「まあ、適当にくつろいでよ」
小ぢんまりした部屋に通され、私は手持ちぶさたに立ち尽くす。
彼女はあぐらを掻いて座り込み、低いテーブルの足元からスナック菓子の袋を引き寄せる。ポテトチップスが彼女の口に消えて行くのを、私はぼんやりと見つめていた。
視線に気付いて、彼女は私を見る。
「どうしたんだよ、そんなつっ立って。別に、何も気にしなくていいよ。ここ、あたししかいないからさ」
「なんで……」
口をついて出たのは、疑問の言葉。
だって。だって、おかしいよ。よりによってこの子だなんて。
「あたしはあんたを守ったり面倒を見たりするわけじゃないから、そこは勘違いするなよ」
言って立ち上がり、窓に歩み寄る。外に見えるのは、古びた教会。
「あんた、ずっとあんな所座り込んでてさ……何があったかなんて、聞かないよ。
……でも、ひもじいのって辛いもんな」
佐倉杏子は、小さな八重歯をのぞかせて微笑った。
No.2
日差しが窓から差し込んでいる。おっかしーなー。昨日、カーテン開けたまま寝ちゃったっけ?
長い夢を見た気がする。変ないでたちの女の子が現れて、私は突然異世界につれて行かれてしまうの。それは、『魔法少女まどか☆マギカ』の世界。……って言ってたけど、何だか見覚えの無い通りで、登場人物にも出会わない。泣きべそかいてたら都合良く杏子ちゃんが現れて、私を家に置いてくれて。そんな夢。
うーん……ほむほむも出て来てくれれば良かったのになー。二度寝したら、続き見られるかな。
夢オチですよ、そうですよ。だって、そんな事ってあるわけない。
今日は部活、午後からだっけ。春休みぐらい、休みにしてくれればいいのに。この上宿題もあるなんて、やってらんないよ。春休みだからって普段より多く宿題出しているけれど、部活があったらそんなの休みじゃないじゃないかーっ。
ぐだぐだしていても遅刻するだけなので、私は渋々目を開ける。
……あり?
視界に飛び込んできたのは、空になった菓子袋。私が寝ているのはベッドじゃなくて、床に敷かれた古い布団。ずっとしまい込まれていたような、ちょっぴりじとっとした肌触り。
起き上がると、直ぐ傍の低いテーブルの上にメモがあった。
『ちょっと出かけて来る。――杏子』
短い一言。その後に書いては消してを繰り返したように黒ずんだ痕があって、どう書こうか迷ったような感じ。
――杏子。
やっぱり、夢じゃなかったんだ。まどマギの世界にトリップして、杏子に拾われて。
こんなの絶対おかしいよ。だって、どうして杏子? 別に、不満があるわけじゃない。むしろ好きだよ、あの子。でも、杏子って「力は自分のためにしか使わない」って言って……魔法じゃないから有りなのか? いや、自分のためにだけ生きるみたいな事も言っていた気がするぞ。
ちょっと出かけて来るって、魔女退治にでも行ったのかな。
教会があるのって、見滝原だよね。少なくとも、さやかの家から徒歩で行ける範囲内。そこに杏子が来ているって事は、マミさんはもういないのだろうか。さやかは? 病んでいるのかな。まだかな。
ぼけっと部屋を見回す。菓子の袋やら、箱やら。包み紙はたい焼きのかな。
暇だし、ただ置いてもらうだけってのも悪いし、ここはいっちょ掃除でもやりますか!
杏子が帰って来たのは意外と早く、お昼を過ぎた頃だった。
「……あんた、何やってんの?」
布団は外に日干しされ、床に散らかっていたゴミはきれいさっぱり無くなっている。私は外から磨いていた窓から顔をずらし、杏子に笑いかけた。
「おかえり〜。置いてもらうのに、何もしないってのもアレかなと思って。他にする事も無いしさ。
お菓子の箱は、潰して捨てようよ。だからゴミ箱があふれ返っちゃうんだよ」
濡らした雑巾で窓を拭き、更に乾拭きで水気を取って、私は部屋の中へと戻る。
「ちょっと待ってね。今、何か作るよ。って言っても、私の小遣いじゃ大したもん買えなかったんだけどさー。米は高かったから、レンジであっためる奴買ってきたの。レンジって何処にある?」
「無いよ」
「えっ」
な、何だその呆れたような溜息はーっ。
「家の中の水道、出なかっただろ。ガスや電気も一緒だよ。ずっと前から通ってない。ここの居住者は、いなくなった事になってるからな。――だから、布団を外に出すのもまずい」
「あ……」
「布団は、あたしが誤魔化しといたよ。まったく、余計な事やってくれるよね」
うぅ。空回り……。
窓から見えるあの教会、杏子の父親のだろうしなあ……。きっと、ここに住んでいたのだろう。それは何となく、気付いていた。でも、だからここの居住者がいないって事には気付かなかった。考えてみれば、当たり前の事なのに。昨日の晩この部屋が明るかったのは、きっと杏子の魔法なのだろう。
杏子は買ってきたらしい紙袋片手に、テーブルの前に座る。
「飯もいらないよ。あたしはあたしの好きにする。あんたもあんたの好きにすればいい」
飯ってそれ、またお菓子じゃないかっ。
私は、ポップコーンの袋を開けようとする杏子の手を、ぎゅっと掴んで止めた。
「駄目。身体に悪いよ、そんなのばかり。ちゃんと食べなきゃ。せめてさ、コンビニ弁当とかにしようよ。お菓子ばっかりじゃなくて」
「あんたにゃ関係無いだろ」
「加奈」
私はずい、と杏子に顔を寄せる。
「上月加奈って言うのが、私の名前。よろしくね、佐倉杏子」
にこっと満面の笑み。
杏子は気圧されたように、うなずいた。
「よ、よろしく……」
2011/04/23