私はただただ、立ち尽くしていた。
「おい。どうしたんだよ、加奈?」
俯く私の目の前に、突然現れる杏子の顔。私はびくっと後退する。
杏子はきょとんとしている。
彼女は知らないんだ。これは仕方ないんだ。解っている。――解っているけども。
気まずい沈黙の中、こつんとヒールの音が辺りに響いた。はっと私は顔を上げ、戸口を振り返る。
そこにいるのは、暁美ほむら。
泣き出してしまいたかった。ごめんなさい。ほむほむ、ごめんなさい。私のせいで、あなたは――
「魔女は……あなたが倒したの?」
ほむほむは杏子に問う。杏子は、誇らしげにうなずいた。
「そうだよ。遅かったじゃん。何してたのさ?」
「……上月加奈に話がある。借りてもいいかしら」
「別に構わないけど……そういや、あずきの奴はどこ行ったんだ? 用があるって言って連れて来た癖に、魔女に襲われてるのを放置かよ」
私も、ほむほむも、答える事はできない。
ほむほむが無言で踵を返して、私はその後に続いて廃ビルを後にした。元来た道を戻りながら、彼女は静かに問う。
「……あなたは、一部始終を目撃したの?」
「一部始終って……」
「魔女が生まれる場面よ」
私は、前を行くほむほむの背中を見つめる。そして、こくんとうなずいた。
「……うん」
「そう……」
無言の間。
ぴたりと、ほむほむは立ち止まる。そして、くいっとこちらに向き直った。真っ直ぐな瞳で、私を見据える。
「……彼女は……上月加奈?」
息の詰まる思いだった。
気付いたんだ。ずっと、ほむほむのためにって戦っていた未来の私。名前も捨てて。姿も捨てて。その事実に、彼女は気付いてくれた。
だけど、彼女はもう。
「……」
私はうなずく。そのまま、顔を上げる事はできなかった。
「勝手な事して……ごめん……」
私のせいで。
私の存在のせいで、ほむほむは。
「あなたが私に対して気に病む事なんて、一つも無い。本当に、一つも。
あなたは十分に、辛い想いをしたわ……。今日、この後はどうするつもり?」
この後の予定なんて、無い。
でも、今杏子の所に帰るのははばかられた。わかってる。仕方ないんだってわかってるけど――顔を合わせづらい。
「うちに来ても、構わないわよ。狭いけど、部屋は空いてるから」
私は顔を上げる。ほむほむは、髪を払って言った。
「……そして、できる事ならあなたはしばらく出歩かない方がいい。万一にも魔女に遭遇したら、また思い出してしまうでしょうから」
「……美樹さやかの事?」
ほむほむはぴくりと反応を示す。私は、微笑った。
「知ってるよ。さやかが魔女になっちゃうって……知ってる。ほむほむがまどかのために何度も繰り返している事も、私がこの世界を訪れる前に巴マミって魔法少女がいた事も、全部知ってる。
「でも、あなた自身は繰り返していないのよね……?」
それは完全な疑問ではなく、確認。彼女は薄々、気付いていたんだ。だけど、私の情報源が具体的に何かなのまでには辿り着かなかった。
「私はここに来る前、あるアニメに夢中になっていたの――アニメのタイトルは、『魔法少女まどか☆マギカ』」
No.21
ほむほむは私を家まで送ると、再び家を出て行った。さやかを探しに。ついでに、杏子にも会ったら今日は帰らないって事を伝えてくれるらしい。
私も、探した方がいいのかな。だけど、どこを探せばいいんだろう。そしてもしも見つけたとして、私に何ができるだろう。
私は携帯電話のアドレス帳を開く。元の世界の家族や友達の名前が並ぶ中、新しく追加された暁美ほむらの文字。見つけたら……ほむほむに連絡すれば、いいかな。
その時、私の手元で携帯電話が鳴った。だけど、画面に映るのは知らない電話番号。……登録、ミスったかな。そんな事を思いながら、私は通話ボタンを押した。
「はい、もしもし」
「……」
「あの……」
「あたし。美樹さやか」
……え?
どうして? どうして彼女が、私の携帯電話にかけてくるの?
「今、会えるかな……」
場所だけ告げて、彼女は電話を切った。
私は混乱していた。何? どういう事? さやかが、どうして私に用があるの? どうして私の電話番号を知っているの?
――伝え、なきゃ。
私はアドレス帳を開き、ほむほむに電話をかけた。私にもできる事があるなら。ほむほむの障害となってしまった私だけど、それでもできる事があるなら協力したい。
ほむほむは、直ぐに電話に出た。機械的な静かな声が、スピーカーから流れる。
「もしもし」
「ほむほむ? ……今、さやかから電話があったの。来て、って」
しばしの、無言。
それから、彼女は言った。
「家で待っていて……私も、一緒に行くわ」
間も無く、ほむほむは帰って来た。既に日は暮れている。場所を伝えて。ほむほむに道案内してもらって、私は待ち合わせの場所へと向かう。
待ち合わせ場所に、さやかの姿は無かった。代わりに、ほむほむのソウルジェムが反応を示して。私達は、そちらへと向かう。やがて辿り着いたのは、どこかのアパートみたいな所だった。塀があるだけの通路に立ち並んだ扉。私達が辿り着いた時には、魔女の結界が消え行くところだった。
結界が消えた中央で、さやかは荒い息で立っていた。立っているのもやっとの様子。ほむほむが、彼女の背に声をかけた。
「どうしてわからないの? ただでさえ余裕が無いのだから、魔女だけを狙いなさい」
さやかはちらりと私達を振り返るが、関心なさげにそっぽを向く。
「うるさい。大きなお世話よ」
「あの……さやか。私に、用って?」
「は?」
さやかは再度振り返る。怪訝気な表情を浮かべて。「は?」って……呼んだのは、そっちだぞ。
「電話、してきたよね? 今会えるかって……。この近くの、橋の所でって」
「……なんで、それをあんたが知ってんの?」
え? え?
ほむほむが呆れたように淡々と言った。
「間違い電話ってわけね……」
「そんなはず……あたしは電話帳からかけたんだから。赤外線で交換したんだよ? あんた、適当な事言ってんじゃないの? あたしに何の用なわけ?」
さやかは疑わしげな視線をこちらに向ける。私は携帯電話を取り出した。
「適当じゃないよ。本当にあんたがかけて来たんだって。ほら、着暦にも――」
「――あいつの携帯」
「え?」
さやかがこちらへ駆け寄ろうとする。ほむほむが間に入ったが、それは必要なかった。さやかはふらつき、立ち止まる。
「他に見た事のない、あいつの機種……ストラップも、プリクラの位置も、同じじゃない。あんた達、あいつをどこにやったの?」
「あいつって……」
さやかが言ってるのは、まさか――
「小豆色の魔法少女よ! どうしてあいつの携帯をあんたが持ってんの? あいつをどこにやったのよ!?」
眩暈がした。
同じ携帯電話。当然、番号も同じ。それは、彼女が確かに未来の私である事を十分に証拠付けた。彼女は、さやかと番号を交換してたんだ。そして、追い詰められた彼女が頼ってくるような立場にいた。
でも、彼女はもういない。
「彼女は――死んだわ」
ほむほむの宣告に、さやかは膝を突く。ほむほむは冷たい瞳で、彼女を見下ろしていた。
「今のあなたと同じよ。このままではあなたも、彼女と同じ道を辿る事になる。
あなたのソウルジェムも限界のはずよ。今すぐ浄化しないと……。使いなさい」
ほむほむは、さやかの前にグリーフシードを放った。さやかはそれを拾う。かと思うと、横へと投げ捨ててしまった。
キッと、ほむほむを睨みつける。
「今度は何をたくらんでるのさ」
「いい加減にして。もう人を疑ってる場合じゃないでしょ? そんなに助けられるのが嫌なの?」
「あんた達と違う魔法少女になる。あたしはそう決めたんだ。誰かを見捨てるのも、利用するのも、そんな事をする奴らとつるむのも嫌だ。見返りなんていらない。あたしだけは絶対に自分のために魔法を使ったりしない」
さやかは毅然と言い放つ。
その姿は様になっているけど、でも、それは理想論。現実問題、それじゃあ駄目なんだ。周りを考えるなら、自分だって大切にしなきゃ。
ほむほむは、重々しく言った。
「……あなた、死ぬわよ」
「あたしが死ぬとしたら、それは魔女を殺せなくなったときだけだよ。それってつまり、用済みって事じゃん? なら、いいんだよ。魔女に勝てないあたしなんて、この世界には要らないよ」
「そんなの……っ!」
思わず、私は口を挟んでいた。
やめて。絶望しないで。あんたが魔女になったら、杏子は。ほむほむは。
「無責任だよ! さやか、自分で魔法少女になるって決めたんでしょ!? 魔法少女には、力がある。勝手にあきらめないで。勝手に、自分を蔑ろにしないで。ソウルジェムの輝きは保たなきゃいけないんだよ。限界なら、他を頼る事もして――」
「あんたに言われる筋合いは無いよ」
ぴしゃりと言われ、私は黙り込んだ。さやかは、私を睨み据えていた。
「あんたがそれを言うの? 魔法少女でも何でも無い、あんたが。頼るって言ったって、それはあんたじゃない他の人にでしょ? あんたに、何ができるの?
部外者が、知ったような事言わないで」
「そうね」
……ほむほむまで。でも確かに、さやかの言うとおりだ。口先ばかり偉そうな事を言って、でも結局は他人任せ。
私が魔法少女ならば、話は変わるかもしれない。でも、私が魔法少女になったら。
「魔法少女を責める事ができる人がいるとすれば、それは同じ魔法少女だけ。――だから、彼女の言葉は私の代弁だとでも思って」
ほむほむ……。
「……あんたを、頼れって事? 言ったでしょ。私は、自分の利益しか考えないような奴らとつるむ気は無い。そんな奴らに手を借りるつもりも無い」
話は堂々巡り。さやかは、ほむほむを信用する気なんてこれっぽっちも無いんだ。
「ねえ、どうして? あなたを助けたいだけなのに。どうして信じてくれないの?」
「どうしてかなあ……。ただ、何となくわかっちゃうんだよねえ。――あんた達が嘘つきだってこと」
達。
つまり、それは――私も。さやかのためだと言いながら、別の事を考えている。
……確かに、その通りだ。そりゃあさやかだって死んでしまうのは嫌だけど、私が助けたいのは、別の人で。私の大切な人は、別にいて。さやかに必死になるのは、全て彼女のため。
せめてもの、罪滅ぼしに。
私は、ほむほむのため。ほむほむは、まどかのため。
彼女は認め、あきらめ、変身する。すっと手をさやかの首筋へと伸ばした。
「ここで私を拒むなら、どうせあなたは死ぬしかない。これ以上まどかを悲しませるくらいなら……」
足音が聞こえる気がするのは、知っているからだろうか。それとも、ほむほむが気付いていないだけで本当に聞こえていたのか。
私は何もできず、立ち尽くしていた。
「いっそ私が……この手で……今すぐ殺してあげるわ。美樹さやか」
大きな槍が、彼女を襲った。
刺すわけではなく、杏子はほむほむを羽交い絞めにする。そうして、さやかに向かって叫んだ。
「おい! さっさと逃げろ!」
さやかはとぼとぼと去って行く。……行ってしまう。
追わなきゃ。
でも、追ってどうする? 私に何ができる? 彼女は、私達を信用しない。彼女に助かる気がないのならば、このまま魔女化するのみ。未来の、私のように。
魔女は絶望を振り撒き、人々を傷つける。ならば――消えるしかない。
だけど――私は、卑怯だ。自ら手を下す決心なんてつかない。ほむほむが自ら汚れようとするのも、ただ見ているだけだった。なんて、卑怯。
「正気かてめーは! あいつを助けるんじゃなかったのかよ」
「放して」
ほむほむの言葉に、杏子はちょっと驚いたような顔をする。そして、ニッと笑った。
「ふん、なるほどね。こんな風にとっ捕まったままだと、あの妙な技も使えないってわけか」
「加奈!」
ほむほむと私の目が合う。うなずき駆け出そうとした私を、鎖状の槍が絡めとった。
「加奈……何処行く気だ?」
「放して、杏子。早くさやかを追わなきゃいけない。見失っちゃう。そしたら、彼女は――」
「追って、どうする気だ?」
「……」
答えられない。
私自身、迷っている事。
「加奈、あんた――」
杏子の言葉が途切れた。ほむほむが手榴弾を取り出したのだ。杏子の拘束が緩んだ一瞬の内に、ほむほむは時間を止める。
手早く杏子の拘束から逃れるほむほむ。髪を払うと、そのまま去って行こうとする。
「あ……っ」
「あなたは、手を引きなさい」
え……。
「迷いは、危険を招く」
素っ気無く言うと、ほむほむは行ってしまった。姿が見えなくなって、時が動き出す。
赤い影が、私を押し倒した。
手榴弾が爆発する。
爆破が収まり、杏子は私の上から身を起こして辺りを見回した。
「……くそっ」
「杏子……」
杏子は横目で私を見た。その鋭い目つきに、私は手を伸ばしたそのまま固まってしまう。
何か、言わなきゃ。そう思うのだけど、言葉が出てこない。
「あの……えっと……」
「――あたし、あんたがわからないよ」
「え……?」
「突然、帰って来ないって……あいつの家に泊まるって言い出して……今朝の魔女の一件から、あんた、おかしいよ。何だよ? 何かあるなら、はっきり言えよ」
「……」
言えない。言えるはずがない。
「……そっか」
杏子は言った。
「ごめん。ちょっと甘え過ぎてたよ。加奈は、あたしの戦い方も認めてくれて……ソウルジェムの事を知っていても友達だって言ってくれた。
でも、そうだよな。あんたは、平凡な日常を生きてる普通の女の子なんだもんな。あの戦い方はちょっと、刺激が強すぎたか。あたしも、頭に血が上っちゃってさ……悪い。こんなんじゃ、魔女だって罵られるわけだ……」
え……つまり、杏子が言ってるのって。
「違う! そうじゃない……!」
私が言う前に、杏子は駆け出してしまっていた。
「あっ。待って!」
後を追おうとした私の足はもつれた。もつれて、その場に倒れて。杏子は振り返る事も無く、駆けて行ってしまう。
待って……置いて行かないで。
……いなくならないで。
2011/07/12