「あー……。やっぱりこりゃあ、使い物にならんなぁ……」
 古出神社にある、綿流しの為の仏具やらテントやらがしまわれた倉庫。
 そこで、一人の男性が肩を落として言った。
 共にいる老人が、倉庫の中にある木材を手に取る。大切に使われてきた物だったが、恐らく寿命と言う物だろう。湿り、色が変色していた。
「これじゃあ、仕方無い。新しいのを買いに行った方が良いですね。買出しに行かせられる人はいますか」
「うちの孫娘でも行かせます。まだ小さくて大した手伝いが出来とらんのだから、それぐらいはさせんと。
あの子が綿流しの準備を手伝えるのも、今年で最後になるかも知れませんしね……」
 呟く岡藤の背後では、蝉が忙しなく鳴き続けていた。





No.3





 店が立ち並ぶ通りで自転車を止め、沙穂は額の汗を拭う。
 立ち並ぶ店々は、都会に比べればどれも小さい。けれど、雛見沢に比べれば街中である。
 沙穂は、キュロットスカートのポケットから、一枚の紙切れを取り出す。縦に細い、やや行書に崩した字は、沙穂の祖父の物だ。そこには、櫓を組むのに使う木材の種類と、それらを売っている店への地図が書かれている。地図を描いている細い線と字は、祖母の物だろうか。
 沙穂はゆっくりと自転車を漕いで行く。地図からすると、二つ目の角を過ぎた右手に、店はある筈だ。
 やがて、祖父が書いた店の名が書かれた看板を見つけた。沙穂はガードレール沿いに自転車を止め、店へと入る。
「いらっしゃい。ご入用は?」
 店内にいた男性が、元気な声で沙穂に問う。その大きな声に、沙穂は足が竦んでしまう。
「あの……えっと……」
 沙穂は慌ててポケットから先程のメモを出す。慌て過ぎて、取り落としてしまう。店員は、にこにこと沙穂を眺めている。
 沙穂はかぁーっと赤くなる。態々目の前に立たなくても良いのに。何か他の作業をしながら、何処か他所を向いて聞いてくれれば良いのに。
 顔を上げる事が出来ず、手にしたメモを凝視しながら、木材の種類と個数を読み上げる。店員は、「あいよっ」と威勢良く返事をし、奥へと消えて行った。
 店員の姿が見えなくなり、沙穂はふーっと息を吐く。何故、祖父は態々沙穂を遣したのだろう。沙穂が初めての人と話すのが苦手な事ぐらい、祖父も知っているだろうに。
 奥から出て来た店員は、複数の木材を抱えていた。
「ご両親と一緒なのかな? 帰りは車?」
「えっ、あ、私だけです。自転車で……」
「そっかぁ……。お譲ちゃん一人で持ち帰るには、結構量があるよ。あともう一枚、大きなのがあるしね。
どうする?」
「えっと、土台の補強用だけ持ち帰ります。他は、小此木さんが車で受け取りに来ます」
 覚えさせられた言葉を、そのまま言う。
「ああ、雛見沢の綿流し準備だね」
 店員は納得したように頷き、奥のカウンターへ抱えた木材を持って行った。そこで選別しながら、値段を告げる。
 沙穂は今度は封筒を取り出した。中に入ったお札を、カウンターの上に載せる。釣り銭を受け取り、封筒にしまう。
 店員は数本の木材と紐を持ち、カウンター奥から出てきた。
「自転車に括りつけてあげるよ。長くてバランスが難しくなるだろうから、気をつけてね」
 沙穂はこくんと頷く。
 そして、何気無く通りを眺めていた。雛見沢よりは街中と言っても、車通りは殆ど無い。地方の商店街のような、静かな通りだ。
 ぼんやりと通りを眺めていた沙穂の目が、丸く見開かれた。沙穂は息を呑み、車道の向こう側を凝視する。そこには、懐かしい人物がいた。
 沙穂はふらりと車道へ躍り出る。左右の確認などする余裕は無い。幸い、車は来ていなかった。
 そのまま車道の向こう側へと渡り、その女性が入って行った店をガラス越しに覗く。
 店は喫茶店だった。女性は、真っ直ぐにカウンター席へと向かう。
 沙穂はぎゅっと拳を握り締める。震える手で、そっと窓ガラスを叩く。中の者達が気づく様子は無い。
「……お母さん」
 ぽつりと呟く。大きな声で呼ぶ勇気は出なかった。
 彼女は、沙穂を捨てて出て行った。その彼女が、果たして沙穂の呼びかけに答えてくれるのだろうか。
 不意に肩に手が置かれ、沙穂はパッと振り返った。そこに立つのは、木材店の者。
「どうしたんだい? 気がついたらいなくなってるから、ビックリしたよ。荷物は付け終わったよ」
「あ、ありがとうございます……」
 沙穂は下を向いたまま小さな声で言い、店員の横をすり抜けて行く。
 思いがけず見かけた母に、声を掛ける事は出来なかった。
 ――そもそも、声を掛けて自分はどうしたいと言うのか。
 自分を捨てた母を追うつもりなど、毛頭無い。祖父母の家は肩身が狭いが、学校に行けば魅音達がいる。綿流し準備だって梨花と一緒だし、綿流し当日に行う毎年恒例の部活は楽しい。今の生活を、捨てたくは無い。

 道路を渡り、自転車に乗る。漕ぎ出したペダルは、荷物があるからか往路よりも重く固い。
 表通りを抜け、住宅街に入り、マンションの前を通り掛かった時だった。
 見知った人物を見つけ、沙穂はペダルを漕ぐ足を止めた。ブレーキを掛け、地面に足を着く。
 マンションから出てきた人物は、ブレーキ音に気がついたように振り返った。
「魅音、こんな所でどうしたんだ?」
 白いノースリーブに黒のロングスカート。髪を下ろしている為雰囲気が違うが、沙穂の良く知る園崎魅音に間違い無いだろう。
 魅音は何故か、慌てた表情をしている。
 沙穂はきょとんとしながらも、魅音の手にある物に目を留めた。それは、ゴミ袋だった。そして、直ぐ側にはゴミ収集所。
 沙穂は、今し方魅音が出て来た建物を見上げる。
「……ここに住んでるのか?」
「あはは。今、ちょっと、ばっちゃと喧嘩中で……」
「家出という事か?」
 沙穂は目を丸くする。
 魅音は苦笑した。
「んー……まあ、そんなトコ」
「流石、御三家ともなると喧嘩の規模も大きいな……この家も、親戚の伝手だろう?」
「ま、ね」
 言って、魅音はパンと手を合わせる。
「まあ、そんな訳だからさ。ここに住んでるって事、誰にも話さないで欲しいんだ。世話になってる叔父さんの事も、ばっちゃは怒るだろうし……」
「ああ、分かった。魅音のお婆ちゃん、おっかないもんな」
 そう言って沙穂は笑う。魅音も笑っていた。
「沙穂は、いつもながらの日曜大工?」
 沙穂の自転車の籠に固定された木材に目を向け、魅音は尋ねる。
 沙穂は首を振った。
「綿流しのだ。櫓を組む材料が、幾つか腐っていて」
「ふぅん……」
「それじゃあ、私は急がなきゃいけないから……。
学校には、いつも通り登校して来るよな?」
「あ、うん。まあ……」
 曖昧に頷きながら、彼女は手を振る。
 沙穂は自転車を漕ぎ出し、ひらひらと手を振りながら去って行った。後に残された彼女は、去って行く沙穂の背をじっと見つめていた。
 やがて沙穂の姿が角を曲がって消え、ぽつりと呟く。
「岡藤沙穂……オヤシロ様に嫌われた娘、かぁ……」





 古出神社の石段の下で、沙穂は自転車を停めた。
 自転車を降り、上着の袖で汗を拭う。辺りの木々からは、蝉が引っ切り無しに鳴く声が聞こえている。
 それから自転車の籠に木材を括り付けている紐を解こうとしたが、これがなかなか解けない。固く結んでくれたお陰でここまで問題無く来られたが、少々沙穂の力には固すぎるようだ。
 暫く悪戦苦闘していると、ふと頭上に影が差した。沙穂が振り返ると、そこには首からカメラを提げた眼鏡の青年がいた。
「あ、富竹さん……こんにちは」
 沙穂は、おずおずと挨拶をする。富竹とは、決して初対面という訳では無い。けれど道端で会った時はいつも一緒にいる魅音やレナが言葉を交わしているのを見るだけで、沙穂一人で彼と話した事は無かった。
「久しぶりだね。
この紐が解けないのかい?」
 沙穂はこくんと頷く。
「どれどれ……」
 どうやら解いてくれるらしい。沙穂は身を引き、結び目を指差す。
 沙穂が悪戦苦闘した紐は、あっと言う間に解かれた。
 沙穂は籠から木材を取り、それを抱えてぺこりとお辞儀する。
「ありがとうございます」
「いやいや、これぐらい。沙穂ちゃんも、綿流しの準備を手伝っているのかい?」
「はい……。富竹さんは、今年も撮影ですか?」
「うん。綿流しにも行こうと思っているよ」
「お待たせ、ジロウさん」
 割って入った声に、沙穂はギョッとする。
 やって来たのは、鷹野三四だった。どうやら、富竹と待ち合わせをしていたらしい。三四は雛見沢で唯一の病院――入江診療所の看護婦だが、沙穂はどうにも彼女が苦手だった。
「こんにちは、沙穂ちゃん」
「こんにちは……」
「やあねぇ、そんなに怯えないでよ」
 そう言って、三四はクスクスと笑う。
「沙穂ちゃんは、綿流しの準備のお手伝い?」
「あ、はい……」
 三四はまだクスクスと笑っている。一体何が、そんなに面白おかしいのだろうか。
 ふと、沙穂は昨夜の祖母の言葉を思い出した。
「あの、富竹さん」
「ん? 何だい?」
「えっと……昨日、富竹さんがスーツで診療所に行くのを、うちのお婆ちゃんが見たそうなんですけど……」
「え? あっはは。見られていたのかぁ」
「私の迎えに来ていたのよ」
 三四が口を挟んだ。
「昨日は、ちょっと街中まで一緒に出かける事になっていたの。まさか、いつものこんな格好で行くわけにはいかないでしょう?」
「『こんな』って、酷いなぁ……」
 そう言って、富竹は苦笑する。
 沙穂は戸惑いながらも、愛想笑いを零した。
「富竹さんが来ると、何だかそろそろ綿流しなんだなって実感が沸きます」
「そうね……」
 三四は、沙穂の言葉に頷く。
 そして、呟くように言った。
「今年は誰が死んで、誰が消えるのかしら……」
「え……?」
 沙穂は表情を強張らせる。
 唐突な「死」と言う言葉。昨年、一昨年の事件が思い起こされる。
 沙穂の疑問符の意味を取り違えたのか、三四は驚いたように言った。
「あら……知らない? この村に伝わる、『オヤシロ様の祟り』の事」
「話は聞いた事あります……」
 村の老人達は語る。毎年、綿流しの日に罰当たり者に制裁が与えられると。
 昔あった、ダム戦争。その際に古出神社の神主は、ダムの建設に反対運動をせず、穏健派だった。そして、一昨年綿流しの日に亡くなった。妻は入水自殺をしたそうだ。
 昨年殺されたのは、ダム建設賛成派の妹。そして、その甥は転校してしまった。転校、と沙穂達は言っているが、はっきりと言えば行方不明だ。
 どちらも、綿流しの日に起こっている。けれど、偶然と言えば偶然とも言える。
 三四は、楽しそうに言った。
「沙穂ちゃんは、ダム抗争の話は知ってる?」
 沙穂はこくりと頷く。
「それじゃあ、ダム建設現場の監督が殺されたって話は?」
「え……」
 初耳だった。
 ダム戦争については、祖父母や魅音から話を聞いていた。けれど、どうしてこんな小さな村が国に勝てたのかは、聞いた事が無かった。おおよそ、園崎家を筆頭とする御三家が圧力を掛けたのだろう。そう、勝手に解釈していた。
 関係者が殺害されたなど、聞いた事が無い。あの抗争には、祖父母や魅音が関わっていたのだ。それでは、まさか――
「聞いた事が無いのね。原因は仲間割れだそうよ。酒の勢いもあって、普段から人柄の悪かった彼は、仕事仲間に殺された。犯人達は逮捕されたけれど、主犯の一人が未だ行方不明よ。
翌年は、ダム建設賛成派の夫婦が崖から転落死。妻の方の死体は、まだ見つかっていない。
そして三年目に、ダム建設で温厚派で中立を保っていた古出神社の神主が、毒殺された。そして妻の方は行方不明……」
「嘘……でも、私は……自殺したって聞いて……」
「そう言われているわね。遺書もあった。けれど、彼女が入ったのは、ほら、あるでしょう? 底無し沼。あそこに入ったそうよ」
「……」
 沙穂は青い顔をして俯いた。
「それで……去年は、悟史と叔母ですね……」
「ええ。その事件も、叔母は死に、悟史君は行方不明」
 ――え? ちょっと待て……。
 沙穂は、今聞いた一連の事件を頭の中で整理する。ダム建設監督の死亡、主犯の失踪。ダム建設賛成派夫婦の死亡、ただし妻の遺体は未発見。ダム建設穏健派の死亡、妻の遺体未確認。沙都子の叔母の死亡、悟史の失踪。
「一人が死に、一人が消えているのよ。ダム抗争から四年間、毎年ね……」
 沙穂の胸中を見透かしたかのように、三四が言う。
「よ、四年間も……? 二年間だけじゃ無かった……?」
 沙穂が知るのは、三年目と四年目だけだったのだ。実際には、沙穂が知る以外にも事件は起きていた。
「嘘だ……だって、そんな偶然四件も連続するなんて……」
「ええ。偶然とは考えにくいわよね……。だから、村の人々は言っているのよ。――これはオヤシロ様の祟りだ、って」
 沙穂はぎゅっと拳を握る。
 頬を伝う汗は暑さの為か、それとも。

「みぃ〜。沙穂、見つけたのですよ」
 ふと、頭上の方から声がした。
 振り返って見れば、梨花が石段を降りて来ていた。下まで降りてきて、梨花は富竹と三四にぺこりとお辞儀する。
「鷹野も富竹も、こんにちはなのです」
「こんにちは、梨花ちゃん。そっか、今年は梨花ちゃんも準備委員なんだね。
良かったね、沙穂ちゃん」
 沙穂は小さく頷いた。
 沙穂は、どうにも人々の中に打ち解けるのが苦手だった。相手が大人達となれば、尚更である。毎年写真を撮りに古手神社にも度々顔を覗かせる富竹は、よく知っているのだろう。
 二人に軽く挨拶し、梨花は沙穂に声を掛ける。
「なかなか帰ってこないから、皆心配しているのですよ」
「あ、ああ……今、行く……。
富竹さん、紐、ありがとうございました」
 再度お礼を言い、沙穂は梨花の後について石段を駆け上がって行く。
 一人が死に、一人が消える……。
 沙穂は、三四の言葉を胸中で反芻する。沙穂が知る二件の前にも、怪死事件はあった。四件もの事件を「偶然」で片付けるなんて、無理のある話だ。
 ――オヤシロ様の祟り、って訳か……?
 どの被害者も、オヤシロ様の怒りを買う理由があった。
『いるよ。――――――オヤシロ様』
 レナの言葉が蘇る。オヤシロ様は実在するのだろうか。連続怪死事件は、オヤシロ様の祟りなのだろうか。そして――
 沙穂は石段を登りきった所で立ち止まり、振り返る。石段の下には、もう富竹と三四の姿は無かった。村に広がる田園風景。緑に包まれた、長閑な村。
 ――今年の綿流しは、誰が死に、誰が消えるのだろうか……。


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2009/06/21