「――雨のリング争奪戦は、山本武の勝利です」
 崩壊した校舎の中、雨のように降り頻る放水。水に囲まれた瓦礫の上に残されているのは、山本武ただ一人。暗がりの中、戦いを告げるチェルベッロの無機質な声が響き渡る。
 規定時間を超え、場内に放たれたサメ。敗者であるスクアーロは、助けようとした山本の手を拒み、その刃の元へと消えて行った――水面に浮かぶ血溜まりを残して。
「こ……こんな終わり方……」
 綱吉が愕然と呟く。
 山本の無事。ボンゴレの勝利。しかしそれは、手放しで喜べるようなものではなかった。
 弥生は、ギュッと拳を握りしめる。その手は、微かに震えていた。
 ――これが、沢田達の戦い。





No.25





 翌日も、やはり綱吉達は学校に来なかった。
 誰かが時計に細工でもしたのかと思うほど、その日一日は長く感じられた。昨晩の戦いに使用された校舎は、他の校舎同様に幻覚で誤魔化され、誰もそこに実態がない事には気づいていないようだった。
(……今日も、沢田達は修行してるのかな)
 昨日や一昨日のような戦いを、まだこの先に控えている恭弥や綱吉。戦いを終えた者達も、仲間の見学にこそ来ているものの、入院していて学校へ通える状態ではない。それにもし学校へ通えるほど好くなったのなら、彼らの事だ。ヴァリアーがこの町にいる限り、いざと言う時に備えて更に修行を重ねる事だろう。
 ボンゴレリング争奪戦。守護者の戦い。
 弥生も戦いたい。友達が戦って、小さな子供まで戦っているのに、それを知って一人だけぬくぬくと平穏な日常を送るなんて出来ない。そう思っていた。そう思っていたけれど。
 ――怖い、と思ってしまった。
 獄寺や山本はともかく、相手は完全にこちらを殺しに掛かっている。人だけではない。戦いのフィールド。命の保証はなく、敗北はそのまま死を意味する。獄寺だって、綱吉のあの叱責がなければ帰って来られなかったかも知れない。
 獄寺や町の不良と喧嘩をするのとは訳が違う、本気の殺し合い。マフィアの戦い。
 それは、弥生にはまるで別世界のようだった。

 途方もなく長い一日が終わり、家への帰路を辿る間も、弥生はもやもやとした気持ちだった。
 弥生だけ、ここでこうしていて良いのだろうか。皆、戦っているのに。
(戦い……)
 暗い水面に浮かんだ大量の血が、脳裏に蘇る。
 一歩間違えれば、山本がああなっていたかも知れないのだ。負ければ、死。勝った場合も、相手が死を迎える。
 ふと、視界の端にソフトクリーム屋が映った。ワゴン車での移動屋台。夏のような暑さはもうなく、並んでいる人影はない。
 甘い物でも食べれば、少しは気が晴れるだろうか。財布の中の小銭を確認し、一番安いバニラソフトを買う。
 出来上がったソフトクリームを受け取りながら弥生は、道の前方へと目を留めた。
(……お兄ちゃん!)
 腕を通さずに羽織った学ラン。間違えようもない後ろ姿に、弥生は顔を輝かせる。
 声をかけようと手を上げ足を踏み出して、弥生は固まった。
 恭弥とすれ違った男子生徒。
 黒曜中学の制服。特徴的な髪形。顔は遠くて定かではないが、そのシルエット。
「――嬢ちゃん、お釣り!」
 店員の呼び止める声にも構わず、弥生は駆け出していた。
 彼とのすれ違い様に恭弥は少し振り返ったが、何事もなかったかのようにまた背を向け歩き出していた。――まるで、彼の事が見えていないかのように。
 六道骸。マインドコントロールや憑依弾で他者を操り、まるで道具のように使い捨てる非道な男。
 骸は弥生の姿に気付いたようにこちらを見て、フッと笑った。そして、弥生と出会うより前に脇道へと入る。
 誘いこまれている? 上等だ。今度こそ、叩き潰してやる。
 後を追って角を曲がった弥生は、同じく角を曲がろうとしていた少女と正面からぶつかった。
「きゃっ」
 弥生の方が背丈も勢いもあり、少女はもんどりうって跳ね返り尻餅をつく。
「ごめんなさい……! あっ、君――」
 黒曜中学の制服に、骸とよく似た髪形、右目には眼帯。弥生と正面衝突したのは、ここ最近、隣町で何度か会っていた少女だった。
「ごめん……大丈夫? 怪我してない?」
「平気……」
 弥生は、眼帯の少女へと手を差し出す。戸惑う彼女の手を取り立ち上がらせながら、道の奥へと視線を走らせた。
 路地を行き交うのは、買物帰りの主婦や学校帰りの並中生ばかり。黒曜の男子生徒の姿は、もう何処にも見つからなかった。
「ねえ、君、見――」
 この角を曲がって来た黒曜生を見なかったか、と聞こうとして、弥生は口をつぐんだ。
 六道骸の姿は、恭弥には見えていないようだった。どうして弥生だけ彼を認識する事が出来たのか分からないが、彼が幻術を使っていたなら、この子も見てはいないだろう。
 目の前の少女へと視線を移し、ギョッと息をのむ。彼女の胸元には、白いソフトクリームがべったりと付いてしまっていた。弥生が持っていた物が、ぶつかった拍子に彼女に付いてしまったらしい。
「ご、ごめん……!」
 弥生は慌ててハンカチを差し出す。ソフトクリームを拭っても、制服にはくっきりと跡が残ってしまっていた。
「別に……大丈夫……」
 ふいと背を向け去ろうとした彼女の腕を、弥生はつかんだ。
「待って。そのままだとシミになる。私の家、近くだから」
「え……」
 大きな瞳をパチクリさせる彼女の手を引き、弥生は一人暮らしの安アパートへと向かった。





「良かった……ちゃんと落ちて……。ごめんね、本当に。服、大きさ大丈夫だった?」
 手洗いした制服を窓の外に干し、弥生は部屋の中を振り返る。
「少し、大きいけど……平気……」
 一番サイズを調整しやすそうなTシャツとジャージを貸したが、やはり彼女の場合はもう一回り小さいサイズが適当らしく、肩も袖もだいぶ余ってしまっていた。短いスカートはジャージの丈と裾の位置があまり変わらず、一目見ただけでは履いていないようにさえ見えてしまう。
 彼女は、壁のコルクボードに貼られた複数の写真を見つめていた。
「それ、私の友達なんだ」
 視線の向かう先に気付き、彼女の隣に並んでコルクボードを見上げながら弥生は言った。
 親戚の家から持って来た家具の一つ。並森に来たばかりの頃には幼い頃の兄や兄との写真ばかり貼られていたそこには、今は綱吉や山本、そして獄寺達との写真が加わっていた。
「……今、その友達が大変な事に巻き込まれてるんだ」
 ぽつりと呟くように、弥生は言った。横に並んだ弥生を、彼女は見上げる。
「凄く強い人達と戦っていて……私も戦いたいと思ってた。一人だけ除け者は嫌だって。でも……怖くなってしまって。私は、どうすればいいのだろう……」
 弥生だって、喧嘩の強さには自信があった。獄寺とは何度もぶつかって来たし、悔しいけど、互角だった。
 けれど、今は……皆、弥生よりもずっと強い。そして、そんな彼らでも、死と隣り合わせの戦い。
「……私は、必要としてくれた人の期待に応えられない方が、恐い」
 弥生は写真から視線を外し、隣を見下ろす。いつもうつむきがちでどこか人の視線を避けているようだった彼女の瞳は、弥生を見つめていた。
「……弥生が恐いのは、何?」
 弥生は、ハッと息をのむ。
 ――弥生が、一番恐い事。
 目の前で訪れた人の死。繰り広げられる、命を賭した戦い。昨晩の戦いは、後味の悪い結末だった。いつもの喧嘩とは訳が違う。自分もそこに関わりたいと願うなら、同じく命を懸ける覚悟が必要だ。
 弥生が、本当に恐い事。昨晩の戦いで、感じた恐怖。
 それは、自分の命の危機などではなかったのかもしれない。
 爆発に巻き込まれたと思われた獄寺。対戦相手が死を迎えた山本。それらの戦いに、これからも関わり続ける綱吉達。
 黒曜ランドでの戦いの時から、弥生の結論は決まっていたのだ。今更迷う事など、何もない。
 ――弥生が恐れていたのは、彼らを失う事。何も知らぬまま、置いて行かれてしまう事。
 真っ直ぐに見上げる大きな瞳を、弥生は見つめ返す。そして、微笑った。
「……ありがとう。君に出会えて、本当に良かった」

 乾いた制服に着替えて、彼女は黒曜へと帰って行った。
 彼女を送り出してから、弥生はふと、彼女の名前を聞き損ねてしまった事に気が付く。何度も会っていながら、名前も知らない。制服から黒曜の生徒だとは分かるが、彼女がどこに住んでいるのかも知らない。今日はなぜ、並森へ来ていたのだろう。
「まあ……いいか」
 きっと、また会えるだろう。その時に聞けばいい。彼女の名前を。今度は、彼女の話を。
(あれ?)
 玄関扉を閉め、弥生はその場に立ち尽くす。
 ――どうして彼女は、弥生の名前を知っていたのだろう。





 弥生も、綱吉達のファミリーに入りたい。決意を固め、戦場となる夜の学校へと早めに向かったが、肝心の綱吉は床で寝ていた。リボーンの話では、昼間に眠ってから目が覚めないらしい。そうこうする内に獄寺達他のメンバーもやって来て、綱吉と二人で話すような時間はなくなってしまった。
 敵の方も集合し、後は、こちらの霧の守護者を待つのみとなっても、綱吉はまだ眠り続けていた。
「沢田、いったい、いつまで寝てるの……」
 眠り続ける綱吉を、弥生は鉄パイプの先でちょんちょんと突く。
「あっ、コラ、てめえ何してやがる! 十代目はお疲れなんだ!」
「う、う〜ん……」
 呻き声がして、獄寺は即座にその傍らに膝をつく。
「十代目! お加減は!?」
「やっと起きたか」
「皆!」
「バジルがここまでおんぶってくれたぞ」
 まだいまいち状況が飲み込めていない綱吉に、リボーンが説明する。綱吉は、少し照れくさそうに笑った。
「あ……ありがと。
 ――山本。大丈夫なの? その……目……」
 山本は傷だらけで、目も包帯で覆っていた。心配げに見上げる綱吉に、山本はニカッと笑いかける。
「ああ。ロマーリオのおっさんが、心配ねーってさ」
「十代目……まだ、霧の奴……姿を現しません……」
「ええ!? そんな!」
「本当に存在しているのか? そいつは……」
 了平さえも、疑問の声を上げる。
 霧の守護者。今夜の対戦者。
 綱吉の仲間として戦うはずのその人物は、未だこの場に姿を現していなかった。綱吉も、他の者たちも、霧の守護者が誰なのかは知らない様子だった。リボーンはのらりくらりと質問をかわして、誰なのか教える気はないらしい。
 弥生はちらりと敵陣を伺い見る。
 揃いの黒いコートに身を包んだ者達。どの人物も、只者ではない事がその佇まいを見るだけでも分かる。
 弥生は鉄パイプをぎゅっと握る。修業をして、この数日間でぐっと強くなった獄寺や山本でも、命の危機に瀕するほどの相手。弥生では、到底敵わないだろう。でも、このまま不戦勝となるよりは。
「ねえ――」
「こっちの霧の守護者のお出ましだぞ」
 言いかけた弥生の言葉は、リボーンによって遮られ最後まで紡がれる事はなかった。
 体育館の入り口を振り返り、弥生は息をのんだ。
 黒曜中学の制服に身を包んだ、二人の男子生徒。一人は顔に傷がある派手なツンツン頭、もう一人は白い帽子を目深にかぶった眼鏡の男。
 城島犬。柿本千種。六道骸の手下として、弥生達を襲った者達。
「なぜこんな時に!」
 獄寺はダイナマイトを両手に取り出す。弥生も鉄パイプを構え、その隣に並んだ。
「落ち着け、お前達。こいつらは、霧の守護者を連れて来たんだ」
「え……」
 リボーンの言葉に、弥生はぽかんと彼を見下ろし、それから再び犬と千種へと目をやる。獄寺達も、愕然としていた。
「ま……まさか……! 霧の守護者とは……」
「こいつらが連れて来るって事は……」
「う、嘘だ……霧の守護者って……ろ――六道骸!?」
 綱吉が、ほとんど悲鳴に近い声で叫ぶ。
 犬と千種の向こうに現れる人影。笑い声と共に現れたその人影は、短く言葉を紡ぐ。
「――Lo nego」
 異国の言葉なのか、弥生には聞き取れない言葉だった。英語とも違うようだ。
 その人影は上着を脱ぎ捨て、体育館の明かりの下へと姿を現した。その姿に、弥生は息をのむ。
「Il mio nome e' Chrome――クローム髑髏」
 黒曜の制服。特徴的な髪形。右目に付けた、眼帯。その手に抱えるのは、三叉槍。
 ――霧の守護者として姿を現したのは、ここ最近何度か出会い、友達になれるかも知れないと思っていたあの少女だった。


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2017/05/06