空はパッチワークのようなカラフルな色に包まれ、街を覆う。そびえ立つビルの一つが波立つように震えたかと思うと、パンと軽い音を立てて破裂した。風圧に飛ばされながら、暁美ほむらが叫ぶ。
「まどか! 巴さん!」
「オッケー!」
マミは空中で体制を立て直すと、まどかへと黄色いリボンを伸ばした。その先を掴みながら、まどかも叫んだ。
「お願い! ほむらちゃん!」
同じくリボンによって辺りの綿に着地したほむらは、盾を回す。世界は色を失い、宙を漂っていた綿たちはぴたりと停止する。
「ティロ・デュエット!」
まどかとマミは背中合わせに立ち、弓とマスケット銃を構えて叫ぶ。桃色と黄色の光が交錯し、破裂したビルを縫い合わせていく。
「リリース!」
再びほむらが叫ぶと、ビルや道路は先程とは逆の順序を辿るようにして波打ち、元の姿へと戻って行った。
「ナイス、めがほむ!」
叫びながら、加奈はナイトメアと同じ高さまで跳び上がる。ビルの屋上にいたナイトメアは、道路、そしてビルをなぞる光に弾かれたように跳んだ。その先へと、加奈はナイフを投げる。
「フェッロ・モード!」
投擲されたナイフはアーチへと姿を変え、ナイトメアの逃げ道を一本に絞る。宙に現れる青い腕に運ばれるようにして逃げて行く後を追って、さやかと杏子はビルとビルの間を飛び移って行く。
「気持ちは分かるけど落ち着きなよ、仁美!」
尖塔の上に降り立ったさやかは、宙に出現させた剣を次々と掴んでは投げる。
「ゴメイサマ! リ・リ・ア・ン! ――杏子!」
別の建物の上に佇んでいた杏子は、ニッと笑って応える。
「アミコミ・ケッカイ!」
同心円状に現れた赤い鎖の間を、剣が貫く。剣に引っ張られるようにして飛んで行った鎖は、ナイトメアをがんじがらめに縛り付けた。
身動きの取れなくなったナイトメアは、大きなテーブルの上へと落ちる。
「動きが止まった!」
「お見事! さあ、皆、仕上げよ!」
ナイトメアの周りに突き刺すように着地した六本の剣の上に、魔法少女達は降り立った。
縛られたナイトメアの周りで花が弾け、後にはガラスドームに閉じ込められたナイトメアが残される。その大きさは、ベベよりも小さなものとなっていた。ベベは、蛇のような形態へと姿を変える。
ナイトメアに合わせて小さくなった丸テーブルを六人は取り囲んで座り、謡い出した。
「ケーキ ケーキ まーるいケーキ まーるいケーキはだ・あ・れ?」
『ケーキハ サヤカ?』
人間の言葉とは異なる言語でベベは謡い、さやかを見る。さやかは首を振った。
「ちーがーう あたしはラズベリー」
さやかが軽く手を振ると、ガラスドームの中にラズベリーが現れる。ナイトメアは迷うことなく、落ちてきたそれを丸飲みにする。続けてさやかは謡った。
「まーるいケーキはあ・か・い ケーキは杏子?」
「ちーがーう! あたしはリンゴ」
今度は、真っ赤なリンゴがガラスドームの内側を落ち、ナイトメアの口に消える。
「まーるいケーキは笑顔のもと ケーキは加奈!」
「ちーがうよーっ 私は砂糖のおうち」
ガラスドームに現れるのは、家を象った砂糖菓子。
「まーるいケーキはベベが好き ケーキはマミさん?」
「ちーがーう 私はチーズ」
一切れのチーズが、ナイトメアの口へと消えて行く。
「まーるいケーキはこーろがる ケーキは暁美さん?」
「ちがっ……い、ます! わ、私は……カボチャ!」
たどたどしい口調で、ほむらは謡う。さやかは人差し指を立てて指揮を取り、まどか、マミ、杏子、加奈も笑顔でほむらに合わせてリズムを取る。ほむらは少しずつリズムに慣れながら、続きを謡った。
「ま、まーるいケーキは甘いです ケーキはまどか?」
「ちーがーう 私はメロン」
ナイトメアがメロンを飲み込む。六人はそっと席を立ち、六芒星の頂点に当たる目の前のテーブルクロスを各々掴む。
「メロンが割れたら甘い夢」
「今夜のお夢は苦い夢 お皿の上には猫の夢 まるまる太って召し上がれ!」
六人は一斉にテーブルクロスの端を引く。中央に巨大なケーキが現れ、ベベが上から飲み込んで行く。そうしてベベが吐き出したのは、仁美のような顔をした人魂だった。
さやかはそれを抱きかかえ、共に降って来た紙で上条恭介のようなシルエットを作り出す。人魂はバイオリンを弾く彼と踊るようにして天高く昇って行く。
加奈達は微笑みながら、彼女が安らかに消えて行くのを見守っていた。
『ジリリリリリ……』
朝の澄んだ空気に、時計のベルが鳴り響く。布団の中から伸びた手が目覚まし時計の上に触れ、けたたましい音を止めた。手が布団の中に戻り、今度はひょっこりと顔が出て来る。眠そうな瞳は、時計の針が指し示す時刻を見てギョッと見開かれた。
「……やば」
小さく呟くと、加奈は布団を跳ね飛ばした。
「おはようーっ。行って来ます!」
母親が用意してくれていたパンと牛乳を立ったまま飲み込み、慌ただしく玄関を飛び出す。ちょうど、父親も家を出たところだった。
「お父さん、行って来ます!」
早口で言って、彼とは反対方向へと駆けて行く。
整然と並ぶ白い家並み。広い通りを反れて、小川に沿った遊歩道を行く。道沿いには木が植わっていて、冬にも関わらず青々と繁っている。
加奈は、生まれた頃から住んでいるこの町が大好きだった。中学校こそ途中からの転入だが、皆、そんな事関係ないかのように親しくしてくれる。
前方に見えた四人の少女達の姿に、加奈は大きく手を振った。
「杏子! まどか! さやか! めがほむ! おっはよー!」
「おっせーぞ、加奈!」
「さてはまた、一度寝ぼけて目覚まし止めたな?」
「おはよう、加奈ちゃん」
「おはようございます……!」
たどたどしく挨拶をする眼鏡の友人に、加奈は飛びついた。
「おはよ〜、めがほむ〜っ。今日も可愛いぞーっ!」
「きゃあっ。あ、あの、えっと……っ」
「もう、加奈ちゃんってば。ほむらちゃん、びっくりしちゃってるよ」
「相変わらず、加奈はほむらの事大好きだねぇ」
「そりゃあね。この初々しい反応がまた……」
「おーい、ここにおっさんがいるぞ〜」
「あ、あのっ、私も、まどかの事大好きですっ」
ほむらは隣を歩くまどかの手を取る。まどかはにっこりと笑った。
「うん、私も大好きだよ」
杏子がからかうようにニヤリと加奈に笑う。
「ふられたな、加奈」
「まあ、相手がまどかじゃ仕方が無いよ。あきらめな」
「ぐぬぬ……」
「えっ。私、そんなつもりじゃ……! もちろん、上月さんだって大好きですよ!」
慌てた様子のほむらを、加奈は可愛いと叫んでまた抱き締める。ある程度学校まで近付いた所で、見慣れた後ろ姿をさやかが発見した。
「あっ、マミさん! おはようございます!」
「おはよう、皆」
「えへへ、皆そろっちゃったね」
「マミさん、早いなーっ。私なんて、昨日の今日だからもう眠くて眠くて……」
「加奈は寝坊多過ぎ!」
さやかがビシッと加奈の鼻先に指を突きつける。
「う……寝坊じゃないよ! 間に合ってるんだから、セフセフ! って言うか、皆眠くないわけ? 皆だって、朝までナイトメアと戦ってて、その後お茶会してたのに」
マミがくすくすと笑った。
「上月さん、途中から寝ちゃってたものね。辛かったら、お茶会は無理して参加しなくてもいいのよ?」
「えー、やだ! マミさんのケーキ逃したくないもん!」
「眠気なんて、魔法で何とでもなるじゃん?」
「その気になれば、眠気なんて消しちゃえるんだあ……って?」
おどけた調子で言う加奈を、さやかが目を丸くして振り返った。
「え……」
「どうしたの、さやかちゃん?」
「あ、ううん。何でもない。ちょっと、聞いた事のある言い回しだったから」
「どうせまた、アニメか何かの台詞だろ。いつもの事じゃん」
「そう! 私の一番大好きなアニメなんだよ」
そこでハタと加奈は立ち止まった。
……何て、アニメだっけ?
「おーい、加奈、置いて行くぞー!」
「あっ。待ってよーぅ」
気付けば、杏子達との間が空いてしまっていた。加奈は慌てて、少し先にいる仲間達の所へと駆けて行った。
授業終了を告げるベルが鳴り、加奈は大きく伸びをする。
「やっと終わったーっ。屋上行こう、屋上! 私もう、お腹ペコペコ!」
「加奈、ずっと寝てたじゃん」
「う……でも、杏子だって人の事言えないでしょー。さっきの授業、堂々と寝てたくせに」
「げ。そこだけ起きてたのか」
杏子はきょろきょろと辺りに目をやる。
「あれ? お説教役がいないぞ?」
「ほんとだ。さやかちゃん、どこ行ったんだろ」
「トイレかな?」
まどかが弁当を持ち、席を立った。
「私、マミさんの所に先に行ってないか見て来るね」
「んじゃ、私達もその辺探してみるー」
加奈も弁当を片手に、まどかに続いて教室を出て行った。
トイレにさやかの姿は無かった。珍しく、売店なのだろうか。だとすれば、杏子が真っ先に誘っていそうなものだが。
首を捻りつつ屋上へと向かいかけ、ふと加奈は足を止めた。教室の壁は全てガラス張り。目の前の教室の向こうに、探している人物は佇んでいた。廊下の曲がり角でこちらには背を向けていて、気付きそうにない。
そろそろと、加奈は間にある教室を回り込みその背後へと忍び寄る。さやかは誰かと話しているようだった。
「……ううん。気付いてはないみたい。でも、時間の問題じゃないかな。気付いた時に動揺して、無茶しなきゃいいけど……」
「わかりました。私も、彼女の動きに気を付けるのです」
「うん。あの子だけ一人で、心配だものね」
「さ〜やか〜っ!」
狙いを定めると、加奈は勢い良くさやかの背中に飛び付いた。
「か、加奈!? どうしたの、こんな所で。お昼は?」
「それは、こっちの台詞! 皆、探してるんだよ」
「あ、ああ、そっか。ごめん、ごめん……」
「今、誰かと話してなかった?」
曲がり角の先に人影は見えず、加奈はさやかの向こうを覗き込む。そこにいた人形のような姿の生き物を見て、加奈は目を瞬いた。
「……ベベ? なんでこんな所に……って言うか、さっきの声って……」
「腹話術! ベベにこっそり付き合ってもらって、さやかちゃんは腹話術の練習をしていたのだァーッ! 『ベベは、チーズが食べたいのです!』」
さやかはベベをグイッと引き寄せ、その手を激しく振らせる。裏声を出す際、その口はしっかりと動いていた。ベベの方も、言葉こそ人間の言葉ではないが焦ったように早口でまくし立てていた。
「ベベ!?」
「あ。マミさん! まどかも」
振り返れば、まどかとマミがこちらへやって来ていた。マミと一緒にいたのだろう。まどかの肩に乗るキュゥべえに、ベベは歯をむいて威嚇する。そんなベベを抱き上げながら、マミは困ったように叱った。
「もう……ダメじゃない、お留守番してなきゃ」
「ベベも、学校に来てみたかったんだね。ちょうどお昼だから、一緒に食べよう?」
『マスカルポーネ! マスカルポーネ!』
「うーん……チーズは無いかなあ……」
「あ、ちくわに入ってるので良ければ、私あるよー」
加奈の言葉に、ベベは喜び飛び跳ねる。
屋上へ向かう途中で、ほむらと杏子とも合流した。
「どこ行ってたんだよ、さやか」
「ごめん、ごめん。ちょっとベベとね……」
「ベベ?」
さやかの言葉で、杏子はマミの腕に抱かれた人形のような姿に目を留めた。
「いいのかよ、マミ?」
「仕方ないわ。でも、今日だけよ」
杏子がマミと話す傍ら、ほむらはぼんやりと窓の外を眺めていた。校庭では、部活のある子達が昼休みの練習に励んでいる。
「どうしたの、めがほむ?」
「あ……いえ、別に……」
何でもないと言うように彼女は首を振る。しかし再び窓の外に目をやったその横顔は、どこか不安げに見えた。
「ここ! ここのお団子が美味しいの!
おじさーん、私、三色のヤツね!」
ショッピングモールのフードコートに構える店の一つに駆け寄り、加奈は言った。まどか、さやか、マミも同じ物を店員に頼む。
「ほむらちゃんと杏子ちゃんも、来られれば良かったのにね」
「仕方ないわ。二人とも、用事があるみたいだったから……」
「珍しいよね。ほむらはともかく、杏子が食べ物関係で断るなんて……」
「さやかちゃん、杏子ちゃんの用事って何か聞いてる?」
「いや。でもまあ、あいつにだって用事がある事ぐらいあるでしょ。案外、二人で一緒にいたりして」
冗談めかして、さやかは言った。加奈が団子を頬張りながら不服の声を上げる。
「えー。何それ、杏子ずるい!」
「もしかしたらの話だってば。まあ、無いっしょ。あの二人の会話って、イマイチ想像つかないし。あ、ねえ、CDショップ寄ってもいい?」
「うん、いいよ」
「あれ? まだ、CD買ってあげてるの? もう足の方も大分良さそうなのに」
「恭介じゃなくて、これは自分用。きっかけは恭介だけどさ、クラシックとかやっぱいいなって思うのは変わらないから。彼女は仁美に譲ちゃったけど、幼馴染までやめたつもりはないし」
そう言って、さやかは軽く肩をすくめる。
「CDかー。私も、ついでに買おうかなー」
「加奈ちゃんも、クラシック聞くの?」
まどかは驚いたように尋ねる。加奈はふるふると首を振った。
「違うよー。クラシックじゃなくて」
「アニメの曲? 上月さん、好きだものね」
「マミさん、惜しい! 曲じゃなくて、ドラマCDが出てるんだ〜」
話しながらも、四人と二匹はCDショップの方へと向かう。
「そう言えば、上月さんって暁美さんの事を変わった呼び方しているけれど、それも何かアニメが元なの?」
「めがほむの事? いや、別にそう言う訳じゃ。眼鏡を掛けたほむほむだから、めがほむ」
くすりとマミは笑う。
「不思議な呼び方ね。まるで、眼鏡を掛けていない暁美さんもいるみたい」
「その場合でも、『ほむらちゃん』じゃなくて『ほむほむ』なんだね」
「うん。だって、皆がそう呼んで……」
言い掛け、加奈は口を噤んだ。
――皆って……誰?
ほむらは、一ヶ月前に見滝原中学校へ転入してきたばかりだ。見滝原へ来る前には、病院にいた。当然、ほむらと会う機会もなければ、彼女の転校前の交友関係など加奈が知るはずもない。転入してからは、一番親しいのは自分たち。その中で、彼女をほむほむと呼んでいるのは加奈だけだ。誰もそんな呼び方はしていない。
「上月さん? どうかした?」
「え、あ……ううん、何でも」
加奈は慌てて首を振る。きょとんとする、マミ、まどか、さやか。マミの腕に抱かれたベベ。まどかの足元を歩くキュゥべえ。その光景に妙な違和感を覚えたが、その違和感の正体が何なのか加奈には判断出来なかった。
日も沈み、夕飯の時間が近付いて来て、加奈は皆と別れた。今夜もナイトメアが出たりすれば、また皆と会う事になるだろう。ここ最近、加奈は毎日が楽しかった。ほむらに杏子、さやか、マミ、まどか。仲間達と一緒ならば、命がけのはずの戦いでさえ怖くない。むしろ、楽しみでさえあった。そんな事を言えば、マミに叱られてしまいそうだが。
ふと加奈は前から歩いて来る見知った顔に気付き、彼女に駆け寄った。
「ほむほむ!」
うつむき加減に歩いていたほむらは、顔を上げる。彼女が立ち止まるのに合わせて、長い黒髪が静かに揺れた。いつもの赤ぶち眼鏡はかけておらず、三つ編みも解いている。
「眼鏡やめたんだね。大人っぽくて、すごくきれい!」
加奈は、ぐっと親指を突き立てウィンクする。ほむらは、困ったように微笑した。
「ありがとう。……上月さんは、今、帰るところ?」
「うん。ほむほむも来られれば良かったのにって、皆で話してたんだよ」
「ごめんなさい」
「ううん、用事なら仕方ないよ。次は、一緒に行こうね!」
加奈はほむらの手を取り、にっこりと笑う。ほむらは、どこか寂しそうな微笑みを浮かべていた。
「……巴さんは?」
「マミさんなら、家だと思うよ。最後、マミさん家でお茶会して別れたから。さやかも一緒に出たけど、もしかしたらまどかはまだいるかも」
「ベベも?」
「そりゃ、もちろん。マミさん家に行くの? これから?」
「……」
ほむらは、何か思い悩むように口を噤む。
「ほむほむ……?」
「……ねえ、加奈。あなたは、気付いてる?」
「え?」
加奈は目を瞬く。ほむらの視線は加奈には向けられておらず、警戒するように通りすがる人々を見つめていた。
「えっと……眼鏡と三つ編みやめたのは分かったけど……あ、もしかして髪切った?」
「切ってないわ」
何とか捻り出した回答は、あっさりと否定される。
「う゛ー……じゃあ、えっと……」
「……私と同じ時間を歩む事の出来るあなたでも、覚えていないのね」
「え?」
ほむらは静かに首を左右に振る。
「何でもありません。上月さん、もし何かに気付いたとしても、迂闊に動かないようにしてください。その前に片付くかもしれませんが……」
ほむらはいつもの口調に戻って言った。
「それじゃあ、おやすみなさい。上月さん」
ほむらは髪を払うと、加奈の横をすり抜けて行く。加奈は慌てて、その後姿に声を掛けた。
「ほむほむ!」
ぴたりと、ほむらは足を止める。
昼間から、何か気がかりな事がある様子のほむら。何でもないと言うが、そんな風には到底思えなかった。
「あの、もし何か悩み事とかあるんだったら、私にも相談してね。そりゃ、マミさんに比べれば頼りないし、まどかに比べれば落ち着きが無いかもしれないけど……でも、私もほむほむの事大切だから。力になりたいから」
「……ありがとう」
ほむらは振り返らずに言い、夜の街へと消えて行った。加奈は彼女が見えなくなるまで、その後姿を見つめていた。
ネオンが明滅し、アーケードゲーム特有の電子音が曲を奏でる。ダンスゲームの前で佇み電話をしている友人の元へと、加奈は近づいて行った。
「――いや、別に何があったって訳じゃないんだけど……とにかくさ、もしあいつが一人で無茶しそうだったら助けてやって欲しいんだ。あたしにも連絡くれれば、直ぐ行くし。――うん、サンキュ。じゃあな、また」
「いーつにーなったらーなくしーたー世界をー……何だっけなあ、この曲……」
「うおっ!? 加奈、いつの間に!」
突然横に現れた加奈に、杏子は素っ頓狂な声を上げる。加奈はダンスゲームの柵に腕を乗せながら、杏子を見上げた。
「あ、電話終わった? 通りすがりに中に杏子がいるのが見えたから入ったんだけど、何か深刻そうに話してるから邪魔しちゃ悪いかなと思って。誰と話してたの?」
「マミだよ。ちょっと、用事があって。それより、いいのか? もう結構遅い時間だけど」
「うん、直ぐ帰るよー。さっきさ、そこでほむほむと会ったんだよね」
「ほむらと?」
杏子はハッとしたように加奈を振り返る。加奈はうなずいた。
「うん。何だか、様子がおかしくてさー……杏子、何か知らない?」
「んー……いやあ……」
杏子は視線をはずし、頭を掻く。
しばし、沈黙が流れた。聞き慣れた、しかし何の曲だか思い出せないメロディがダンスゲームから流れ続ける。ディスプレイを流れていく一定サイズの矢印。プレイしている子供の達成度に合わせて、画面の明るさが徐々に明るく激しいものとなっていく。
「……なんだろ。何か、懐かしいな。前にも、加奈と二人でこうやってゲーセンに来た事があるような気がする」
「え?」
加奈はゲームのディスプレイから視線をはずし、隣を振り返る。杏子はダンスゲームの柵に背を預けるようにして、上を見上げていた。
「おかしいよな。皆でならともかく、二人で来た事なんてないはずなのに。
……なあ、加奈。あたし、どうしてあんたと仲がいいんだっけ?」
ガーンと言う効果音でも聞こえてきそうなほどショックを受けた表情で、加奈は杏子を見つめる。
「え……。そ、それは……私なんかと仲良くしたくないとかそう言う……」
「だーっ、変な意味じゃなくて! ……なんか、加奈はただの友達じゃなくて、妹みたいと言うか、家族みたいな感覚で……。でもあたしが一緒に住んでるのはさやかだし、マミみたいに付き合いが長い訳でもないじゃん? なんでだろって……」
「ほう。それだけ、私が親しみやすい人柄と言う訳ですな。いやあ、照れるねえ、家族みたいだなんて思ってくれてたなんて」
「ちゃ、茶化すなよ!」
「あはは……」
杏子は軽く溜息を吐く。
「もういいや……。加奈、あんた、そろそろ帰らないとまずいんだろ?」
「ああ、うん、そうだった。じゃあまた明日ね、杏子」
「明日じゃなくて今夜になるかもしれないけどな。ナイトメアとの戦いは寝坊すんなよー」
「大丈夫だ、問題ない!」
力強く答えながら、加奈はゲームセンターを出て行った。
杏子の事をからかいながらも、加奈はまたあの奇妙な感覚を募らせていた。相手をまるで家族のように感じているのは、加奈もまた同じだった。二人で寝食を共にした時間が、あったような気がする。加奈には家族がいるし、杏子もさやかの所で暮らしているのだから、そんな時間など無かったはずなのに。
家の前の通りまで帰って来た加奈は、ふとその場に立ち止まった。暗い夜道にはソファやスタンドライトが不規則に並ぶ。会社帰りのサラリーマンが道を行き交い、加奈の家の前には黒いワンピースを着て頭にベールのようなものを被った女の子が佇んでいた。
加奈の脳裏に、一つの光景が浮かび上がる。右手にあるのは、何処かの社宅。公園を過ぎた先に、敷地内への入り口がある。その前に佇む、一人の少女。長い黒髪に、加奈の変身時と同じ服装。
加奈は首を捻る。この光景はどこだろう? 彼女は誰?
少女の口が開く。
『ーー、知ってる?』
彼女が何を知っているかと問うたのか、加奈は思い出せなかった。
……何て、アニメだっけ?
ポンと肩を叩かれ、加奈の思考は停止した。振り返れば、母が背後に帰って来た。彼女も今、帰って来た所らしい。
「おかえり、お母さん。あ、それ、夕飯? 持つよー」
彼女が両手に持つビニル袋を、加奈は受け取る。加奈と並んで家へと歩きながら、彼女は首を傾げる。
「ううん、何でもない。ーーうん、友達と遊びに行ってたの。ーーそう、いつもの皆。今日は、ほむほむと杏子はいなかったんだけどね。でも、帰りにたまたま会ってーー」
いつものごとく今日あった出来事を話しながら、家へと入る。生まれた頃から住んでいる一軒家。……あの社宅は、何だったのだろう。少し古く、生活感のある風貌は、この街に建つ物だとも思えなかった。
ビニル袋の中の物を冷蔵庫へと移しながら、加奈は何の気なしに尋ねた。
「ねえ、うちってさ、社宅に住んでいた事ってある? ーーうん。何か、そんな感じの景色をふと思い出して。もしかして、小さい頃に住んでたりでもしたのかなーって。……あれ?何で社宅って思ったんだろ……アパートやマンションならともかく……」
ふと、手元に影が重なる。
「お母さん? どうし……」
振り返り、加奈は言葉を失う。
加奈の直ぐ目の前に、彼女は立っていた。その顔。子供の落書きのようにデフォルメされ、その特徴は加奈を表しているようだった。
「え……お母さん……だよね……?」
彼女は答えない。どくんと鼓動が早鐘のように鳴るのを感じた。
ガチャリと玄関の方から音がして、加奈はハッとそちらを見る。
「お父さん! 早く来て! お母さんの様子が……」
玄関への扉を開けて入って来たのは、サラリーマン姿の男性体型。しかしその顔は、母親と同じく加奈を模したものとなっていた。
入って来たのは彼一人ではなかった。ぞろぞろと、後から続けて何人もの人が入って来る。その顔は皆、総じて同じものだった。
「あ……ああ……」
言葉にならない声が漏れる。リビングに溢れる加奈と同じ顔。じわじわと、加奈の方へと距離を詰めて来る。
『ねえ、これでも本当にわからないかなあ……』
脳裏に浮かんだのは、どこかの廃ビル。振り返ったその顔は、加奈と同じもの。光の無い陰鬱な瞳。真っ黒に濁り切ったソウルジェム。
「い……嫌ああああああああ!!」
魔法の行使も忘れ、加奈は頭を抱えてその場に膝をついた。
2014/04/14