。その目は硬く閉じられ、綱吉の言う通り起き上がる気配も殺気も感じられない。
「気をつけろよ。また獄寺かビアンキに憑依するぞ」
弥生は雲雀を抱きかかえ、左右に倒れ伏す獄寺とビアンキを交互に見る。次に憑依するのは、どちらか。綱吉の言う「骸の気配」と言う物は弥生には感じられず、どちらかが動くまで判らない。
立ち上がったのは、獄寺だった。かと思えば、ビアンキも。
大きな金属音がして、振り返る。非常扉を蹴破り、犬と千種が姿を現した。どうやら、彼らも骸に憑依されているらしい。
「同時に四人憑依するなんて、聞いた事ねーぞ」
「それだけではありませんよ」
言って、獄寺がダイナマイトを放った。弥生は雲雀を抱え上げ、爆風の中を飛び出す。
ただ憑依するだけでなく、彼らの技も使えるようだ。
着地する先を見て、弥生は息を呑む。そこにはビアンキが立ち、弥生を待ち構えていた。瞳の数字は、「二」に変わっている。その手には、見るもおどろおどろしい物体の乗った皿。料理……なのだろうか。
「く……ッ」
正面から叩きつけられそうになったそれを、鉄パイプで弾く。生身に攻撃を受ける事は免れたが、料理に当たった鉄パイプの先は、すっかり朽ちてしまった。
「案外恐ろしい技持ってるんだね、獄寺のお姉さん……」
弥生は、口の端をきゅっと上げて笑う。頬を、汗が伝うのが分かった。
リーチは短くなったが、まだ戦える。とは言え、鉄パイプを盾代わりにし続ける事は出来ない。
「第二の道、餓鬼道は技を奪い取る能力」
告げたのは、獄寺の声。
再び襲い来たビアンキの手を叩き、料理を落とさせる。瞳の数字が、再び「六」になった。
床の至る所に、ヒビが入る。次の瞬間、ひび割れた箇所から火柱が噴出した。
咄嗟に身を翻してそれを避け、弥生は目を瞬く。――熱くない。
なるほど。先ほどの桜と同じ、骸の創り出した幻覚と言う訳か。現実の物でないならば、恐るるに足らない。
足を踏み出しかけ、弥生は動きを止める。
――この戦場に飛び込んで、そして、一体何をするつもりだろうか。
弥生の肩には、気を失った雲雀。彼は動く事が出来ない。健康体ならば自分の身を守る事ぐらい出来るだろうが、今はそれさえもままならない。ついさっきも、骸に傷つけられたではないか。
雲雀を迎えに来たならば、彼の安全を最優先するべきではないのか。
余計なものまで守ろうとして、一番大事なものを蔑ろにするつもりか。幸い、今ならば骸の意識が綱吉に集中している。元々、弥生も雲雀も彼の目当てではないのだ。無理に関わる必要など無い。彼らと群れる気も、弥生には無いのだから。
群れる気なんて――
ドサッと音がして、弥生は我に返る。千種が、攻撃の途中で倒れ伏していた。全身を乗っ取っていても、感覚が無くても、肉体そのものが壊れていては動けない。だから、雲雀を使う事を骸は諦めた。
「千種はもう少し……いけそうですね」
無理に力を入れて、千種の傷口から血が溢れ出る。
敵にも関わらず、綱吉は慌てて言った。
「無理矢理起こしたりしたら、怪我が……!」
「クフフフ。平気ですよ。僕は痛みを感じませんからね」
「何言ってんの!? 仲間の身体なんだろ!?」
弥生は無言のまま立ち尽くし、綱吉を見つめていた。
そうだ――彼は、こう言う人だ。仲間も敵も、関係無い。怯えている癖に、争い事は嫌いな癖に、何かと弥生に関わって来て。仲間のためとなると一生懸命で、彼の周りには自然と人が集まってくる。
弥生は、それが羨ましかった。
本当は、嬉しかった。弥生にも声を掛けてくれて、気にかけてくれて。友達が、欲しかった。
『お兄ちゃんの迎えに来ただけ』
そんなものは、ただの言い訳。雲雀なら無敵だ、心配する必要がないと、そう思っていたではないか。ただ、綱吉達は雲雀とは違うから。あまつさえ、獄寺は怪我をしているから。
彼らが、心配だった。
無事に帰って欲しかった。そのために、自分も共に戦いたかった。だから、弥生はここに来たのだ。
綱吉とリボーンは問答をしていた。綱吉はどうしたいのか、それが答えだと。
俯いたまま、ぽつりと綱吉は言った。
「骸に……勝ちたい……」
「ほう。これは、意外ですね。だが、続きは乗っ取った後にゆっくり聞きましょう。君の手で仲間を葬った後にね」
弥生は部屋の隅にそっと、雲雀の身体を下ろす。三叉槍を振り上げる犬。短くなった鉄パイプを握り締め、弥生は地を蹴った。
群れる事はできない。けれども、この場で身を引くわけにはいかない。
「こいつにだけは、勝ちたいんだ!!」
突然リボーンの背中の辺りが眩く光ったかと思うと、何かが四方八方へと飛び出した。弥生も、骸が操る者達も、思わず動きを止める。
レオンが、孵化しようとしていた。リボーンの話では、綱吉に試練が訪れるのを予知し、繭になっていたのだとか。
「いつまでも君達の遊びに付き合っていられません」
孵化を待たず、犬の声が言った。
「小休止はこれくらいにして、仕上げです」
今度こそ、弥生は飛び出した。綱吉と犬の間に入り、鉄パイプで三叉槍を受け止める。
「弥生ちゃん!?」
「では、目障りな――」
即座に、犬は距離を取った。そして、高く飛び上がる。
「――こちらから」
レオンが、真っ二つに斬られる。しかし、レオンは形状記憶カメレオン。ダメージにはならず、新しい武器も無事生み落とされていた。
それは、毛糸の手袋。
一体、これでどうやって戦うと言うのか。綱吉も思った事は同じらしく、リボーンに抗議する。対するリボーンは、そっけなかった。
「とりあえず、つけとけ」
「最後まで面白かったですよ、君達は」
再び犬が襲い来て、弥生は彼を殴り飛ばす。
「全く、ずっと引っ込んだままでいれば良いものを。しかし」
獄寺、ビアンキ、千種、犬が一斉に構える。
「一人で四人は、防ぎきれないでしょう」
ダイナマイトの爆風を払えば、目の前に迫るビアンキ。針で退路は塞がれる。再び鉄パイプを盾にし、料理に当たった部分が腐り落ちた。
そして同時に、背後で金属音。
「……沢田!」
三叉槍を持った犬が、綱吉に襲い掛かったらしい。綱吉は弾かれ、後ろ向きに飛んでいた。
「大丈夫!?」
「中に何か詰まってるみたい」
怪我は無いようだ。綱吉は手袋をはずし、ひっくり返す。中から出てきたのは、銃弾。これに当たり、弾かれたと言ったところか。
リボーンの口元に笑みが浮かぶ。
「よこせ、ツナ」
「撃たせるわけにはいきませんよ」
犬の攻撃を、ひらりとリボーンはかわす。更に襲い掛かろうとした彼に、弥生は鉄パイプを握り締め立ちふさがる。ビアンキがリボーンの手を捕らえたが、それはレオンによる偽の腕。彼は綱吉の所まで辿り着き、弾を引っ手繰るように取った。
「見た事ねー弾だな。ぶっつけで試すしかねーな」
「さっさとしてよ」
犬を殴り飛ばし、弥生は言う。
「させませんよ。君の身体を無傷で手に入れるのは、諦めました」
獄寺のダイナマイトが放られた。弥生では間に合わない。リボーンの早撃ちに、賭けるのみ。
大爆発――そして、綱吉はそれをまともに受け、横たわっていた。
「おやおや、これは重症だ。何の効果も表れないところを見ると、特殊弾も外したようですね」
――そんな……。
綱吉は動かない。もう、動けないのか。
「万事休す――あっけない幕切れでした。さあ、虫の息のその身体を引き取りましょう」
三叉槍を手に、千種が綱吉へと歩み寄る。
弥生は、彼の前に立ちはだかった。
「おや、まだ抵抗しますか。つくづく理解しがたい。情報によると、君は、彼らの事を拒絶していたようですが?」
「そうだね……私は、彼らと群れる気は無い。鬱陶しいとさえ、思う事もあった」
「ならば、何故? 僕は、君に用はありません。無駄な事をしなければ、怪我をする必要も――死ぬ必要も、無いのですよ」
弥生はキッと彼を見据える。千種、そしてその後ろに控える獄寺、ビアンキ、犬。骸に操られた者達。
「大切だから。守りたいから。これ以上、君に好き勝手はさせない。沢田を乗っ取らせはしない。君は、私が――叩き潰す!」
叫び、弥生は鉄パイプで薙いだ。千種の身体が怪我が酷く、商店街や下の階で戦っていたときよりも遅い。けれども彼は、寸での所で攻撃をかわした。
――リーチが短くなってるんだ。
重なるポイズン・クッキングを受けた鉄パイプは、六年前にあの工事現場で拾った時よりずっと短くなっていた。
ならば、その分だけ間合いを詰めるのみ。襲い来たビアンキに、弥生は身体を捻ってかわし、その腕を強く叩く。皿は落ち、床の一部が腐り果てた。獄寺のダイナマイトは慣れている。爆破より早く、先端を叩き潰す。そのまま間合いを詰め――弥生の腕が、止まった。
眼前に迫った胸の傷。無理に動かされ、溢れ出る血液。下手にダメージを与えれば、命に関わる。
毒針が襲い、弥生は飛び退く。その先に待ち構える、犬。その手には、三叉槍。
「君から先に終わらせた方が、早そうだ」
鉄パイプで応戦しようとし、ズキンと肩の傷口が痛んだ。身体の駆使が危険なのは、弥生も同じ事。傷口が開き、雲雀の巻いてくれた包帯に血が滲むのが分かった。
力が入らない。
鉄パイプは弾かれ、カランと空しい音を立てて床に転がった。
――しまった……。
「さあ、契約です。雲雀弥生」
三叉槍が弥生を襲う。
しかし、それが刺さる事は無かった。
弥生は目を瞬く。目の前で、槍を握り締め止める腕。はめられた手袋が光を放ち、形を変える。脆くも折れる槍の先。
「骸……お前を倒さなければ、死んでも死に切れねえ」
服はそのまま頭に橙色の炎を灯した綱吉が、弥生の前に佇んでいた。
2012/06/09