「君は十三年前、ヴォルデモートに、ハリーと同時に呪いをかけられた。
しかし君だけ遺体も見つからず、皆が死んだと思っておった……なるほど。異世界に飛ばされてしまっていたのじゃな」
華恋はただ黙って、ダンブルドアの話を聞いていた。
十三年前……つまり、現在ハリーは十四歳。時間軸は「炎のゴブレット」か。
「でも、どうして私がポッターだなんて言い切れるんですか? ただ単にファーストネームが同じだけじゃないですか。
それに私、日本人ですよ? 容姿も似通っていませんし、魔法も使えません」
「魔法を使えず、魔力も示さなかったのは、その世界に魔法が無かったからじゃろう。今は、君から魔力を感じる事ができる」
では、ホグワーツに入学出来るのか。その点は、良かった。
せっかくこの世界に来たと言うのに、マグルの世界に置いてけぼりを食らってはつまらない。何より、魔法界ならば華恋にもいくらか予備知識がある。だが、この世界のマグル界は、ハリーが帰る夏休みの事しか分からない。
ただ、三大魔法学校対抗試合は観客から見えない競技ばかりだ。それだけは、やや残念である。
それにしても、ダンブルドアの返答は華恋がポッターだと言う証拠になっていない。そもそも、ハリーに兄弟姉妹がいたのかさえ、疑問である。確かに、「いない」とは書かれていないが……。
「リリーは君のような髪質じゃった。色はジェームズじゃな。
まあ、確かに顔はどちらとも似てはおらんが……赤ん坊の時からじゃぞ? じゃが、目はハリーと同じく、リリーのものじゃ」
ダンブルドアが告げる共通点に、華恋は胸中で舌打ちをする。「ハリーポッター」の世界に来るのは、まだ良い。ハリー達主要人物達と関わるのも、まだ良い。
だが、生き残った男の子ならぬ「生き残った女の子」になるのは、嫌だった。華恋には魔法界の為に命を賭ける気などさらさら無いし、持て囃されたり冷たい視線を浴びたりするのも御免だ。
と、そこでダンブルドアが妙に引っかかる事を言ったと気づく。表情に表れたのだろう。ダンブルドアは鏡を差し出していた。華恋は恐る恐る、その鏡を覗き込む。
そして、息を呑んだ。
とあるライトノベルの主人公みたいな現象が起こっていた。茶色だった瞳が、緑色に変色してしまっている。
その色だけを見れば綺麗なエメラルド色であるが、自分の顔に慣れない色の瞳が付いているのは、何とも気味の悪いものであった。
追い討ちをかける様に、ダンブルドアは話を続ける。
「それから、その傷痕からも何らかの呪いを感じる。ハリーの傷と同じじゃ」
もう、大人しく認めるしかなかった。
それでは、華恋は確かに「ポッター」なのだ。「生き残った女の子」なのだ。ホークラックスを探し出し、ヴォルデモートを殺さねばならない。
……何とも、面倒臭い。
「そうですか……じゃあ私は、ハリーの姉ですか? 妹ですか? 従兄妹ですか?」
思えば、「ポッター」と言う名だけで兄弟姉妹とは一言も言われていなかった。
「双子の姉じゃ」
ポッターで一つだけ良い事と言えば、資金には困らないと言う事ぐらいだろうか。
グリンゴッツの金庫は、華恋とハリーの共用と言う事になるのだから。
No.2
物珍しい風景。ローブや三角帽を着た人々が行き交い、時には人ならざる者の姿も見かける。店頭に並ぶのは、どれも見た事が無いような品物ばかり。特に、クィディッチ専門店と思われる店の辺りは大変な人だかりだった。今年はクィディッチ・ワールドカップがあるからだろう。店は、ワールドカップに関連した商品を取り揃えているようだ。
しかし華恋は、どうにもその珍しい風景を楽しめるような気分ではなかった。はぐれぬように、黙々と前を歩く連れについて行く。彼は一言も話そうとしない。初めてダイアゴン横丁を訪れる華恋に、説明さえしようともしなかった。
ただ向けられるのは、憎しみに満ちた視線。
セブルス・スネイプに付き添いを任せるなんて、一体ダンブルドアはどう言うつもりなのだろうか。
金は、ハリーまで連絡を取り付けて、一時的にこちらが金庫の鍵を持っている。スネイプは、トロッコまで付いて来なかった。「怖いのか」とからかってみたかったが、やめて置いた。これがもし同世代だったなら、間違い無くからかっていただろう。
フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店には、文字通り大量の本があった。教科書以外の本も気になるが、今日は他の買い物もある。最低限にしておかねば、持ち帰る事が出来ない。新学期になればホグズミードだってあるし、ホグワーツの図書館も沢山の本がある。
何故か英語が喋れるようになっているのと同じく、読み書きも出来るようになっていた。理由は分からぬが、便利なので特に深くは考えようとしなかった。
教科書、制服、実験用具、そして杖。
予想はしていた。
華恋も、ハリーと同じ傷がある。つまり華恋も、ハリーと同じく力を移されていると言う可能性。
案の定、杖は何やら曰く付きの物だった。採取した個体は違えど、同種の材料。三十四センチ、イチイの木、不死鳥の尾羽。
華恋はその材料名を告げられただけで、その事に気づいた。だから、態々オリバンダーに直接そう告げられる必要は無かった。
ヴォルデモートと同種の材料だ、と。
その場にいるのは、華恋だけではない。共にいるのは、付き添いのセブルス・スネイプ。彼は、奇妙な視線を華恋に向けていた。
「えーっと……八ポンドって事は、五と三を払えばいいんだから……」
ターコイズ・ブルーの紙幣を出し、五円玉や十円玉に似た色の硬貨を二枚出す。しかし、もう一枚が足りない。五十ペンス二枚か、十や二十も合わせるか。ダイアゴン横丁で換金した所持金を確かめながら、必要金額を払う。
慣れないお金だから、一枚一枚数字を確認しなくては何円玉だか分からない。色や大きさの違いはあるが、数字の書いていない面は全て同じ女性の横顔。分かり難い事この上ない。スネイプが助言をくれる様子は無く、会計の列から離れた所で意地の悪い笑みを浮かべて眺めている。
全く持って、ダンブルドアは何故彼を選んだのか疑問だ。今回、ハグリッドは空いていなかったのだろうか。
着替えも買い終わり、二人は帰途に着く。
マグルの洋装店から漏れ鍋へと向かっていた時、これまで「来い」や「ここが杖を売っている店だ」などの言葉以外、一切喋っていなかったスネイプが口を開いた。
「一つ、確かめたい事がある」
「……はい?」
華恋はキョトンとして、スネイプの隣に並んで歩く。後ろよりは、横にいた方が聞き取りやすい。
「貴様は、魔法界の無い世界にいたと言っておったな?」
「はい」
「それにしては、ダイアゴン横丁での支払いに戸惑いが少ないようだったが」
言っている意味が分からず、華恋は猶もキョトンとするばかりだ。
ダイアゴン横丁でも、華恋は支払いに戸惑った。何しろ、魔法界の金の単位は計算が面倒だ。
「金貨がガリオン、銀貨がシックル、銅貨がクヌートだ。一ガリオンは十七シックル、一シックルは二十九クヌートだ」
「はい。だから、戸惑って――」
「何故、知っている?」
「え?」
「何故、その単位を知っている? 貴様が戸惑ったのは、それを前提とした計算の段階だ。魔法の無い世界にいたのならば、まずその単位さえも知らぬ筈だが」
――あ……。
確かに、スネイプの言う通りだった。
一ポンドは百ペンス。そちらはまだ、マグル界の通貨だから分かっていても何ら不思議な事は無い。例え知らずとも、百と言う数字は容易に想像出来る。
だが、魔法界の通貨は違う。十七や二十九など、予想だけで当てる事など到底出来そうもない。
「貴様は、一体何を隠している?」
「……何も」
人々が往来する中、二人は立ち止まっていた。
華恋は落ち着いた様子で、スネイプの暗い瞳を正面から見つめ返す。
「ちょっとした知識なら、ありますよ。今まで、何度かこの世界に飛ばされたんです。その時に、図書室に忍び込んだりして常識程度は調べましたから」
一時の沈黙が訪れる。
やがて、スネイプはふいと顔を背け、再び歩き始めた。
「……まあ、そう言う事にしておこう」
その日は、必要の部屋を利用して寝た。
ホグワーツに帰ったらまず、教科書のページを次々と捲った。魔法に関する書物は中学校の教科書より断然興味深く、思わずそのまま読み耽ってしまう。気がつけば、もう四時間以上経過していた。
ざっととは言え、目当ての呪文が載っていそうな教科書は全て目を通した。まさか、魔法薬学や魔法史の教科書に呪文が載っているとは思えない。そうすると、この中には無いのだろうか。
そう考えたところで、ふと壁沿いの棚に一冊の本があるのが目に入った。――ここは、必要の部屋だ。
華恋は緊張しながら本棚まで歩み寄り、その本をそっと手に取る。開いたページに、目的の呪文は載っていた。その本を片手に、華恋は買ったばかりの杖を握り締める。華恋はまだ入学していない。だから、魔法を使用しても校則違反にはならない筈だ。未成年の魔法の使用についても、校内だから法律違反にはならない筈。
それ以前に、ホグワーツには大人の魔法使いが何人かいる。誰が使ったかなど、魔法省には分かるまい。
ロンドンで買ったポーチに杖を当て、華恋は呪文を唱える。
初めての魔法。成功しただろうか。恐る恐るポーチの中を覗くが、中は暗く何も見えない――ポーチの底さえも。
試しに、ポケットティッシュを一枚、ポーチの中に入れる。ティッシュはひらひらと舞い降りていって、やがて見えなくなった。
――成功だ。
試す為に入れたティッシュを出そうと、華恋はポーチの中に手を突っ込む。
――あ、あれ?
ポーチの中は、外見よりも遥かに広い空間になっていた。そう言う呪文をかけたのだ。だが、あまりに広すぎる。どんなに手を入れても中の生地に触れる事は無く、ティッシュも見当たらない。肩まで腕がすっぽり入ったところで、華恋は諦め腕を抜いた。これ以上漁っていたら、身体ごと引きずり込まれそうで怖い。どうやら、初めてで成功はやはり無理だったようだ。
仕方なく、華恋はロンドンで買った大きなトランクを開ける。元の世界から付いてきた邦訳版の『ハリーポッター』九冊を入れただけで、メインボディの半分以上が埋まってしまった。果たして、荷物全部を納める事が出来るのだろうか。
何とか服類だけでもトランクに収め、華恋はベッドに潜り込む。
ホグワーツの夜は、静寂に包まれている。
華恋の家の近くはバイパスが通っていた為、夜でも微かに車の通る音が聞こえていた。闇や静寂は、嫌いではない。寧ろ、好きだ。
本当に華恋は、ハリーと双子なのだろうか。本の描写と似ていない。自分でも分かった。外見も、性格も。華恋は、ハリーのように人を信じる事など出来ない。人は、嫌いだから。
本当の友情なんて、ある筈が無い。
それは、作り話の世界だ。
「でもここは、その『作り話の世界』なんだよね……」
闇の中、華恋の呟きを聞く者は誰もいなかった。
翌朝、華恋は身支度を整えると、大広間まで降りていった。
動く階段、無数にある廊下。歩いている内に、自分が今何階にいるのかさえ分からなくなる。
途中でゴーストの灰色婦人と出会い、ようやく大広間まで辿り着けた頃には、部屋を出てから三十分以上も経過していた。
「新学期、早く学校に慣れますよう……例え迷子が理由でも、授業に遅れたら先生方は容赦ありませんよ」
灰色婦人はややからかうように微笑を浮かべ、何処かへと消えて行った。
それを見送り、華恋は目の前の大扉に向き直る。そっと扉を押し開くと、中では数人の教員が食事を取っていた。ダンブルドアとスネイプは、昨日会ったのだから分かる。小さいのは恐らく、フリットウィックだろう。髷を結い何とも厳格そうな顔つきの女性は、マクゴナガルだろうか。それから、女性が二人。ふっくらとした方は、スプラウトかも知れない。だがもう一人は、分からなかった。少なくとも、トレローニーではないだろう。
「おはよう、カレン。こっちへおいで。ホグワーツの食事は、なかなか美味しいものばかりじゃぞ」
戸口の所に立ち尽くす華恋に、ダンブルドアが手招きする。華恋は小さく頭を下げ長机の方へと歩いて行き、空いている席に座った。
パンやサラダ、シチューなどの朝食が、机の上に並んでいた。朝からこんなに食べれるだろうか。華恋はまず、それが心配になって来る。一先ず今日は、昨夜食べていないのだから大丈夫だろう。突然の事ばかりの一日で、昨日は疲れていたらしい。食事もとらずに眠ってしまった。
教師ばかりが並ぶ中で一人子供が紛れて食事を取るのは、何とも居心地の悪いものだった。その上、ダンブルドアが何度と無く話を振ってくる。華恋の緊張を解そうと思っての事だろうが、寧ろ華恋としては放って置いて欲しかった。
「昨夜言っておった探検は、どうじゃったかの? よく眠れたかね?」
「はい、まあ……」
「本当なら、きちんとベッドを用意するつもりだったのじゃが……バーベッジ先生が、自分の部屋に泊めても良いと申し出てくださったのでの」
そう言ってダンブルドアは、華恋が検討のつかなかった魔女の教師を目で示す。
華恋は彼女にぺこりと頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「彼女はマグル学を教えておる。カレンの事を話すと、たいそう興味をもたれてのぅ。マグル界の話はいくらでも入るが、異国も、それも遠い地となるとなかなか接点が無いからの」
「はぁ……」
華恋の返事が短く終わってしまっても、ダンブルドアは一人で話していてくれた。
「――ところで、カレンが今後どうするかじゃが」
食事も終了間際になって、ダンブルドアは華恋に向かって切り出した。
「カレンの都合が良いようなら、今日の昼にもハリーと合流するのはどうじゃろうかと考えておる。今、ハリーはクィディッチ・ワールドカップのキャンプ場に友人達とおっての。夏休みはハリー同様、ダーズリー家に帰る事となるが、先日ちょっとしたごたごたがあって、ダーズリー夫妻は、あまりわしらと連絡を取り合いたくない様子での……。ウィーズリー夫妻は、直ぐにも来て構わんとの事じゃった。問題ないかの?」
「はい。支度しておきます」
「それなら、十一時に玄関ホールへ来られるかの。セブルスが待っておる」
スネイプが不服そうな顔をしている事は、彼の方を見ずとも分かった。
十一時十分前、華恋はトランクを引きずり玄関ホールへと降りてきていた。玄関ホールでは、しかめっ面をしたスネイプがどの方向から来るかも分からず立ち尽くして待っていた。
「お待たせしました」
華恋の声にスネイプは振り返り、そしてスタスタと歩いて行く。
外へと出る樫の扉に手を書け、彼は振り返った。
「早くせんか」
華恋は我に返って、トランクを引きずりついて行く。
思いトランクと大鍋を何とか持ち上げて階段を降り、道沿いに校門へと向かう。二人の間に、会話は無い。スネイプは華恋の数歩前を、時折振り返りながらスタスタと歩いて行く。
「あ、あの、スネイプ先生」
沈黙に耐えかね、華恋はスネイプの背中に向かって声をかける。スネイプは足は止めずにちらりと振り返った。
「えっと……ホグワーツって、四つ寮があるんですよね? 先生は、何処の寮監なんですか?」
知っていたが、他に話題が思いつかなかった。
スネイプの返答は素っ気無かった。
「スリザリンだ」
それで終わりかと思いきや、彼は後を続けた。
「――何処で知った?」
スネイプは歩くペースを緩め、華恋の隣に並んだ。そして、横目でじっと華恋を見る。
目を合わせる事に引けを感じながらも、華恋は答えた。
「『ホグワーツの歴史』で読みました――図書館にあって」
「本で? 本当かね?」
「何故です?」
何でホグワーツの知識を入れたかなど、大した問題では無い筈だ。スネイプが疑問に思う理由が見当たらない。
スネイプは猶も華恋を見つめていたが、やがて視線を外した。再び、スタスタと前を行ってしまう。
――あまり好きになれそうに無いなあ……。
キャラとしては好きだったのだが。そんな事を思いながら、スネイプの後を追って歩く。
校門に到達するまで、二人は終始無言だった。
校門を出て直ぐの所には、やかんの蓋が落ちていた。ただのゴミとも取れなくも無いが、本を読んでいて自分が他所へ行くのだと分かっていれば、それが何なのかは容易に想像がつく。
「移動キーだ」
スネイプは短く、そう言った。
「十一時半に設定されている。そろそろだ。それに触れていろ」
本を読んでいなければ、彼の説明では困惑するばかりだろう。言葉の少なさに半ば呆れ返りながらも、華恋はやかんの蓋の所まで歩み寄る。
腕時計を見れば、あと一分。
華恋は、スネイプに向かって軽くお辞儀した。
「ありがとうございました、スネイプ先生。新学期、宜しくお願いしますね」
スネイプは無言で頷く。
華恋はやかんの蓋へと手を伸ばす。
「最後に一つ、教えてやろう――ホグワーツの教員は、誰もが皆寮監を兼任している訳ではない」
スネイプがそう言ったのと、華恋が蓋に触れたのとは、同時だった。
華恋はハッとして振り返る。スネイプの顔は歪んだ景色と交じり合い、直ぐに見えなくなってしまった。
2009/11/23