本日、NEWT試験が終了した。
試験は、魔法試験局から来た試験管の魔法使いが見る。昨日行われた、七年生の変身術。その試験の監督の中に、栗井家と深い繋がりを持つ人物がいたのだ。
連絡はその日の内に日本まで届いた。
七年前に行方知れずとなった、栗井家の一人娘。彼女がイギリスにいる。イギリスの魔法学校、ホグワーツに通っている。男子生徒のふりをして。
レイは、とうとう見つかってしまったのだ。男装し、名前を偽っても、あの家から逃げ切る事は出来なかった。
「この学校の入学名簿は、一体どうなっているのですか」
レイの父は冷ややかな口調で言い放つ。
「それとも、先生方も反抗期の一人の少女に、加担したというのですか?」
レイは、肩身の狭い思いで両親の間に座っていた。正面に座る寮監のダンブルドアは、穏やかな表情でレイの父の話を聞いている。
レイはダンブルドアと目を合わせる事が出来なかった。
父の言う通りなのだ。この件は、ダンブルドアの協力を得ている。
家を飛び出したレイは、隣町の魔法専門店へ向かった。だが、そこから何処へ飛べば逃げられるのか分からない。思い当たる行き先は何処も、既に手が回されているであろう場所だった。
その時、他の客がこちらで言う煙突飛行粉を手にした。レイは後に続いた。口にした場所の名は、先の客が向かったのと同じ地。それが、三本の箒だった。
レイは直ぐにそのパブを離れた。レイが使用した店は、直ぐに調べが来るだろう。そして、そこから何処へ飛んだかも間も無く分かる筈だ。また、別の煙突から別の場所へ移動せねば。
村を歩き回り、見つけたのはホッグズ・ヘッドというパブだった。
ここの煙突は煙突飛行ネットワークに組み込まれているか尋ねようと、レイは奥のカウンターへ真っ直ぐと歩いていった。
店内の客は、この暑い季節にマントを目深に被った魔法使いばかり。そんな中を、清楚なワンピースを着た小さな女の子が歩いてくる。バーテンは汚い布巾でグラスを拭きながら、胡散臭そうにレイを見つめていた。
カウンターの前まで歩いてきた時、レイはふと窓の外を見た。胸騒ぎがしたのだ。予感は的中した。焦げ茶色のローブを着た者達が、道をこちらへと歩いてきている。
レイはじりじりと後ずさりする。外は明るく、室内は暗い。彼らは、こちらに気づいていない。だが、時間の問題だ。奴らの一人が、店の前へ来た。
レイがカウンターの裏側に飛び込んだのと、ホッグズ・ヘッドの扉が開いたのが、同時だった。
「私は、栗井家に仕える者です。こちらに、栗井レイという少女は来ていませんか? 青いワンピースを着た、長い黒髪の十一歳の女の子なのですが……」
レイは、カウンターの下でカタカタと震えていた。この頭上の板の向こうに、家の者がいる。見つかれば、強制送還だ。
バーテンは布巾を広げ、乾かすようにして掛ける。
「見かけていない」
レイは驚いて、バーテンを足元から見上げた。
「そうですか。では、若しも見かけましたら、こちらへ……」
「……」
机の上に、何か小さな紙製の物が置かれる音がした。
「それでは、これで」
「一つ、聞いても良いかね」
「何でしょう?」
「何故、その女の子を探しているのかい」
尋ねられた者は黙り込む。深い溜め息の音が聞こえた。
「……逃げ出したんですよ。ご丁寧に、死んだと思わせるような偽装工作までして。まったく、悪知恵の働くお嬢様です。ご主人様も相当お怒りの様子でした。あれしきの偽装工作、ご主人様や奥様が気づかぬ筈が無い」
「家出娘か。まだ十一歳なのだろう。信じて待っていれば、自ら帰ってくるんじゃないかね」
「帰って来る筈ありませんよ」
再び、大きく溜め息の音がする。
「お嬢様は、昨日紹介された許婚に大層ご不満のようでしたからね。恐らく、それが原因でしょう。
まったく、一体何様のつもりなんだか。何もかも勝手に決められるのは嫌だと、暴れたらしいが……自分がどれほど恵まれているか分かっていない。皆、欲しい物を我慢せねばならない生活をしていると言うのに。
……それじゃあ、見かけたらお願いしますよ」
そう言って、彼は店の外へと出て行った。
レイは、恐る恐るカウンターの下から顔を出す。
「家に帰るつもりなら、一つ忠告しよう」
バーテンは、また別の汚れた布巾を手に取りながら独り言のように言った。
「君の家は、人選を見直した方がいい。彼のようなお喋りは、使用人には向いていない」
「帰るつもりなんてありません」
レイは、黙々とグラスを拭くバーテンを見上げる。
「ここの煙突、煙突飛行ネットワークに組み込まれていますか?」
「煙突飛行粉はやめた方がいい。今使用すれば、また足が付く。飛んだ先へ、また彼らは追ってくるだろうよ」
彼はグラスを置き、引き出しから何やら取り出す。
レイに投げ渡されたのは、二〇四という札の付いた部屋の鍵だった。
「その部屋で待ってなさい。今日中に、私の知り合いが行く。金があるなら、今後もその部屋を利用してもいい」
レイは目を瞬かせ、鍵とバーテンを交互に見る。
そして、ぺこりとお辞儀した。
「ありがとうございます! 恩に着ます」
そして、その日の夕方、バーテンの知り合いはやって来た。
それが、ホグワーツ魔法魔術学校変身術教師、並びにグリフィンドール寮監、アルバス・ダンブルドアだったのだ。
「先生『方』と仰るならば、私はそれを否定します」
ダンブルドアは穏やかな口調で言った。
「この件は、私が独断で手を貸したのですから」
「ダンブルドア先生!」
ダンブルドアは、黙っていなさいというようにレイを見る。
レイの父は、憎々しげにダンブルドアを睨めつける。
「ダンブルドア先生。貴方、ご自分が何をしたのか分かって――」
「ごめんなさい、ダンブルドア先生。私は貴方を騙していました」
レイは、静かな口調で父親の言葉を遮る。
「私、孤児でも何でもないんです。名前も家も、はっきりと分かっています」
レイは毅然とした態度で立ち上がる。
「申し送れました。私の名前は栗井レイ。日本の魔法使いの旧家、栗井家を継ぐ一人娘です。
この度は、イギリス屈指の魔法学校、ホグワーツで学問を学ぶべく、単身イギリスへと参りました」
「レイ。一体――」
咎めるように口を挟む父を、レイは引き寄せ小声で話す。
「良いのですか? 栗井家ともあろう者が、七年も娘の行方探しに手を煩わせていたなんてイギリスまで知れて。
ダンブルドア先生には、確かに入学の際に手をお借りしました。しかし、私が栗井家を家出した身だという事は、一切話していません。
私は一人、イギリスへ留学していた。しかし、許婚の方や交流のある家々の手前、正月や盆さえ顔を見せずに異国へ行っているなどと、公にしにくい。その為、今まで行方不明として扱っていた。
そのようにした方が、世間体もよろしいのではありませんか?」
「試験も終わったんだ。荷物を纏めねばならんから今日とは言わんが、明日の朝にも日本へ帰ってきてもらうぞ」
「当然です」
話はまとまった。
父は、ダンブルドアににこやかな愛想笑いを向ける。
「失礼しました。少々、こちらで手違いがあったようで。
まあ、そういう訳です。長い間、レイがお世話になりました」
突然豹変した父の態度に、母は目を丸くしている。
「何をしている。お前も頭を下げんか」
父に言われ、母も慌ててダンブルドアに頭を下げた。
「……レイが、お世話になりました」
頭を下げながら、母は横目でレイをじっと見つめていた。
「待ちなさい、レイ」
両親の後に続き部屋を出ようとするレイを、ダンブルドアが呼び止めた。レイは、ゆっくりとダンブルドアの方へと歩いていく。
ダンブルドアは少し前屈みになり、声を低くして言った。
「私を庇おうとせんでも良い。このままでは、君が全責任を問われる事になるだろう――」
「構わないんです、先生」
レイは愛想笑いを浮かべる。
「父は、自分の娘にそこまで酷い仕打ちはしません。世間の目もありますから。
ですが、先生のような他人が相手となると、容赦ありません。先生にはとても好くして頂きました。感謝しています。これ以上、ご迷惑をおかけする訳にはいきません。
今まで、お世話になりました。
恐らく、寄る事も出来ないでしょうから、ホッグズ・ヘッドのバーテンの方にもよろしく言っといてください。結局、彼の名前を聞く事は無かった……。彼に会えなければ、私のこの七年はありませんでした」
レイは深々とお辞儀をすると、背を向け、部屋を出て行った。
今日中に、荷物を纏める事。明日の朝、一番の列車で家へ帰る事。間に合う時間に、遣いの者が学校の校門まで迎えに来る。
父はそれだけ言うと、踵を返し玄関ホールを立ち去る。母は、その場に留まっていた。
「レイ。ダンブルドア先生にお礼は言いましたか?」
レイはぎくりとして母を見る。七年前には見上げなければならなかった母も、今では同じくらいの身長だった。
母は淡々とした口調で続ける。
「貴女も、随分と誤魔化すのが上手くなったものね。
この七年間、好き勝手してきたのですから、今後はそうはいきませんよ」
「……はい、分かっています」
母は、父の去った後を追い、大扉を出て行って見えなくなった。
レイは、両親が去ったのと反対方向へ行こうと振り返る。
そこには、リドルがいた。レイは、気まずさに視線を逸らす。先ほどの図書館での出来事が瞼の裏に蘇る。
父は、皆のいる前でレイが女だと言ってしまった。静まり返った館内。父は、有無を言わせずレイの腕を引き、その場を立ち去る。親子連れ立って図書館から退室し、扉を閉めた途端、まるで爆発でも起こったかのような騒ぎが背後から聞こえた。
リドルには、自分の口で話すつもりだったのに。リドルは、一体どう思っただろう。
「……驚いた?」
レイは自分の爪先を見つめたまま、恐る恐る尋ねた。
「別に」
リドルの呆気無い返答に、レイは思わず顔を上げる。
リドルは呆れ顔で言った。
「君が女だって事なら、とっくに気がついていたよ」
「気づいてたの!? 嘘!? いつから? どうして?」
「随分前から。それこそ、知り合って間もない頃からかな。君、座る際にスカートの裾を押さえるような仕草をする癖があるんだよ。気づいてるかい?」
レイはふるふると首を振る。
「ローブは足の先まであって、そんなに気になる事は無いだろう? だから、やっぱりスカートの癖なんだって気がついた。その他にも、どうも男とは思えないような言動もあったしね。五年生になっても声変わりしそうにも無かったから、それで確信したよ」
「それで……気づいたんだ……」
「そもそも、他の誰にも気づかれないなんて、不思議に思わなかったのかい? 君の性別を疑う人は、僕意外にもいたよ。そういう人は本人に聞きにくいのか、それともいまいち確信を持てないのか、まず僕に尋ねてくるからね。それで、誤魔化しておいた。鋭い人の場合は、僕が片っ端から消してたんだよ」
「け、消し……!?」
「記憶の事だよ。当然だろう」
レイは、ホッと胸を撫で下ろす。リドルならば、人一人本当に消しかねない。
リドルの口から溜め息が漏れる。続いて出たリドルの言葉は、失望したかのような口調だった。
「……僕はこの七年、レイの口から話してくれるのをずっと待っていたのに」
気まずい空気が流れる。
レイは目を泳がせながら言った。
「私だって……ずっと、言わなきゃって思って……」
「思ってても、結局言わなかっただろう。ずっと隠し通そうとしてた。そんなに僕が信用できなかったかい?」
「……」
「僕は、レイだけは信頼を置いていたんだよ。レイも、僕を信じているだろうと思っていた。違ったんだね」
「……何、それ」
レイは、キッとリドルを睨みつける。
何故、自分ばかりが言われなければならない。理不尽だ。
リドルは、レイだけは信用していた? その言葉は矛盾している。
「嘘だよ。リドルだって……リドルだって、私に隠してる事なんか沢山あるでしょ。私にだけは信頼を置いていた? それじゃあ聞くけどさ。
五年生の時、リドル、あの蜘蛛について握ってる情報、少しでも私に教えてくれた? 私がどんなに心配してても、何か調べようとしてても、止めるばかりだったよね。危険だ、って。
その癖、自分は一人で事件を解決しちゃって。気がつけば、犯人は学校を追放され、リドルは特別功労賞を授与していた。関わるのは危険だって言ったのは、リドルだよ? 私よりリドルの方が危険な立場じゃないの? リドル、自分で混血だって言ってたじゃない。
それからその年の夏休み。私が孤児院を訪ねた時、何処に行ってたの? 随分長い時間、行方不明だったみたいだけど。その時から身に付けてるその指輪、一体何なの? 妙に執着してるみたいだし……。
それと、リドルの周りにいるスリザリン生達。彼ら、リドルの事をたまにヴォルデモートって呼ぶよね? 何なの、その名前。私が聞いても、はぐらかすばかりじゃない。
どんなに親しくても、言いたく無い事だってあるのは分かるよ。だけど、リドルは随分多過ぎない?
私だって隠し事してるから、一切余計な干渉をしようとはしなかった。だけど、隠し事をしていた事で私を責めるなら、リドルだって同じだよ」
リドルはじっとレイを見つめている。レイは決して逸らさまいと、その目を見据える。
夕食までまだ時間のある、中途半端なこの時間、玄関ホールに他に人はいない。
外では、雷も鳴り出したらしい。低いゴロゴロという音が、分厚い扉の向こうから幽かに聞こえてくる。
リドルは、一歩一歩と近付いてくる。そして、レイの目の前まで来て立ち止まった。
「レイが訪ねて来た時、僕が何処に行っていたのか、そんなに聞きたいなら教えてやろうか」
レイは僅かに眉根を寄せた。
リドルの目に、奇妙な赤い光がちらつくのが見えたのだ。恐らく、稲妻と蝋燭による光の悪戯だろう。
しかし、次の言葉を聞いてレイの表情は凍てついた。
「卑しいマグルの父親を、殺しに行っていたのさ」
今度は、はっきりと見えた。リドルの目に、赤い光が漂っている。
レイは身動き一つ出来ず、ただ目の前のリドルを凝視していた。
「彼の名は、トム・リドルと言った。ヴォルデモートって言うのは、僕が考えた名前さ。卑しいマグルの父親と同じ名前なんて、ご免だからね。
五年生の時、秘密の部屋を開いたのは僕だ。追放されたのはハグリッドだった。あんな奴に、偉大なるスリザリンが巧妙に隠した部屋が見つけられると思うかい? 答えは否だ。誰か気づいても良いようなものなのに。
この指輪は、スリザリンの物だ。即ち、この僕の物。
僕が、真の『スリザリンの継承者』だ」
リドルは、愉しげに微笑を浮かべていた。
2007/12/27