新学期の朝が来た。また、ホグワーツでの一年間の始まりだ。
 キングズ・クロス駅へは、騎士団の護衛がついて来て大所帯での移動となった。護衛の存在は堅苦しかったが、ドサクサ紛れについて来たシリウスの存在は、ハリーやカレンの心を和ませるのに十分だった。
 シリウス・ブラックは無実の罪とは言え指名手配犯だ。当然、その顔を表にさらす事などできない。彼は、黒い犬の姿でカレン達について来た。嬉しそうにハリーの周りを跳ね回ったり、猫を脅して見せたり、ホームで出会った生徒に褒められて尻尾を激しく振ったりする様は、まるで本物の犬のようだった。
 汽笛が鳴り、カレン達は急いでホグワーツ特急へと乗り込む。シリウスは後ろ脚で立ち上がり、ハリーの両肩に前足を掛けた。カレンは、顔を見る度に後ろ脚で立ち上がり抱きつこうとして来た親戚の家の犬を思い出していた。
「まったくもう、シリウス、もっと犬らしく振舞って!」
 ウィーズリー夫人が叱り飛ばし、ハリーを汽車へと押しやる。
(十分、犬らしいんじゃないかな……)
 思った言葉は胸中に留めながら、カレンは一応の礼儀として、ハリー達と並んで窓からホームへと手を振った。





No.27





「それじゃ、コンパートメントを探そうか?」
 見送りの一団の姿が見えなくなり、フレッドとジョージが仲間のリー・ジョーダンを探しに行って、ハリーが言った。カレンとジニーは応じるように足元のトランクを掴んだが、ロンとハーマイオニーは気まずげに目配せし合っていた。
「私たち――えーと――ロンと私はね、監督生の車両に行く事になってるの」
 ハーマイオニーが言いにくそうに言った。ロンはと言うと、気まずさのあまり目も合わせようとしていなかった。
 カレンは、横目でハリーの様子を伺い見る。ハリーは、何とも思っていない素振りを取り繕おうとしていた。
「あっ、そうか。うん、わかった」
「ずっとそこにいなくてもいいと思うわ。手紙によると、男女それぞれの首席の生徒から指示を受けて、時々車内の通路をパトロールすればいいんだって」
「オーケー。えーと、それじゃ、僕――僕、また後でね」
「うん、必ず」
 ロンがおずおずと言った。
「あっちに行くのは嫌なんだ。僕は、むしろ――だけど、僕たち仕方なくて――だからさ、僕、楽しんではいないんだ。僕、パーシーとは違う」
「わかってるよ」
 ロンとハーマイオニーは荷物を引きずり、前方の車両の方へと去って行った。
 気まずい沈黙が流れる。ハリーは明らかに、監督生になれなかった事を気にしていた。生徒に指示を出したり、雑用を行ったり、カレンとしては学級委員のように何かと面倒くさい役割と言う印象だ。立候補が複数出て競い合うのなんて、精々小学生まで。中学生では、運良く面倒事と引き換えに高い内申点を得ようとする人がクラスにいてくれれば良いが、そうでなければくじ引きやジャンケンとなる押し付け合い。しかし、これまでホグワーツであれこれとこなしてきたハリーからすれば、選ばれなかったという事実は非常に堪えるものなのかも知れない。
「行きましょ」
 静寂を破り、ジニーが何でもない調子で話しかけた。
「早く行けば、あの二人の席も取っておけるわ」
「そうだね」
 ハリーはうなずき、荷物を持つ。カレンは無言で、二人の後について行った。

 車内は、どのコンパートメントも満席だった。一人程度ならチラホラと入れそうな席はあるが、三人、更にもう二人後から来るとなると、到底足りない。
 コンパートメントをのぞくハリー達を、コンパートメント内の生徒達も興味深げに見ていた。正確には、ハリーを見ていた。隣に座る友達を小突き、ヒソヒソと話し合う。日刊予言者新聞の影響だろう。新聞の影響がどれほど広まっているかを思い知り、その度にハリーの表情は曇って行った。
「ここも空いてないわね。そっちはどうかしら?」
 ジニーは明るい声でハリーに話しかける。ハリーが気にしないよう、他の生徒達の様子から気を反らそうとしているのが明らかだった。
 最後尾の車両に辿り着き、カレンは「あっ」と声を上げて足を止めた。
 通路の中ほどに、ネビル・ロングボトムが立っていた。その手にある鉢植え――ミンビュラス・ミンブルトニア。
「やあ、ハリー!」
 ネビルもこちらに気付き、トランクを引きずってこちらへと小走りに駆けて来る。
 彼が辿り着く前に、カレンは急いで割って入った。
「私、寮の子と約束してるの忘れてた――じゃあ、またね」
「えっ。あ、うん――」
「今から? ここ、空いてるみたいだし、一緒に――」
 ジニーがネビルの後ろのコンパートメントを開けながら問う。
「あー……えーと、私、スリザリンでしょ? あんまりグリフィンドール生だらけの中にいたら、寮の人達が何かと面倒くさくて……ごめん」
 一息に言い切ると、カレンは足早にその場を立ち去った。――「臭液」まみれになるのは御免だ。





 臭液ぶっかけイベントは回避したものの、いったいどうしたものか。一つ前の車両に戻り、カレンは途方に暮れていた。
 もちろん、スリザリン生の友達との約束なんてものはない。口から出まかせだ。前年度の帰りに一緒のコンパートメントだったルーナは、ハリー達と同じコンパートメントで臭液イベント待ちだ。パンジーとドラコは監督生だから、当然、専用のコンパートメントだろう。他に、心当たりのある知り合いはいない。
 一人分程度なら、チラホラと空いている席はあった。スリザリン生のカレンは他の寮生には疎まれるだろうし、ハリーの姉であるカレンはスリザリン生からは疎まれるだろう。それでも、気付かないふりをしてどこかに相席させてもらうか。
 トランクを握り、歩き出そうとしたその時、車両の前方の扉が開いた。前の車両から移動して来たのは、長い黒髪の、アイドルグループにいそうな感じの可愛い女の子だった。
 黒髪の美少女は、カレンを見て微笑いかけ、明らかにこちらに向かって歩いて来た。知り合いだっただろうか。必死に記憶を探りながらも、カレンは曖昧な会釈を返す。
「こんにちは、カレン。ハリーは一緒じゃないの?」
「うん? ああ……ハリーなら、もう一つ後ろの車両に……」
 答えながら、気が付いた。そうだ、彼女はチョウ・チャンだ。去年もダンスパーティーで直接本人を見ているはずだが、あの時のカレンは自分も代表選手で、他のペアまで気にするような余裕はなかった。今も、その時の彼女の姿を思い出す事は出来ないが、臭液事件の真っただ中に彼女がハリーのコンパートメントを訪れる事だけは思い出せた。
「ありがとう」
 にこりと微笑み、彼女はカレンの横をすり抜け後部車両へと移って行った。少し足止めして、時間をずらしてやった方が良かっただろうか。しかし、ほとんど初対面の相手との会話なんて何を話して良いか分からないし、そもそも今更気付いたところでもう遅い。ハリーには悪いが、原作通りの道を辿ってもらうしかない。
(チョウ・チャン、か……)
 セドリックの恋人だった人。彼女は、カレンをどう思っているだろう。セドリックの死は、今も彼女の心に暗い影を落としているはずだ。今年これから、あんなに何度も泣くのだから。
 セドリックの死を知りながら、カレンは何もしなかった。自分が巻き込まれないようにする事しか考えなかった。
 彼女は知らないが、カレンはセドリックがどのようにして亡くなったかも知っている。ハリーは、チョウから持ち掛けられるセドリックの話題を避け続ける。直接その場で体験したハリーにとって、その記憶を掘り返されるのはあまりにも辛い事だったのだろう。でも、チョウ自身も言っていた通り、彼女とは一度きちんと話をすべきなのではないだろうか。彼女が知りたいと望むなら、セドリックの最期を彼女も知るべきではないのだろうか。
 ガタンと車体が揺れ、カレンはよろめきトランクを取り落とした。ぼんやりと考え事をしながら歩いて来て、だいぶ前の方の車両まで来たようだ。そろそろ、どこかのコンパートメントに混ぜてもらわないと。
 ガラリと直ぐ横のコンパートメントの扉が開いた。
「大丈夫? 大きな物音がしたけど……」
 扉の内側に立っていたのは、黒髪の女の子だった。見覚えのある顔だが、やはり誰だか思い出せない。恐らく、チョウの場合とは違って、この世界に来てから学校内のどこかで見た子だ。
「席がまだ見つかっていないの?」
 カレンが抱えているトランクや大鍋を見て、彼女は尋ねた。カレンはこくんと首を縦に振る。
「ここ、空いてるわよ。私の姉が、後から戻って来るけれど……」
「……ありがとう」
 カレンは、大人しくコンパートメントに入る。荷物を片付け、本を開こうとしたカレンに、彼女は話しかけて来た。
「……カレン・ポッターよね? 弟さんは、一緒じゃないの?」
「えーと、まあ。乗る時にはぐれて……」
「ふーん……」
 カレンは適当に答えながら、それ以上の会話を拒否するように栞の挟まったページを開く。彼女は、意味ありげにカレンをまじまじと見つめていた。
 彼女も、『日刊予言者新聞』を読んだのだろうか。新聞は、ハリーを徹底的に貶めようとバッシングしていた。彼の信用を失墜させるために。ヴォルデモートが復活したと言う事実を、誰も信じない状況を作り出すために。
 墓場へと行かなかったカレンは、ヴォルデモートの復活には対面していない。復活の証言をしようが無いのだから、魔法省もカレンについてはノーマークだ。……ただそのためだけに、カレンはハリーとセドリックを見送る事を選んだ。自分の身を守るために。彼らが向かう先で、何が待ち構えているかを知っていながら。
「何の本、読んでるの?」
 突然声を掛けられ、カレンはハッと我に返った。正面に座った少女は、控えめに微笑った。
「ごめんなさい。読書の邪魔しちゃって」
「……ただの短編集。童話っぽい話」
 カレンは表紙を彼女に見せる。彼女は、どうにかカレンと交流しようと試みているようだった。
「吟遊詩人ビードルの物語? 私も小さい頃、お母さんによく聞かせてもらったわ」
「あ……そう言う対象年齢の本だったんだ……」
 馬鹿にされるのではないかとカレンは身構える。ホグズミードにあった小さな古本屋で、安く売られたのを見つけて買ったものだった。
 少女はカレンを馬鹿にして笑ったりはしなかった。その代わり、少し不思議そうに首を傾げた。
「――手が止まっていたみたいだけど、何か心配事? その本なら、そんなに難しい本じゃないわよね?」
 カレンは答えに窮して口を噤む。この子は、ずっとカレンを観察していたのだろうか。
「あっ。ごめんなさい。話にくい事だったら、別に――ただ、もしかしたら、弟さんと関係ある事だったりするのかなって――」
 カレンは眉を顰める。この子はいったい、何を探ろうとしている?
「私もね、姉がいるの」
 カレンの不審そうな視線を受けて、彼女は言った。
「それで、その、気になって。カレンはスリザリン、弟さんはグリフィンドールでしょう? あなたは純血主義に同調する気はないって宣言したって、姉から聞いたし、同じ寮の人達の事は避けているみたいだし、でも、弟さんと一緒にいる訳でもなくて……」
 彼女はしどろもどろに話し、それから意を決したように真っ直ぐにカレンを見据えた。
「あのね、私――ううん、私達、皆、あなたがいったいどう言うつもりなのか――何を考えているのか、どちらに従うのか、本当のところを知りたいの」
 ――ああ、なるほど。
 彼女はそれを、ずっと聞こうとしていたのだ。だけど、切り出せずにいた。そんなに親しい訳じゃない。カレンの方は、彼女の名前すら知らない。いきなり込み入った話が出来るような仲ではない。だから、探り探り、会話を繋げようとしていた。
 彼女は、緊張した面持ちでカレンを見つめている。カレンは、短く溜息を吐いた。
 ――面倒くさい。
 どちらに従うのか。ポッターか、スリザリンか。真実の主張か、魔法省への媚か。ダンブルドアか、ヴォルデモートか。光か、闇か。
「……それって、そんなに重要な事?」
 彼女は困惑顔だった。カレンは再び、本へと視線を落とす。
「私は純血主義じゃない。生まれなんて言う本人にはどうにもならないような事で誰かを馬鹿にするなんて、そんな事はしようと思えない。誰の親が魔法使いだとかマグルだとか、そんなの正直、どうでもいい。
 ハリーとドラコの喧嘩も一緒。他人の喧嘩に首を突っ込んでどちらかに味方する気なんてない。もっと言ってしまえば、ダンブルドアと魔法省だって、ヴォルデモートですらも、関わり合いにならずに平穏に暮らせれば、それ以上の事はないね」
 彼女はヴォルデモートの名前を聞いて震えあがりながらも、尋ねた。
「そ、それじゃ……同じ寮の生徒達を避けているのは……」
「さあ。ポッターだし、純血主義反対宣言なんてしちゃったから、皆の方が、私を避けたいんじゃない?」
「じゃあ、カレンの方は、別にダフネ達を避けている訳じゃないのね?」
「ダフネ?」
 コンパートメントの扉が開く音がして、カレンと目の前の少女は振り返る。戸口に立つのは、金髪の女子生徒だった。彼女の事はさすがに知っている。パンジーとよく一緒にいて、部屋も同じだ。――ダフネ・グリーングラス。
 ダフネはカレンを一目見て、ぎょっとした顔をした。それから、なぜカレンがここにいるのかと責めるような視線を黒髪の少女へと向ける。
(……ああ、そっか)
 黒髪の少女を、見覚えのある顔だと思った。今、それがなぜだか分かった。ダフネと似ていたのだ。
 姉がいると、少女は言った。つまり、ダフネの妹だったのだろう。自己完結し、カレンは本人たちに確認する事もなく、再び本へと目を落とす。
 ダフネ・グリーングラスの妹。アストリア――
 ――え?
 カレンは目を瞬き、顔を上げる。
 ダフネは妹の隣に座り、ヒソヒソと何やら話していた。
 ――今のは、何? どうして私が、彼女の名前を知っている?
 どこかで聞いた事があったのだろうか。名前と共に過ぎったのは、ドラコの顔だった。彼の話に出てきた事があった? ドラコと直接会話をする事は少ないが、彼はいつも得意気に何かを話している。近くにいれば聞こえて来る程度の声だ。その話のどこかに出ていたのだろうか。
 ふと、アストリアと目が合った。アストリアは思い出したように、鞄を引き寄せる。
「ねえ、カレンもお菓子、食べる?」
「え……お、お菓子?」
 目をパチクリさせるカレンに、彼女は原色を組み合わせたデザインパッケージの小さな箱を差し出した。
「フィフィ・フィズビーはいかが? それとも、百味ビーンズの方がいい? さっき買ったのがあるわ」
「アストリア」
 姉が制止しようとするが、妹は自由奔放に次々と鞄からお菓子を出す。よくも、潰さずにこれだけのお菓子を持ち運べたものだ。
「蛙チョコ、激辛ペッパー、ペロペロ酸飴――これは食べるにしても後の方がいいわね。他のお菓子の味が分からなくなっちゃう」
「えーと、あの、ありがとう。でも、いいや……こっちのお菓子、苦手な物が多くて」
 アストリアは、強くショックを受けたような顔をした。まるで自分があまりにも酷い事をしてしまったような気がして、カレンは言い直した。
「あー……じゃあ、蛙チョコなら……」
「蛙チョコね! カレンもカードを集めているの?」
「いや、カードは別に……」
 スネイプとかヴォルデモートとかのカードなら、欲しいものだが。しかし彼らは、蛙チョコのカードにはなっていない。もしなっていても、作中でのヴォルデモートのカードなんて、何か危険な闇の魔術がかかっていそうで怖い。
「ねえ、ダフネ。それで、パンジーは見つかった?」
「ええ。でもたぶん、こっち来る気はないでしょうね。ドラコも監督生になったそうだから。ドラコのポッター参りが長ければ、暇して来るかも知れないけど……」
「そう……」
 アストリアはしょぼんとした表情になる。それから、ころりと笑顔になってカレンに話しかけた。
「あのね、パンジーは監督生になったの」
 手短に説明しながら、蛙チョコを取り出してカレンに差し出す。
「甘いものが苦手なの? でも、チョコは大丈夫なの?」
「甘いものって言うより、舌が溶けたりとか、げろ味とか、そう言うのが、ちょっと……」
「ああ、なるほどね。それは私も苦手。そこが面白いところでもあるんだけど、酷いハズレに当たるとキツイわよね。そしたら、激辛ペッパーは大丈夫なんじゃない?」
「食べた事がないから……」
「これは、耳から煙が出るだけよ。ペパーミントのお菓子で――」
 アストリアは積極的にカレンに話しかけて来る。さっきまでも交流を図ろうとはしていたが、今度は何かを探る様子もなくカレンと仲良くしようと決めたかのようだった。
 カレンはただただ、困惑するばかりだ。彼女の考えている事が分からない。ここまでの流れのいったいどこに、友情を生むような要素があった? 嫌われ者のカレンなんかと親しくして、彼女に何のメリットがある?
「……アストリアと言い、パンジーと言い、なんで私の周りってこうお人好しばかりなんだろ」
 カレンに話しかける妹の隣で、ダフネがフッと呆れたように溜息を吐いた。


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2017/07/31