(何……なんで? どういう事?)
クローム髑髏と名乗った黒曜の少女は、霧の守護者として戦場に立った。彼女を守護者として受け入れるか否か問答している最中、一瞬、彼女と目が合った気がした。しかし直ぐにその視線は逸らされ、彼女の意識は戦いへと向いていた。
床を破壊する幻覚、大蛇の召喚、いずれも六道骸が使っていた術だ。彼女が黒曜中学の制服を着ている事も、あの槍を持っている事も、何より骸の仲間と共に現れた事も、彼女と六道骸に何らかの繋がりがある事を示している。
彼は操っている人物の身体でも幻術やその他の術を使う事ができたが――彼女が操られているようには見えなかった。守護者と認めてもらうまでの不安げな表情。六道骸があんな顔をするとは思えない。弥生に対してだって、彼女が六道骸だったなら、皮肉を飛ばしてくるか挑発的な笑みを浮かべるか、何かしらからかうような言動を見せた事だろう。
いくつもの火柱が取り囲む。彼女が作り出した火柱は、次の瞬間、一斉に凍らされた。心なしか、室内の気温も下がったような気がする。全ては、幻覚のはずなのに。
幻術は、人の知覚を支配する技。幻術を幻術で返されるということは、知覚のコントロール権を完全に奪われた事を意味する。
マーモンやバイパーと呼ばれていた敵の赤ん坊が、静かに語りかける。――マーモンに立ち向かっていた彼女の足は、幻術による氷で覆われていた。
彼女はなす術もなく、氷の動くがままに床へと叩きつけられる。彼女も、幻術にかかってしまったのだ。
「どうやら、その武器は相当大事な物のようだね」
守るように槍を抱く彼女を見て、マーモンは呟く。ハッと彼女の表情に焦りの色が浮かんだ。
「ダメ……!」
彼女の悲鳴も虚しく、槍が砕け散る。同時に、彼女が咳き込み始める。
「え……」
弥生は呆然と、彼女を見つめていた。
か細い呻き声を上げ、倒れる彼女。その腹が、大きく潰れる――痩せているなんてものではない。あれでは、身体の中は――
「にわかに信じがたいが、彼女は幻覚でできた内臓で延命していたらしいね……」
「いけません」
強く押し留める声に、弥生はハッと我に返る。
フィールドへと足を踏み出していた弥生の腕を、チェルベッロの一人が掴んでいた。
「戦闘中のフィールドへの部外者の進入は、失格を意味します」
「……っ」
弥生は体育館の中央へと視線を戻す。
内臓を失っている彼女に駆け寄ったところで、弥生に何ができる? そんな状態から回復させるような方法、弥生は知らない。でも。だけど、このままでは彼女は――
「まあ、見てろ」
いつの間にか弥生の肩にリボーンが乗っていた。彼の言葉に応じるように、霧が彼女の身体を覆い隠していく。
――六道骸の霧だ。
即座にそう思ったが、これまでだって彼女は、六道骸の術を使っていた。それとこれとに、違いはあるのか。そもそも、どうして彼女はあの男の術を使えるのか。
「どうした、ツナ?」
リボーンの声に、弥生は隣を振り返る。綱吉は何かを感じ取っているのか、頭を抱え、その顔は蒼ざめていた。
「来る……六道骸が、来る!」
「クフフ……」
霧の中から笑い声が響き、割れた床がマーモンを襲う。
霧が晴れ、そこに佇むのは、あの少女ではなく忌々しいオッドアイのあの男だった。
「舞い戻って来ましたよ……輪廻の果てより」
そう言ってギャラリーへ――恐らく綱吉へと視線を向けた彼は、口元に笑みを湛えていた。
No.26
昇り始めたばかりの太陽が、家々の屋根をほんのりと赤く染める。白々と明け始めた空の下、弥生は中山外科医院を訪れていた。
これだけ早い時間ともなれば、さすがに入口の鍵は開いていない。どうしたものか考えあぐねていると、「げっ」という声が背後から聞こえた。
振り返ったその場に立つ人物に、弥生はムスッと不機嫌面になる。よりによって。
「何しに来たの」
「俺は、その、怪我を見てもらいに……てめーこそ何の用だよ」
獄寺は睨みをきかせながら答える。
弥生は無言で彼を見つめる。……見える範囲には、大きな痕は無いようだ。とは言え、一歩間違えれば死んでしまうような戦いだったのだ。怪我が残っていても不思議ではない。
獄寺に限らず、戦い自体、ずっと隠していたぐらいだ。怪我が残っていても、何とも無いふりをしているのかもしれない。誰にも気付かれないように、こんなに早い時間に来て。
「おい。何とか答え――」
「……まだ、どこか痛むの?」
「え」
予想していない返答だったのか、獄寺は言葉を失う。
彼が答える前に、目の前の扉が開いた。
「声がすると思ったらお前らか。早いな。どうした?」
「あ……お、俺は怪我を診てもらいに……っつっても、別にもうどうって事ねーけど!」
出てきたディーノに答えかけ、獄寺はちらりと弥生を見て言い繕う。
「一応! まだ何があるか分かんねーから、いつでも十代目のお役に立てるよう、体調は万全にしておかねーと!」
早口でまくしたてながら、ディーノの後について中へと入る。弥生もその後に続いた。
確か、奥の部屋がランボ。その手前が、獄寺が入院していた病室。今は、きっと――
「お前、雲雀の特訓してるんだろ? こんな所にいていいのかよ」
獄寺の喧嘩腰な態度も物ともせず、ディーノは穏やかに微笑っていた。
「そっちが本命か。今夜だもんな、雲の守護者の対決は。弥生もそれを聞きに来たってところか?」
「違う。お兄ちゃんは心配なんて必要ない」
迷わず即答する弥生に、獄寺は怪訝げにする。
「んじゃ、てめーは何しに来たんだよ?」
弥生は俯く。眠れず、朝になるなり来たのは確かだった。
だけど、まだどう接して良いのかは分からないまま。
「あの子……クローム髑髏……」
「ああ」
ディーノは納得した顔で、一つの扉を指し示す。
「ぐっすり眠ってるよ。体調の方は心配ない。幻覚だっていう内臓も、ちゃんと機能してるみたいだ」
「……」
弥生はじっと扉を見つめる。
「戦いの後だし、もうちょっと寝かせてやった方がいいかもな。中で待つか?」
「いい。ここで待つ。……そんなに親しい仲でもないから」
廊下に備え付けられた椅子に、弥生は腰掛ける。
「あれっ。獄寺と弥生も?」
声がして、弥生は振り返る。山本が入口から顔を覗かせていた。
「おはようございます。えーっと、怪我を診てもらおうかと……」
「お前もか」
ディーノはフッと微笑うと、部屋の一つへと獄寺と山本を連れて行った。
静まり返った廊下で、弥生は手を組み物思いに耽る。
六道骸は脱獄を試みて失敗した。昨晩の戦いの中、そう、マーモンは言っていた。
しかしあの場に現れたのは、間違いなく本物の六道骸だった。マーモンを圧倒し、対決に勝利した彼。あの男でなければ不可能だっただろう。
脱獄に失敗した後、リボーンの仲間が手引きして連れ出した? しかし、それなら最初から六道骸を連れて来れば良い。
『骸…様……』
マーモンに打ち負かされていた彼女の唇は、確かに骸の名前を紡いでいた。
モヤッとした蟠りが、胸中に渦巻く。
六道骸の仲間と共に現れ、六道骸の名前を呟き、彼の武器を大切そうに抱えていた彼女。
彼女がいるから六道骸は存在し、六道骸がいるから彼女は生きていられる。そう、リボーンは言っていた。クロームと骸を分けて考えてはいけない、と。
だがしかし、彼女は六道骸ではない。それは確かだ。六道骸ではないが……あの男の仲間。
……どうして。
彼女からは、戦いの匂いがしなかった。昨晩の、六道骸と交代する前の動きを見るに、彼女も特訓はしていたのだろう。だけど、違う。幻術の腕は確かだが、格闘のみとなれば弥生にも敵わないだろうし、何より喧嘩慣れしているような気配がない。きっと、だから、あれだけ術を繰り出せながらも、化かすばかりでマーモンにダメージを与えることはできなかった。
どうして、そんな子が六道骸なんかと。
『近い内、また会えると思いますよ』
もう十日ほど前の事になるか。昼間の教室で話しかけて来た時、六道骸はそう言っていた。
可愛い僕のクロームをよろしく、とも。
彼女の事、そして霧の守護者として舞い戻る事を言っていたのだろう。あの時点で、既に彼女は六道骸と知り合っていたのだ。
だけど、どうして? 彼女がマフィアの関係者だとは到底思えない。
そしてあの時の六道骸も、いったいどうやって弥生に話しかけていたのか。幻術で姿を隠してでもいたのだろうか。他の生徒達には声も聞こえていない様子だったが、声まで隠せるものなのだろうか。
――あの時点で、既に六道骸と繋がりがあった。
つまり、弥生と出会った時には既に、六道骸の仲間だった。
『……弥生が恐いのは、何?』
弥生は彼女に名乗っていない。アパートの表札も、借りた時の空っぽのままだ。貸したジャージに名前は縫われていたかもしれないが、それだって苗字のみ。
彼女は、弥生の名前を知っていた。
六道骸から、弥生の話を聞いていたのだ。
出会ったのは偶然だったかもしれない。その後も、偶然ばかり、ほとんど弥生が巻き込んでいたようなものだ。
彼女との時間は居心地が良かった。友達になれるかもしれない。そう思っていた。
彼女は、弥生の事をどう思っていたのだろう。
「弥生ちゃん!?」
名前を呼ばれ、パチリと弥生は目を開けた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
目の前の扉は開き、中のベッドは空っぽだった。
「おはよう、弥生ちゃん。えっと、弥生ちゃんも――?」
尋ねる綱吉には構わず、病室の中を覗き込む。ベッドは一つ。やはり、部屋はもぬけの殻だ。
「弥生ちゃん?」
「あの子は?」
「あの子――えっと、クローム? さん? の事?」
戸惑いながら問う綱吉に、こくんと首を縦に振る。
「あの子なら、さっき出て行って――」
弥生は外への扉を飛び出す。通りを見回すも、もうどこにも彼女の姿は無かった。
「全力ダッシュしてたから……たぶん、あの二人の所に帰ったんじゃないかな……」
「なんで……」
「えっと、ついさっき、来た時にすれ違ったんだけど……二人がいないからって……」
弥生の独り言に反応し、綱吉は説明する。それからふと、彼は言った。
「弥生ちゃん――もしかして、最近、骸から接触あった?」
弥生はパッと顔を上げる。
「なぜ?」
「……俺、昨日、骸が戦ってた時……骸の記憶が見えたんだ」
「……記憶?」
「幻覚ではないと思う……って俺が言っても、あんまり信憑性ないかもしれないけど……」
綱吉は苦笑して、それからキッと真面目な顔になった。
「骸……あいつ、仲間を逃すために囮になって自分だけ捕まったんだ。それで、今はどこか暗い水の底で、鎖に繋がれて……」
ごぽ、と水泡の浮く音が聞こえた気がした。
数日前に見た夢。クロームと出会ったのも、その日だったか。ぼんやりとした景色。複雑に絡み合う管のようなもの。その向こうに見えた――
「じゃあ、あれは、六道……?」
「あれって……?」
「……夢を見たの。はっきりとは見えなかったけど……」
弥生は、夢に出てきた景色を説明する。
「六道からの接触……と言うか、話しかけてきたのは、その前の土曜日だった。授業中に話しかけてきて、でも周りを見てもどこにもいなくて……君も隣にいた時だよ」
「えぇっ!? でも俺、昨日より前に骸の気配なんて……」
弥生はうなずく。
「……いなかったんだと思う。黒曜の戦いの前だって、あいつは夢に出てきた。お兄ちゃんをボンゴレ十代目だと思って、私を誘き出す餌にしようとしてたのかもね。黒曜ランドに来いって……」
「ま、待って! 何それ、初耳だよ!」
「初めて話したからね」
しれっと話す弥生に綱吉は何か言いたそうな顔をしていたが、文句は言って来なかった。
「……そっか。それじゃあ、弥生ちゃんができれば……って、そういう事だったんだ」
「何? 一人で勝手に納得しないでくれる」
「あっ、えっと……骸の記憶には続きがあって……」
柿本千草と城島犬の保護を条件に、六道骸は綱吉達への協力を受け入れた。あの少女の身体を借り、霧の守護者となる事を。
「その時に言ってたんだ。弥生ちゃんとの相性が良ければ手っ取り早かったのにって……たぶん、あの子も骸と会話する事ができて……あの子は身体を貸すこともできたんだ。だから……」
「……何、それ」
弥生はギリ、と歯軋りする。握り締めた手は、爪が掌に食い込んでいた。
ズカズカと廊下の椅子まで戻り、ドサリと腰を下ろす。綱吉はオロオロと後をついて来た。
「や、弥生ちゃん……別に、骸との相性との話だから、何も弥生ちゃんとあの子を比べてる訳じゃ……」
「……それじゃ、あいつが仲間想いの良い奴みたいじゃない」
「え……」
――嫌な奴のままならば、お兄ちゃんや獄寺達を傷つけた敵だと憎んでいられるのに。
2021/06/09