「……あのバカ、手こずりやがって」
杏子は呟くと、ぽんと壁面を蹴り結界の中へと飛び降りて行った。青い光に、赤色が混ざる。
私は慌てて立ち上がった。まさか、杏子に続いてここから飛び降りるわけにはいかない。そもそも、結界に飛び込む気はない。私が行ったって、邪魔になるだけだもん。そろそろこの戦いは終わる。階段使って降りて行けば、ちょうど良い頃合だろう。
振り返ると、ほむほむは動く様子も無く、戦闘が行われている結界に視線を落としていた。彼女が危惧するのは、きっとまどか。
「ほむらちゃん」
私が呼ぶと、ほむほむはちらりと横目で私を見ただけで、直ぐに視線を戻した。
「こないだは、ありがとう。まどかと一緒に公園で魔女に襲われたとき。助けてくれたでしょ? あの時は明海の登場で、お礼言えないままになっちゃったからさ」
「感謝されるほどの事はしていないわ。魔女を倒すのは、魔法少女の務めだから」
「でも、おかげで私、助かったもん。あの時のほむらちゃん、かっこよかったよ」
「……」
私は踵を返すと、非常階段を駆け降りて行った。
あ、プリクラ。また、渡すの忘れちゃった。
――まあ、いいや。
きっと、また会える。その時に渡せばいい。
No.20
ほむホーム! 杏子がほむほむの家に行くと聞き、私は慌てて身支度をして彼女と共にホテルを出た。元の世界から持ってきた鞄に入っているまどマギグッズが見られたり、ほむほむ呼びを突っ込まれたりしながらも、私の顔はもうにやけっぱなし。
通りの先に見覚えのあるY字路が見えて来たその時、杏子が背後を振り返った。う? 何だ?
私も遅れて立ち止まり、振り返る。そこにいるのは、明海だった。じっとこちらを見据えている。
「何だ、あんた……?」
杏子は私より一歩前に出て、警戒するように言う。その片腕は、私の前へと伸ばされていた。一瞬、明海が寂しそうな表情をした気がした。
「上月加奈に用がある……。借りてもいいかな、佐倉杏子」
「……あんたか。キュゥべえの言ってた、二人目のイレギュラーってのは」
ああ、そうか。杏子は、明海と会った事無いんだっけ。
明海は無言のまま。能面のような無表情。いつもの胡散臭い笑顔さえ、浮かべない。
「加奈に何の用だ?」
「そんなに警戒しなくていいよ。私は彼女と、面識があるから。ね、上月加奈?」
杏子は、問うように私を振り返る。私は、頷いた。
「うん。ほら、前に話したじゃない? 家に帰るための手がかりで、人を探してるって。彼女が、そう。確実に偽名だろうけど、穂村明海って名乗ってる」
私の話を聞き、杏子は胡散臭そうに明海に視線を戻した。まあ、そうだよね。胡散臭いよね、こいつ。
「何だそれ。本名は話せないっての?」
「話すも何も、無いんだよ。私は名前を捨てたから。穂村明海、小豆色の魔法少女、あずき、青梅れいら、好きに呼んでくれればいい」
小豆色とかあずきは兎も角、れいらって何ぞ。
明海は、私に視線を向ける。
「上月加奈。私と一緒に来て欲しい」
「えー……これから、ほむホーム……」
「……それは、私の家の事かしら」
「――っ!!?」
言葉にならない叫び声を挙げて、私は振り返った。
いつの間にか家から出てきていたほむほむが、無表情で私を見据えていた。あばばばば、もしかして今の聞いてました?
「暁美ほむら。上月加奈を、借りたいのだけど」
明海はこの状況を完全無視で、言った。……およ? いつもなら、嫌味の一言や二言、出てきそうなものだけど。
ほむほむは淡々と頷く。
「構わないわ。用があるのは、佐倉杏子だけだもの」
明海はじとっとした視線で、無言の圧力を掛けてくる。
うぅ、わかりました、わかりましたよ。行きゃーいいんでしょ、もう。
私は渋々と、杏子の横をすり抜けて明海の方へ向かう。杏子が心配気に、呼ばわった。
「おい、加奈――」
「大丈夫だよ、明海は。言ったでしょ? 面識あるって。この子も魔法少女でさ、魔女から助けてくれたりもしてるもん」
「……その子の事、随分と目かけてるんだね」
明海は静かに言う。杏子は、ぽりぽりと頬を掻いてそっぽを向いた。
「う……まあ……一緒に暮らしてるわけだし……」
「ありがとう、杏子」
「なーんで、あんたがお礼言うわけ?」
あんたは、私のカーチャンか何かかっ! 明海は答えず、背を向ける。
「ついて来て」
「あっ、ちょっと待って! ほむほむ、コレ!」
私は鞄の中に手を突っ込む。ほむほむは首を傾げながら、私と明海の方まで歩いて来た。
あった、あった。鞄から取り出したそれを、私はほむほむの手に押し付ける。
「ああ、この前のプリクラか」
杏子がほむほむの後ろから首を伸ばして覗き込み、言った。私はうなずく。
「うん。ほむほむってば、プリント待たずに行っちゃうんだもん。その後は、会ってもさやかのソウルジェムの事とか明美の事とかあって渡しそびれちゃって」
ゲームセンターで会った時、強引に引っ張りこんで撮ったプリクラ。私は携帯電話に貼っている。私の、大切な宝物。
「……行くよ」
明海は横目でこちらを見ていたが、ふいと再び背を向ける。私は慌てて、彼女の後に続いた。
去り際、明海はぽつりと小さく呟いた。本当に、本当に小さな声。最後が消え行って聞こえないほどに。
「バイバイ、ほむ……」
私はきょとんと明海を見る。明海は無表情のまま、歩いて行く。
その後ほむほむが呟いた言葉は、私の耳にも、明海の耳にも届いていなかった。
「……加奈?」
「ねーっ、明海ーっ、どこまで行くのーっ?」
「人気の無い所までだよ」
明海はスタスタと前を歩いて行く。
そうしてようやく立ち止まったのは、どこかの廃ビルだった。雰囲気としては、アニメでマミさんが薔薇園の魔女を倒していた辺りに似ている。明海が早く歩くもんだから、付いて来るのに必死で全く道順なんて覚えちゃいない。
「どこだよ、ここ……。帰り、ちゃんと送ってくれるんだよね?」
また知らない土地で放置なんて、もう勘弁。明海は、答えない。
私は、背を向けたままの彼女の肩に手をかけた。
「ねえ、ちょっと――」
振り返った明海の表情。その目に生気は無く、暗い瞳で私を見つめていた。
思わず、びくっと手を離す。
イカレタ瞳のまま、明海はにぃっと嗤った。
「帰り道を送る必要なんてないよ……私は、ここで終わりにするんだから」
「な……何言ってんの……? 明海……?」
くっくっと、彼女は喉を鳴らす。
「明海。だあれ? 明海って。そんなの私の名前じゃない。――あんた、本当に気付いてないの?」
ぞわりと、鳥肌が立つ。
声の調子、間の取り方。なんだか、どこかで聞いた事があるような。
彼女は私の横を通り抜け、開け放されたままの扉を閉める。同じくらいの背格好。長い黒髪。髪質に特徴なんて無い。顔は違う。声も違う。
「ねえ、本当にわからない……?」
彼女は、拳に握った物を、顔の前にかざす。そして、振り返った。
私は、言葉を失う。
「ねえ、これでも本当にわからないかなあ……」
何。何が起こっているの。
私は、私を見つめる。彼女の口が開く。出てくるのは、私と同じ声。
「私を連れて来た魔法少女も、穂村明海と名乗った。最初の私がどうして、どうやってこの世界に来たのか、私は知らない。でも、この私が何のためにつれて来られたか、私を連れて来た彼女がどうして私を連れて来たのかは、知ってる。
――ただ一つ、暁美ほむらの孤独な戦いを終わらせるため」
彼女は、ほむほむを救いたいと言った。
彼女を一人にしたくない。彼女の孤独な戦いを終わらせたいと。
彼女は――『私』は、幾多の時間軸の自分自身をも巻き込んで、暁美ほむらと共に戦い続けていたんだ。
「じゃあ――あんたがダメになっちゃったら、今度は私が――?」
「そのつもりだった。でもね、それは違ったの」
ぞわり。この寒気はきっと、気温のせいだけじゃない。なんで、どうして、そんな瞳をしているの?
そして私は、彼女が手に握っている物に目を留める。
顔を元に戻すため、本来の形にされたソウルジェム。その色は、黒。元の色なんて、判らないほどに。
「ウソ――ウソ、そんな……」
私はよろよろと、後ずさりする。
彼女はふらあっと前へと進んできた。やだやだやだ。そんなのウソだ……!
「きっと、彼女を助けるんだって思ってた。
彼女を孤独な迷路から救い出したいから。だから、魔法少女になった。彼女を救いたい。共にいたい。それが、私の願いだった。
――きっと、彼女もそうだった。
自分が彼女を迷路に捕らえているなんて、思ってもみなかっただろうね」
「何――」
「インキュベーターの言ってた通りだよ……この時間軸は、一つ前の時間軸と同じ流れ」
くしゃり、と彼女の顔が歪む。
「バカだよね……助けるなんて、息巻いて。これが私に課せられた運命なんだなんて、勝手な使命感背負って。結局私がやった事は、ほむほむを無限の迷路に閉じ込めるだけ。彼女一人なら、進んでいたのに。あの子、私のせいで一体何回同じ世界を繰り返したんだろう?」
頭の中は真っ白。もう、何も考えられない。
彼女が何を思って私を呼んだのか、解ってしまった。だって、彼女は私。
「あんたはもう、魔法少女になる必要なんてない。――ここで、全てを終わらせるから。
これ以上彼女を無限ループに閉じ込めるぐらいなら……私は、あんたを殺して私も死ぬ」
ピキッというやけに軽い音が、耳に残った。
目の前で砕け散るソウルジェム。じっと見つめている事なんて、出来なかった。次の瞬間、凄まじい風圧に私は吹き飛ばされた。壁に強く背中を打ち付けて、うつ伏せのままぼんやりとそれを眺めていた。黒い渦。歪んでいく世界。その中で携帯電話が床に落ち、真っ二つに割れる。
血のように真っ赤な天井は、それだけで気が滅入りそうで。紫の靄の中から、ジャラリと音がして。その中にちらりと見えたのは、鋭い鎌。
私は起き上がり、駆け出した。
逃げなきゃ。早く、この場から逃げなきゃ。
スライムみたいな物がぐにゃぐにゃと姿を変えながら、私の周りにまとわり付く。
「来るな……来るなーっ!!」
逃げなくちゃってそう思うのに、走り続けているのに、辺りの風景が変わる様子は無い。黒い道。辺りは靄。目印になる物なんて、何にも無い。
もしかしたら私は、同じ所をぐるぐると走り続けているのかもしれない。
「きゃっ」
何かに蹴躓いて、私はドテンとその場に倒れこむ。
足元にいたのは、私だった。堅く目を閉じた姿。意識は無い。私の、抜け殻。
やっぱり。私、おんなじ所を走り続けてる。魔女化した彼女から逃げたはずなのに、目の前には大きな影。カマキリのような両腕が、ゆらゆらと揺れている。
靄の中から鎖が飛び出してきて、私の足に巻きついた。身動きが取れなくなって、私はその場に倒れこむ。カタンと音を立て、私のポケットから携帯電話が落ちた。私はそれを素早く拾う。杏子――
開きかけ、私の手は止まった。
……助かって、私はどうする? 杏子を呼んで、何を頼む?
この魔女は、私。それを、殺してくれなんて言えない。言いたくない。そんなの、見たくない。
そして、私はここから生き延びてしまって良いのだろうか。
私の存在が、ほむほむを無限ループに閉じ込める。何度も、何度も、私が存在したせいで、ほむほむは全く同じ時間軸を繰り返し続ける事になってしまった。それは一種のエラー。終わりの無いループ。修正手段は、そこにある「余計なもの」を消す事。
私はもう、ここで消えるしかないのかな……。
大きな鎌が振り上げられる。間に、遮る物は無い。私は、動く事が出来ない。
――ああ、終わるんだ。
可も無く、不可も無く、私の日常は平々凡々としたものだった。特別優秀というわけでもなく、目に余る落ちこぼれというわけでもなく。皆の中心なんて絶対無いけど、友達はそれなりにいて。両親は怒ったりもするし、一緒にテレビ見て笑ったりもする。アニメ好きって事は知られてるけど、あんまりコアな部分は隠したりして。アニメ見たり、グッズ買ったり、ただそれだけで楽しかった。
中でも大好きなアニメ、『魔法少女まどか☆マギカ』。春休み明けたら受験生なんだなって思いながらも、全く実感湧かなくて。放送再開まだかなって、毎日部活から帰ってくるなり公式サイトに張り付いたりして。
それが、突然その世界に連れてこられて。右も左もわからない世界で、置いてけぼりを食らって。杏子に拾われて、ほむほむと出会って。
手にした携帯電話。そこに貼ってあるプリクラ。三人で撮ったもの。
もう、会えなくなっちゃうんだ。元の世界の家族や友達とも、杏子とも、そしてほむほむとも。
鎌が振り下ろされる。私は固く目をつむった。
ガキィンと刃と刃のぶつかり合う高い音が、頭上で響いた。衝撃は無い。私は、恐る恐る目を開ける。
赤いロングスカートの魔法少女が、槍を手に魔女に応戦していた。
鎌を押し返し、そしてその腕を切り落とす。私は思わず、腕をさすっていた。
鎖が彼女を襲う。彼女はそれを避け、槍を棒から鎖状に変形させる。鎖が鎖の間を掻い潜って、もう一方の腕も切り落とした。
槍は棒状に戻る。それを手に、杏子は高く飛び上がった。
真っ直ぐに、槍は彼女を貫いた。ぐわんと耳鳴りがして、辺りが歪む。落ちてきたグリーフシードを、杏子はぱしっと片手で取る。結界が消えるその一瞬、魔女の陰に隠れていた位置に切り刻まれて原型を失った身体が見えた。
「大丈夫か、加奈っ!?」
私はただただ、呆然とその場に座り込んでいた。
こんなの信じられない。信じたくない。――私は、魔女化の末杏子に殺されてしまうだなんて。
2011/07/05