公園へと姿を現したほむらは、気だるげな視線を加奈へと向けた。
「あなた、上月加奈ね。私の事をそんな風に呼ぶのは、彼女しかいないわ」
ほむらへの呼び名での判断。会話の中で、加奈ははっきりと自分を上月加奈だと言っていたし、さやかも加奈と呼んでいた。それを聞いていないと言う事は、作戦会議を全て聞かれた訳ではないようだ。
とは言え、彼女に気づかれてしまった。状況が不利である事には変わりない。
「想定外だったわ……。彼女は元の世界に帰らずに、そこからまた自分自身を連れて来ていたって訳ね……魔法少女と言う事は、勘違いで魔女化して自分自身を殺そうとしていた、人の名前を変えて名乗っていた上月加奈かしら?」
「あんた……っ」
いきり立つさやかを、加奈は片手を挙げて制止する。
「それが、まどかが改変する前の時間軸に戻っていた場合の私の未来って事? もっとも、その世界も、まどかに導かれる展開に変わっているのだろうけど……」
「憐れね。キュゥべえに騙されて、自分の願いは無駄なものだったと思い込んで……」
「私を憐れむなら、私を円環の理に導くための力を返してくれないかなあ」
「私が、まどかよりあなたを優先するとでも?」
さやかは気遣うように加奈を振り返る。しかし、加奈は笑っていた。
「思ってないよ。ほむほむはいつも、まどかが一番で、ずっとまどかのために頑張って来た。そんなほむほむが、大好きなんだもん」
ほむらは不可解そうに眉を顰める。
「……悪いけど、あなたには帰ってもらうわ」
「――加奈!」
+++果てなしの結界と神浜市(下)
同時にいくつもの事が起こった。
さやかが咄嗟に手を伸ばす。加奈はソウルジェムをかざし、魔法少女へと変身する。
辺りが暗くなる。――まるで、魔女の結界が作られる時のように。
魔女の結界。言わば、その通りなのだろう。キュゥべえの結界の中で魔女となり、円環の理をも拒み、その存在は魔女に等しい。その力の大きさ自体は、魔女とは比ぶべくもないが。
加奈は、暗闇の中を漂っていた。上も下も分からない、二度も経験したあの狭間。
しかし今回は、加奈を見て、加奈を呼ぶ声があった。
「加奈……加奈っ!」
加奈は目を開ける。さやかが加奈の腕にしがみつき、加奈の顔を覗き込むようにしていた。
「さやか……あんた、ついて来ちゃったの!?」
「だって、このままあいつの思い通りに加奈を帰す訳には……。二人であいつに立ち向かうって、そう約束したじゃない?」
「さやか……」
いつも、この空間では一人だった。
ここへ来た時、いつもほむらはまどかを思い、まどかだけを見ていた。それは当然の事で、嫉妬すら抱きようのない摂理だった。ほむらがまどかを思うその気持ちがあればこそ、加奈はほむらの力になりたいと思ったのだから。
それでも、自分でも気付かぬ寂しさはあったのかも知れない。加奈を気遣ってくれる存在が共にいる事が、こんなにも嬉しく、こんなにも心強いなんて。
加奈は、さやかの手をぎゅっと握り返す。
「そうだね。一緒に戦おう!」
さやかにうなずき返して、加奈は辺りをきょろきょろと見回す。
「ほむほむは?」
「さあ……何処かに隠れてるのかな。――ほむら! いるんでしょ? 顔くらい出したらどう?」
返答はない。この空間は今、彼女が主導権を握っているはずだ。今の彼女が、加奈達を警戒し怯え隠れるとも思えないのだが。
「……どうする?」
さやかは不安げに加奈へと問う。
「私が魔法少女とは別に持っていた特殊能力は、世界を渡り歩く事ができるの。できるっていっても自分の意志じゃなくて、歪みが出来た時に一番結び付きの強い世界へ強制移動させられるって事らしいけど。
魔法少女として持っているのは、世界との繋がりを断ち切る力。私がいた世界に戻されるなら、次の時空の歪みが確実に発生するよう、私がトリップするより過去の時間へ行った方がいいと思う。到着地点が違うようだったら、私の魔法でその世界との繋がりを断ち切って……」
光が見えて来る。ぼんやりと見える景色。懐かしい我が家。
――その時、まるで強い風に煽られるようにして、その景色が――あるいは、加奈とさやかが流された。二人は短い悲鳴を上げる。
強い力に流されているのが分かる。どこかの世界へ引き寄せられている。
景色が見える。二つの高いビル。ゆっくりと回る風車。ビルの上の神社。花畑。――一人の少女。
「……まど……か……?」
等身の低さに戸惑いながら、名前を呼ぶ。少女が振り返る。
――まどかではない、別の少女だった。花弁が舞う中、少女は青空に溶け入るように消えていく。
白い光に包まれ、後はもう何も分からなくなった。
目を開けたその場所は、知らない場所だった。明かりはなく、薄暗い。どこかの屋敷だろうか。人が住んでいる気配はないが、荒れた様子もない。大きな姿見が、壁際に鎮座している。
「痛たた……ここが、加奈のいた世界?」
加奈はホッと息を吐く。さやかとは手を繋いだままだった。初めて見滝原へトリップした時のように、はぐれたりせずに済んだようだ。
「ううん……えーと……分からない……」
「分からないって、どういう事?」
「こんなお屋敷、見覚えがないんだよね……。私がいた世界のどこかなのか、それともまた別の世界に来ちゃったのか……」
シャキン、と金属音が頭の後ろで鳴った。
「あんた達、魔法少女? それとも、コピーされた偽物かしら?」
「な……っ!? あんた、いったい何を……!」
立ち上がり掛けたさやかを、背後の声が制した。
「動かないで!」
さやかの顔に、緊張が走る。振り返らずとも、自分の後ろに何か得物が突き付けられている事は想像できた。
「……そうね。まず、あなた達は誰なのか、どうして一般人までここにいるのか教えてもらいましょうか」
「一般人って、あたしの事?」
「当たり前でしょ。魔法少女でもないのに結界の中にいるなんて……」
「あたしだって魔法少女だよ!」
さやかはすっくと立ち上がる。そして、指輪をソウルジェムへと変えた。青いソウルジェムを掲げ、変身する。白いマントに青を基調とした服をまとい、剣を携えた姿に。
背後の声の主は、少し面食らったようだった。
「ふぅん……まあ、変身までコピーはできないだろうし、本物だったみたいね……」
警戒が解かれたのが分かり、加奈は振り返る。
そこに立つのは、槍を携えた一人の少女だった。縦にボーダーの入った魔法少女服。青から緑、黄色へとグラデーションのかかったスカート。首と腰に結ばれた青いリボン。両耳に垂れる金のイヤリング。やや大きいが、腰のリボンに付いた音符の形がソウルジェムだろうか。それともあくまで飾りで、ソウルジェムは他の場所にあるのか。ツンと澄ました顔のその少女は、いかにも気が強そうだった。
「あんた達、見ない顔ね。他の街の魔法少女?」
「えーと……」
「その前に、あたし達に言う事があるんじゃないの?」
さやかが、キッと彼女を睨む。
「いきなり武器で脅して来たりして……勘違いだったみたいだけど、ゴメンの一言ぐらい言ったっていいじゃない」
「レナに謝れって言うの? ここで魔法少女に会えば警戒するのは当たり前でしょ?」
「あー、えっと、まあ、誤解も解けた事だし! ね! えっと、レナちゃんって言うの? ここ、魔女の結界なの?」
不穏な空気を払拭しようと、加奈は慌てて間に割って入る。
レナは怪訝気な顔をしていた。
「ここは『鏡の魔女の屋敷』でしょ。あんた達、そんな事も知らずに、ここで何をしてるわけ?」
「いやー、その、私達、ちょっと迷い込んじゃって……気付いたらここにいたんだよねー」
「魔法少女のくせに取り込まれたって訳!? どんくさ……」
さやかの怒りパロメーターが上がるのを感じて、加奈は「まあまあ」と肩を叩いて諫める。
「招待状は?」
「招待状?」
レナは眉を顰める。
「使い魔から、招待状を渡されなかった?」
加奈とさやかは顔を見合わせる。見滝原からほむらの力によって飛ばされて、加奈のいた世界に強制送還されるはずが気付いたらここにいたのだ。当然、この世界の使い魔からの招待状なんてもらっていない。そもそも、使い魔から招待状を渡されるなんて通常の魔女でも考えられない。
「……待って。今、あんた、『魔女』とか『使い魔』って言った!?」
「な、何よ、急に」
「魔法少女が戦う相手って、魔獣じゃ……」
「はあ? 何それ、どこかの魔女の名前?」
加奈とさやかは再び顔を見合わせる。すると、加奈達が飛ばされたのは、まどかが改変する前の世界なのだろうか。……そんな事が、あり得るのか? まどかは過去も未来も、全ての魔法少女を救う事を願ったのに。魔女は全ての時間軸から消滅したはずなのに。
いるとすれば、それは救済を拒み力を手にした暁美ほむら唯一人。
「あんた達、招待状を貰ってここに来た訳じゃないって事?」
レナは再度尋ねる。
どうにも、イレギュラーな事が起きている。魔法少女が存在するなら、この世界も加奈の知るアニメ作品の延長線上なのだろう。ソウルジェムに突っ込みがなかったのだから、魔法少女の定義も同じである可能性が高い。
でも、この世界はまどかが救い、ほむらによって再改変されたあの世界ともまた違う。
「うーん、まあ、そんな感じ。えっと……この世界では、いつも使い魔から招待状を貰って魔女と戦っているの?」
「『この世界』?」
「あ、えーと。この街? ここがどこなのかも、分かってないんだけど……」
加奈は慌てて言い直す。
「魔女の招待状なんて、普通、ある訳ないじゃない。この結界が異常なのよ。魔法少女を招待して、魔法少女をこの屋敷に集めてる。罠かもしれない。だけど魔女は倒さなきゃならない。だから、魔法少女はここにやって来る。そして、ここ、『果てなしのミラーズ』でコピーを撮られる」
「コピー?」
「そ。やって来た魔法少女の型を取って、そっくりな偽物を作り出して手下としてけしかけて来るってわけ」
「あ、それでコピーされた偽物なのかって……」
「そう言う事。だから、ミラーズの中で迷子になってたあんた達が悪いんだから、レナは謝らないからね」
レナはぷいと背を向ける。そのまま離れて行こうとする彼女を、加奈は慌てて追った。
「ま、待ってよ、レナちゃん!」
「何? まだ何か用があんの?」
「結界って事は、これから魔女を倒しに行くんでしょ? じゃあ、一緒に行こうよ! 私達も協力するって。ね、さやか!」
「まあ、魔女がいるとなりゃ、放置する訳にはいかないもんね……」
「嫌!」
ぴしゃりと言い放たれ、加奈とさやかはぽかんとレナを見つめ返す。
「魔法少女の癖に結界に取り込まれちゃうようなやつらなんて、足引っ張られそうだもの」
「こいつ……!」
「ああーっ、さやか! 抑えて、抑えて……」
「それに、ここは神浜市よ。あんた達、どうせ他の街の魔法少女なんでしょ? 神浜の魔女は、他の街より強いの。さっさと帰る事ね。そっちに向かえば、大きい鏡が二枚向かい合ってる場所があるわ。そこから帰れるから」
「へっ? え……帰れるの……?」
「この結界は普通とは違うのよ……使い魔から招待状を渡されるし、入ればコピーされるし、倒したら何かコイン落として行くし、階層は果てしなくてどこまで続いているのか分からないし……」
「コインって……何か、ゲームみたいだね……」
「コインって言っても、レナ達が使う普通のお金の事じゃないわよ。小さくて丸くて平べったくて、コインみたいだからそう呼ばれてるだけ。調整屋への対価になるから、尚更ね」
「調整屋?」
加奈はさやかに問うように振り返る。さやかも分からないと言うように首を振った。
「神浜には、ソウルジェムを調整して魔力の底上げをしてくれる人がいるの。ああ、もう! ほんと、何から何まで知らないのね。とにかく! レナはもう行くから! ももことかえでを探さなきゃならないんだから!」
「あ、なんだ。レナちゃんも迷子かあ」
加奈はのほほんと言う。レナはムっとした顔つきになった。
「レナは迷子じゃないわよ! 実際、あんた達に帰り道だって教えてるし! 迷子なのはあいつらの方!」
完全に機嫌を損ねてしまったようだ。レナはそっぽを向くと、今度こそ二人を残して屋敷の奥へと去って行ってしまった。
レナが教えてくれた通り、結界からはあっさりと抜け出す事が出来た。まるで、結界の内側に誰かを閉じ込める気などないかのように。
屋敷の外へ出て、その外観を見上げながら加奈は呟く。
「何か、変な世界に来ちゃったね……魔女がいたり、その魔女も普通とは違っていたり……グリーフシード以外の物をドロップする魔女なんて、聞いた事がないよ」
「あたしも。……ほむらも、この世界に来てるのかな。ねえ、ほむらに飛ばされている間、何か妙に強く引っ張られた気がしたけど……あれが、関係しているのかな」
「あーうん、『引っ張られた』ね。確かに、その言い回しがしっくり来るな。そうかもねえ。ほむほむが姿を見せなかったのも、それが関係しているのかな」
「あいつもこの世界に引っ張り込まれたって事!?」
「うーん……分からないけど、その可能性はあるかも」
「探さなきゃ……! この世界がどんなに変わっているにせよ、あいつを野放しになんてするわけにいかないよ!」
「いるかどうかすら不明だけどね。そうだなあ……まず、この街がどういうところなのか調べないとだね。神浜って、さやかは聞いた事ある?」
「うーん……魔女が強い街とか言ってたから、もしあたし達の世界にもあったなら、マミさんなら知ってたかなあ……」
「それだ!」
「え?」
「マミさん! この世界に、元の世界での知り合いがいないか、探してみようよ。まずは、見滝原があるかどうか」
「なるほどね。んじゃあ、まあ、行きますか!」
「さっきの子に聞ければ早かったんだけどねー。まあ、結界内じゃそうゆっくりお喋りって訳にもいかないし、共闘を断られた以上、仕方ないか」
「レナって言ってたっけ……なんだか、いけ好かない奴だったなあ……」
「でも聞いた事にはちゃんと答えてくれたし、悪い子ではないんじゃない? それにほら、魔法少女だし」
「これだから、魔法少女オタクさんは……」
「いや、違うって! ちゃんと論理的な話。魔法少女って事は、何かしら強い願いがあった訳じゃん? それに、希望と絶望の相転移のために魔法少女にしているって目的考えれば、あの子だってそれに見合う希望を抱いていて、絶望の可能性を残した純粋さも持ってるって訳じゃない? 根っからスレてるような子だったら、まず魔法少女になれないって!」
「加奈……あんた、自分も魔法少女なのに言ってて照れくさくならない?」
加奈とさやかは鏡屋敷を後にする。
――神浜市。多くの謎を内包するこの街で、もう一つの物語が始まろうとしていた。
2017/10/14