――何だ……偽者じゃないか、馬鹿馬鹿しい……。
 漏れ出る溜息は呆れからか、それとも安堵の為か。
 彼は指輪を木箱に戻すと、立ち上がった。部屋いっぱいに置かれた段ボール箱や箪笥の間を擦り抜け、部屋を出る。
 隣の部屋の扉を、そっと押し開く。カーテンの隙間から月明かりが差し込み、床を青く照らしていた。康穂はぐっすりと眠っている。
 彼はそっと机の上に木箱を置くと、部屋を出て行った。
 偽者にしたって、何故これが贈られたのかが不可解だ。何故、これのレプリカが存在する。若しかしたら、帰る為の手掛かりになるかも知れない。
 彼は、最早寝室扱いとなっている居間へと向かう。朝になったら、図書館へ行こう。





No.3





「図書館?」
 康穂は尋ね返す。両親は、買い物に出掛けている。
 今日も遅い朝を迎え、朝食とも昼食ともつかない食事をとっている時だった。居候の彼は、図書館に行くつもりだと話した。
 平然と会話をしながらも、心の中ではガッツポーズをしていた。彼が来てからと言うもの、一切パソコンに触れていなかった。彼は余程暇らしく、テレビを見るのも、散歩に行くのも、康穂について来る。そんな中では、同人サイトを巡る事が出来なかったのだ。彼が出掛けるのならば、その間は存分にパソコンを使う事が出来る。録画したまま溜まっているアニメを見る事も出来る。
 康穂は、にこやかに言った。
「そう。いってらっしゃい。帰るのは何時頃になりそう? 夕食の準備があるから――」
「何を言ってるんだい?」
「へ?」
「君も行くんだよ。僕を案内してくれないと」
 当然だろうとでも言うように、彼は肩を竦める。
 残念ながら、今日もパソコンは使えないらしい。クリスマスには、多くのサイトが更新したであろうに……。
 康穂は重い溜息を吐く。
「手段無いなら、昨日の内にでも言ってくれれば良かったのに。そしたら、お母さん達の車に一緒に乗って行けたじゃない」
「君には自転車があるだろう?」
「自転車より、車の方が早いに決まってるでしょ。自転車だと、一時間は掛かるよ」
「本当に不便だね。別に、明日になっても構わないよ」
「明日は月曜でしょ。お父さんもお母さんも仕事だよ。
大体、何でまた突然。街に行けば図書館もあるけど、あんまり面白い小説とかは無いよ?」
「小説は別にいいよ」
 彼は、食べ終わった食器を重ねる。康穂も、空になった椀を彼の椀に重ねた。
「暇潰しじゃないの? じゃあ、どうして」
「ちょっと――調べ物をね」
 そう言う彼の表情は口元に笑みを湛えた不敵の笑みで、相変わらずその心情を窺い知る事は出来ないものだった。
 調べ物ならば、パソコンを使った方が早いのに。
 そう言い掛けて、康穂は留まった。デスクトップの画像を思い出したのだ。
 二人共食事を終え、立ち上がる。その時、玄関の開く音がした。
「後藤さーん」
 それは、近所の夫人の声だった。康穂は返事をし、彼を振り返る。
「悪いけどそれ、洗っといてくれる? 私も後から手伝うから」
 不服そうな彼をその場に残し、玄関へと急ぎ足で向かう。
「あら、康穂ちゃん。やっぱり、お母さんは出掛けてるのかしら。車が無かったから、そうじゃないかと思ったのよね」
「はい。夕方頃には帰るかと――」
「それじゃ、一先ず康穂ちゃんにもお願いしとくわ。明日から、うち旅行でね。郵便物と水遣りをお願いしたいんだけど」
「いいですよ〜。今年は早いんですね」
「ええ。年末年始は、旅館が取れなくてね。夕方、またお母さんにも頼みに来るわ。
康穂ちゃんは、もう冬休みかしら。やっぱり、宿題は多い?」
「んー、まあ……」
「その割には、やってる所見ないね」
 声に振り返ると、彼が後ろに立っていた。
「食器洗っといてって頼んだでしょ」
「え?」
 康穂のひそひそ声に、夫人は怪訝気な顔をする。
「あ、いえ、別に……」
 咄嗟に取り繕って誤魔化す。
「声に出さなくても、こっちで読み取れるよ」
 突然の彼の発言に、康穂は思わず振り向く。声を出し掛け口を噤み、心の中で呼びかけてみた。
 ――そんな事出来るの?
「あまり頻繁にやってやるつもりは無いけどね」
 きちんと返事が返って来て、康穂は驚く。ふと好きな海外小説が頭を過ぎったが、深くは考えなかった。





 風を切って自転車は坂を下って行く。自転車を傾け、カーブを曲る。通りかかる人も、車も無い。次の上り坂に向けて、強くペダルを漕ぐ。
 自転車には、康穂と彼の二人が乗っていた。
 男女での二人乗り。まるで少女漫画のようなシチュエーションだが、漕いでいるのは康穂だ。彼は、自転車に乗った事が無いそうだ。そうで無かったとしても、康穂が後ろに座っていたら、端から見れば勝手にペダルが回っていると言う奇怪な状況になってしまう。
 カーブで自転車を傾ける度に、腹に回された手に僅かに力が入る。
「……出来れば、あまりくっつかないで欲しいんだけど」
「どうしてだい?」
「暑苦しいから……」
「ふーん……冬なのに?」
「みっ、耳元で囁かないでよ! あんた、態とやってるでしょ!?」
「当然じゃないか」
「サイッテー!」
 恥ずかしいのを誤魔化すように、態と大きな声で話す。
 坂を上ると、本家の犬が激しく吠えて来た。あっと言う間に通り過ぎ、国道に入る。
「……あんた、やっぱり幽霊じゃないの?」
「違うよ」
「あんたはそう言うけど、自分で死んだ事に気づいて無いって事もあるんじゃない? 怪談とかだと、そう言うの多いし」
「君は霊感があるのかい?」
「いや、多分無いけど……でも、おばあちゃんは子供の頃よく見たって言ってるし、波長が合ったとかって事も無くは無いのかなって……」
「会話して、食べて、眠る幽霊なんて、いるのかい?」
「いるんじゃないかな……」
 疑いを持ったものの、いざ本人に切り返されると自信が無くなって行く。
「でも、だったらあんたは一体何なの? 何で私にしか見えないの? 人が考えてる事を読み取るような能力も、持ってるみたいだし……」
「話した所で、君達みたいなカチコチな奴らには解らないよ。どうして皆に見えないのかなんて、僕自身が知りたいぐらいだしね」
 尋ねたところで、今までに話した以上に教えてくれる気は無いようだ。
 康穂は溜息を吐き、話題を変える。
「それじゃ、どうしてこの辺に来たの? 街中の方が、もっと色々と便利でしょ」
「たまたまだよ。僕はちょうど、この道を上って来たんだ」
「国道? だったら余計に、街の方へ行けば良かったじゃない」
「どちらに行けば街なのかなんて、判らなかったんだよ。辺りも真っ暗だったしね」
 康穂は首を捻る。彼の話し方は、どうにも妙だ。
「森から抜けて、この道に出たんだ。それで上って、君の言う『本家』の辺りに着いた」
「森? 山からって事?」
 どう考えても、おかしな話だった。
 何故突然、山に現れる? 何処かから連れられて来たと言う事だろうか。何故? 自分は、何かとんでもない事件に巻き込まれているのではないだろうか。
「気がつくと、何処かの屋根の下にいてね……。変な赤い門のある家だった。――ああ、ほら。ちょうどあんな形だったよ」
 右手の木々が途切れ、彼は前方を指差した。道は大きく曲り、数分後には左側になるだろう位置だ。少し上の方に、赤い鳥居が見えている。
「鳥居? 神社から来たって事? 何それ、ますますお化けか何かみたい……」
「違うって言ってるだろう」
 言いながら、彼は手を引っ込める。
 その時康穂は、彼の右手に黒い石の指輪がある事に気がついた。一瞬、言葉を失う。
 その指輪は、康穂がクリスマスプレゼントとして両親に強請った物とよく似ていた。金のリングに、黒い石。石に書かれた独特の印。レプリカを強請るほど好きなのだ。見間違う筈が無い。
 けれども、今朝康穂の机の上に置かれていたそれよりも、ずっと黒光りしていて、ずっと禍々しく見えるのは気のせいだろうか。
 ――いや、まさか……。こいつのも、同じレプリカでしょ? ハリポタ好きだから付けてるってだけだよ、うん。
 角度のあるカーブを曲り、彼の掴む腕に力が入る。意識してみると、指輪の感触がある事が分かった。
 ゴーントの指輪。容姿端麗な黒髪の青年。イギリス人。自信に満ちた態度。相手の思考を読み取る力。要素は全て、揃っている。
 でも、まさか。あり得ない。
 そうだ。逆に、似通っているからこそ、指輪を身に付けているのかも知れない。それ程にも、コアなファンなのかも知れない。
「どうしたんだい? 急に黙り込んだね」
「だっ、だから耳元で囁くなって言ってるでしょ!?」
 疑惑は抱けども、直接聞いて確かめる気にはなれなかった。
 あまりにも非現実的過ぎる考えだ。若しも違えば、どんなに痛々しい目で見られる事か。
 ふと、康穂は昨日の会話を思い出し話しかける。
「――そう言えばさ、私も、今年もサンタさん来てた」
「ふうん」
「あんたも、来たって言ってたよね? タロの事じゃ無かったんでしょ? 何か貰ったの?」
 若しかしたら、同じように指輪は贈られた物かも知れない。そう思って、聞いてみた。
 しかし彼から返って来たのは、やはり小馬鹿にしたような言葉だった。
「……君には、ずっと理解出来ないままなんだろうね」
 大げさに哀れむように、彼は言った。
 膨れっ面になる康穂と、涼しい顔をした彼の二人を乗せて、自転車は麓町へと坂を下って行く。


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2009/12/27