「あ〜あ……やっぱり駄目だったかー」
「やっぱり、恋の力には勝てませんな」
「いいなぁ。田中さん。勘田君にあんなに思われててー」
 四年生最後の種目、リレーが終わり、俺達は溜め息を吐きながらクラス席へと戻った。
 結局、D組には勝てなかった。
 いい勝負だったんだよ! 一度、トムが抜かしたんだよ! なのに、なのにさぁ……。

『優希っ!! 何抜かれてんのよ! もっとスピード出しなさいよね!』

 D組のとある女子生徒にそう言われ、勘田はありえないほど速くなった。
 流石のトムも、ゴールした後唖然としていた。
「彼は一体何なんだ? 魔法でも使った訳じゃあるまいし、突然あんなに速くなるなんて……」
「そっか。トムは知らないよな。勘田と田中。あの二人、結構有名なカップルなんだぜ。ラブラブなんだって」
「……」
 トムはまだ、釈然としない様子だった。





No.2





「あぁ、そうだ。勘田君と田中さんの所為で忘れるところだったよ。
――来賓席の近くにいたのは、佐藤君のお姉さんかい?」
「ああ、うん。友達と来てたでしょ。でも、よく分かったね」
「君達、流石姉弟なだけあって、似ているからね」
「俺も夕紀も、お母さん似なんだ。尤も、俺お父さんの顔見た事無いから、本当か如何か分からないんだけど」
「……そうか」
 何か、違和感を覚えた。何なんだろ。
 若しかして。
「トム、俺達のお父さんとお母さんを知ってるの?」
「如何して?」
「何となく」
「また『何となく』か……。
そうだね……知ってるとも知らないとも言えないね。知ってはいるけど、別に知り合いって訳じゃないから」
「知ってるんだ! ねぇ、じゃあさ、お父さんの名前、何て言うの? どんな人?」
 俺が目を輝かせてそう聞くと、トムは目を丸くした。
「僕が知っているのは母親だけだけど――佐藤君、父親の名前も知らないのかい?」
「うん。夕紀に聞いても、憶えてないって言うんだ。佐藤って苗字も、お母さんのだし……」
 トムは黙り込み、夕紀達の方を見ていた。





 誰か、この状況を説明して下さい。
 如何してこんな事に?

 運動会が終わり、千尋は私の家に寄った。
 忠行の帰りを待ちながら、だべってて。洗濯物を取りに、私は席を空けた。忠行が帰ってきたら鍵を開けてあげて、って頼んで。
 そして、洗濯物を取り込んで居間に戻ってみれば。

 なんで、トム・リドル(入学前推定)似のトム・サトウ(十歳)がここにいるのよ――――――っ!!?

「あ。こんにちは。佐藤君のお姉さんですよね。お邪魔してます」
 戸口で硬直している私に気がつき、彼はにこりと会釈をする。
「トム君、礼儀正しい〜っ。可愛いなぁ。
あ、夕紀。いいよね。トム君、忠行君と一緒に来たから入れちゃったけど。入れたの、私より寧ろ忠行君だし」
「夕紀。こいつが、二学期に転校してきたトム・サトウ。夕紀に会ってみたいって言うから、つれてきたんだ」
 いやいや、勝手に話を進められても。
 って言うか――
「私に……?」
「はい。高校生と小学生だけで、二人暮らしをしているって佐藤君から聞いたので。よほど、しっかりして――」
「トム君」
 千尋が遮った。そして、彼の手を引っ張っていく。
「ごめん、夕紀。私、もう帰るわ」
「え? 僕は、まだ帰らな――」
「お姉さんが、送ってあげるから。だってもう、遅いでしょ? ご両親が心配するよ」
 そう言いながら、ぐいぐいと引きずるようにして彼を連れて出て行った。

 居間には気まずい沈黙が流れる。
 ぽつりと、忠行が言った。
「……お母さん、お父さんの所に行っちゃったのかなぁ」
「忠行」
 忠行は顔を上げ、にっこりと笑う。
「ちょっと言ってみただけだって! 大丈夫! 男の俺が、夕紀の事守るんだから!
じゃ、俺、宿題でもして来よーっと……」
 そう言い、手提げを持って自室へと戻っていった。
 あんなの、忠行の空元気。分かっているのに、私は何もしてやれない。
 結局、「姉」が「母親」になる事は出来ない。私も、忠行と同じだから。お母さんが突然いなくなって、寂しいから。心細いから。
 一体、何処へ行ってしまったの? 警察に届けは出したけど、本気になって捜索はしてくれない。行方不明者の中には、自ら姿を消す人だってたくさんいるから。だから、事件性でも無い限り、捜索に人は割けられない……。





「千尋さん? 如何したんですか??」
 私はぐいぐいとトム君をアパートの外まで引っ張って行き、アパートの隣にある公園の前まで来て、立ち止まった。
 トム君は困惑したように私を見上げている。
「……トム君。夕紀と忠行君が二人で暮らしてるって事、忠行君から聞いたんだよね?」
「はい。父親は彼が産まれる前にいなくなって、母親は今年の四月から行方不明だと……」
「それを気にしてないと思う?」
 四月。夕紀は、特に他の人と何の違いも無かった。
 最初は気がつかなかった。でも、誰もいない所で今にも泣き出しそうな暗い表情をしている事を知って。
 話しかけてみた。
 それで、ハリポタの交流サイトで知り合った相手だった事を知って。あれから、まだ半年も経っていない。

「夕紀は――多分、忠行君も――自分達が、親に捨てられたんじゃないかって思ってる。そりゃあ、女手一つで二人も育ててきたんだもの。色々と大変だったでしょうしね。それに、心配してるんだよ。何かあったんじゃないか、って。だって、その二つの可能性しかないでしょう?」
 だから。
「私は、夕紀の前で家族の話には触れないようにしてる。夕紀から話して来ない限り、決して」
 それでは前に進めないかもしれないけれど。でも進む前に、心の整理が出来てなきゃいけないから。心の整理が出来たら、きっと夕紀から相談してくれる。
 私はそう、信じてる。
 トム君は、話が分かったのか分かっていないのか、関係の無い事を質問してきた。
「母親の名前は?」
「さあ……そこまでは知らないけど」
 私はきょとんとして答える。
 小学生には難しいかなぁ……?

 その後、駅で別れて。

 彼は、千尋の姿が見えなくなったのを確認すると、夕紀と忠行の住むアパートへと戻っていったのだった。





 夕食の準備をしていると、いつの間にやってきたのか、背後から声をかけられた。
「今日の夕食は何?」
「取り合えず、ある物と魚と――」
 返事をしながら振り返って、私は硬直した。
 そこにいたのは、忠行ではなかった。

 トム・サトウ。

「なっ、なんであんたがここにっ!? 千尋と帰ったんじゃないのっ!!?」
「気になる事があったから、戻ってきたんだ」
 え!? 鍵掛かってたよね!? って言うか、口調が変わってるんですけど!!?
 まさか……まさかとは、思うけどさぁ……。
「えーと、さぁ……鍵、掛かってたよね?」
「『姿現わし』をしたからね。鍵なんて全く無意味だよ」
 あぁ。じゃあ、やっぱり……?
 彼は、ニッと口の端を持ち上げて笑った。
「君は如何やら気がついていたみたいだね。それなのに、随分と暢気なもんだ。

僕の本当の名は、トム・マールヴォロ・リドルだ」

 嘘だ――――――!!
「う、嘘は駄目だよ。トム君」
「嘘? 何なら、実際に魔法を使って見せようか?」
 そう言うと、ポケットから如何やって収まっていたのか、木の棒を取り出した。
 杖? それ、杖ですか!?
「そうだね……何がいい? 『磔の呪文』? 『服従の呪文』? あ、『死の呪文』は選択肢には含まれないよ。君には聞きたい事があるから」
「どちらも結構です!!」
 どっちも禁じられた呪文じゃないのよー!
「そうかい? じゃあ、信じてくれるのかな?」
「信じる! 信じるから……」
 だって、何となくそんな気がしてたしさぁ……。
 嗚呼、私の人生、どうなってしまうのだろう……。

 あ。
「ねぇ。忠行は、その事知ってるの?」
 忠行は「ハリー・ポッター」その物は知っていても、映画の内容でさえうろ覚え。当然、本なんて読んでいない。リドルが本名を名乗っても、それが誰だか分かっていない可能性は充分にある。
「知らないよ。でも、流石は姉弟だね。あの子も君と同じように気づいているみたいだ」
「あと、もう一つ質問。貴方、本当はいくつ?」
 私の質問に、リドルは目をパチクリさせた
 あー、駄目! その容姿でその動作、可愛いからっ!
 リドルはそれから、不機嫌そうに言った。
「十八だ。だから、実年齢では君よりも三つ上だね」
「え。それにしちゃ、可愛い容姿……」
 リドルは笑顔で、杖を突きつける。
「僕だって、如何してこうなったのかは分からないんだよ。多分、時空を飛び越えた影響だと思うけどね」
「ごめんなさい! 謝るからその笑顔をやめて! 杖を降ろして!」
 私は叫びながら、ホールド・アップ。
 リドルは笑顔はやめてくれなかったけど、杖は降ろした。私はホッと息を吐き、ちらりと付けっぱなしのガスコンロを見る。

「え〜っと……もう、夕食の支度を再開してもよろしいでしょうか……焦げるので……」
「火を止めておけばいい。僕の話がまだ終わっていないだろう?」
「そうだっけ?」
 ああ、でも考えてみれば、用があるから来たのか……。
 リドルは脱力したように溜め息を吐く。
「まったく……『君には聞きたい事がある』と言っただろう?」
「あぁ!」
 私はポンと手を打つ。そう言えば、そんな事を言っていたような気がしなくもない。
 リドルは何故か、更に脱力する。
「彼女の子供だから、もっとしっかりした子達だろうと思ってたんだけどね……」
「――『彼女』?」
 私が聞き返すと、リドルは顔を上げて真っ直ぐ見据えてきた。
「時空管理人、佐藤有紗。君達の母親だろう?」


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2006/12/11