ハリーとシリウスが話す後ろを、華恋は無言でついて行った。辿り着いたのは地下のダイニングだった。机には羊皮紙や空き瓶などが散らかり、ウィーズリー氏とビルが端の方の席で話し込んでいる。それからもう一人、机に突っ伏して眠っている男。
ウィーズリー氏もビルも――ビルは然程でも無かったが――まず目が行くのは、ハリーだった。ハリーを見て顔を綻ばせ、それからハリーと華恋を歓迎する。
無理も無い。ハリーの方が、彼らと一緒にいる時間はずっと長いのだ。寧ろ華恋は、ハリーについて来たという言い方をしても良いぐらいだ。彼らはロンの家族。ハリーはロンと親しいが、華恋はそうでもない。親しいどころか、スリザリンに入った事で嫌われていそうな程である。
眠っていた男は、マンダンガスと言った。ハリーとシリウスが話したり、ウィーズリー一家が騒いだりする間も、華恋はやはり黙って座っていた。
去年の夏にも感じた居心地の悪さを、華恋は感じていた。家族のように溶け込んでいるハリーとは対照的に、華恋は全く馴染んでいなかった。この中に華恋がいる事が、非常に奇妙な事だと言う気がしてならなかった。
No.25
モリーとシリウスの口論も、やはりハリーを主体としたものだった。シリウスはハリーをジェームズと重ねている、と。尤も、華恋は両親のどちらとも似ていない。性格も似ているとは思えない。重ねようが無いだろう。
シリウスの話を聞く間、ウィーズリー兄弟が時折こちらを伺い見ている気がした。ロン、フレッド、ジョージ。スリザリンには敵対心を露わにしている子達だ。
何度目かに視線を感じてそちらへ目を向けると、ロンと目が合った。予想通り、彼の目にあるのは猜疑心だった。
グリモード・プレイスでの夏休みは、楽しいとは言いがたいものだった。翌日からはドクシーやパフスケインの巣の駆除など、屋敷の掃除に追われる事となった。掃除はダーズリーの家でもさせられていたが、あの家は元々綺麗に片付いている。長年放置された大きな屋敷を綺麗にするのとは、訳が違った。その上、不要な物を捨てようとしても、クリーチャーが引っ張り出して自分の寝床へと持ち込む。ひとたび玄関のベルが鳴ると、たちまち肖像画達の不快な大合唱が始まる。
ハリーはシリウスや友人との生活を楽しんでいるようだが、華恋にとっては息苦しい時間でしかなかった。
木曜日の朝、華恋が朝食に降りて行くとそこにハリーの姿は無かった。懲戒尋問の日だ。
「今起きたの?」
珍しくロンが話しかけて来て、華恋は驚きつつも頷いた。
だが、決して友好的になったと言う訳ではなかった。
「姉弟なんだから、見送るぐらいしてやればいいのに」
「ロンは早起きして見送ったの?」
ロンは黙り込む。それは彼もハリーのために早起きはしていないからかも知れないし、ちょうどウィーズリー夫人が華恋にベーコンエッグを運んで来たからかも知れなかった。
「おはよう、カレン。今日は客間の隣にある部屋を掃除しますからね。ハリーも、午後には帰って来ると思いますよ」
ウィーズリー夫人はそわそわしていた。ハリーの裁判が気が気でならないのだろう。
華恋は直ぐ傍のマフィンに手を伸ばしたが、フレッドとジョージがニヤニヤとこちらを見ているのに気付いて取るのをやめた。案の定、後に来てそれを食べたマンダンガスは、舌が伸びて戻すのにてこずった。ウィーズリー夫人はマンダンガスに対して厳しいが、この時ばかりは彼の側に立って双子を怒った。
客間の隣は、小さな小部屋だった。こんなにも部屋があって、一体何に使うと言うのか。客間にいたドクシーは、この部屋にも巣食っていた。華恋は顔を顰めながらも、苔生したカーテンを引き剥がす。何匹ものドクシーが、ばさっと飛び立った。
「うわっ。あんまり散らすなよ!」
「生き物なんだからどうしようもないじゃん。ほら、扉閉めて。逃げられたら、また面倒だよ」
「シリウス。ここにも、色々あるみたい」
ハーマイオニーがガラス棚を覗き込み、家主のシリウスを振り返る。
「ああ、全部この中でいい」
シリウスは、特に確認もせずに手元のゴミ袋を持ち上げて見せた。
客間に比べれば、ドクシーの量は大した事無かった。それでも、華恋は一時間もスプレーを振り回していた。
バケツの中がドクシーで一杯になり、華恋は黴だらけのカーテンを抱え込む。
「これ、お湯で洗ってくる」
「ああ、分かった。もし向かいの部屋で手が空いてるようなら、こっちに回してくれるよう言ってくれないか」
華恋のドクシー駆除と同時進行で、シリウスとハーマイオニーはガラス棚に取り掛かっていた。ロンは布で壁を磨いている。何とか剥がした銀製の飾りをゴミ袋に放り込みながら、シリウスは華恋に頼んだ。
「了解」
華恋は部屋を出る。ウィーズリー夫人とフレッドとジョージとジニーは、向かいの部屋に取り掛かっていた。華恋はひょこっと部屋を覗き込む。
「もし手が空きそうなら、人手が欲しいってシリウスが……」
「ええ。分かったわ。フレッド、ジョージ、お行き。華恋、カーテンを洗うならこっちのも一緒にお願いしていいかしら」
「はい」
向かいの部屋は、物が特に無かったらしい。壁に掛かったタペストリー幾つかを残して、殆ど片付いて来ていた。カーテンを抱えて部屋を出ながら、背後でウィーズリー夫人が双子に話すのが聞こえた。
「シリウスを呼んでちょうだい。このタペストリーはどうするか、一応聞かないと……」
古びたカーテンは、黴臭い。抱え込むのはおろか触れるのも気持ち悪いが、得体の知れない置き飾りを相手にするよりはずっとマシだった。黴はマグルの世界の対処で済むが、魔法の掛かった置き飾りは物によっては攻撃してくる。先日も、シリウスが銀製の嗅煙草入れに手を噛まれていた。
カーテンの洗濯が終わった頃、ウィーズリー夫人が水道の所に顔を覗かせた。
「そろそろお昼にしますよ。降りてらっしゃい」
「はい。これだけ、吊るして来てから」
華恋は固く絞ったカーテンを抱え、二階に戻る。シリウスは、ゴミ袋を運び出しに行ったようだった。子供達だけが客間の隣の部屋に残り、だらだらと話していた。掃除はあらかた済んだらしい。
部屋に入ろうと扉に手を伸ばした所で、中の会話がはっきりと聞こえて来た。
「――だって、あいつはスリザリンだろ? マルフォイ達とつるんでるんだ。ここの事を口外されたらどうする?」
華恋はぴたりと手を止めた。
カーテンを抱え、片手を宙に上げたまま、硬直する。
「華恋はそんな事しないわ。だって、ロン。彼女はハリーの姉弟なのよ」
「でも、スリザリンだ!」
「俺はロンに賛成だな。いくら姉弟って言ったって、じゃあどうしてグリフィンドールにならなかった?」
「それに、良い例がいるじゃないか。兄弟だからって、皆同じ考え方をする訳じゃないんだ、ハーマイオニー」
ウィーズリーの双子が、どちらがどちらかは分からないが順々に言った。
華恋は踵を返すと、向かい側の部屋に入った。扉を閉め、カーテンを吊るす。向かいの部屋の戸が開き、ぞろぞろと皆の出て来る音がした。華恋は閉ざした扉の前に立ち、それをやり過ごした。
「ハリーが裁判に掛けられてるのだって、あいつは何にも気にしちゃいない。本当に姉弟か? 冷た過ぎるよ。やっぱり、スリザリンなんだ……」
声が遠のいて行く。
足音が階段を降りて行ったのを確認して、華恋は部屋を出た。客間の隣の部屋に入って、こちらもカーテンを吊るす。
今更、どうと言う事も無い。解っていた事だ。華恋は、信用されていない。大人達は何とかハリーと平等に接しようとしているが、それでもその心内には疑心が見え隠れしている。スリザリン生だと言う事は、こんなにも根深い禍根になる。
――息苦しい。
ここは、居心地が悪い。ここに、華恋の居場所は無い。
厨房に降りる。机を囲む一同。そわそわとしているのは、ハリーの結果を気にしてか。
早く、夏休みが終われば良いのに。
夏休みが終わって、この奇妙な繋がりのある中を抜け出して学校へ行って――行って、それでもまた華恋は一人だ。学校に友達なんていない。
その時、玄関のベルが鳴った。肖像画が一斉に騒ぎ出す。ウィーズリー夫人が飛び出して行った。ロンとハーマイオニーがガタッと席を立つ。
騒ぐ肖像画もそのままに、ウィーズリー夫人は戻って来た。後から入ってくるのはウィーズリー氏、そして、ハリー。
厨房に集まる面々を見回して、ハリーはニッと笑った。
「無罪だ」
「思った通りだ!」
真っ先に、ロンが叫んだ。
「君はいつだってちゃんと乗り切るのさ」
「無罪で当然なのよ。あなたには何の罪も無かったんだから。本当に、何にも」
ハーマイオニーも力が抜けたように椅子に座り、目頭を押さえる。
厨房は今までの空気とは一転、安心しきったムードが流れていた。ウィーズリー夫人はエプロンで顔を拭う。フレッド、ジョージ、ジニーの三人にいたっては、お祭り騒ぎだった。騒ぐ三人を怒鳴りつけるウィーズリー氏自身も、笑顔だった。
「ところでシリウス、ルシウス・マルフォイが魔法省にいた」
「何!?」
シリウスは鋭い声で問い返す。フレッド、ジョージ、ジニーはまだ歌い続けていた。
「三人とも、静かにせんか!
そうなんだ。地下九階でファッジと話しているのを、私達が目撃した。そえから二人は大臣室に行った。ダンブルドアに知らせておかないと」
「その通りだ。知らせておく。心配ない」
ウィーズリー氏は頷き、そして言った。
「さあ、私は出かけないと。ベスナル・グリーンで逆流トイレが私を待っている。
モリー、帰りが遅くなるよ。トンクスに代わってやらないといけないからね。それから、キングズリーが夕食に寄るかもしれない――」
ウィーズリー夫人に言い残し、彼は厨房を出て行った。
「いい加減になさい――フレッド――ジョージ――ジニー!」
未だに騒ぎ続ける三人に怒鳴りつけ、ウィーズリー夫人はハリーに微笑みかけた。
「ハリー、さあ、座ってちょうだい。何かお昼を食べなさいな。朝は殆ど食べてないんだから」
言って、手近な席に座らせる。ロンとハーマイオニーはわざわざ席を換えて、ハリーの正面へと移動した。
華恋は手早く食事を終えると、早々に騒ぎの中を抜け出した。厨房を出る間際、聞こえよがしに話すロンの声がした。
「『良かった』の一言でも言えばいいのに。全っ然、ハリーの事気にしちゃいないんだもんなぁ」
華恋は振り返らず、そのまま厨房を去った。
夏休み最後の夕飯は、ご馳走だった。真紅の横断幕には、ロンとハーマイオニーへの祝いの言葉。二人が監督生に選らばれたのだ。ハリーとロンの部屋へ行ったハーマイオニーから、既に話は聞いていた。
華恋は、ハリーに目をやる。ハリーは、ムーディの魔法の目から逃れるようにして、こちらへとやって来た。
「そう言えば、華恋は?」
シリウスの隣に座りながら、ハリーは華恋に尋ねた。監督生バッジの事だろうと、直ぐに検討がついた。
「貰う訳無いじゃない。私、去年転入したばっかだよ?」
乾杯の後に父親も監督生ではなかったとリーマスに聞いて、ハリーは幾らか気を取り直したようだった。
ロンは監督生になった祝いに箒を買ってもらったらしく、誰彼構わず自慢話をしていた。ハーマイオニーはリーマスを捕まえ、屋敷僕妖精の権利について切々と語っていた。
ハリーはシリウスが話しかけようとしたのにも気付かず、ウィーズリー夫人とビルの髪型論争から逃げるべく席を立って行ってしまった。
シリウスはきょろきょろと辺りを見回す。リーマスがハーマイオニーから開放されたが、直ぐにキングズリー・シャックボルトが横に座った。シリウスは諦めて、鶏の骨付き肉にかぶりついた。より多くチキンを食らう事に専念する事にしたらしい。
彼の見物はなかなか愉快だ。華恋はマッシュポテトやチキンを黙々と食べながらも、正面の人物を観察していた。
しばらくしてハリーがテーブルに戻って来たが、直ぐにムーディに捕まってしまった。しょんぼりとするシリウスにくすりと笑いそうになるのを堪え、華恋はバタービールのジョッキで顔を隠した。
かじりかけだったチキンを食べ終えたシリウスは、自ら席を立ちハリーとムーディの方へ向かった。……そもそも、鶏肉を口いっぱいに頬張った状態でどうやって話すつもりだったのだろう。
しかしシリウスは最初に話しかける相手を間違えた。ハリーはこの場から逃げる機会を伺っていたらしく、ムーディの視線がシリウスに行った途端に厨房から出て行ってしまった。
堪え切れず、華恋は口元に笑みを浮かべた。それが視界に入ったのか、軽く鼻が鳴ってしまったのを聞き取ったのか、シリウスがこちらを向いた。
「どうした、華恋?」
「いや、何でも。……ちょっと、ドラコ・マルフォイのケナガイタチを思い出して」
「ドラコ・マルフォイ? ルシウス・マルフォイの息子か。そうか、それでハリーはマルフォイ家を知っているんだな。ケナガイタチを飼っているのか?」
「いや。そっか、あれは偽者だっけ……。去年、ムーディ先生に扮してたクラウチJr.が、彼をケナガイタチ姿に変えたんだよね。ハリーを背後から攻撃しようとしたから、そういうのは好かん! って」
「なるほど。確かにわしならそうするだろう」
ムーディは忌々しげに言った。今でも、クラウチJr.に監禁されていた事は屈辱らしい。
彼は、先ほどハリーにしていたように華恋に手招きした。
「華恋も来るといい。お前も見たいだろう」
ムーディが手にしているのは、一枚の古い写真だった。パーティーか何かの時のようだ。乾杯をする人、こちらに手を振る人。皆、笑顔だ。
「不死鳥の騎士団創立メンバーだ。当然――ほれ、ここを見ろ」
ムーディが示した先には、二人の男女がいた。一人は、ハリーと同じように後ろ髪がツンツンと跳ねている。もう一人は赤毛で、ハリーと同じ目をしていた。
「……ジェームズ」
呟いたのはシリウスだった。そして彼は、華恋を振り返る。
「ジェームズとリリー……君の両親だ」
二人は、まじまじと華恋を見つめていた。
華恋は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。――正直、未だに二人が自分の親であると実感が沸かない。写真を見ても、何の感慨も沸かなかった。
困惑して何も言えずにいると、上階から幽かに喚き声が聞こえた。
華恋はきょとんと上を見上げる。ムーディの魔法の目がぐるりと上を向き、そして彼は立ち上がった。戸口にいたリーマスが真っ先に駆けて行った。その後に続き、ムーディとシリウスも厨房を飛び出して行く。
華恋は追わなかった。上で起こっている事は、本を読んで知っている。ウィーズリー夫人は、ボガートの退治に向かったのだ。彼女も、華恋に惨めな姿を見られたくないだろう。
――こりゃしばらく部屋に行けないし、デザートでも味わってるかな……。
誰の会話の輪に入るでもなく、華恋は大皿に積まれたパイに手を伸ばした。
2011/08/03