昼休みの鐘が鳴ると、沙穂達は机を寄せ部活の時のように合わせる。
 次々と出される弁当。大半のメンバーが自作しているからだろう、どの弁当もそれぞれに個性が出ている。
 その中でも一際大きいのが、沙穂の弁当だ。
 出されたのは重箱だが、中身は別段普通の弁当と大差無い。上二段は全て白米。ふりかけ弁当と、日の丸弁当。尤も、ご飯の量に合わせて梅干も複数入れられているので、日の丸とは言い難いかも知れないが。下三段は、おかずになる。卵二個分の卵焼きや、昨晩の残りの煮物、野菜炒め、からあげ、きゅうりやブロッコリー、ハンバーグ、弁当の定番が所狭しと並んでいる。多種多様と言う事は無く、ただ量が多かった。
「相変わらず、沙穂の弁当は凄いボリュームだなぁ」
 一段ずつに広げられた重箱を見て、圭一が顔を引きつらせる。
 ひょい、と周りから伸びてきた箸が、そのおかずの一つを取った。
「一番乗り! いっただき〜」
「レナだって負けないんだよ、だよ」
「あら。沙穂さんのお弁当、今日はカリフラワーが沢山入ってますわ」
「みぃー、それはブロッコリーなのです」
 どっと笑いが起こる。沙都子は顔を赤らめ、取ったおかずを口に入れる。
 沙穂も、食べ終えた日の丸弁当の箱を置き、笑った。続いて、ふりかけの方を掻き込み始める。
「やっべ。沙穂の奴、もう終わろうとしてるぜ」
 圭一が言って、慌てておかずを口に放り込む。
「ハンバーグは渡しませんわー!」
 皆一斉に弁当に取り掛かった。
 他の子の弁当の横取りも、この部活では当たり前の事。ぐずぐずしていては、自分の昼食が無くなってしまう。その上、この部には沙穂がいるのだ。二段分の主食を食らった後、沙穂もおかずの取り合いに参戦する。そうなれば、あっという間に片付けられてしまう。
 カタンと言う音に、一同はギョッとする。
 沙穂が白米を食べ終えたのだ。
「……それじゃあ、改めて『いただきます』」
 そう言って、沙穂は箸を持ったまま手を合わせる。取り合いの本戦の幕開けだ。





No.2





「沙穂ちゃん、今日は元気無いね」
 放課後、職員室から教室へと帰っている時だった。
 廊下の途中で会ったレナ。彼女は沙穂の顔を覗き、そう言った。
「……いつもと一緒だ。無口なのは、元々だ」
 沙穂は、小さな声でポツリと返す。
 いつもと同じように振舞ったつもりだった。元々、沙穂は口数が少ない。いつもと同じように振舞うのは、容易な話だった。
「……昨日の綿流しの準備で、何かあった?」
 沙穂は足を止める。レナも、並んで足を止めた。
 ……どうやら、彼女に隠し事は出来ないらしい。
「別に……大した事じゃないんだ。いつもの事だから」
 レナは黙って相槌を打つ。
「……そう、いつもなんだ。祖父も祖母も、私なんかに見向きもしない。私は、ただの厄介者だから……。
……梨花って、村の老人から可愛がられているだろう?」
「うん……そうだね」
「うちの祖父母もなんだ。
別に、梨花を疎むつもりじゃないんだ。でも、やっぱり寂しくて……。
綿流しの準備は、それを尚更実感させられる。祖父も祖母も、私には素っ気無い。まともに会話もしようとしない。
孫の私よりも、梨花の方が大事なんだ……。梨花は、『オヤシロ様の生まれ変わり』だとか言われてるから」
 沙穂は笑おうとしたが、自嘲するような表情にしかならなかった。
「馬鹿馬鹿しい話だよな。そもそも、オヤシロ様なんてただの年寄りの迷信だ。うちの祖父母はそんな物を信じて、崇め奉る……。梨花は梨花だ。オヤシロ様の生まれ変わりなんて、ある筈無いのに」
 レナの返答は無い。
 沙穂はふっと息を吐く。
「ありがとう、レナ。話せて、いくらか気が軽く――」
 言いながら顔を上げ、沙穂は言葉を途切れさせた。
 レナの顔に、先程の様な気遣うような笑顔は見られなかった。無表情だった。
 いつものレナじゃない。それは、見目明らかだった。
「レナ……?」
「いるよ。――――――オヤシロ様」
 その目は真剣だった。決して、ふざけているような口調ではない。
「レナ、一体何を――」
「沙穂ちゃんは、経験無い? ひたひたと足音が聞こえて、夜は枕元に立ってずぅーっと見下ろされるの」
「無いよ……そんな経験……」
「じゃあ、沙穂ちゃんは大丈夫だね。オヤシロ様の祟りにあったりなんてしない」
 沙穂はただ、レナを見つめていた。
 彼女は、一体何の話をしているのだろう。
「でもね、オヤシロ様はいるの。村の人達の迷信なんかじゃない。確かに、『いる』んだよ……」
「レ、レナは……オヤシロ様を信じてたのか。それは、すまない事をし」
「信じるとか信じないじゃない。『いる』の。
オヤシロ様の祟りも本当。もう、何人もの人がオヤシロ様に消されてるもの。どれも事件や事故として片付けられているけれど、私は信じない。オヤシロ様が下した祟りなんだよ」
 沙穂は言葉が出なかった。
 オヤシロ様の祟り。それは、綿流しの時期になる度に耳にする言葉。今年もあるのだろうか、そう村の者達が話すのを聞いた事がある。けれど、一昨年も去年も、既に事件は解決している。祟りなどと言う宗教染みた話、沙穂は信じていなかった。レナは、それを信じると言うのか。
 ……否、信じると言った程度の話ではない。レナは、二つの事件について何か知っていると言うのか。それとも、一体――
「レナー、沙穂ー……ああ、いたいた。職員室行ったまま帰ってこないから、心配して見に来ちゃった。
沙穂は準備無いけど、梨花ちゃんは今日もだって。だから今日も部活は無しだよ」
 言いながら、魅音がこちらへやって来る。
「それじゃあレナは、宝探しにでも行こうかなっ。かな」
 そう話すレナは、いつも通りの笑顔だった。先程までの異様な空気など、微塵も感じられない。
「おじさんも、久しぶりに付き合おっかなー。圭ちゃんも誘ってみる?」
「そしたら、宝探しよりも圭一君に村を案内してあげるのはどうかな。圭一君、まだ雛見沢一人で回れないだろうし……」
「おっ、いいねぇ」
 二人は笑い合いながら、教室へと戻って行く。沙穂はただその場に立ち尽くしていた。
 ふと、魅音が振り返った。
「沙穂? どしたの?」
「いや……何でもない」
 言って、沙穂は二人の後についていく。
 ちらりと表情を伺うようにレナを見上げたが、やはりいつもと同じだった。
 ――さっきのは、一体何だったんだ……?





 いつもの待ち合わせ場所で、レナや圭一とは手を振って別れる。
 レナの姿が完全に見えなくなったのを確認してから、沙穂は隣に並んで歩く魅音を仰ぎ見た。
「なあ、魅音……聞きたい事があるのだが……」
「ん? 何?」
 レナは去年転校してきたばかり。沙穂がレナと親しくなったのは、部活が出来てからだ。魅音はレナと年が近い事もあり、部活を作る前から仲が良かった。
 少なくとも、沙穂よりはレナの事を知っている筈だ。
「魅音は……レナに、オヤシロ様の話を振った事があるか?」
 沙穂は足を止める。
 魅音も一拍遅れて遅れて足を止め、沙穂を振り返った。
「さっき、レナに話したんだ……。うちの祖父母が妄信している、ただの迷信だろうに馬鹿らしい、って」
「……そっか」
 短い返答。
 それは、どういう意味だろうか。
 話し出してから、疑問が沸いて来た。この話は、他の者にしても良いのだろうか?
「それで、さ……。その……豹変したんだ、レナ。いつもと様子が違って……まるでとり憑かれたようで……」
 怖かった。
 その言葉を、沙穂は飲み込んだ。友達を、そんな風には言いたくない。
 魅音は、レナ達の去った背後に目をやっていた。それから、再び歩き出す。
「レナさぁ……どういう訳か、オヤシロ様に関しては冗談通じなくなるんだよね」
 沙穂はホッと息を吐き、魅音に合わせて歩き出す。
 それでは、魅音もあれを見た事があるのだ。
「けど……オヤシロ様って、ただの宗教だろう? 一昨年や去年の事件が綿流しの日だったのは、たまたまで……。それに、悟史の『転校』は、綿流しから数日経ってからだ……」
 言って、沙穂は目を伏せる。
 部活が始まる前、最も親しかった友人。彼は今、何処にいるのだろう。
「……」
 二人の間に沈黙が訪れる。
 道の両脇の木々から聞こえる蝉の音が喧しい。
「沙穂……これ、誰にも言わないでね」
「え?」
 沙穂はきょとんとして、魅音の横顔を見つめる。
「レナ……オヤシロ様の祟りにあった事が、あるんだって」
 沙穂は眉を顰める。
 頬を伝う汗は、暑さの為か。それとも。
「私は、レナの思い込みじゃないかって思うんだけど……でも、そう言ったらかなり怒る。今日、見たんでしょ? ……そんな感じ」
「そうか……」
 オヤシロ様の祟り。
 レナがあったと主張するそれが、どう言った類の物なのかは分からない。足音だとか、枕元だとか、先程言っていたのが、その事だったのだろうか。
 沙穂が聞く祟りの話は、何処か現実離れした物ばかりだった。ただ、沙穂が引っ越して来てからの二件の事件が同じ日にあったと言うだけの事。ただの迷信。そう思っていた。
 それが、レナは祟りにあった事があると言う。それはまるで、作り話の世界だった物が突然現実世界に現れたような、テレビのニュースやドラマでしか見ない事件が身近で起こったような、そう言った奇妙な感覚だった。
「オヤシロ様は……ただの宗教だよな……? オヤシロ様の祟りなんて、そんなの、単なる迷信だよな……? たった二件の事件が同日だったのなんて、偶然に過ぎないよな……?」
 魅音は答えない。
 ……何故、そこで口を噤む。
「どうしたんだ……。今、魅音も言ったじゃないか……レナの言う祟りは、思い込みじゃないかって……」
「うん……」
「だったら、迷信だろう? オヤシロ様はいないだろう? そうだ、いる訳が無い。このご時勢に祟りだの、神様だの、そんなの信じるのは、年寄りだけだ……!」
「沙穂……?」
「なんだ?」
 魅音は怪訝げな顔をしていた。
「……なんで沙穂は、そんなに頑なにいないって主張するの?」
 今度は、沙穂が怪訝そうな顔をする番だった。
「どう言う事だ? 若しかして、魅音も信じてるのか?」
 魅音は慌てて首を振った。
「いや、そういう訳じゃなくってさ。沙穂、普段とは打って変わって、随分と熱く語るから。信じない、って言うより、否定したいみたいに……」
 言われて、沙穂は言葉に詰まる。
「……別に、何でもない」
 沙穂は決まり悪そうにぼそりと言って、顔を伏せた。

 やがて沙穂の家の前まで来て、沙穂は魅音を振り返る。
「じゃあ……また明日」
「あっ。ねぇ、沙穂も圭ちゃんの村案内、一緒に行く?」
 門を空けようとした沙穂は、足を止め振り返る。
 けれど、静かに首を振った。
「いや……いい。ありがとう……」
「あのさ、レナの事だけど……さっきの話、あまり気にしないでね……」
 沙穂は笑ってみせる。
「ああ、分かっている。それぐらいで崩れるほど、部活メンバーの絆ってのは脆くないさ。それは、魅音が一番知っているだろう?」
「うん……そうだね」
「だから、ありがとう」
 沙穂は身体ごと振り返り、魅音を真正面から見上げる。
「ずっと言いそびれていたけれど、魅音には凄く感謝しているんだ。部活を作ってくれて、そこに私も誘ってくれて。大切な仲間が五人も出来た。ここにいたいって思える場所が出来た。本当にありがたいと思ってる。
なんだか、改めて言うと照れるな……」
 沙穂は視線を落とし、ぽりぽりと頬をかく。
「そっ、それじゃあ!」
「うん、またね!」
 魅音は明るい声で言った。
 沙穂は赤い顔を隠すようにして、門の中へと駆け込んで行った。





 初夏の長い日が落ちかけた頃、祖父母は家に帰ってきた。
 夕食をとりながらも、沙穂はオヤシロ様の話の事を考えていた。オヤシロ様の話で、突然様子が変貌したレナ。
 レナは、オヤシロ様の祟りにあった事があると言ったらしい。魅音は思い込みだろうと言うが、例え思い込みにしたって、何か根拠が必要なのでは無いだろうか。レナが、祟りにあったと思うきっかけ。レナの身に降り掛かった災難と、オヤシロ様を繋ぐ何か。
 そうして考えると、梨花がオヤシロ様の生まれ変わりと言われるのも、何らかの理由があってなのかも知れない。それとも、ただ古手神社の巫女だからなのだろうか。
「聞こえてるのかい」
 物思いに耽っていると、不意に横から肩をどつかれた。左手に持っていた味噌汁を零しそうになり、沙穂は慌ててバランスを保つ。
「ちょっと、零すんじゃないよ。柱にでもかかったら、染みになっちまう」
 誰の所為で零れそうになったのだか。
 そう思いながらも、「ごめんなさい」と小さな声で言う。
 祖母は身を乗り出して零れていないのを確認し、沙穂に問う。
「それで、富竹さんっているでしょう。毎年来る眼鏡の若者。あの人、カメラマンって本当かい」
「うん……本人からも、そう聞いてるけど……」
 何の話だか疑問に思いながらも、沙穂は答える。
 そして残っていた味噌汁を一気に飲むと、席を立った。おかわりもここまでだ。これ以上いては、祖母のマシンガントークの的になる。
「ごちそうさま……」
 そう言って食器を流し台まで運び、食卓の傍にある裏戸で靴を履く。
 裏戸を出る時も、祖母は祖父に話し続けていた。
「あの人、今日スーツを着てたんだよ。それで、何しに行くんだか入江診療所に入っていってねぇ……」
 沙穂の部屋は、離れにある。
 食事の時以外は殆ど、沙穂はここに閉じ篭っていた。夕食前後なら居間でテレビを見る事もあるが、それ以外は滅多にそちらでは過ごさない。弁当を持って遊びに行く時は、前の晩に作って自室へ持って行き、離れからそのまま出かける事さえある。
 そのような生活をしていても、祖父母は何の文句も言って来なかった。寧ろ、あの二人の事だから沙穂から避けてくれれば楽なのであろう。沙穂は厄介者だ。父が死に、母と共にこの家へ引っ越したが、母は直ぐに沙穂を置いて出て行ってしまった。祖父母からすれば、沙穂など押し付けられたようなものなのだ。だから、母が出て行って間も無く、沙穂の部屋は離れへと移動された。
 離れに戻り、沙穂は畳まれたままの布団に横たわる。
 今年は梅雨を飛ばして夏が来たようだ。夕食の前に風呂に入ったと言うのに、もう汗ばんでいる。
「オヤシロ様の祟り、か……」
 数ヶ月前、祖父が解雇された。定年は過ぎていたが、伝手で栽培の仕事を続けていた。それを、辞めさせられたのだ。ちょうど、沙穂が雛見沢へと引っ越してから三年目の日。一年目には、祖母が田圃へ転落し全治三ヶ月の怪我を負った。二年目は、祖父母には何も無かった。
 ……悟史だ。彼が学校でも目に見えて力無くなってきたのが、その頃だった。
 けれど、あくまでも「その頃」。はっきりとした日付にはならない。こじ付けだ。
 引っ越してきたばかりの沙穂に優しく接してくれた古手神社の神主が亡くなったのも、沙穂に最初に声を掛け親しくしてくれた少年が失踪したのも、どれもただの偶然だ。
『この村の守り神の筈のオヤシロ様だが、お前の事はまるで嫌ってるみたいだな』
 そう言われた時の祖父の厳しい口調は、今も耳に残っている。
 オヤシロ様? 馬鹿馬鹿しい。そんなの、ただの年寄りの迷信だ。
 沙穂は、そんな物信じない。神様など、いる筈が無い。
 沙穂は起き上がり、ランドセルの中身を明日の物に替える。
 オヤシロ様など、いてたまるものか。若し本当にいるとするなら、若し本当にオヤシロ様の祟りがあるとするなら、沙穂は本当にオヤシロ様に嫌われている事になる。今までの事件は、沙穂の傍にいたからと言う事になる。
 時間割に目を通し、沙穂は明日体育があるのを知ってふっと顔を綻ばせた。体育の時間は、いつも部活の時間になると決まっている。
 明日は、どんなゲームだろう。明日は、どんな罰ゲームだろう。誰が勝って、誰が負けるのだろう。
 それだけが、毎日の楽しみだった。この家に、沙穂の居場所は無い。
 ここにいたい。そう思える場所が出来た事は、沙穂にとってこの上も無く幸せな事だったのだ。


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2009/06/06