レイは図書館の扉の前で、深い溜め息を吐いた。
やはり、ティロットが度々自分達に近付く目的は、リドルだった。どう考えても、自分が彼女に勝るとは思えない。ティロットは我が強く、恐ろしい部分がある。だが、リドルはその点について全く気にしていないようだし、何しろ彼女は美人だ。
男装しているものの、一部では女々しいとさえ言われているレイ。女性的で美しい上に、老若男女問わず平伏す雄々しさを持ち合わせるティロット。どちらがよりリドルとつりあうかなど、明白である。
再び溜め息を吐き、レイは図書館の扉に手を掛ける。静かな図書館内に、扉を開く音はやけに大きく響いた。全試験終了後の図書館は、人が少ない。皆、これまで図書館でレポートや参考書に埋もれていた分、外へ出ようとする。湖、中庭、場所は様々だ。
レイは脇目もふらずに、真っ直ぐ奥の方へと歩いていく。本棚の裏側、入り口や机の大部分からは死角になる所に位置する席に、今日もリドルは座っていた。
本棚の横に出た所で、レイはその場で立ち尽くす。リドルは頬杖をつき、視線を手元の書物に落としている。リドルの細く長い指が、文字がびっしりと書き込まれたページを捲る。白い綺麗な肌、さらさらの黒髪、整った顔立ち。こうして見ると、本当に格好良い。こういうのを、二枚目と言うのだろう。
「そんな所にいないで、座ったらどうだい?」
突然リドルが口を開き、レイはびくりと肩を震わせる。
本棚を離れ、罰が悪そうに机の方へと歩いていった。乾いた笑いを漏らしながら、リドルの正面にそっと座った。
「よく気づいたね〜。リドルからは、僕がいた所は完全に死角だったろうにさ」
「この僕が気づかないと思うかい?」
「ま。それもそっか」
レイは呆気らかんとした様子で同調し、背中を丸め両腕を机の上に置いて組む。視線は下ろし、机の一点をじっと見つめる。
男装して入学したものの、レイはなかなか友達が出来ずにいた。男で通しているものだから、当然女子とは距離が遠い。かと言って、男子とも話が合わない。
せっかく、ここへ来たのに。自由を掴んだのに。これでは、面白くない。
そんな時、話しかけてきたのがリドルだった。
今にして思えば、あれはただ単に、他の生徒達にも向けている優等生面をレイにも向けただけなのだろう。だが、周囲になじめずにいたレイにとって、敵対する寮とは言え声を掛けてくれたリドルは貴重な存在だった。レイは直ぐにリドルに懐き、リドルと行動を共にする事が多くなった。
やがて、リドルは完璧な微笑み以外の表情もレイに見せるようになった。それでも、まだ全てを明かしてはいないだろう。だけれど既に、リドルとレイの仲はホグワーツ中の知る所となっていた。
スリザリンの学校創立以来の優等生、トム・リドル。グリフィンドールの平凡で内気な少年、レイ・マーロン。所謂、凸凹コンビだ。腐女子受けはかなり良いが、それはまた別の話である。
レイの背後にある窓の外では、雨がぽつりぽつりと降り出した。
本日、ホグワーツ在学時で最も重要且つ厳しい試験、NEWTを終えた。残すは卒業のみ。
卒業までに、レイはリドルに告白すると心に決めている。当然、性別を偽っていた事も話すつもりだ。リドルとの友情は、いつしか恋心へと変わっていた。それがいつだったか、今はもう覚えていない。
だが、告白や性別の話以前に、もっと気になっている事があった。
「……リドル、スラグホーン先生を始めとする先生方からの就職先の紹介、全てお断りしたんだってね」
独り言かと間違いかねない程の静かな声で言い、レイは視線を上げて正面のリドルを見つめる。
リドルは口を閉ざしたまま、書物から視線を離そうとしない。
「スラグホーン先生がダンブルドア先生に話しているのを聞いた。なんでだい? スラグホーン先生は、魔法省の役職まで紹介してくださったそうじゃないか」
「どれも興味が無かったんだ。それだけだよ」
返事を返したものの、やはり書物から視線を上げようとはしない。だが、ページを捲る手は止まっていた。
「……どうするの、これから?」
「なんとかなるさ」
バンと思わず机を叩く。
「何とかなる訳、ないじゃないか! 第一、こんな事を言うのは嫌だけど、リドルは親もいなくて生活資金も無いんだよ? どうやって暮らしていくつもりだよ。ずっと孤児院にいる事なんて出来ないでしょ?」
「もちろん、就職はするつもりだよ。当然だろう」
「だから、何に就くつもりなんだよ!」
「小さなお店のバイトとか?」
「ふざけないで! ちゃんと、こっち向いて話してよ」
ようやく、リドルは頬杖をついたまま、視線を正面に向けた。レイは真剣な瞳でリドルを見つめている。背後の窓を、雨が強く叩く。
リドルは軽く息を吐き、腕組みをして椅子に踏ん反り返った。
「僕はふざけてなんかいないよ。君はサービス業を侮辱する気かい? 知ってるかい? 日本の労働者の内、第三次産業に就職している者は優に半分を超えていて――」
「君は正社員じゃなくて、バイトと言っただろう。それに、どうして魔法省への紹介を断って、そんな仕事を選ぶの? リドルがお店の店員に憧れているなんて、聞いた事もないけど」
「だろうね。人に話すほど強い憧れを抱いた覚えは無いから」
「それじゃ、どうして?」
「僕も、君に尋ねたい事があるんだけど」
「話を逸らすな」
「逸らしてないよ。この会話の流れについてなんだから。
――どうして、君が僕の就職について口出しするんだい?」
「そんなの、友達として……」
「友達にしたって、生活資金だの、暮らしだの、そこまで現実的問題を考えるかな? 寧ろ、やりたい事をやれって言うタイプの方が多いと思うんだ」
「どうせ、僕は女々しい奴だよ。今更、言われなくたって――」
視線を逸らし、前に乗り出した体を引こうとする。しかし、リドルがその腕を掴み引き止めた。書物のページを捲っていたリドルの指先が、レイの顎にそっと触れる。
「まあ、一緒に生活をしたいと思っていたりするなら、君にも大いに関係あるけどね」
途端に、レイはリドルの手を払い、ずさっと身を引いた。
「な、なな、何言ってんだよ! 僕は男だよ!? リドルって、そういう趣味があった訳!?」
顔を真っ赤にして喚くレイを見て、リドルは爽やかな笑みを浮かべる。
「そういう趣味って、君は何の事を言っているんだい? ルームシェアって、流行っているだろう?」
「絶対違う! リドル、そんな意味で言ってなかった!! だったら、なんで顎に手を掛けるのさ!」
「面白い反応を見せてくれるだろうと、期待してね。期待に応えてくれて嬉しいよ」
レイは顔を隠すようにしながら、頭を抱える。心臓に悪い。まだ、鼓動が速い。先ほどのリドルの目。あんな至近距離で、あんな真剣な瞳で見つめられたら、揺るがない女はいないだろう。いっそ、本当に男なら楽だったろうに。
そしてハッと気づく。駄目だ。男では、ティロットの言う通り本当にホモとなってしまう。今でも大分厳しい状況だが、男同士となれば周囲の賛同を得るのは尚更厳しいだろう。
男ならリドルに惚れずに済むだろうと考えた筈が、いつの間にやら男だとしてもリドルに惚れるだろうという思考になっていた。
一人で脳内パニック状態のレイを眺め、リドルは実に楽しそうに微笑む。
雨が降ってきたからか、図書館内も生徒が増えている。この辺りに来る生徒も、少なくなくなっていた。特に、女子生徒が多い。本そっちのけでこちらへ熱い視線を送ってくる者が多数。そんな中、背の高い顔立ちの整ったレイブンクロー生がこちらへやって来た。
「首席さんは、今日も図書館で勉強してたのかい? 試験が終わったってのに、真面目なこった」
その声に、レイは脳内パニック状態からパッと覚めた。
「あ……ミス・ティロット……」
「だから、そのやけに畏まった態度はやめなって。何度言ったら分かるのかねぇ、この子は。今も、いつもの如くリドルにからかわれてたところかい?」
「う、うるさいなっ」
レイは頬を染め、罰が悪そうに顔を背ける。
リドルは口元に笑みを浮かべた。顔を背けたレイには、その笑顔がどの種の物か見えなかった。
「ティロット。僕の親友をからかうのはやめてくれるかな?」
「仕方ないな。リドルに言われたんじゃ、大人しくしないとね」
リドルの笑みにも屈さず、ティロットは肩を竦めて言う。
リドルは辺り一体を見渡す。
「そう言えば、アルウェッグは? 今日は一緒じゃないんだね」
「ああ。あの子なら、もう直ぐ来ると思うよ。あの子、マーロンの性癖をちょっと勘違いしちゃったみたいで。あたしがどんなに言っても、全然聞かないんだ」
「性癖?」
「ナターシャ、マーロンに告白してふられたんだ。そしたら、どういう訳かマーロンをロリコンだと思い込んじゃったみたいで」
「リドル! 僕は別にロリコンじゃないからね!」
レイは慌てて否定する。リドルは苦笑していた。
「分かっているよ」
ティロットも、リドルの後ろでうんうん、と頷く。
「ロリコンじゃなくて、ホモだよな」
レイは椅子を蹴って立ち上がっていた。
「違――」
「レイ〜っ」
黄色い声に振り返れば、アルウェッグがこちらへ駆け寄ってくる所だった。
幾分か、年齢が若返っているように見える。
「私、貴女の為に頑張ったわ! 魔法でね、五歳若返――」
「レイ!!」
アルウェッグの言葉を、激しい口調が遮った。
自分の名を叫ぶ声と共に本棚の陰から姿を現した者達を見て、レイは驚愕に目を見開く。
どうして。何故、ここに。何故、ここが分かった。
ホグワーツとは不釣合いな着物姿の女性。胸に家紋の付いたローブを纏った男性。何故、彼らがここにいる。
その場の誰もが、突然の出来事にきょとんとして、レイとその男女を交互に見る。レイはその場で硬直していた。
レイの尋常でない様子に気づき、リドルは机を回り込んでレイの隣へ行く。ゆっくりと歩み寄ってくる男女との間に入り、レイの肩に手を置いた。
「……どうしたんだい? レイの知り合いかい?」
「如何いうつもりだ、レイ!」
レイが口を開こうとする前に、男性の怒号が図書館内に響いた。
レイはびくりと肩を揺らす。
「お前が家を飛び出して七年、父さん達はお前の行方を捜していた。無事であってくれれば。そう願って。
なのに、どういう事だ、これは! 見つけてみたら、お前、全寮制の学校でそんな格好して……。
栗井家の一人娘ともあろう者が、一体、どういうつもりだ!?」
しんと図書館中が静まり返る。
レイは、青ざめた顔でリドルの腕を強く掴んでいた。
2007/12/26