当たり前のように二車線が違反駐車で埋まった、広い通り。青い看板の店から出て来た少女は、弾む足取りで帰路を辿る。角を曲がり、辿り着いたのは白いコンクリート製の集合住宅。彼女の父親が勤める会社の社宅であるその建物の前には、一人の魔法少女がいた。
少女と魔法少女が出会う前に、またもう一人、第三の少女が魔法少女の横に現れた。彼女は一人目の少女と同じ顔をしていたが、着ている服は魔法少女と同じ物だった。
魔法少女が驚いたように、一人目の少女と三人目の少女とを見比べる。三人目の少女が何か言う。そして、魔法少女の手を取った――
+++果てなしの結界と神浜市(上)
「お二人さん、おっはよーう!」
川沿いの道を歩く、見滝原中学の生徒達。いつもと変わらぬ、朝の風景。その中に友達の姿を見つけ、加奈は二人の肩に手を回すように後ろから飛びついた。
「うわっと。おはよ、加奈」
「おはよう。相変わらず元気だなー」
さやかの後に続いて挨拶を返しながら、杏子は大きく欠伸をする。
「杏子はずいぶん眠そうだね。昨日の夜も、戦いあったの? 呼んでくれれば良かったのに」
「いや。珍しく平和だし、あたしはさっさと寝ようとしたんだけど、さやかが寝かせてくれなくってさ……」
「あんたが宿題やってなかったからでしょー!」
「あ、鹿目さんだ」
少し前を歩く一人の女の子を見て、加奈は声を上げた。そして、そのまま一人で歩く彼女の元へと駆けて行く。
「かーなーめさーん、おーはーよー」
「あ……おはよう、上月さん。美樹さんと佐倉さんも、おはよう」
加奈の後から追いかけて来たさやかと杏子にも、まどかは少し緊張気味の笑顔で挨拶する。
「あ、うん……おはよう……」
答えたさやかは、どこか少し寂しそうだった。
「おはよ、学校にはそろそろ慣れたか?」
「うん。皆、色々教えてくれるおかげで……ありがとう」
まどかは照れくさそうに微笑う。
「でも鹿目さんって、結構迷いがないよね。移動教室とか、授業準備とか……私なんて、転校して次の日に『席がなくなってる!』って慌てたのに。アメリカの学校も同じような感じだったの?」
「え? えーっと……」
まどかは思い出そうとするように視線を上に上げる。杏子が呆れたように加奈を見た。
「それは、加奈が説明聞いてなかっただけだろ……」
「えー、そうかなあ」
「あのね、私……」
三人はまどかへと目を向ける。しかし、まどかは口をつぐんでしまった。
「……ううん。やっぱり、いいや」
「えー、何だよそれ。気になるじゃん」
「でも……変って思われるかも……」
まどかは頬を染めてうつむく。さやかが促した。
「別に思わないよ。言ってみ?」
「えっと……あのね、私、もしかしたら前にも、この学校に来た事があるのかなって……たまに、そう思う事があって……」
まどかは取り繕うように笑った。
「変だよね。私、見滝原中には通ってないはずなのに」
「いや、あながち変じゃないんじゃね? 親の出身校で、小さい頃に来た事があったりとかさ」
「鹿目さんって、お母さんの出張でアメリカ行ってただけなんだよね。三年、だっけ? そしたら、街中とかは割と覚えてる通りな感じ?」
「えぇっと……まだ、あまりこの街に来てから出かけた事がなくて……」
加奈はパンと両手を合わせた。
「じゃあ、今日の放課後、一緒に遊びに行こうよ! 公園とか、ショッピングモールとか、色々回ってさ。学校についても、何か思い出すかも!」
「ちょっ……おい、加奈!」
杏子は慌てて加奈の首根っこを掴み、引き寄せる。それから、声を落として言った。
「魔獣が出て来たらどうすんだよ。まさか、こいつまで巻き込むつもりじゃ……」
「まー、そん時は、どこか隠れて待ってもらうって事でさ……駄目かな?」
「あのなあ……」
「今日は駄目よ。まどかは、私と約束しているもの」
割って入った声に、顔を突き合わせていた加奈と杏子は振り返る。さやかが、彼女の名前を呼んだ。
「暁美ほむら……!」
「……そうよね、まどか?」
まどかの右肩に手を置き、覗き込むようにしてほむらは問う。まどかは、うなずいた。
「うん。ほむらちゃんとカフェに行く約束なの。……ごめんね、上月さん」
「ううん。そういう事なら、仕方ないね。また今度にしよう」
ほむらは、さやかへと視線を移す。さやかは、じっとほむらを睨み据えていた。
「何か不服かしら、美樹さん」
「……別に」
さやかは無愛想に答える。ほむらは意味ありげな微笑みを浮かべ、まどかを振り返った。
「まどか。先生に、朝、あなたを連れて来るように言われているの。行きましょう」
「えっ。そうなの? 分かった。それじゃ、皆、また教室でね」
「うん」
加奈はうなずき手を振る。ほむらとまどかは連れ立って、やや足早にその場を去って行った。
「なーんか、不思議な感じだよな。ほむらの奴……魔法少女っぽいけど、あたしらと一緒に戦う気は無いみたいだし……」
「そう! クールでミステリアスでかっこいいよね! 孤高の戦士的な? でもそう見せかけて、実は内気で一生懸命だったりすると可愛くて萌える!」
「あんた、ほんっと物好きだな……あいつが内気ってそれ、もう別人だろ」
「例えばだよー。ほら、ギャップ萌えってやつ? 一匹狼な態度もさ、何かのため、誰かのためとかで頑なになってるとかだと、こう、胸に来るじゃん?」
「あー、ハイハイ」
熱く語り出した加奈を、杏子は軽くいなす。
「まあ、とりあえず今日はいつも通り四人で魔獣探しだな。まどかの街案内については、マミにも意見聞いてみてさ……」
「ごめん、あたし、今日は夜に合流する。マミさんに伝えておいてくれる?」
さやかの言葉に、杏子は目をパチクリさせる。
「いいけど……何かあるのか?」
「うん。ちょっと、野暮用でね」
さやかは濁し気味に言う。加奈と杏子は、ただ顔を見合わせるばかりだった。
――この世界は、偽物だ。
放課後、さやかは一人、公園へと赴いていた。砂場で遊ぶ子供たちを、西に傾いた日差しが赤く照らす。
隅のベンチに、一人座ってそれを眺めている少女がいた。
「お待たせ、加奈」
ボブショートの少女が、顔を上げる。見滝原に通っている加奈とは顔も髪型も声も違う。しかし、彼女は確かに上月加奈だった。
悪魔となったほむらを欺くための姿。さやかの記憶を繋ぎとめている存在。
砂場で遊んでいた子供が、母親に手を引かれて帰って行く。さやかと加奈は、それを無言で見送る。
キュゥべえによって作られた結界の中で、魔女となった暁美ほむら。彼女は呪いと絶望をを溜め込み、悪魔となった。まどかが願った魔法少女のための力を奪い、世界を改変した。
杏子も、マミも、加奈も、なぎさも、まどかですらも、今では何があったかを覚えていない。魔女との戦いも、魔法少女が魔女になると言う真実も、それをまどかが救済した事も、ほむらを救うための戦いも、全て忘れてしまった。
加奈は、さやか達とはまた違う、別の世界からやって来た。ほむらによって世界が改変される時、彼女は時空の歪を利用して、一度元の世界に戻った。
そして、記憶の影響が及ばない、「世界との繋がりを断ち切る能力を持っていた自分自身」をこの世界に連れて来たのだ。
「さやか。それじゃ、今日も始めよっか。作戦会議」
少しおどけたように言うその笑顔は、さやかがよく知る上月加奈と同じものだった。
「鹿目まどかさん?」
西日の差す住宅街を加奈、杏子と共に自宅へと向かいながら、マミは目を瞬いた。
杏子は、手に持つ団子をぺろりと平らげる。
「そ。最近、あたし達のクラスに来た転校生でさ。これまでアメリカにいたんだって」
「親の出張で三年間行ってただけらしいんだけどね、帰って来てからまだあまり出掛けてないらしいから、色々案内出来たらなって」
「上月さん……魔獣との戦いはどうするつもりなの?」
「うぅ……それを、どうにか対策立てておけないかなーって、こうしてマミさんにご相談を……」
魔獣との戦いは危険を伴う。魔法少女でもない一般人をそばに置くなんて、もってのほかだ。隠れていてもらうにしても、相手は巨大で戦いもいつも広範囲に及ぶ。百パーセント巻き込まずに済むとは限らない。
「上月さん。転校生の世話を焼きたいと思うのは立派な事だけれど、あなたも魔法少女になる時に覚悟はしたのよね? 友達と遊ぶ時間なんて、無くなってしまうと言う事を」
「……それは、まあ」
友達と遊ぶ時間も、恋をするような時間も、無くなってしまう。いつも独りぼっちだった。そう、マミは言っていた。戦いの中で命を落とす事だってある。
全て知った上で、魔法少女になる事を選んだのだ。それだけ、叶えたい願いがあった。
ぴたりと加奈は立ち止まる。
「加奈?」
突然立ち止まった加奈に、杏子がきょとんとした顔で振り返る。加奈は、愕然としていた。
……思い出せない。
――私は、何を願って魔法少女になったの?
「あれっ? 上月さんに、佐倉さん?」
掛けられた声に、振り返る。まどかとほむらが、そこにいた。どうやら、二人でカフェに行って来たところのようだ。
「えっと……」
まどかは、マミへと視線を向ける。杏子が紹介した。
「巴マミ。あたし達と同じ、見滝原中の先輩だよ」
「こんにちは。鹿目まどかです」
「あら、あなたが……。佐倉さん達からよく聞いているわ。よろしくね」
「はい!」
「……美樹さんは一緒じゃないのね。この前の晩も、いなかったみたいだけど」
ぽつりと呟くようにほむらが言った。きょとんとまどかが彼女を見上げる。
「ほむらちゃん、前にも学校以外で皆と会ったの?」
「ええ……少し」
ほむらは曖昧に答える。
この前の晩とは、もちろん魔獣との戦いの時の事だ。その時も、さやかは「用がある」と言ってどこかへ行っていて、合流したのは戦いの最中だった。
「ああ、何か用があるみたいで。最近、あいつ、なーんかおかしいんだよな。付き合い悪いって言うか……ぼーっとしてるって言うか、誰かと、えーっと、電話で話してるっぽい事もよくあってさ」
杏子が濁した言葉の真意を、加奈、マミ、ほむらの三人は察した。誰かとテレパシーで会話をしているという事だろう。
『でも、この街の魔法少女って私達だけだよね? ここにいる四人と、さやか』
加奈が確認するように杏子、マミ、ほむらに話しかける。マミが応えた。
『いいえ、もう一人いるわ。百江なぎさ……まだ幼い子だけど、彼女も魔法少女よ。この前、買い物をしている時に会ったの。でも、美樹さんを知っている様子でもなかったみたいだけど……魔法少女の知り合いは初めてって言っていたし……』
ふいとほむらが背を向けた。
「あれっ? ほむらちゃん? おうち、こっちじゃ……」
「少し用事を思い出したの。また一緒に出掛けましょう、まどか」
「え、う、うん……」
ほむらはツカツカとその場を離れる。その口元が、三日月形に歪んだ。
「……なるほど、そう言う事ね。あなたに邪魔はさせないわ、美樹さやか」
「うーん……プールの授業でもあれば、ダークオーブを奪う事も出来そうだけど……」
「プールって……今、真冬だよ? いつまで待つ気よ」
「いや、でも温水プールある学校だったら、冬に水泳やるでしょ?」
「見滝原は温水プールじゃないって。体育館の横にあるの、外からも見えてるでしょ」
「あー、野球場の隣のあれ、やっぱりプールかあ……」
「それに、あいつ、体育もまともに受けないんだよね。都合良く持病を理由にしてさ。水泳の授業があっても、出ないんじゃないかな。あるいは、カフス以外の形に変えたりとか。それこそ、元々の魔法少女みたいに指輪とかね」
暁美ほむらから、どうやってまどかの力を奪還するか。そして、改変されて行くさやかの記憶の訂正。それが、主な議題だった。
「やっぱり、マミさん達にも協力仰いだ方がいいのかな……。あたし達二人じゃ、堂々巡りだよ。ダークオーブ奪った所で、そこからどうやって力を取り出してまどかに返すかって問題があるし……。力の一部だった時のあたしなら出来たかもしれないけど、今はその感覚も分からない……こればっかりは、加奈も知らないから教わりようがないし……」
「あ、それなんだけど。もう一人の、ほむほむ救済に立ち会って今は記憶を失くしている方の私なら、出来るかもって」
さやかは目を瞬く。
「えーっと、ほら、いたみわけの要領で、私がほむほむから力を吸って、次にまどかに渡す、的な」
「ごめん、あたしに分かる言葉で説明して?」
「えっと……」
加奈は考え込み、言葉を選びながら、説明しなおした。
「この世界の上月加奈の能力は、ソウルジェムの濁りを自分のソウルジェムと分割する事でしょ? つまり、呪いとか穢れとか魔力とか、そう言うのを相手と自分のを合わせて半分に分けなおしているって事じゃない? だったら、同じ要領でほむほむの力を吸って、まどかに与えられないかなって」
「そんなに上手く行くかな……」
「やってみる価値はありそうじゃない?」
加奈は期待を込めた目でさやかを見る。さやかはやや悩みながらも、うなずいた。
「そうだね……そしたら、こっちの加奈にも協力仰がなきゃだよね。声掛けてみるよ。……あと、杏子もいいかな」
「杏子? まあ、いずれは皆に協力してもらうつもりだけど……あまり一気に動くと気付かれそうだから、少しずつの方が……」
加奈は渋る。
目立つ行動は避けたい。それに、加奈と杏子を一度に引き込むとなるともう一つ、懸念点があった。
巴マミだ。
今は、加奈とさやかの二人で秘密を共有している。ここにもう一人の加奈と杏子が加わるとなれば、マミ一人が除け者の状態になってしまう。――アニメで見て来たマミの性質を思えば、彼女を一人にするのは避けたい。
「そろそろ、杏子もあたしが何をしてるのかって訝しんでるみたいなんだよね。どうにか、誤魔化せたらいいんだけど……」
「んじゃ、私、男の子の姿にでもなろうか? 実は、デートしてましたーとか?」
「それ、よけいに色々聞かれる羽目になりそう」
「んじゃ、バイトとか? あたしがやってるやつ、登録制だからとりあえず籍置く事は出来るよ。うーん……そうだなあ……親の誕生日を祝いたくって、とか。杏子なら理解してくれそうじゃない?」
「あんた、結構えぐい事考えるわね……」
「別に悪い事しようって訳じゃないんだから。ほむほむに抗おうってなら、出来る事はやらなきゃ。私達魔法少女と世界を改変できちゃうような存在じゃ、力の差は歴然としている訳だし……」
「――なるほど。こうやって、無駄な足掻きをしていたのね……」
割って入った声に、さやかと加奈は凍り付いた。
立ち上がった二人の前に、一人の少女が姿を現す。長く黒い髪。気だるげな視線。左耳に付けられたイヤーカフス。
まどかから力を奪って行った張本人、暁美ほむらだった。
2017/09/17