夕暮れに染まる町並み。目の前に伸びる長い影が、複数に増える。
 振り返った先にずらっと立ち並ぶ若い男達。皆、各々武器を手にしている。
「雲雀弥生――こいつの事か。雲雀恭弥の妹が来たってのは」
「悪いが嬢ちゃん、雲雀をおびき出す餌になってもらうぜ」
 返事も無く、彼らの前から弥生の姿は消えていた。男達はきょろきょろと辺りを見回す。
「チッ。何処に逃げ――」
「上だ!」
 一人が叫んだ。
 弥生は着地点の男を蹴り倒し、鉄パイプを振り回す。辺りの男を二、三人ほど飛ばし、その場に佇んで冷たい瞳で周囲を見回した。
「また、弱い奴らの群れ? 私は人質になんてならないよ――絶対に」





No.2





 並盛中学には一部、他の生徒達とは異なる制服を着用した者達がいる。彼らは総じて前髪をリーゼントで固めていて、腕には風紀とかかれた腕章を付けていた。学ランに身を包んだ彼らは、風紀委員。並盛中学のみならず、並盛町内の風紀を背負っている。
 昼休み、弥生は彼ら風紀委員の拠点である応接室へと来ていた。
 流石は噂に聞く風紀委員。生徒達は恐れてか、応接室の前の廊下には誰もいない。扉に手をかけようとすると、弥生の肩に手が置かれた。
「おい。ここに何の用だ?」
 何処からとも無く鉄パイプが現れ、リーゼント頭の男は廊下の壁まで吹っ飛ばされる。もう一人いた草を口にくわえた男が、キッと弥生を睨み下ろした。
「貴様――あ、ああ、弥生さんでしたか。これは、飛んだご無礼を。委員長に御用ですか?」
 弥生は無言で頷く。
「生憎、委員長は外出中で――ああ、ちょうど戻ってらっしゃいました」
 廊下の向こうに目をやり、彼は言った。弥生も彼の視線の先を目で辿る。
 昼寝でもしていたらしい。欠伸を一つしながらこちらへ来る姿は、兄の雲雀恭弥に違いなかった。肩にかけた学ランは彼の特徴だ。
 応接室前まで来た雲雀は、怪訝そうな目を弥生に向けた。
「よくここまで来られたね。
 どうしたの。制服も教科書も、昨日渡したはずだよ。他にはもう、何も――」
「お兄ちゃん、風紀委員長なんだってね」
 二人の間に、一時の沈黙が下りる。
「……そうだよ。それが?」
「じゃあ、私も――」
「君は風紀委員に要らない」
 雲雀は、リーゼント頭の男に言った。
「草壁。後はよろしく」
 言って、雲雀は応接室へと入っていった。弥生を再び入れる事も無く、応接室の扉は無情にも閉じられた。
『勝手に飛び出して来たんだってね。帰りなよ』
 転校初日、雲雀は弥生にそう言った。
 親戚の家を出て、並盛に来た。誰にも告げていなかった。告げる必要など無い筈だ。
『……帰るって何? 私の家は――私の町は、ここだよ。並盛だよ』
 雲雀は何も答えなかった。ただ無言で制服と教科書を突き出した。
 着替え終わった弥生を待っていたのは、雲雀ではなく風紀委員の者。
 ……そして、また。
 弥生は、草壁と呼ばれた男をキッと見上げる。
 草壁は顔色一つ変えずに言った。
「委員長は、貴女が委員会に入りたがるだろう事は予測していました。しかし、委員長は――弱い奴は要らない、と」
 薙いだ鉄パイプ。飛びのいた草壁の学ランの裾が小さく切れる。
「委員長ご自身が言っていた言葉です」
「知らない。本当に弱いかどうか――君が、確かめてみたら」
「ええ……説明しても止むを得ない場合、怪我をさせない程度に力の差を見せ付けるよう仰せつかっています」
 言って、草壁は身構える。
 弥生は口元に薄く笑みを浮かべた。
「そう。それは楽しみだ」

 昼休みも終わる頃、校舎裏には野次馬が集まっていた。校舎の窓からも、幾つもの首が突き出ている。
 弥生は、切れた唇の血を手の甲で拭う。そして、目の前に立つ男を見据えた。
「どうしたの」
 弥生の声は、冷たく静かだ。
「息が上がってるみたいだけど。この期に及んでもまだ、『怪我をさせないように』なんて大口叩く気?」
 草壁は肩で息をしていた。その手には、防御のために取った金属バット。
 素手のまま弥生に対峙する事は叶わなかった。怪我をさせない。そんな甘い事を言っているものだから、防戦一方だ。
 弥生は挑発的に微笑う。
「力の差を見せてくれるんでしょ? 見せてよ。君はまだ、手を抜いてる」
「ええ。『怪我をさせずに』と言う方は、残念ながら叶いませんでしたがね」
「……まだ言う気」
 弥生は地を蹴り、鉄パイプを振り上げる。
 草壁も金属バットを構え、呟く。
「すみません、委員長。妹さん、怪我をさせずに帰す事は出来そうにありません」
 ふっと二人は動きを止める。二人の間に影が落ちる。
 飛びのいた二人の間に落ちて来たのは、ツンツン頭で背の低い男子生徒だった。ざわめきの中から一際大きな声で、「十代目ええぇぇ!」と叫ぶ声が上から聞こえる。
 彼は、鈍い動作で起き上がった。
「痛たた……リボーンの奴……」
「また君なの?」
 弥生は、座り込んだままの綱吉に鉄パイプを向ける。彼はヒィと短く悲鳴を上げた。
「いやっ、あの……っ! ほ、ほら、そろそろ授業始まるしさ……!」
「まだ予鈴も鳴ってないよ」
「で、でも移動教室で……いや、な、何でもありません! じゃあ……ぐぇっ」
 去りかけた綱吉は、さえぎるように突き出された鉄パイプに首を引っ掛けた。
 弥生は草壁に視線を戻す。
「……今日はこの辺にしてあげるよ。続きはまた後でね」
 草壁が止める様子は無かった。
 弥生は背を向け、教室に戻って行く。それを見て、草壁も反対方向へと人の輪を出て行った。
 弥生は人垣を出る前に、立ち止まる。そして、立ち尽くしたままの綱吉を振り返った。
「戻るんじゃないの、教室」
「えっ。あ、ハイッ! 戻ります!」
 びくりと肩を揺らし、綱吉は返事する。彼はのろのろと立ち上がり、昇降口へと歩き出した。それを見送って、弥生もその後を歩き出す。野次馬達も既に散り散りになっていた。

 教室に戻ると、獄寺と山本の二人しか残っていなかった。獄寺が綱吉に教科書や彫刻刀などを差し出す。
「大丈夫でしたか?」
「教科書と道具、拾っといてやったぜ」
「ありがとう、山本、獄寺君」
 二人は教室を出ようとする。しかし、綱吉はそれを慌てて止めた。
「あっ、ちょっと待って。二人とも。
 ――弥生さん、美術室一緒に行こう」
 荷物を準備していた弥生は、驚いて教室の戸口を振り返る。
 山本がぽんと手を打った。
「あ、そーか。転校して来たばかりだから、場所分からないよな」
「十代目が仰るなら……」
 人懐っこく笑う山本に対し、獄寺はやや不服そうだ。
 弥生は不本意ながらも、頷くほかなかった。
 綱吉、山本、獄寺と共に教室を出る。怯える綱吉や敵意を剥き出しにしている獄寺とは違い、山本はやけに友好的だった。
「昨日と言い、さっきと言い、お前喧嘩強いのなー。流石、雲雀の妹だな」
「当然だよ」
「感じの悪いところも、乱暴なところも、兄そっくりだな」
 そう言ったのは獄寺だ。弥生は、綱吉の向こう側にいる彼をキッと睨む。
「お兄ちゃんの悪口言うなら叩くよ」
「上等だ。いつでも相手になってやるぜ」
「まあまあ、二人とも落ち着けって」
「そ、そうだよ」
 綱吉が同調して、獄寺は何処からか取り出していたダイナマイトをしまう。
「ほら、弥生も鉄パイプはしまって――」
 伸びて来た山本の腕を寸での所で払い、弥生は後ずさる。目を瞬く山本に、綱吉が説明した。
「弥生さん、男性恐怖症みたいで……」
「へえ。そりゃ、大変だな。悪ぃな、弥生」
「……」
 獄寺が鼻で笑う。
「偉そうな態度とる癖に男と触れたぐらいでびびるなんて、情けねー奴だな」
「なあ、獄寺。お前、さっきから全部自分に返って来てねーか?」
「あ゛ぁ? 何がだ、野球野郎」
「あっ。ほら、美術室着くよ! 弥生さん、ここが美術室だよ」
 話題を変えるように慌てて綱吉が言い――余程慌てていたのだろう、弥生の腕を引いた。
 ハッと我に返り、話した手を自分の頭にやって身構える。ぎゅっと目を瞑り、フルフルと震えていたが、鉄パイプが綱吉を襲う事は無かった。
 綱吉は恐る恐る目を開ける。
「……あれ? 弥生さん、男性恐怖症は――」
「沢田は……あまり、男って感じがしないから……」
「んなぁっ!?」
 ガーンという効果音でも聞こえてきそうだ。思い返してみれば確かに、昨日綱吉が弥生を抱えた時には何の反応も無かった。
 獄寺が弥生を睨んだ。
「雲雀妹! てめぇ、どう言う意味だ!?」
「まーまー。ツナも、そんな落ち込むなって。おかげで、避けられたり殴られたりしないで済むんだしよ」
 彼らの様子は気にせず、弥生はぽつりと言った。
「それと、私にまでお兄ちゃん相手みたいに気を使わなくていいよ。――お兄ちゃん、私の事なんて気にしてないから」
「え?」
「さん付けだったり、たまに敬語になったり――私が雲雀恭弥の妹だからって気を使ってるんじゃないの。同年なんだから、そういうの要らないって事」
 弥生はそのまま一人先に美術室へ入って行く。
 獄寺は頷いた。
「当然っすよ。十代目があんな暴力女に気を使う事なんて無いんです」
「そういや、さっき弥生が戦ってたのって風紀副委員長だよな。兄妹仲良しって訳じゃないのかもな」
 綱吉は、黒板の表で自分の席を確認する弥生を見やる。
 気のせいだろうか。一瞬、弥生が寂しそうな表情に見えたのは。





 並盛二日目の午後は、平穏なものだった。雲雀が風紀委員長としてその名を轟かせているためか、校内にも校外にも敵は多い。雲雀本人には到底敵わない彼らは、弥生を人質にとろうと襲って来た。そのグループも、今朝までで尽きたらしい。又は、弥生は人質に出来るようなか弱い女の子ではないと知れ渡ったか。昼間の草壁との戦闘も効果が大きかったのかも知れない。何にせよ、もう弥生を狙おうなんて命知らずな輩はいなかった。
 夕暮れの商店街を、スーパーの袋を手に歩く。袋の中は、インスタント食品ばかり。
 家には、帰っていなかった。親戚の家を飛び出して以来、弥生は一人暮らしだ。家に帰ったところで、また「帰れ」と言われるのが目に見えていた。
 弥生の家は、弥生の町は、並盛なのに。決して親戚が冷たかった訳ではない。それでもやはり、兄と一緒にいたかった。また一緒に暮らしたい。そのために、弥生は強くなったのだ。兄が再び、弥生を妹として認めてくれるように。
「弥生さん」
 振り返った先にいたのは、草壁哲矢。
「何。わざわざ叩き潰されに来たの?」
「いえ。もう戦う必要はありません――弥生さんの強さは、昼間に手合わせしてよく分かりましたから」
「それじゃ――」
「委員長は、弥生さんを風紀委員に入れるつもりはありません」
 草壁はきっぱりと言い放った。
 弥生は苛立ちを募らせる。
「じゃあ、何しに来たの」
「これはあくまでも個人的見解ですが――委員長は、弥生さんを危険に巻き込みたくないのではないかと」
「……」
「お気付きですか? 弥生さんが彼に風紀委員長である事を問いかけた時、委員長の視線は弥生さんの身体に傷が無いかを確認していました。風紀委員長の妹である事で危険な輩に絡まれたのではないか、それを心配なさったのでしょう。
 我々風紀委員には、危険な仕事もございます。弥生さんが弱いからではない――大切な妹をその中に置きたくないから、委員会に入る事を断ったのではないでしょうか」
 草壁は口を噤む。
 弥生は無表情だった。
「……戯言はそれだけ?」
 草壁が何も言い出さないのを確認し、弥生は踵を返す。
「弥生さん!」
 弥生は足を止める。
「私の身が危険だと思われてるって事は、それって要するに危険に対処出来ない弱い奴だと思われてるって事でしょ」
「それは……」
「気にしてくれたんだろうから、それには礼を言うよ。ありがとう」
 弥生は振り返る。二つに結んだ黒髪が、風に揺れる。
「でも、お兄ちゃんが私を弱いと思っている事実は変わらない。だから、私はお兄ちゃんと暮らせない」
 群れるのは嫌い。
 雲雀はそう言った。知っていた。彼が、自身が群れる事も、群れを見る事も嫌いだという事は。それでも、妹の自分は特別なんだと思っていた。
 暗い路地裏。目の前にあったのは、兄の大きな背中。雲雀が大勢を相手に戦う中、弥生はただ震えているだけだった。
 それから直ぐの事だった。弥生は親戚の家に預けられる事になった。
 幼い弥生は泣いて縋った。兄と別れたくなかった。しかし、彼から向けられたのは冷たい視線。
『いい加減にしてよ。弱い奴なんて要らない』
 ずっと、ずっと彼は我慢していたのだ。弥生を守りながらも、内心では何処にでも兄について回ろうとする弥生を鬱陶しいと思っていた。自分の妹が弱々しい事に、腹を立てていた。
 強くならなけらば、弥生は兄と暮らす事は出来ない――
「私は強くなって帰って来た。でも、お兄ちゃんは私の事なんて見てくれない。お兄ちゃんの中の私はずっと昔のまま、弱くて泣き虫なままだと思われてる……」
「それは少し……違うのではないでしょうか」
 草壁は真っ直ぐに弥生を見つめていた。
「弥生さんが怪我をしていないか確認したり、弥生さんに戦う機会を与えたり――委員長は、弥生さんを見ていますよ。いつの日か必ず、認めてくださる筈です」
「開口一番、『帰れ』だよ」
「でも、制服と教科書は渡したでしょう? そのまま追い返す事も出来た筈です。しかし、それをしなかった。様子を見てみようと思ったんじゃないでしょうか」
 草壁の言い分は理に適っていた。
 弥生は俯き加減で、小さく呟く。
「……そうかな」
「ええ、きっと」
 草壁は力強く頷く。
「何か悔しいな……草壁、だっけ。貴方は、お兄ちゃんの事よく知ってるみたい。私はお兄ちゃんとずっと離れて暮らしていて、その間のお兄ちゃんを知らない。私の知らない間に、お兄ちゃんが遠くに行ってしまったみたいで……」
「あなた方は兄妹なんです。どんなに離れた期間があろうとも、その絆が変わる事はありませんよ」
 ――だと、いいけど。
 一礼し去って行く草壁の背中を見つめ、弥生は再び家へと歩き出した。
 誰も待つ家族のいない、安アパートへ。


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2011/03/27