朝日を受け、霜がきらきらと光る。
 突然の寒さに、彼は目を覚ました。朝の日差しに目を擦り、ソファの上に起き上がる。
 康穂の母が、居間に入って来ていた。毛布を畳み、部屋の隅に置く。急に寒くなったのは、その毛布が掛かっていたからのようだ。自分が寝ている間に、康穂が掛けに来てくれたのだろうか。
 ――気づかなかったな……。
 いつもなら、寝ている間に誰かが来れば直ぐ気づくと言うのに。苦々しく思いながらも、康穂の母の行動をぼんやりと見つめていた。父親と康穂を大声で呼び、そのまま居間を出て行った。返事は無く、父が起き出したのはそれから三十分も経ってからだった。母はテレビの前から立ち上がり、居間を出て行く。康穂の声は聞こえない。
 物を動かさぬよう気をつけながら、その場でのんびりと過ごす。やがて両親は朝食を終え、父がテレビを見に居間へと来る。ソファに座ろうとする父を避け、彼は居間を出た。ちょうど、廊下の突き当たりの部屋から、母が出て来たところだった。洗濯機のピーと鳴る音が聞こえる。
 台所の中までついて入り、直ぐに彼は出た。母親が洗い物を終え出て来てから、入れ替わるようにして入る。
 狭い台所だった。流しの横に、康穂の分の朝食がラップを掛けられて置かれている。この家も、日本独特の食事だ。脇にバナナが置かれているのを見つけ、一本もぎ取る。食べ終え皮を捨てて台所を出ると、母が父を送り出している所だった。父親が出て行き、母はこちらへと歩いて来る。廊下の端に寄って、彼女を交わす。
 母は洗面所に入ると、直ぐに籠を抱えて出て来た。康穂の部屋の前で一度立ち止まり、扉の向こう側に声を掛ける。
「クリスマスの、居間に置いといたからね。包装はしてないよ。――聞いてないな。まだ寝てるか」
 呟き、そのまま台所へと入って行く。勝手口が開閉する音が聞こえ、彼女は出て行った。
 今日はクリスマスだったか。
 日付の間隔さえ失っていた。ぎゅっと拳を握り、居間へと向かう。こちらへ来て、一体どれくらい経ってしまったのだろう。
 居間に入ると、机の上に置かれた木箱が目に入った。これが、康穂の母が言っていたクリスマスプレゼントだろう。どうやら、親以外からは無いらしい。
 寂しい奴だな。そう思いながら、木箱を覗き込んだ。横の面の一つはガラス張りになっていたのだ。
 木箱の中に入っている物を見て、彼の目が見開かれる。
 ……何故、これがここにもある。
 廊下への扉を振り返る。今、居間にいるのは自分だけだ。耳を傍立てるが、康穂が起き出した様子は無い。康穂の母も、庭へ洗濯物を干しに出ている。
 再び木箱へと視線を戻す。それを見つめる彼の瞳には、危険な赤い光が見え隠れしていた。
 そっと木箱を手に取った。そして居間を出て行く。
 ――これは、あんなマグルの小娘が持つような代物じゃない。
 金のリングに黒い石の指輪。石には、三角と丸を組み合わせた特徴的な印が付けられていた。





No.2





 康穂が起き出した頃には、既に太陽は殆ど天頂まで昇っていた。携帯電話が光っている事に気づき、開く。母からのCメールが二件入っていた。一件は、起きたかと問う物。もう一件は、昼食についてだった。そこでもまた、起きたかと聞かれている。
 返信はせずに携帯電話を閉じ、ベッドを降りる。欠伸をしながら廊下に出ると、台所の方から男が出て来た所だった。
 康穂は表情を引きつらせる。彼は康穂に気づくと、笑いかけた。
「やあ、康穂。おはよう」
 皆まで聞かず、康穂は自室へ戻り扉を閉める。そしてその場に座り込んだ。後悔がどっと胸に押し寄せる。
 彼の存在を忘れていた。完全に、康穂一人しかいないつもりだった。
 昨晩、全く悪びれる様子もなく康穂の部屋に潜んでいた彼。本当なら変質者として追い出すところだったが、彼の姿は母には見えていなかった。本人曰く、幽霊でもないらしい。どうにも訳有らしく、彼がこの家に留まる事を康穂は渋々と了承した。
 十数分後、着替え、顔を洗い、髪を梳かして居間に現れた康穂は、むすっとした顔をしていた。テレビを見ている彼を、じとっとした目で見る。彼は気づき、ちらりと康穂に目をやった。
「何だい? お世辞にも可愛いとは言い難い顔して」
「……」
 フンと鼻を鳴らし、顔を背ける。
 彼は、全く気にしていない様子だった。
「そう言えば、台所に君の分の朝食が置いてあったよ」
「知ってるよ。いつもの事なんだから」
 言って、居間を出て行こうとする。彼はリモコンでテレビを消し、ついて来た。
「主電源消してよ。勿体無い」
「主電源?」
「テレビ本体に付いてる方で消してって言ってんの」
 言いながらテレビの方まで戻り、主電源を押す。ボタンの横で紅く光っていた小さなランプが消えた。
「何が勿体無いんだい?」
「電気代。先に言っておくけど、水出しっ放しとか電気つけっ放しとかは絶対に無いようにね」
「その辺は言われなくても気をつけるよ。あまり勘付かれたくないからね」
 台所に置かれていた焼き魚、おひたし、味噌汁と、釜からよそった白米を食卓まで運び、前三つはラップを外す。
 ふと、康穂は尋ねた。
「あんた、朝御飯は? 食べた?」
「ああ、うん。バナナを貰ったよ」
 また「勝手に」と怒られるかと思ったが、康穂の反応は違った。
「それだけじゃ足りないでしょ。待ってて、何か持ってくる。何ならこれも、いるようなら食べていいよ。正直、朝食にこれだけあるのって、ちょっと多いんだよね。直ぐまたお昼食べるしさ」
 康穂は席を立ち、台所へと向かう。少しして、白米と目玉焼き、味噌汁を持って戻って来た。それらを並べ、割り箸を渡す。
「これくらいしか作れないけど」
 目玉焼きを指差し、康穂は言った。椅子を引き、席に着く。
「コンロの所に、鍋あったでしょ。あれ味噌汁だから。一人分なんて減っても分からないから、取っていいよ。あと、ご飯も。――何?」
 じっと見つめられている事に気づき、康穂は尋ねた。
 彼は、ふっと笑う。
「いや、意外でね。昨日の様子だと、僕がここにいるのは本当に嫌みたいだったから」
「確かに面倒臭いよ。でも、飢えさせる訳にはいかないじゃない。寧ろ、私も意外。『目玉焼きだけ?』とか、文句言ってくるかと思ったから」
「そこまで卑しくないよ」
 ややムッとしたような声だった。
 カチャカチャと食器の触れ合う音だけが、二人の間に流れる。殆ど食べ終わった頃、彼が口を開いた。
「康穂は、この後何か予定はあるのかい?」
「タロと散歩に行くつもりだけど。あ、タロってうちの犬ね。玄関出た所にいるでしょ?」
「犬しか相手がいないなんて、寂しいクリスマスだね」
「ほっといてよ。仕方ないでしょ。こんな所住んでると、友達と遊ぼうにもそう簡単に行けないの。従兄弟は男ばっかだし、年も上か下か極端に離れてるのばっかだしね。近所の子も含めて」
「ふーん……」
 全て食べ終わり、席を立つ。そのまま居間に行こうとした彼を、康穂は引き止めた。
「片付け手伝って。拭くのやってくれればいいから。あんたのは、置いといて乾かす訳にも行かないでしょ?」
 彼は、大人しく台所まで付いて来た。思った程、嫌な奴でも無いようだ。





「ほら、タロ。遊びに行こ」
 康穂がリードを手に取ると、タロは尻尾を激しく振りながら立ち上がった。
 鎖から付け替えるなり、駆け出す。リードがいっぱいいっぱいに張ると、立ち止まり康穂を振り返った。千切れんばかりに尾を振り、早く行こうとでも言っているかのようだ。
 不意に、タロの尾がピンと立った状態で止まった。正面に向き直り、安穂の背後に向かって唸り声を上げる。
 がらりと康穂の後ろで玄関の戸が開いた。出て来たのは、あの男だった。
「何、どうしたの?」
「本当に犬としか過ごせないんじゃ、寂しいだろうと思ってね。家にいても暇だから、一緒に行ってやってもいいよ」
「結構ですっ。あんたなんかより、タロと一緒の方がずっと楽しいもの」
 冷ややかに言い放ち、ふいと顔を背ける。
 そして、タロを見る。タロはまだ、唸り警戒していた。
「――それにあんた、タロに嫌われてるみたいだね。この子には見えてるのかな」
「さあ。はっきり見えてるかどうかは分からないけど、動物には察知出切るみたいだね。他の家でも、犬に吠えられたよ」
「他の家って、本家? 『後藤』って表札掛かってなかった?」
「さあ。見てないから」
 康穂は玄関を離れ、歩いて行く。庭と道路の境まで来て、立ち止まった。田圃の向こう、坂の上に見える大きな家を指差す。
「あの家? この辺で犬飼ってるのって、うちと本家ぐらいだもん」
 彼は、康穂の後についてこちらへと来る。タロが、びくりと反応した。
「出入りした時は暗かったから確信は持てないけど……そうだね。ちょうど、あの辺りだよ」
「じゃ、やっぱ本家だ。――若しかして、リンゴ盗った?」
「うん。他のは、慣れない物しか置いてなかったからね」
「それじゃ、あの話の犯人はあんただった訳だ……」
「そんなに大きな騒ぎになったのかい?」
 彼は驚いて尋ねる。康穂は怯えるタロを撫でながら言った。
「そのリンゴ、その家の子が食べるの楽しみにしてたんだよ。それで、兄弟喧嘩。別にいつもの事だけど、こんな田舎だからね。そう言う話は、皆に知れ渡っちゃうの」
「嫌な地域だね」
「そう? まあ、干渉ばかりしてきて鬱陶しい事も確かにあるけど……でも、皆がお互いに気の置けない仲で、私は好きだな。元々ここで育ってるから、ってのもあるだろうけど」
 康穂が親しく話しているのもあってか、タロも幾分か落ち着いて来たようだった。
 立ち上がり、坂を下る。彼も、康穂らの後を付いて来た。
「鍵、閉めてないよ」
「いいの。別に、入るような人もいないし、盗られるような物も無いんだから。――若しかして、昨日鍵掛けたのもあんた?」
「掛けたかも知れない」
 康穂は溜息を吐く。

 田圃と水路の間を、二人は歩く。タロは唸る事はしなくなったものの、やはり彼が気になるようだった。時折彼を振り返り、必ず康穂を間にしていた。
 四方は緑の山に囲まれ、頭上には鈍色の空が広がっている。この寒い日に外へ出ている物好きなんて、康穂達ぐらいだ。
 暫く行って、康穂達は公園に辿り着いた。滑り台とブランコ、あとはベンチが一つあるだけの小さな公園だ。ドッジボールでさえ出来る広さが無く、子供達にも人気が無かった。
 けれど、入口以外がフェンスに囲まれているのは、ここくらいだ。康穂はタロのリードを外す。途端に、タロは外周を走り出す。
 康穂がボールを取り出すと、タロは立ち止まり尾を振ってこちらを見上げた。ボールを投げると、そちらへと走って行く。康穂がタロと遊んでいる間、彼は終始無言だった。
 あまり放置しているのも可哀想に思い、振り返る。
「あんたもやる?」
「やらない」
「あっ」
「え?」
 タロが、彼の後ろから駆けて来ていた。タロはもろに彼の足へと突進する。
 間一髪彼は避けたものの、バランスを崩してその場に倒れた。
「大丈夫?」
 彼は起き上がる。むすっとした表情でタロを見つめていた。
 思わず笑いが漏れる。それが気に食わなかったようで、彼はますます不機嫌な表情になった。
 不意に、ちらりと白い物が視界を過ぎる。康穂は頭上を見上げた。
「雪――」
 白い雪が垂れ込めた雲からしんしんと降り注ぐ。
「ホワイト・クリスマスだね」
「ツリーも何も無い、味気無いクリスマスだけどね」
 康穂の言葉に、彼は皮肉を返す。康穂は苦笑した。
「小さい頃はツリーやリース出してたんだけどね、一応。でももうこの年になっちゃうと……皆忙しくて、そんなの出したり閉まったりする暇も無いしね。今年はもう、サンタも来なくなっちゃったなあ……」
「……サンタのプレゼントは、いつも一つなのかい?」
 彼の問いに、康穂はきょとんとした顔で彼を見る。そして、合点が行ったように頷いた。
「うん。イギリスだと、友達同士でも贈り合う習慣があるんだっけ? 本で読んだ事だから、違うかも知れないけど……」
 しかし、彼は頷いた。
「少なくとも、僕の周りはそう言う習慣だった。こっちでは違うのかい?」
「うん。そんなの全く。クリスマスパーティーとかやると、互いにプレゼント準備する場合もあったりするけどね。まあ、気分次第ってとこかな。基本は、サンタと言う名の親からだけだよ」
「ふぅん……」
 康穂はじっと彼を見つめていた。
 そして不意に、マフラーを外し出した。そしてそれを、彼に掛ける。驚く彼に、康穂は微笑い掛ける。
「寒そうだなと思って。私はタートルネックのフリース着てるから、無くても結構平気だしね」
「……余計な事を」
「そんな言い方ないじゃない」
 口を尖らせながら、タロからボールを受け取る。
 そしてそれを、彼の手に押し付けた。
「……やらないって言っただろう」
「いいじゃない。楽しいよ? 投げてるだけでも、結構体温まるし」
 そう言って、康穂は笑う。
 彼は仕方なく受け取り、ボールを遊具の向こうへと投げた。タロは追って行くが、視界から外れてしまいきょろきょろと彷徨う。
「ちょっと、変な方向に投げないでよ。タロへのイジメ?」
「……サンタ、来たみたいだよ」
「え?」
 何とかボールを見つけたタロが、戻って来る。
 褒めて撫でながら、康穂は彼を見上げた。
「サンタって、タロの事? ボール持って来たから……」
「どうしようもない馬鹿だね」
 彼は呆れたように言う。
「じゃあ、何の話だって言うの?」
 膨れっ面になって康穂は尋ねたが、どんなに聞いても彼は答えようとしなかった。


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2009/12/25