夜闇に、白い巨体が浮かび上がる。目の辺りが荒いポリゴンのように崩れた、マネキンのようなのっぺりとした白い頭。大きな体躯に白い布を巻いた僧侶のような姿のそれは、次々と地面から湧き出るように姿を現し、群れとなって街を侵食していく。
 不意に、幾本ものナイフがそれらの頭上に降り注いだ。それらは足を止めゆらゆらと身体を揺り動かすも、小さなナイフに傷つく気配は無い。
「相変わらず硬いなあ。ナイフ程度じゃ、ビクともしないや」
 陸橋の手摺の上に、小豆色の服を身にまとう少女が佇んでいた。制服にも似たその服の左胸に光るのは、これまた小豆色をした、下半分がやや長いダイヤ形の宝石。
 陸橋の下を走る車は無い。往来していた車は、既に魔獣の犠牲となった。これ以上被害が拡大しないよう、これからこの道を通ろうとする車は仲間の一人が食い止めている。
 陸橋の上の少女は、ニッと口の端を上げて笑う。
「――でも、狙いはそこじゃないんだよね」
 魔獣を縫いとめていたナイフが不意に白く光ったかと思うと、一斉に形を変える。スルスルと伸びたそれらは、黄色いテープとなり陸橋と魔獣との間で交錯するように張り巡らされた。テープには「KEEP OUT」の文字。
「はーい、交通規制でーす。この先魔獣は通行禁止!」
 おどけるように言うも、言葉の通じる相手ではない。テープはいともたやすく破られ、魔獣は一団となって己の行く手を遮ろうとした少女へと襲い掛かろうとする。
 先頭の魔獣が少女へと迫る。ぐぐっと少女に向かって腰を屈めたそれを、紅い刃が切り刻んだ。
 多節棍となっていた柄を一本の真っ直ぐな柄へと戻し、佐倉杏子は少女の隣に降り立つ。切り刻まれた魔獣は砕け、霧散するように消滅して行った。
「おい、加奈。ちょっとふざけ過ぎじゃないのか?」
 加奈と呼ばれた小豆色の服の少女は、不服げに口を尖らせる。
「えー。いいと思ったんだけどなあ。マミさんのリボンを参考にしたんだよ?」
「だったら、強度も上げとけって。簡単に破られてんじゃねぇか」
「そこまでしなくていいかなって。足止めさえすれは、杏子が来る計画だったんだし。節約出来るところは節約しないとね。魔獣のグリーフシードって、浄化効率あまり良くないんだから」
 言って、加奈はナイフの三、四倍ほどの大きさはある短剣を出し、次の魔獣へと投げる。短剣は魔獣の鼻先に命中し、先の魔獣と同じく対象を霧散させた。
「ほむらは?」
「メールしてみたけど、返事はまだ。でも、来るんじゃない? もしかしたら、もう来てるかも」
「相変わらずだなあ、あいつは」
 言って、杏子は槍を構える。
「お喋りはこの辺にしておくか。マミが来たら怒られちまう。
 加奈、あんたは下がって力を温存。援護頼むぜ!」
「りょーかい!」
 杏子は槍を構え、魔獣の群れの中へと突っ込んで行く。槍は再び柄の節を増やし、杏子を取り囲む魔獣を縦横無尽に切り裂いていく。
 加奈は陸橋や道路沿いの街灯の上など、適宜場所を変えながら、杏子に迫る魔獣へと短剣を投擲する。
「……ったく、キリがねぇ!」
「ほんっと。温存も何も無いよ、これじゃあ」
 次々と短剣を投擲する。手を休める暇は無い。加奈の特殊能力は補助として強力な分、自身の攻撃はどうしても火力が頼りない。複数の短剣を同時に操り投擲する事も出来るが、そうすると魔獣一体を倒すほどのパワーは得られない。
 魔女相手であれば、それでも特別硬い魔女で無い限り効果はあったのだが。
 魔法少女の身体は、あくまでも操るための器に過ぎない。本体はソウルジェムなのだから、痛みも疲れも生身の身体に比べ感じられない。とは言え、魔法少女は永久的に戦い続けられる訳ではない。
「……っ!」
 魔獣の手から繰り出された糸のような細いレーザーに杏子の身体が弾かれる。その身体の飛ぶ先に立つ魔獣に短剣を投げて消滅させ、加奈は街灯から飛び降りた。
 攻撃を受け無防備となった杏子を抱え、地面に降り立つ。彼女のソウルジェムは、黒く濁りつつあった。
「もう! ソウルジェムが濁ってきたら私に合図して浄化する計画でしょ!? これじゃあ、何のために私が待機してるんだか分からないよ」
「いやあ……もうちょっと、やれるかなーっと……」
 加奈は左胸に付いたソウルジェムを外した。
「待ってね、今、浄化を……」
「おい、加奈! 後ろ!!」
 杏子の叫びに振り返る。一体の魔獣が、直ぐそばまで迫っていた。加奈は杏子とソウルジェムとで、両手をふさがれている。杏子が手を組むが、ソウルジェムが濁ったこの状況で結界の形成が間に合うかどうか――
 腕を振り上げた魔獣は、黄色い光に弾かれるようにして後ずさった。
 加奈と杏子の足元に、黄色を基調とした光が丸く広がっていた。
「まったく……上月さんは魔獣の攻撃から逃れられる距離を保った位置からの遠隔攻撃。ソウルジェムが濁ってきたら、二人で魔獣から離れて浄化する事。そう、決めていたわよね?」
 叱責しながら、停車した車の間から巴マミが姿を現す。首をすくめて呻く加奈の横で、杏子はただ罰が悪そうに目をそらしていた。
 マミによる結界が効いている内に、加奈は杏子のソウルジェムに自身のソウルジェムを宛がう。
 ソウルジェムの濁り具合の分割。それが、加奈がキュゥべえとの契約で得た力だった。
 自身のソウルジェムを当てる事で、対象のソウルジェムを吸収できる。厳密には、吸収と言うよりも自分の濁りと足して二で割ると言った方が正しい。対象のソウルジェムの濁りを全て吸収するわけではないのだから。
 それでも、加奈のソウルジェムの輝きが鈍っていない状態であれば、魔獣の落とす小さなグリーフシードを宛がうよりも大きな効果が得られた。力を使えば対象の濁り具合に応じて加奈のソウルジェムも濁るのだから、グリーフシード要らずと言う訳にはいかないが。
 マミは魔獣へと向き直り、帽子の中からいくつものマスケット銃を地面から立たせるように出現させる。加奈、杏子もそれぞれに短剣や槍を片手に握り、その両脇に並んだ。
「さあ、一気に畳み掛けるわよ!」
「はーい」
「オーケー!」
 マミの掛け声に、加奈と杏子はうなずく。そして、三人は魔獣の大群へと挑みかかっていった。

 マミの砲撃による広範囲攻撃、杏子の槍による一転集中型の接近戦、加奈のナイフ変形による拘束とソウルジェムでの補助。辺り一帯の魔獣が全て消滅した時には、東の空が白々と明け始めていた。
 紅く染まる道路に、ばたりと杏子は大の字で寝転がる。
「やっと片付いた……! 加奈、グリーフシードはあるか?」
「うん、ほら。マミさんもどーぞ」
「ありがとう。佐倉さん、そんな所に寝ていたら危ないわよ。そろそろ車も通り始める頃だろうから」
 能力を活用する都合上、加奈は戦闘中にも逐一グリーフシードを拾い、自身のソウルジェムを浄化して輝きを保っている。その余りをそれぞれ杏子とマミへと投げ渡し、加奈はくるりと背を向けた。
「私、他のグリーフシードも拾って来るね。あと、Qビ……キュゥべえもいないか探して来る」
「そういやあいつ、今夜は姿を見せなかったな」
「お願い。悪いわね」
「だって、私が一番体力残ってるんだし。これくらいはね。私も、もっと火力のある攻撃が出来れば、戦闘にも直接参加出来るんだけど……」
「そうねぇ。上月さんも、そろそろ新しい技が欲しいところよね」
「マミのリボンみたいにナイフを変形させられるんだから、そう言う方向で何か出来るんじゃない? マミの銃だって、元々はリボンなんだろ?」
「ええ。使い方を考えれば、もっと強力な魔法になりそうだわ。今度、考えてみましょう。私も手伝うわ」
「本当!? やった!」
「そうとなれば、必殺技名も決めなきゃね。ふふ、楽しみ」
「グリーフシード拾いに行って来ます!」
 加奈はその場から逃げるようにして駆け出した。
 戦場となった道路沿いは、酷い有様だった。結界を作りその中に犠牲者を呼び込んでいた魔女とは異なり、魔獣は街中にそのまま現れる。精神攻撃だけなら加奈達魔法少女が戦い方を控えるなり何処かに誘い込むなりすれば良いが、あちらも攻撃して来るのだからどうしようもない。巻き込まれそうな場にいる人間や動物を戦いの範囲外に誘導するのが精一杯で、多少の犠牲は免れなかった。
 特に、今夜の戦いは酷かった。中には、倒壊している建物もある。民家の少ない地域で、どの建物も夜には人がいなかったのがせめてもの救いか。
 何気なく崩れた建物の方を見やり、加奈ははたと立ち止まった。
 崩れた壁。山になった瓦礫。その合間に見えた、赤いリボン。
「――ほむほむ!?」
 瓦礫の山へと駆け寄り、リボンの覗く隙間を掘り返す。
 倒壊した建物の瓦礫に埋まっていたのはこの見滝原に残るもう一人の魔法少女、暁美ほむらだった。
 加奈は、彼女の左手にあるソウルジェムに自分のソウルジェムを宛がう。
「ほむほむ……お願い、目を覚まして……」
 ソウルジェムの穢れが和らいでも尚硬く目を閉じているほむらを、加奈は強く抱き締める。
 加奈が魔法少女になる決意をした主な理由は、ほむらだった。
 元々、加奈はこの世界の住人ではなかった。ほむら達魔法少女の戦いが、アニメとして放送されていた世界――加奈も、彼女達をアニメのキャラクターとして認識し、十一話以降の放送再開を心待ちにしていた。
 それがひょんな事からこの世界に迷い込み、架空の存在だと思っていたキャラクター達はかけがえの無い友達となった。架空の町だった見滝原は、加奈の居場所となった。
 帰る手段が無かった訳ではない。それでも加奈は、この町に――この世界に残る事を決めたのだ。ほむらの傍にずっといたいから。楽しい事や悲しい事、嬉しい事、それら全てを彼女と分かち合いたいから。
「ん……」
 漏れるように聞こえた声に、加奈はハッと身体を離す。長い睫毛が揺れ、ほむらは薄っすらと目を開いた。
「ほむほむ!」
 加奈は、ぎゅっと再び彼女を抱き締める。
「良かった……本当に、良かった……!」
「加奈……」
「怪我してるよね。待ってね、今、マミさんを呼んで来るから――」
「それには及ばないわ」
 そっと加奈の手を解き、ほむらは立ち上がる。足が痛むのだろう。わずかに、ほむらの眉が動いた。
「でも……」
「あなた達だって、魔獣と戦っていたのでしょう。巴マミだって、相当魔力を消費しているはず。
 魔法少女だもの。これくらいの怪我なら、直ぐに治るわ」
 そう言ってほむらは、後ろ髪を払う。立ち去るほむらを、加奈はただ見つめているしか出来なかった。
 そしてそんな二人の様子を、物陰から紅い瞳がじっと見つめていた。





+++終わらない始まり





「もう直ぐ、冬休みです。冬ならではの行事を楽しみにしている人も多い事でしょう。クリスマスを恋人と過ごしたり……初詣に行ったり……でもですね、そんな甘い行事ばかりじゃないんですよ。その前に何があるのか――ハイ、中沢君!」
「え、ええっ!? えーと……成績表?」
「そうね……あなた達はまだ若いもの。まだまだこれからチャンスがあるもの。今気になることと言ったら、今学期の成績でしょうね……違います! そんなささいな事は、どうでもよろしい!」
 台詞は多少違えど、毎度お馴染みの光景。担任教師の早乙女和子がマヤ暦について話すのを、ほむらはぼんやりと眺めていた。
 ほむらが見滝原に転入して来た日はいつも、彼女が恋人と別れた後だった。まどかによって改変されたこの世界でも、それは変わらないらしい。和子はそのまま新しい恋人が出来ずに、クリスマスを迎えようとしていた。それがどうにも彼女にとってはつらい出来事らしく、最近では世界の終末説まで持ち出してくる始末だ。
 一通りいつものくだを巻いた和子は、気を取り成すように言った。
「はい。それから、今日は転入生がいます。――上月さん、いらっしゃい」
 呼ばれた名前に、ほむらは目を瞬く。ガラリと扉を開け、転校生は軽い足取りで入って来る。和子は黒板に彼女の名前を書く。
「家庭の事情で、転入する事になりました。上月加奈と言います。もう直ぐ学期が終わっちゃうけど、どうぞよろしくお願いします!」
 加奈は目敏くほむらの姿を見つけると、嬉しそうに小さく手を振った。

 昼休み。人気の無い屋上に、三人の女子生徒の姿があった。
「ほんとは、今日はやめとこうかなって思ってたんだよね。昨日は朝まで魔獣と戦ってた訳だし。それで授業受けるのは眠いかなーって」
「そんな事を言っていたらずっと登校できないわよって、私が連れ出したのよ」
 そう言って、マミは微笑む。
「へへー、どう? ほむほむ。似合う? 見滝原の制服! マミさんのお下がりなんだー」
 加奈は弁当を置いて立ち上がり、嬉しそうに両袖を指先で引っ張るようにして腕を広げてみせる。
 ほむらにとって上月加奈は、まどかが世界を改変したあの最後の時間軸で初めて現れたイレギュラーだった。魔法少女の真実やほむらの目的を知っていたり、キュゥべえと契約していない内からほむらの時間停止の能力の影響を受けなかったりと非常に奇妙な要素の原因は、異世界から来たからと言うこれまた奇妙なものだった。あまりに眉唾物な話であったが、筋は通っていた。それに、そんな事を言えばほむらの時間遡行だって他の人からすれば信じがたい能力だろう。
 一人の少女が宇宙の理に逆らい、世界を書き換える事が出来るような世界だ。異なる世界からの来訪者がいても、不思議はないのかもしれない。彼女自身も魔法少女の素質を持ち、この世界へと誘った者もまた魔法少女だったのだから、尚更。
「それじゃ、佐倉杏子も他のクラスに?」
「ううん。杏子は、学校なんてめんどくさいって。今朝も、朝からどっか行っちゃってるし……」
「あわよくば連れて行こうと思っていたのが、ばれていたんじゃない?」
「おう!? ほむほむ、よく分かったね」
「あなたの考える事なんて、単純だもの。私でも予想がつくのだから、一緒に暮らしている佐倉杏子が気付かないはずないじゃない」
「うう……やっぱり、そうかあ……」
 加奈はむすっと口を尖らせていたかと思うと、ころっと明るい笑顔に変わりパンと手を叩いた。
「とにかく! これからは学校でも一緒だよ、ほむほむ!」
 そう言って、加奈はほむらの手を取る。そして、マミの方を振り仰いだ。
「マミさんも、学年は違うけどお昼とかなら一緒に食べれる?」
「ええ、いいわよ」
 加奈のはしゃぎようにクスクスと微笑いながらマミは答える。
 ほむらは、ぼんやりと加奈を見つめていた。屈託なく、明るく笑う姿。誰とも仲が良くて、誰にも優しくて、ほむらの傍にいてくれる――
「ほむほむ?」
 呼びかけられ、ハッとほむらは我に返る。加奈は心配そうに、ほむらの顔をのぞいていた。
「大丈夫? 何か気になる事でもあるの?」
「いいえ。ごめんなさい、ちょっとぼーっとしちゃって。私、先に戻ってるわね」
「えっ。ほむほむ、まだほとんど食べてな……」
 加奈が言うのも構わず、ほむらは立ち去ってしまった。
「暁美さん、具合でも悪いのかしら……今朝も、怪我をしていたのでしょう?」
「うん……」
 加奈は、ほむらが去って行った戸口を見つめていた。





「ほむほむーっ! 帰りにね、マミさん家でお茶しようって誘われてるの。ほむほむも行こうよ!」
「ごめんなさい。今日はちょっと、用事が……」
 淡々とそう返されれば、引き止める事もできない。加奈はただ、昼休みの時と同じように立ち去るほむらの背中を見つめているしかできなかった。
 ここ最近、いつもこんな状態だった。加奈のテンションに対しほむらが素っ気無いのは以前からの事だが、最近はそれが特に顕著なのだ。少し話をしても、すぐに何処かへ行ってしまう。かと思えば、じっとこちらを見つめている。しかし加奈がそれに気付けば、目をそらしやはり去ってしまう。
 避けられているのだろうか。帰ったら、杏子に学校生活一日目の報告と共に相談してみようか。
「そう言えば佐倉さんは、最近どう?」
 思い浮かべていた人物の名前を唐突に出され、加奈は目を瞬く。
 場所はマミのマンション。いつもの三角形の机を挟んで、マミと加奈はケーキと紅茶を前に座っていた。
「どうって? 魔獣との戦いで、マミさんも毎日会ってるじゃない」
「それはそうだけど……上月さんの方が、一緒にいる時間が長いでしょう? ……最近、彼女、無茶な行動が増えたような気がするの。昨日だって、そう。魔獣の攻撃が届く範囲にあなたまでいたのって、佐倉さんが浄化のために下がらなかったからなんじゃない?」
「え……あー、まあ……」
 告げ口に似たものを感じて居心地悪く思いながらも、加奈はうなずく。
「やっぱりね……。……佐倉さん、美樹さんの後を追うつもりなのかしら」
「え……ええ!? それって、つまり、死……!? あ、いや、死とは違うけど、でも、それって……!!」
 下ろした手がカップに触れ、カチャンと軽い音を立ててカップを倒した。ガラス張りの机に、半透明の液体が広がっていく。
「あ、ああっ、ごめんなさい……!」
「大丈夫」
 マミは、柔らかな所作で手を振る。零れた紅茶は、染み一つ残さず消え去った。
 加奈はマミに向き直る。
「でもそんな、杏子がまさか……」
「佐倉さんが美樹さんの事を気にかけていたのは、知っているでしょう」
「え……あ……うん、まあ……」
 加奈はあいまいにうなずく。
 実際、この改変された世界で杏子とさやかの間に何があったのか、加奈は知らない。加奈がこの世界で持ち得ている記憶は、さやかが消え去った後からなのだから。それでも、その前の世界での杏子の様子を思えば、何となく察することは出来た。
「佐倉さん、『今更学校なんて行くよりは今の生活の方が気ままでいい』……そう言っていたけれど、実際のところ、美樹さんの事もあって見滝原中に転入するのを拒んだんじゃないかって思うの。学校へ通えば、否が応でももう美樹さんのいない教室を目にする事になるでしょうから……」
「あ……」
 杏子にとって見滝原中学校は、さやかがいる場所の象徴でもあったはずだ。しかしもう、そこに彼女はいない。
 ぞわりとした気配に、加奈はパッと立ち上がった。マミも同じく、気付いたらしい。窓の外に広がる夕焼け色の町を、厳しい表情で見据えていた。
「魔獣? まだ、日が落ちていないのに……」
「魔獣は夜にしか出ない訳じゃないわ。夕方はもちろん、昼や朝にだって出る事はある」
 早口で言って、マミは机の上に現れた光のタッチパネルを操作する。前面ガラス張りになった一角が、人が通れる大きさに開いた。
「さ、行くわよ」
 マミと加奈は、紅く染まる街へと飛び降りて行った。





 魔獣が現れたのは、繁華街だった。細い路地や夕闇に紛れながら、マミと加奈は一体一体確実に仕留めて行く。
 辺りの魔獣を細い路地へと誘導したところで、マミが叫んだ。
「上月さん、お願い!」
「はーいっ」
 加奈はマミを追い越し、魔獣の前面へと躍り出る。小さなナイフを幾つも宙に出現させ、一斉投下。息を吐かせる間も無く、それを繰り返す。
 数が多くなれば、その分だけ威力が落ちる。この威力では、魔獣一体を消し去るには到底足りない。
 ただ今は、相手に攻撃の隙を与えなければそれで十分。
 三度目の一斉投擲を行うと同時に、加奈は高く飛び上がる。加奈がいた背後に控えるのは、白い砲身。
「ティロ・フィナーレ!」
 光が炸裂する。
 細い路地。並ぶように佇んでいた魔獣達は、砲弾を受け消滅して行った。
「やったあ!」
 紅茶を飲むマミの隣に飛び降り、加奈はガッツポーズをする。
「私達、息ぴったりね。こうして上月さんと二人だけで組むのは初めてのはずだけど、何だか前にもこういう事があったような気がして来るわ」
「えへへ……そうかな」
 改変前の世界では、加奈がこの世界を訪れた時既に巴マミは死亡していた。けれども、加奈を連れて来たのも平行する別の時間軸の上月加奈。もしかしたら、マミと二人で組むような、そんな時間軸もあったのかも知れない。

 陽は完全に落ちた。明かりもなく、人気もなくなった大通りを、二人はまだ残る魔獣の群集の方へと駆けて行く。
 二人は険しい表情をしていた。あちらは、ゲームセンターのある方だ。もしかしたら――
 予想は的中していた。魔獣達の前で膝をつく、赤い後ろ姿。
「杏子!!」
 短剣と砲弾が魔獣を一掃し、二人で杏子へと駆け寄る。マミがその傍らに屈み込み、傷を治した。
「遅かったじゃん?」
「また無茶な戦い方をしたのね」
「……」
 杏子は、ただ目をそらすだけ。加奈は同じく杏子の横に膝をつくと、彼女を抱きしめていた。
「嫌だ……嫌だよ……杏子が死んじゃうなんて、私、嫌だよ……!」
「な、何泣いてんだよ、加奈!? マミ! 一体、何を加奈に話したんだ?」
 狼狽したように、杏子はマミへと問う。
「あなた、最近無茶な戦い方ばかりするから……もしかしたら、美樹さんの後を追おうとしているんじゃないかと思って……」
「……っ。……まあ、考えた事が無いって言ったらウソになる」
 加奈は息をのむ。そして、逃がさぬよう捕まえるかのように杏子を抱く手に力を込めていた。
 それでは、マミの予測は当たっていたのだ。杏子は、さやかの後を――
「でも、あたしだって家族に置いて行かれる辛さは嫌ってほど知ってるんだ。同じ思いをさせたりなんかしないよ」
 その言葉に、加奈は恐々と杏子を抱く手の力を緩め顔を上げる。
「……本当?」
「本当」
「だって、さやかの事は……学校に来ないのだって、さやかのいない教室を見たくないからじゃ……って、マミさんが」
 杏子は恨めしげにマミを見上げる。それから、視線を落とした。
「だってあそこは、さやかの居場所だったろ。……ほんとはさ、一度だけ誘われた事があったんだ。学校に通わないかって。さやかに」
 杏子はキュッと唇を噛む。聞かずとも分かった。杏子はその誘いを、断ったのだ。もっと素直にさやかと接していれば。何度、そう思ったか知れないだろう。
「あいつは、昔のあたしを思い出させてくれたんだ……正義とか、大切な人のためだとか、そんな風に思っていた頃があたしにもあったんだって事を。だけど、やっと仲良くなれたと思ったら、いなくなっちまって……最後も喧嘩で終わっちまってさ……。あたしがバカだったんだ。『男のためになんか戦う必要ない』なんて。怒る訳だよな。あいつにとってはそれが、戦う理由だったんだから。
 せめてもう一度、さやかに会いたい……謝って、そんでもって一緒に学校に行くんだ。それだけでいいのに……」
 うつむく杏子の頬をつーっと雫が伝って行った。
 抱き締める加奈の腕を、杏子は拒もうとはしなかった。泣き顔を隠すかのようにずっとうつむいたまま、杏子は肩を震わせていた。

 いつまでも、そうしている訳にもいかなかった。新たな魔獣が通りの向こうに姿を現し、マミは立ち上がりマスケット銃を構える。
「上月さんは、佐倉さんといてあげて」
「……いや、もう大丈夫」
 すっくと杏子は立ち上がる。その顔に、もう涙は無かった。
「ほら、加奈ももう泣き止めって。そんなんじゃ、魔獣ちゃんと見えないだろ」
「う、うん」
 加奈はごしごしと袖で目を拭う。
 再びクリアになった視界に最初に飛び込んで来たのは、魔獣を襲う一本の矢だった。
「三人もいながら、何をぐずぐずしているの?」
「ほむほむ!」
 二階建てのビルの屋上に、ほむらが弓を手に佇んでいた。杏子が苦々しげに呟く。
「自分だって、今来た所のくせに……」
「学校の方にも魔獣が出ていたのよ。もちろん、そちらはもう片付けたけれど」
 言って、ほむらは黒く長い髪を払う。
「ありがとう、暁美さん。
 久しぶりに四人そろったわね。それじゃあ、二手に分かれましょう。こちら側と、反対側から魔獣を挟み込むようにするの」
「私はこのまま、向こうへ行くわ」
 言うなり、ほむらは屋上から屋上へと跳び去って行く。
「はい、はーい! じゃあ、私、ほむほむと一緒がいい!」
「それじゃあ、上月さんお願いね。彼女、学校の方で戦ってから来ているならソウルジェムも消耗しているかも知れないから、その点も気をつけてあげて」
「ラジャー!」
 ピシッと敬礼すると、加奈はほむらの後を追うようにして街頭や壁の凹凸を足がかりに上へと去って行った。
 その後ろ姿を眺めながら、マミはぽつりと呟くように言う。
「……佐倉さんにとって上月さんは、もう立派な家族なのね」
「な、何だよ、いきなり」
「だって、さっき。家族に置いて行かれる辛さは分かっているから、同じ思いはさせないって……それってつまり、上月さんを家族だと思っているって事でしょう?」
「……別にあれは、加奈だけの事を言ったんじゃねぇよ」
 きょとんとするマミを、杏子はちらりと横目で見る。
「あんただって……マミさんだって、あたしにとって本当のお姉さんみたいだって思ってたから……あの頃から」
「佐倉さん……」
 ふいと杏子は顔を背け、駆け出す。
「ほ、ほら、行くぞ! またほむらに嫌味言われるなんてごめんだからな!!」





 ほむらの弓と杏子の槍と加奈の短剣とで、魔獣を挟み込むようにしながら一所へ誘導して行く。集まった魔獣を、マミの砲弾で一掃。お馴染みの戦闘パターンで、その晩の魔獣も全て葬り去った。
「やっぱり、ほむほむもいると誘導楽だねーっ。飛び道具万歳!」
「加奈のは威力がいま一つだもんなー」
「ぐぬぬ……私だって、マミさんの協力ですんごい新技手に入れてやるんだから!」
「今日は暁美さんもいる事だし、皆、この後うちに来ない? もちろん、ケーキもあるわよ」
「マミさんのケーキ! 行く行く!」
「ま、どうしてもって言うなら……」
「お姉さんが腕によりをかけて作ったケーキよ」
「お姉さん?」
「マミ!!」
 杏子は慌てふためいて話を遮る。加奈は、ほむらを振り返った。
「ほむほむも来るよね?」
 うなずきかけ、ほむらはピタリと静止する。――駄目だ。こうやって、流されてしまうから。彼女のそばにいるから。
「ほむほむ?」
「……悪いけれど、私は帰らせてもらうわ」
「暁美さん。遠慮する事なんてないのよ。皆でいる方が、私も楽しいし……」
「遠慮しているわけじゃないわ。疲れてしまったの。それに明日は、病院の検査があって早いから。ごめんなさい」
 申し訳なさそうに断るのは、もう慣れた。魔法少女になって、何度クラスメイトからの放課後の誘いを断ったか知れないのだから。繰り返していた分、その数も多い。
 加奈、杏子、マミに別れを告げたものの、ほむらは真っ直ぐに家へは帰らなかった。
 向かったのは、小高い丘の上。特に、目的を持って向かった訳ではなかった。ただ、気がつけばそこへ来ていた。辿り着いたのは、と言った方が正しいかもしれない。
 その丘からは、見滝原の街が一望できた。輝く夜景。まどかが守りたかった世界。
 そう、まどかは確かにいたのだ。この世界は、まどかによって守られた。そして魔法少女が魔女になる運命から救われたのも、まどかがいればこそ。この赤いリボンが、何よりの証。――なのに。

 もう、一週間も前になるだろうか。魔獣が出現した時にすぐ対応できるようにパトロールをして、ゲームセンターの前を通った時だった。
 そこには、加奈も杏子も、マミまでもがいて。いつものごとく加奈に捕まって。
 せっかくそろったのだから、プリクラを撮ろうと。そう言い出したのは、やはりマミだったろうか。
「加奈やマミはともかく、ほむらも意外と慣れてるんだな。撮った事あるのか?」
「あるわ、一度だけ」
「あ。じゃあ、あの時やっぱり初めてだったんだ。カメラから見切れるばかりしてたもんねー」
「……え」
「ん? 一度って事は、一緒に撮ったあれの事でしょ?」
 加奈はきょとんとほむらを見上げる。ほむらは微笑み、うなずいた。
「ええ……」

 まどかとの記憶だと思っていた。
 加奈がいたのは、まどかが世界の改変を行った時間軸のみ。その時間軸ではまどかとは近付き過ぎないようにしていたのだから、一緒にプリクラを撮るなどと言う事はありえない。
 些細な思い違い。しかしそれは、ほむらにとって大きな食い違いだった。
 自分自身が信じられなくなった。まどかとの思い出を間違えるなんて。加奈との出来事を、まどかとの出来事だと思ってしまうなんて。
 まどかとの思い出だと思っているものは、加奈との思い出だったのではないか。一つ自分の記憶が間違っていたのだと気付くと、何が正しい記憶なのか分からなくなってしまった。
 いつだったかキュゥべえが言っていたように、まどかの存在はほむらの夢物語だったのではないだろうか。そんな風にさえ思えてきた。
 しかし、それはまどかを否定する事にも繋がる。ほむらがまどかを否定してしまっては、誰がまどかを覚えていると言うのか。「ほむらちゃんなら覚えていてくれる」彼女はそう、言ってくれたのに。それとも、それさえもほむらの妄想なのだろうか?
 ほむらにとって、まどかを否定することはこれ以上極まりない罪だ。しかし、自分の記憶を信じることができない。もしかしたら、いつか、ほむら自身も彼女を忘れてしまうのではないか――
「……ほむほむ」
 掛けられた声に、ほむらは振り返る。薄ぼんやりと街頭に照らされた道に、上月加奈が立っていた。
「あなた、佐倉杏子や巴マミと一緒に行ったんじゃなかったの?」
「あ、うん……二人には後から行くって言って来た。……ほむほむ、さ。もしかして、私の事、避けてる?」
 ほむらは口を噤み、顔を背ける。
 やはり、気付かれていたか。自分でもあからさまだと思っていた。好意を向けてくれている彼女を、傷つけているかも知れないと。
 しかしそれでも、まどかとの記憶を守りたかったのだ。
「私が何か嫌な事したなら謝りたいの。うるさかったかなとか、足引っ張ってるかなとか、色々考えてみたんだけど、私バカだから、どれがほむほむをそこまで怒らせたのか判らなくて……! 本当にごめん。でも、教えて欲しい。そしたらちゃんと反省した上で謝れるし、これからは気をつける事もできるから――」
「……あなたは何も悪くないのよ」
「え……」
 加奈は目をパチクリさせる。当然だ。
 これは、単なる自分の我が侭。
「加奈がいてくれて、本当に良かったと思う。一緒に来てくれた事、凄く感謝してる。
 だけど加奈と親しくなるほど、加奈が大切になるほど、まどかとの思い出が薄れていく。あなたの優しさが、明るさが、まどかと重なる。私の中のまどかがあなたに成り代わっていく。私はまどかの事を忘れたくないのに。まどかと過ごした過去を、大切にしたいのに。
 お願い……まどかを忘れたくないの……これ以上、私とまどかの間に入ってこないで……」





 その翌日、学校にほむらの姿はなかった。真偽のほどは図りかねるが、学校にも心臓の病気の検査だと伝えてあるようだった。
 加奈はぼんやりと、窓の外を眺める。外は、今にも降り出しそうな鈍色の雲が広がっている。まるで、加奈の心を写しているかのようだ。
「雪ならまだ、気持ちが和らぐのに……」
 しかしこの気温では、雪など降りはしないだろう。加奈はため息を一つ吐き、鞄を手に立ち上がる。
 くよくよしても仕方ない。まどかとの事は、少し時間が経って寂しくなっているだけだろう。しばらくは言われた通りに大人しくしていれば、きっと……。
「上月さん」
 和子が教卓の方で手招きする。加奈は鞄を持ったまま、教室の前へと歩いて行った。
「上月さんって、もしかして暁美さんと親しい?」
「え? はい、まあ……」
「それじゃあ、このプリント、彼女の家に届けてくれないかしら。転校早々申し訳ないんだけど、他に暁美さんの家を知っている子がいなくって」
「え。あ、はい……」

 暁美ほむらと表札の掛かった家の前で、加奈はプリントを片手に立ち尽くしていた。
「いやいや……昨日の今日だけど、これは不可抗力だって。わざと来たわけじゃないし……先生に頼まれたから……そう! これは、クラスメイトとしての義務であって……」
 誰が聞くでもない言い訳を、グチグチと並べ立てる。
「――そうだ! ポストに入れて行けば、会わなくても済む! 私って冴えてるーゥ」
 思いついた案は、直ぐに消え去った。
「……この家、ポストどこだよ……」
 街全体が近未来的でスタイリッシュなデザインなのは良いが、日用必需品がその犠牲になっているだなんて誰が思うだろうか。
「うう……やむを得ん。たのもーっ」
 ぐっと、呼び鈴を鳴らす。
 応答は、無かった。再度鳴らすも、応答無し。
「留守……? まだ検査から帰って来てないのかな? それとも、寝てる? まさか、無視なんて事は無いよね……ウン、いくら私と会いたくなくても、ほむほむに限ってそんな……無い無い……」
 再度、呼び鈴を鳴らす。
 応答無し。家の中で動く気配も無い。
『ほむほむー。いるー? いなかったら返事してー』
 しんと静まり返った住宅街。家の中からは何の応答も、物音さえも聞こえない。
『ウソウソ! いたら返事してー。私に会いたくなくても、せめてポストの位置を教えてくださいお願いします』
「暁美ほむらなら、ここにはいないよ」
 降って来た声に、加奈は頭上を振り仰ぐ。
 塀の上に白い小動物がちょこんと座り、紅い瞳で加奈を見下ろしていた。
「キュゥべえ。随分、久しぶりだね」
「僕らも忙しかったんだ。色々と準備があってね」
「ほむほむ、まだ帰ってないんだ。病院?」
「彼女は病院でもないよ。もう、ここに帰って来る事はないだろうね」
「え……」
 加奈の手にあったプリントが、バサバサと地面に落ちる。
「帰って来ないって、何……まさか、円環……」
「それもない。暁美ほむらは、僕達が作った干渉遮断フィールドの中にいる。何者かが彼女を迎えに来ようとしても、無理だろうね」
「何……え……? あんた達、ほむほむに何をしているの? 何のつもり!?」
 加奈は短剣を握り、キュゥべえへと突きつけていた。
「ほむほむの所に案内しなさい!!」
「いいよ。元々、そのつもりで君の所に来た訳だからね。彼女も呼んでいる事だし」
 やけに素直にうなずき、キュゥべえはくるりと背を向ける。

 そうして連れて行かれた先で出会った暁美ほむらは、既に魔法少女ではなかった。
 ――否、あるいは、そこで出会った暁美ほむらが、加奈が最後に見た魔法少女としての彼女だったのかも知れない。


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2014/01/04