仲間の身体に反撃できずなすがままかと思われたが、彼はそうして衝撃を往なしているだけだった。一撃で二人の動きを牽制し、ぐったりした彼らを弥生の前にそっと横たえる。
「沢……田……?」
 リボーンの妙な銃弾で突然人が変わるのは、何度も見た事がある。けれど今回のは、それとはまた違っていた。
「リボーン、弥生、処置を頼む」
「急にいばんな」
 口調さえも突然変わり、普段の綱吉とはまるで違う。
 ――近付けない。





No.20





「おーい! 弥生!」
 聞きなれた声に、弥生は振り返る。エントランスの受付前に、山本の姿があった。彼はいつものニコニコ顔で、こちらに駆け寄って来る。
「君、もう退院するの? 早いね」
「俺は皆ほど酷い怪我じゃないからな。それが骸の所まで行けなかったせいってのは、ちょっと悔しいけど。
 それに、来月には秋の大会が控えてんだ。そう何日も練習空けるわけにはいかねーからな」
 弥生は少し微笑った。
「山本らしいね」
「弥生は、雲雀のお見舞いか?」
 弥生の手にある果物かごを見て、山本は尋ねる。こくんと、弥生は頷く。
 小言弾で死ぬ気になった綱吉によって、骸は倒された。骸達一味はヴィンディチェなる者達に連れて行かれてしまい、その後彼らがどうなったのかは分からない。その後に到着した綱吉関連の医療チームにより弥生達は治療を受けた。しかし、幾ら技術力の高い医療班と言えども、弥生はともかく他のメンバーは一朝一夕で治るような怪我ではない。彼らは並盛総合病院に運ばれ、入院していた。
「見舞いなら、一緒に行こーぜ! 直ぐ手続き終わるから、待っててくれるか? 俺もこの後、ツナと獄寺ん所行こうと思っててさ。ツナの奴、弥生の事も気にしてたし」
 ――沢田……。
「……行かないよ」
 弥生はいつもの、無表情。キッと山本を見上げる。
「勘違いしないで。私は確かに六道相手に一緒に戦いはしたけど、君達と群れるつもりはない。――群れちゃ、いけないんだ……」
 最後の言葉は、消え入るような声だった。そして弥生は、ふいと背を向け駆け去ってしまった。

 山本から弥生の話を聞き、獄寺は憤慨していた。
「あのブラコン女! 病院には来てるくせに十代目に挨拶も無しなんて……! 俺、締めてきます!」
「べ、別にいいよ獄寺君!」
 弥生を探しに行こうとする獄寺を、綱吉は慌てて止める。
 ――でも……。
「群れるつもりはない、か……」
 山本が苦笑する。
「骸との戦いで、ちょっとは俺達の事、受け入れてくれるようになったかと思ったんだけどなー」
「……多分、違うんだ」
「え?」
 思わず口に出していた言葉に、獄寺と山本は綱吉を見る。
「あ……いや、弥生ちゃん、本当に群れるの嫌いなのかなって……」
「そういや、雲雀も『弥生は群れるのは好きな方だ』って言ってた事あったな」
「うん……」
「……」
 獄寺は、ずっと黙り込んだままだ。
 ふと、山本は壁に掛けられた時計に目をやる。
「やべっ。部活始まっちまう。じゃーなっ、ツナ、獄寺」
「え!? 今日から部活出るの!?」
「そりゃあ、そのために退院したんだからな」
 当然のようにさらりと言って、山本はロビーを去った。相変わらず、元気な事だ。さすがは山本と言うか、何と言うか。
 綱吉も、席を立つ。
「俺達も、そろそろ戻ろっか」
「あ、すみません。俺、ちょっと煙草吸って来ます」
「うん、分かった」
 獄寺を見送って、綱吉は病室へと戻って行く。その途中、人気の無い廊下で、ふと綱吉は足を止めた。
 前方の病室の扉が開き、いかつい様相の男が二人出て来る。長い学ラン、頭はリーゼント、腕には風紀の文字。その手には、見舞いの品が入っていたのであろう大きな籠。彼らは腰を九十度折って室内に向かって礼をし、綱吉とは反対の方向へと歩いて行った。
 今のは、間違いなく並盛中学校の風紀委員だろう。すると、部屋の主は。
 風紀委員の者達が戻って来ない事を確かめ、扉前へと歩み寄る。扉には隙間が開いていた。恐る恐る、中を覗き込む。ベッドは一つ。カーテンが半ばまで引かれ、そこに寝る人物の姿は見えなかった。弥生はいないようだ。帰った後だろうか。
「何やってるの」
「ヒィッ!?」
 突然、扉が大きく開いた。戸口の横に立つのは、雲雀。角度がついていて、見えなかったのだ。
「ひ、雲雀さん、もう歩いて大丈夫なんですか……?」
「これぐらい、大した事ないよ。君こそ、ただの筋肉痛なのに入院なんかしてるんだね」
「あ、いや……一応、筋肉痛以外もダメージ受けてて……皆に比べれば、確かに大した事ないけど……」
「本当に、君は強いんだか軟弱なんだかわからないね」
 言って、彼はベッドの方へと戻って行く。綱吉は拍子抜けしてしまう。咬み殺されるか、またいつかのように一方的な「ゲーム」を持ちかけられるか。何にせよ、退屈凌ぎの標的にされるだろうと覚悟していたのだが。
 ベッドの傍らの棚には、果物かご。先ほどの空かごは、取り替えた物か。毎日差し入れとは、風紀委員もご苦労な事だ。副委員長もまだ入院中で、委員会も上手く回っていないだろうに。
 雲雀はかごからりんごを一つ取り、綱吉へと投げて寄越した。運動神経ゼロの綱吉が唐突に投げられたそれを上手くキャッチ出来るはずもなく、取り落としてしまう。
「下手くそ」
「い、一体……」
 慌てて拾いながら、綱吉は問う。
「切ってよ」
「ええ!? 俺が!?」
「……と思ったんだけど、やっぱりやめた。君だと、下手そうだ」
 雲雀は綱吉の手から、りんごを取り上げる。
 ――確かに、その通りですけど!
「……弥生は、一緒じゃないの」
「え? 弥生――さん、雲雀さんの見舞いに来たんじゃ……?」
 雲雀はムスッと不愉快気な顔で綱吉を睨みつける。綱吉は小さく悲鳴を上げ、両手を挙げた。
「弥生は一度も、見舞いには来てないよ。君達の所に行ってるんじゃないの」
「え……でも……」
 綱吉は目をパチクリさせる。
 弥生は、雲雀の見舞いに来ていた。そう、山本は言っていた。綱吉も病院内で見かける事はあっても、彼女がこちらに気付く素振りはなく、綱吉らを見舞う事もなかった。
 群れるつもりはない。そう言って。
 ――……。
 綱吉は、ぎゅっと拳を堅く握る。
「あ……あのっ、雲雀さん!」
 鋭い瞳が、綱吉に向けられる。怯みそうになるのを抑え、綱吉は言った。
「あの……これは雲雀さん達兄妹の話であって、俺なんかが首を突っ込む事じゃないって解ってます。でも……! 雲雀さんは――」





 まだまだ昼間は暑い時期が続くが、夕方は少し涼しくなってきた。病院の屋上を吹く風は、日中の熱を奪って行く。
 そろそろ、帰ろうか。放課後になるなりここへ来たものだから、まだ宿題が片付いていない。夕飯も、惣菜が残っている内に買わなければ。
 ぐぐっと伸びをし、身を起こす。梯子を降りようとしたところで、ちょうど降りた先の横にある戸口から屋上に出て来た者がいた。彼は頭上の弥生に気付く様子もなく真っ直ぐ進んで、柵に肘をつき煙草を吹かし出した。
 最早鉄くずと言えるほど短い鉄パイプの切っ先が、煙草を一刀両断した。
 彼は驚いて身を引く。
「なっ、何しやがんだ!!」
「院内禁煙」
 彼の横に立ち、弥生は無表情で短く言う。獄寺は苦々しげに舌打ちした。
「何だよ、わざわざ屋上出て来やがって……」
「私はずっとここにいたよ。気付かないで後から出て来たのは、そっち」
 獄寺は黙り込む。柵に寄り掛かったまま、視線だけが左右に動かされていた。何か探しているのだろうか。
 視線の先を追って眼下に広がる町並みを見下ろしたところで、獄寺が口を開いた。
「その……ありがとよ」
「え?」
「黒曜の奴らと戦った時だよ。お前が来てくれたおかげで、助かったっつーか……」
 弥生は、ぽかんと獄寺を見つめる。
 獄寺はふいとそっぽを向き、照れくさそうに頬をぽりぽりと掻いていた。
「……私……役に、立ったの……?」
「……まあ、一応な。てめーがいなければ、あの後も攻撃食らってたわけで、そしたらてめーの兄貴解放も出来たか分かんねぇし……」
「本当に?  本当に私、助けになった? ちゃんと戦力になった?」
「だから、そう言ってんだろ! 何度も言わせんなよ」
 獄寺は弥生を振り返り、怒鳴りつける。弥生は、くすぐったそうに微笑っていた。
「良かった……」
「……」
 獄寺は再び、そっぽを向く。
 いつもの不機嫌面も、暴力的な様子も、全く垣間見られない一人の女の子でしかなかった。弥生も、こんな表情をするのか。
 ガシャンと、弥生は勢いよく柵に背を預けた。思わず、獄寺は振り返る。先ほどの笑顔は消え、暗い表情で彼女は俯いていた。
「……私、今回の戦い、何にも役に立てなかったんだと思ってた」
「……」
「誰もやっつけられなかったし……それに、お兄ちゃんも守れなくて……」
 弥生はぽつりと話す。
 骸が意識を失った雲雀に襲い掛かった時、弥生は何も出来なかった。他のものに気を取られて、一番大切なものを放ったらかしにしてしまって。全てを守れるほど、弥生は強くない。
「どんなに頑張っても、お兄ちゃんには追いつけない。隣に並べない。……こんな弱い私じゃ、必要とされない」
「……それは、違うんじゃねーか」
 獄寺は、再び柵の外を眺めながら言った。街は、夕日に紅く染まっていく。
「雲雀は、お前に守られる事なんて望んでないと思うぜ。男ってのはさ、どっちかってーと守りたいもんなんだよ。妹となれば、尚更だろ」
「でも、私……」
「俺はあいつに肩借りてたから嫌でも目に入ったんだけどよ、あいつ、お前の怪我何度も見て心配してるみたいだったぜ」
『お気付きですか? 弥生さんが彼に風紀委員長である事を問いかけた時、委員長の視線は弥生さんの身体に傷が無いかを確認していました』
 転校して間もない頃、草壁から言われた言葉が弥生の脳裏に蘇る。
 ぎゅ……と、弥生は震える拳を握り締める。
「嘘だ……だってお兄ちゃん、弱い奴なんて要らないって……私の事、うんざりだって……」
「あの野郎、そんな事言ったのか……」
 獄寺は苦々しげな顔になる。
 弱いから、愛想を尽かされた。いつだったか、熱で朦朧とした弥生が言った言葉。何があったのか、事の仔細は分からない。そこまで踏み入るような仲でもない。
 ただ、妙に腹立たしくなるのは事実で。彼女が落ち込んでいると、どうにも調子が狂う。
 ふっと、弥生の背中が柵から離れる。
「……ごめんね。こんな話、君にしたってどうしようもないのに。今の話は、忘れて」
「あ、おい、待っ……」
「弥生ちゃん!」
 戸口に向かおうとしていた足を、弥生はピタリと止める。
 綱吉は、ホッと安堵の表情を浮かべた。
「良かった……まだ帰ってなかったんだね。獄寺君も一緒だったんだ」
「どうなさったんですか、十代目?」
「……弥生ちゃん、雲雀さんのお見舞いに行ってないんだって?」
 弥生は言葉を詰まらせ、ふいと顔を背ける。
 獄寺は目を瞬いていた。
「は? お前、なんで……」
「……だって、合わせる顔無いから」
 弥生は、何も出来なかった。待っているように言う雲雀に逆らってまでついて行ったのに、結果はあの様。どうして会えようか。
 病院までは来ても病室には近付く事さえできず、毎日訪れる風紀委員に見舞いの品を預けるだけだった。
「まあ……無理もねーよ。雲雀の奴、自分の妹にまで――」
「違うんだ。雲雀さんは、弥生ちゃんを嫌ってなんかいない。君達兄妹は、お互いに勘違いしてるだけなんだ」
 ――やめてよ。
 綱吉まで、草壁みたいな事を言うのか。兄に認められようと、足掻いて。けれども全く、必要とされなくて。多少は気に掛けてくれているのが事実だとしても、彼にとって弥生は六年前の弱いまま。鬱陶しくて、我慢の限界が来て突き放した、あの時のまま。
 励ましの言葉なんて、惨めなだけだ。
「弥生ちゃん、群れるのは嫌いだってよく言うけど、それって本心?」
 弥生は目を見開き、綱吉を振り返る。
「な、に……」
「ただ雲雀さんに――お兄さんに嫌われるのが怖くて、そう言う『ふり』をしてるんじゃないかって、思って……」
「……っ」
「弥生ちゃんは、俺達を助けに来てくれた。骸との戦いで、何度も俺の事を守ってくれた。俺、嬉しかったんだ。弥生ちゃんには、もしかしたら本当に嫌われているのかもって思ってたから……」
 そう言って、綱吉はヘラッと笑う。いつもと変わらない、どこか頼りない――けれどもホッとするような、優しい笑顔。
 ――やっぱり、沢田は沢田だ。
 特殊弾で一見性格が変わったように見えても、その本質は何も変わらない。
 だけど。
「……別に、嫌いなわけじゃない。私だって皆と一緒にいたい。友達になりたい。沢田達の事、好きだよ。
 でも、お兄ちゃんが一番なの……! お兄ちゃんは、群れるの嫌いだから。お兄ちゃんみたいに、強くならなきゃいけないから……」
「……本当に、君は懲りないんだね」
 屋上に姿を現したのは、雲雀恭弥だった。弥生は押し黙り、俯いてしまう。
 綱吉が、獄寺の腕を引いた。
「獄寺君、俺達はそろそろ病室に戻ろう」
「えっ。しかし――」
「いいから、いいから」
 いつに無く強引な綱吉に、獄寺はなす術も無く連れられて行ってしまう。
 屋上に残る二人の間を、冷たい風が吹きぬける。
「……」
 雲雀は無言のまま、弥生に歩み寄る。そして、左の袖を乱暴に肩まで捲り上げた。痛みこそもう大した事無いものの、そこにはまだ包帯が巻かれている。
「お、お兄ちゃん?」
「……六年前と、同じ怪我」
 びくりと、弥生は肩を震わせる。六年前。弥生は怪我をして、次に会った時、雲雀は――
「嫌っ!!」
 弥生は耳を塞ぎ、しゃがみ込む。
「やだやだやだ、聞きたくない! 私、まだ頑張れるから――もっとちゃんと強くなるから――」
 ふっと、温かな腕が弥生を包み込んだ。
「――ごめん」
 耳元で小さく紡がれたのは、贖罪の言葉。弥生は目を瞬く。
 弥生を抱きしめたまま、彼は言葉を続けた。
「何があっても、護るつもりだった……護れる自信があったんだ。でも、それには限界があるんだって、あの時解った」
 弥生はぽかんと雲雀の話を聞いていた。耳を塞ぐのも忘れていた。
「一緒にいるのは、限界がある。――だったら、逆に離れていた方が君のためだと思った。六年前も、今回も、弥生が最初に狙われたのは、僕の妹だからだ。『雲雀恭弥の妹』なんて肩書きが無ければ、危険に巻き込まれる事はずっと減る……それにきっと、君が求めていた『友達』だってできただろうから」
 ダメだ。それは。
 弥生は雲雀を突き放し、慌てて言う。
「わ、私、そんなの求めてないよ。群れたりなんて……」
「もういいよ、弥生。もう、自分を偽ったりしなくていい。僕も、もう嘘は吐かない。
 僕は、群れは嫌いだ。きっと、その中に君がいたらイライラするだろうね。――でも、それが君にとっては幸せなんだって事は、理解できる。だからなおの事、僕達はバラバラの方が互いのためになると思った」
「そんなの、嫌だ! 私の一番は――」
「うん」
 弥生の言葉を遮るように、解っていると言うように、雲雀は頷いた。
「あれだけ冷たくしたのに、まだそう言ってくれるとは思わなかった。見舞いにも来なくなって、愛想を尽かされたんだと――やっと諦めてくれたんだと思っていたから。……嬉しかったよ」
 最後の言葉は、小さくぼそりと。
「平穏に暮らせるようにと思って突き放したのに、それがまさかこんな風になって帰って来るなんてね」
 雲雀は、やや呆れたように溜息を吐く。
 嫌われたのだと思っていた。強くなければ認めてもらえないのだと、そう思っていた。
 彼が望んでいたのはただ一つ、弥生の幸せ。
 関を切ったように涙が溢れて、弥生は雲雀の胸に顔を埋めた。ぽん、とその頭に手の平が乗せられる。
「もう、大丈夫だよ」
 短くなった鉄パイプが地面に落ち、ころりと転がった。
 六年前のあの場所で拾った鉄パイプ。もう、その武器は役目を終えたのだ。





「えっ!? それじゃあ弥生ちゃん、実家に帰ってないの!?」
 選手達への声援の中、綱吉は素っ頓狂な声を上げる。野球部の大会を、弥生は綱吉らと一緒に見に来ていた。もう、彼らを拒む理由は無い。彼らと行動を共にする事は、この一ヶ月でぐっと増えていた。獄寺との喧嘩が多いのは、相変わらずだが。
 九回裏、三対一。ノーアウト、ランナー一塁、二塁。並盛の劣勢だが、逆転の可能性は十分にある。
 弥生は携帯電話をいじりながら、頷いた。
「やっぱり、お兄ちゃんの隣に立てるぐらい、強くなって帰りたいから。だから、ほら、これも」
 何処からともなく、弥生は鉄パイプを取り出す。
 獄寺が、綱吉の向こうから口を挟んだ。
「お前、それ捨てたんじゃなかったのかよ……」
「やっぱり君達、見てたんだ」
 弥生はムスッとする。雲雀とのわだかまりが解消したのは、綱吉のおかげとも言える。弥生にした「相手を誤解している」と言う指摘を、彼は雲雀にもしたのだとか。あの場で後が気になるのは当然だろうが、取り乱した姿を見られたのはバツが悪い。特に、獄寺には。
 しかし彼がからかう様子はなかった。少し拍子抜けながらも、弥生は言った。
「これは、また適当に拾って来たやつだよ。もう、『あれ』である必要は無いから。――それでもやっぱり、鉄パイプが使い慣れてるみたい」
 ワッと競技場が沸き返った。
 並盛中学の選手が打ったのだ。しかしバットに当たりはしたが、素人目に見ても伸びが悪い。案の定、ピッチャーフライ。直ぐに球は投げられ、二塁を飛び出た選手までアウトを食らってしまった。
「あ〜っ。残念です!」
 ハルが口を尖らせる。
 これで、ツーアウト。もう一人のランナーは飛び出せず、一塁のまま。雲行きは、一気に怪しくなってしまった。弥生も、じとっとした目でベンチに退場する選手を見やる。
「最初から山本を出してれば、一回戦でこんなに苦戦する事もなかったろうにね」
「一回戦だからだろう。ずっとベンチでは、後輩も育たんからな」
 了平が腕を組み、もっともらしい事を言う。
「あっ! でも次、山本君出るみたいだよ」
 京子が指を指す。バットを手に、山本がピッチへと軽い足取りで入って来る所だった。ここでアウトになれば、並盛の敗北。しかし山本は、そんなプレッシャーなど微塵も感じさせない。むしろ、訪れた出番に嬉しそうでさえある。
 キャッチャーが立ち上がった。しかし打ち合わせと言うわけでもなく、ピッチャーはそのまま彼にボールを投げる。当然、ファールボール。
 弥生は眉をひそめる。
「何あれ、なんでわざと外してるの」
「向こうは余裕あるからなあ。ホームラン打たれて追いつかれるよりも、歩かせた方が安全だって判断したのかも」
「彼は、この大会におけるマークされてる選手一位だからね。仕方ないよ」
「腑抜けおって! 男なら勝負せんか!」
「あっ! 一塁の人が!」
 ピッチャーが三球目を投げた途端、走者が塁を飛び出していた。キャッチャーがセカンドに向かって送球するも、判定はセーフ。
「やったあ!」
「やるではないか、あの選手!」
 彼がいたのが三塁だったなら、得点に繋がっていたのに。惜しいところだ。
 ピッチャーにボールが戻る。背後に気を配りつつ、彼はボールを投げた。
 そして、カーンと言う小気味良い音が競技場に響いた。一斉に、観客席は沸き返る。ボールは観客席へ。
「ホームランです!」
「あんなファールボールに当てて、しかもホームランなんてね」
「さすが山本! 凄すぎ!!」
「ったく、山本ごときに相手チームは何やってんスかねぇ。
 てめーらしっかりやんねーと暴動起こすぞ!」
 応援しているのだか、貶しているのだか。了平までもが、張り合うような大声でボクシングの勧誘を始める。
 騒ぎの中飛んできたファールを、弥生達の背後に現れたビアンキが平然とキャッチした。
「お弁当持ってきたわよ」
「でー!!」
 叫び声を上げ、獄寺が卒倒する。
 次の球でホームランが出て、更にもう一点。並盛中学が勝利を収めていたが、それどころではなかった。
「ちょっ、獄寺君!」
「大丈夫?」
「しっかりして、隼人!」
「ふげー!!」
「あっ! 獄寺君!!」
「ビアンキさん、ゴーグル!」
 携帯電話を握ったまま、弥生も立ち上がり叫ぶ。
 送信完了画面が一定時間表示され、待ち受け画面に切り替わった。





 休日の中学校には、静寂が満ちている。校舎の屋上に寝そべる彼の頭には、黒曜での戦い以来すっかり懐いてしまった小鳥がとまっている。
 不意に校舎内への扉が開き、風紀委員の男が駆けつけた。
「委員長! 野球部の試合、終了したそうです。四対三、並盛の勝利です!」
「……知ってるよ」
「え?」
 雲雀の口元に、僅かに笑みが浮かぶ。
 パタンと携帯電話を閉じ、彼は立ち上がる。黒い学ランを風になびかせ、彼は屋上を後にした。


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2012/06/16