「夕紀、夕紀! また新たにトムを好きって子が分かったよ! 別のクラスの子でね、皆の前で言ったんだって!」
家へ帰ると、待ってましたとばかりに忠行が玄関までやってきた。
トム――トム・リドル。
「――ふぅん。『私は彼を好きなの! 誰も邪魔しないで!』みたいな?」
「うん、まさにそんな感じだったらしいよ。凄ぇよな」
「そうだね。
……ねぇ、忠行。学校で何か、変わった事とか無い?」
私が言うと、忠行はきょとんとして首を傾げる。
「変わった事? 別に、何も無いけど……何か気になる事でもあるの?」
「ううん。別にそういう事じゃないの」
私は慌てて首を振った。
あれから、リドルは何も仕掛けてこない。
一体、何が目的で私達に近付いているのだろう。一体、何が目的でこの世界に来たのだろう。
No.3
『時空管理人、佐藤有紗。君達の母親だろう?』
『確かに、私達のお母さんだけど……如何して知っているの? 『時空管理人』って何?』
『……聞いていないのか』
『何を?』
『知らないのなら、用は無い』
それだけ言って、リドルは「姿くらまし」してしまった。
目の前で消えられりゃ、もう信じるしかないよな……。そもそも、雰囲気からして違和感あるし不自然だし怪しかったけど。
あの後……もう十月になろうとしているけれど、リドルは二度と来なかった。
私に接触してくる気配は無い。でも、相変わらず忠行の話には度々登場していて、忠行には近付いたままだという事が分かる。
一体、何が目的なの?
まさか、私が忠行の学校へ行く訳にはいかないし。それどころか今は、文化祭の準備で忙しい。今日も、帰るのは六時過ぎてから。バスケ部とか野球部とかと変わりない。
「今日も遅くなっちゃったね〜」
駅へと歩きながら、千尋が空を見上げて言った。西の空に、僅かに赤みが残っているだけ。
「本当。文化祭が終われば、また早いだろうけどー」
「夕紀は忠行君が心配だよね」
「うん、まぁ……」
それはもう!
リドルが何か仕掛けてくるんじゃないかって、気が気じゃない!!
だって、忠行ってばリドルの本性知らないから、全く警戒してないもの。体の良い人質じゃない……。
「それにしても、すっごいよね! あの衣装!! まさか、あんなに本格的だとは思わなかったわ……」
「衣装?」
「何言ってんの! 夕紀、見なかったの!? 衣装係が浴衣、今日で完成したんだよ。ほんと、手作りだとは思えない出来なんだから!」
「本当!? うわぁ、見たかった〜。どんなのだった?」
私達のクラスは、茶店を開く。だから、浴衣はその衣装。なんか、全員揃える為に態々作ったりまでして。
序でに、うちの学校は男女別クラス。共学クラスもあるけれど、それは一学年につき一クラスだけ。だから、うちのクラスに男子はいない。
「んーとね。ピンクの可愛い系」
「え゛」
「冗談だって! うちのクラスってゴツイ子とか背の高い子とか多いから、紺色の大人っぽいのだったよ」
私は、あんまり少女趣味な物は苦手だったりする。別に、少女漫画とかは好きだけどね。少女趣味って、似合う人限られてるしさ。私は似合わない人に分類されるから。
「意外と似合うもんなんだね」
「……」
文化祭当日。体育館で開会式を終え、開店。
うちの学校は外部にも開放している。
私は最初、店で働く。始まって、数十分。まあまあ人が来始めた頃。客の中に、擬似優等生な笑顔をした黒髪サラサラの欧米っぽい男性がいた。
注文を取りに行ったら、いきなりそう言われた。
「ご注文は?」
「気づいてない訳じゃないよね。僕の言葉をさらりと流すとはいい度胸だよ、まったく」
コノ人、怖イヨ!
某CM風に、心の中で叫んでみる。
私は更にスルーする勇気もなく、かと言って確認するのも恐ろしく、黙り込む。
目の前に座る人物は、相変わらずにこにこ。そんなにも質問して欲しいの……? 外見年齢が幼くなっていた事で、精神年齢も幼くなったのかなぁ。
「ふ〜ぅん? 随分と失礼な事を考えているようだね、君は」
これ以上黙っているのは、それはそれで恐ろしい。
「――リドル?」
「そ。久しぶりだね、夕紀」
キャーっ。あのリドルに下の名前で呼ばれた――――――っ。
……って、前なら黄色い悲鳴を上げてはしゃいでいたところだけど。
嫌です。怖いです。
「なんで、その姿?」
貴方は忠行と同じくらいかそれより下に見えるトコまで若返っちゃいませんでしたか。それが何故、大人に? 否、外国人は日本人より大人っぽく見えるから、本人が言っていた十八なのかもしれない。
「簡単な事さ。『老け薬』を使ってね」
「そんなの持ってんなら、なんで小学校行ってるのよ」
思わず、間髪入れず突っ込んでしまった。
リドルはにっこりと笑う。
「そんなの、君たちに近づく為に決まっているじゃないか。老け薬があるとは言っても毎日飲めるほどは無いから、その姿のままあの坊主の方に近付いたんだ。新しく作ろうにも、調合の材料や道具は無いからね」
あぁ、そうか……。
「夕紀ー!」
「あ。千尋」
叫びながら、千尋が突進して来た。
そして、私達の所まで来てピタリと立ち止まる。
「誰? 知り合い? 彼氏?」
「断じて違う」
私ゃ、そこまで無謀じゃありませんよ……。
リドルはその擬似優等生な笑顔を千尋に向ける。
「千尋さんって言うの? 僕はヴェルノ・サトウ。よろしくね」
何!? ヴェルノって! リドルの正体を知っている私は、「ヴェル」という文字から「ヴォルデモート」を連想する。
「ああ! 誰かに似てると思ったら――若しかして、トム君の親戚?」
「うん。従兄弟だよ」
嘘付けー。千尋もなんで気づかないの? って言うかさ、如何して他に気づく人がいないのよ? 私や千尋みたいに末期な人は校内じゃそうそういなくても、それでも多少ハリポタを憶えてれば気づくよね? まるっきりリドルじゃない!
店は少し混んできた。
「えーと。ご注文は?」
「夕紀」
「――――――!!?」
何を言ってるんですか、この人!!?
「冗談だよ。お茶と海苔巻きの団子一つね」
楽しんでる! 絶対こいつ、楽しんでる!! 言っとくけど、その顔じゃなかったら思いっきり引くからね!!
「でも、仕事終わったら、一緒に回ろうね」
「……私、千尋と約束してるから」
「いいよ、私は。他の子と回るから! 貴方達の邪魔なんて、とんでも〜」
「――だそうだよ」
「……」
ほんと、如何して千尋は気づかないの……。泣きたい。
「……」
結局私は、リドルに捕まってしまった。
如何すれば逃げ切れるだろう……。
「まさか、逃げようなんて考えてないよね?」
「滅相モアリマセン……」
カタコト?
気のせいさ。
「あの子は家に一人なのかい?」
「忠行? うん。連れてくる訳にもいかないからね。多分、どっか遊びに行ってんじゃない」
「ふぅん。夕紀は、部活での出し物は?」
「無し。帰宅部みたいなもんだから」
それから、取りあえず食事をしようという事になり、他のクラスの店に入った。
視線が痛い。
そりゃあ、リドル目立つよねぇ……。外国人だし、カッコイイし。
「あれって、3組の佐藤さんじゃない? 付き合ってるのかな」
「凄い! カッコイイ〜。外国人っぽくない?」
「誰だろー。あの男の人〜」
ヒソヒソと周りで囁かれている。
あぁ、視線が突き刺さるー……。
翌日も、リドルはやってきた。
休み明け、質問攻めにあった事は言うまでも無い。
「ねぇ。今日、佐藤君家に行ってもいいかい?」
十月の二週目の金曜日。突然、トムが言った。
「いいよ! 今日は夕紀、早いからいるらしいけど。それでもいいんなら」
「僕は別に構わないよ。彼女がいいのなら。じゃあ、今日、帰りに直接行くよ」
「彼女がいいのなら」か……。
気づいているんだ。
夕紀の様子がおかしい。
運動会の日からずっとだ。学校で何か変なことはなかったか、とかいきなり聞いてくるし……。特に、トムの話になると殊更警戒する。
一体如何して? トムを連れて行って、大丈夫……だよな?
トムがうちに来るのは、これで二回目になる。でも、俺はトムの家に行った事は無い。考えてみれば、放課後に遊ぶのも二回目だ。
俺は未だに、トムの何も知らない。
「ねぇ、トムの家って何処なの?」
「何だい、唐突に」
「だってさ、考えてみたら俺、トムの事何一つ知らないんだよね。家族とか、前、何処の学校に行ってたのか、住所とか」
「……それを言うなら、僕だって君の親の事は知らない。おあいこだよ。以前行ってた学校はイギリスの学校としか言えないね。住所は、この学校の最寄り駅から下りで二駅の所の傍だよ」
そっか。学校名を言われたとしても、分かる筈がないもんな。
でも……何だろう。
なんで、って聞かれたらやっぱり「何となく」としか言えないけれど。トムって何か、何かを隠してるっぽいんだよなぁ……。
少し空いた空白で、僅かにトムの眉が顰められたのも気になる。それに、何かが皆とは違うしさ。イギリス人だから? 年齢の割りに大人っぽいから?
「ただいまー!」
「お邪魔します」
え。
忠行に続いて聞こえてきた声に、私は固まった。
なんで。この声はまさか……。
居間に、二人の男の子が入ってきた。
忠行と。
――トム・リドル。
「こんにちは。夕紀さん」
「……」
何をしに来たのだろう。その笑顔の裏は、私なんかには分からない。リドルはにこにこと笑顔を崩さない。
私は強張る顔を何とか笑顔にし、「こんにちは」と返した。気まずい沈黙が流れる。
忠行がリドルの手を引っ張った。
「じゃあ、俺達、部屋で遊んでるから! ゲームしてもいいよね?」
「……どうぞ」
「へっへーん! トム、弱ぇなぁ〜」
「そりゃあ、今日、初めてやるからね」
うぉっ!!? 気のせいか? なんか、トムの笑顔に恐怖を感じた……。
「じゃあさ、今度はハンデ付けてやろうぜ。コンピュータのレベル、トムは6な。俺は3のままにするから」
トムの仲間のレベルを上げ、俺は自分の仲間を変える。レベルはそのまま。
選んだところで、扉がノックされ、開いた。夕紀だ。扉の所から、手招きしている。
「忠行、ちょっと」
「トム、ちょっと待ってて」
俺はコントローラーを置くと、部屋を出た。
夕紀に引っ張られ、部屋から少し離れる。
「何? どうしたの?」
「私、これから夕食の買出しに行ってくるんだけど……」
「行ってくればいいじゃん」
「忠行も行く?」
「は?」
突然何だ?
「もちろん、リ……トム君もいいからさ」
「行かない。今、ゲームしてるから」
「でも、ほら、二人だけになっちゃうし」
何なんだ、一体? 今まで別に、誰か俺の友達が来ていても普通に出かけていたのに。
「行かないよ。一体、如何したの? 夕紀、何か変だよ」
「別に……」
「兎に角、俺達は行かない。家でゲームやってるから」
そう言って、俺は部屋に戻った。
何か、変に過保護だよな。
家にいるのに、何が子供だけだと危険だって言うんだ? トムが危険だとでも言うのか?
……トムが、危険。
若しかしたら、夕紀はそう思っているのかもしれない。
五時過ぎ、トムは帰っていった。俺達で送るって言ったけど、断ってさっさと帰ってしまった。
「さて、と……じゃあ、私、買い物に行くから」
「え? 行ってなかったの?」
俺は目を丸くして、マイバッグだとかを準備している夕紀を振り返る。
……如何して。
「夕紀さ……トムの事、警戒してるの?」
俺の言葉に、夕紀はばっと振り返った。
ああ、やっぱり。そしてきっと、トムもその事に気づいている。だから、俺が送るって言ったのを断ったんだ。
「如何して? トムが何をしたって言うんだよ」
「別に、まだ私達には何もしてないけどね……」
「『まだ』って何だよ! これから何かしてくるだろう、って言うみたいにさ! なんでそんな風に言うんだよ!!?」
確かに俺は、トムの事を殆ど知らない。トムも話そうとしない。
でも、いいじゃないか。トムの言うとおりだ。俺だって、親の事は分からないし、その話は避けたりはぐらかしたりしている。誰だって、秘密の二つや三つはあると思う。それを、トムだったら警戒するってのか?
偏見だ。
「夕紀がトムを如何思ってても別に仕方ないかもしれないけどさ、でも、それを俺に押し付けるなよ!」
「忠行は何も知らないからだよ。あいつが前の学校で何をしていたか、知らないでしょ?」
「……夕紀は、知ってるって言うの?」
「全てじゃないけど。でも、そういった事からして、警戒しといた方が――」
「おかしいよ、そんなの!!」
俺は、外に聞こえるとか気にしてなんかいなかった。
ただ、許せなくて。
「全てじゃないんだろう? 全てじゃないなら、如何してその一面で判断するの!? 何があったか知らないけどさ、その事で警戒するって事は、それなりに良くない話なんだろ? でも、そればかりって訳じゃないだろう? 如何してそれなのに、警戒するんだよ? おかしいよ!」
言うだけ言って、俺は部屋へと駆け戻った。夕紀にこれ以上何か言われて、混乱したくなかった。気持ちを静めて、ちゃんと考えなくちゃいけない。
少しして、夕紀が出て行って玄関の鍵がかかる音が聞こえた。
一体、トムの前の学校で何があったのだろう? 如何して、それを夕紀が知っているのだろう?
それはいくら考えても分からない。
大体、トムもトムだよ。如何して、その警戒を解いてもらおうとしないんだろう。このままじゃ、お互いに気まずいってのに。
「……」
俺はベッドから体を起こし、机の棚に立ててあるノートの一ページをちぎる。
もう、俺が動くしかないよね。二人がちゃんと話し合わないと。
如何しよう……。
忠行のいう事は、尤もだ。でも。
リドルは学生時代に、人を殺害している。忠行が思っているような比じゃない。
忠行に言おうか。でも、今のままならリドルは忠行に何もしていない。リドルの目的は計り知れないけれど、リドルの正体を知っている私が彼に都合悪くなると、「邪魔者」として排除されるだろう。忠行は知らないから、例え何かしらリドルに抗っても、そこまで「邪魔者」にはなりえない。
あーっ、もー! 普通じゃなくても、平和な日常は一体何処へ行ったのよ……。
私は溜め息を吐き、扉に鍵を差し込んだ。
……開いている。
「忠行っ!!?」
靴を勢い良く脱ぎ散らかして、私は家に駆け込んだ。
食卓に、ちぎり取られたノートが置いてあった。そこには、忠行の字で。
『酷いよ、夕紀』
たった、一言。
そう、書いてあった。
2006/12/13