小川沿いの道は、見滝原中学生の通学路となっている。前方に見知った三人組を見つけ、かりんは駆け寄った。
「おはよう」
「あ、かりんさん。おはようございます! マミさんも、おはようございます!」
元気よく挨拶するさやかに、まどかと仁美も続く。マミは穏やかな笑顔で返した。
「ええ、おはよう」
立ち止まったまどか、さやか、仁美に、マミも後からゆっくりと歩み寄る。
『志筑さんはもう、大丈夫そう?』
『はい。昨日の事は、集団夢遊病って事になってるみたいで』
「巴さんと由井さんも、昨日はすみません。何だか、皆さんをお騒がせしてしまったみたいで……」
申し訳無さそうに言う仁美に、かりんは微笑う。
「ううん。志筑さんが元気そうで、安心したよ。身体の方は、もう大丈夫なの?」
「はい。ただ、今日も午後には検査とか色々あるのですけれども」
「そう。何とも無いといいわね。
学校まで、ご一緒しても?」
「もちろんです! いいよね、まどか? 仁美?」
「はい! 一緒に行きましょう!」
「ええ。大勢の方が楽しいですものね」
クラスメイトの話。教師や授業の話。可愛いお店の話。他愛も無い話をしながら歩く学校までの道は、あっと言う間だった。
『さやかちゃん、今日の放課後は空いてる?』
別れ際、かりんはさやかにテレパシーで問いかけた。
さやかは少し、困り顔になる。
『あ……えっと、少し遅い時間でもいいですか? 放課後直ぐは、ちょっと……寄りたい所があって……』
『例の、幼馴染の彼の所ね』
言葉を濁すさやかに、間髪入れずかりんは問い返す。さやかは、気まずげに苦笑した。
『えっと……まあ……』
『いいよ、行って来て。それじゃあ、夕方六時に公園に集合ね。自分が何のためにこれから戦うのか、しっかり向き合っておいで』
『……はい! ありがとうございます!』
「さやかさん?」
その場から動こうとしないさやかを、仁美が怪訝そうに振り返った。
「どうしましたの? 由井さんとじっと見詰め合って……まさか、今度は由井さんとなんですの!? さやかさんは、まどかさんとそう言う仲だと思っていましたのに……! 恋の三角関係ですのね……!?」
「し、志筑さん? 何言って……」
「あはは……気にしないでください。いつもの事なんで」
「そ、そう……」
「ふふ、志筑さんって面白いのね」
マミはくすくすと笑っていた。特に、気にしてはない様子だ。
……それもそうだ。女の子同士をカップル扱いするなど、普通なら冗談でしかあり得ない。だから、かりんは冗談めかして言うのだ。
「志筑さん、それ、勘違い。私にはマミちゃんがいるんだから」
「あらあら、かりんったら」
「あはは……かりんさんまで、さやかちゃんみたいな事……」
「ちょっと、まどか? それどう言う意味?」
明るい笑い声を響かせながら、三人は二年生の教室の方へと去って行った。
その背中を見送って、マミはかりんへと視線を移す。
「そろそろ、私達も行きましょうか」
「うん。……あ」
足を踏み出しかけ、かりんは動きを止める。マミも気付き、昇降口の方を見やった。
校舎へと入って来たのは、暁美ほむら。冷め切った双眸が、佇む二人を捉える。マミが一歩、進み出た。
「二人から聞いたわよ、昨日の事。キュゥべえに続き、今度はかりん?」
ほむらはぴたりと、足を止める。
「言ったはずよ。昨日――」
「かりんとキュゥべえを信用するな、って話? 生憎だけど、二人は私の友達なの。大切な友達と、それを傷付けるあなた。どちらを信用するか、解りきった事でしょう?」
そんな話をしていたのか。しかし、無駄な事。ほむらがどんなに余計な事を吹き込もうとしたところで、そこに信用など何も無い。
ほむらは何も答えず、かりん達の横をすり抜けて行った。
『残念だったね』
ほむらはちらりと振り返ったが、そのまま歩き続ける。
「行きましょう、かりん」
頷き、マミと共に教室へと向かう。歩きながら、かりんはほむらのみに話し続けた。
『あなたが気に掛けていたまどかちゃん……彼女も、もうあなたの事なんて信用していない。当然だよね。あんなところを見てしまえば』
『それが何? ちょうど良かったわ。元々、あまり馴れ合う気は無かったから』
強がりか、本心か。厳しい境遇に立たされたはずなのに、ほむらに動揺は見られない。彼女は一体、何を企んでいるのか。どうしてかりんやキュゥべえの目的を知っているのか。
ほむらの声は何の感情の起伏も無く落ち着いていて、その考えるところは掴みようが無かった。
電灯の光を受け、水飛沫がキラキラと光る。夕闇の中フットライトに彩られる噴水は、幻想的な光景だった。
かりんは、腕時計に目をやる。長身は、もう半回転して六の位置を指そうとしていた。
「遅いわねぇ、美樹さん……」
最初は、幼馴染の彼と話が弾んだり、親に外出を止められたりでもしているのかと思った。何しろ、魔法少女の使命として魔女退治に出掛けるなんて、普通の人には説明出来ない。
しかし、今、さやかの所にはキュゥべえが付いているはず。抜けられないなら抜けられないで、キュゥべえが連絡にでも来るはずだ。最初はのほほんと待っていた二人の胸中にも、次第に不安が渦巻き始めていた。
「何かあったのかしら。ここへ来る途中に魔女の結界があっただとか……」
「……可能性は高いね。それならなおの事、先に私達を呼んで欲しいところだけど。とりあえず、さやかちゃんの家の方へ向かってみよう。もしかしたら、途中で会えるかも知れないし。確か、マンション群の方だって言ってたよね?」
「ええ。私も、詳しく住所までは分からないけど……」
公園を出て、高層マンションの見える方へと歩いて行く。橙がかった灯りに照らされた橋の両端は、闇に沈もうとしている。隣を歩くマミが、ぽつりと呟いた。
「美樹さんの事……かりんは、どう思う?」
かりんは目を瞬く。マミは、浮かない顔をしていた。
「私、自分があんな事に遭って……この仕事がどんなに危険なものか、改めて実感したの。二人ともあまり乗り気じゃなかった上に、あんな怖い目に合わせてしまって……もう、絶対に契約なんてしないだろうと思っていたわ。なのに、美樹さん……」
「私達には、どうこう言えないよ。さやかちゃん本人が決めた事なんだから」
「それは……そう、なんだけど……」
マミは俯く。そして、ぽつりと言った。
「かりん……私ね、鹿目さんが魔法少女になるって言ってくれた時……凄く、嬉しかったの」
「うん……分かるよ」
「魔法少女って、辛くて、大変な事もいっぱいあって、いつも命がけで……それを分かっていたのに、鹿目さんも仲間になってくれるんだって喜んじゃった。最低よね、私。自分と同じ不幸に陥る人が増えるのに、喜ぶなんて……いっ!?」
びよん、とかりんはマミの頬を軽くつねっていた。
「もう! マミちゃん、自分ばっかり悪く考え過ぎ!」
かりんの手が離れ、マミは少し涙目でつねられた部分に手を当てる。かりんの手が、その手に重なった。
「まどかちゃんが魔法少女になるって聞いて嬉しかったのなんて、マミちゃんだけじゃない。私だって、喜んでた。はしゃいでた。
確かに、魔法少女って大変だよ。でも、それだけじゃないって私は知ってる。
作戦が成功したら嬉しいし、達成感だってあるし、人を助けられれば充実感だってある。マミちゃんと一緒に戦えて、私は魔法少女になって良かったって思ってる。楽しいと思う事だってあるよ。――マミちゃんは、違うの?」
「かりん……」
「仲間を歓迎する気持ちを悪いだなんて、私は思わないよ。確かに、魔法少女になったからにはさやかちゃんも命の危険に曝される事になる……でも、だからって直ぐ死んじゃう訳じゃない。だって、私にマミちゃんが、マミちゃんに私が今までいたように、さやかちゃんにも私達がいるじゃない」
二重の瞳が、ぱちくりと瞬かれる。そして、ふっとマミは微笑った。
「そうね……そうだよね。私達が、美樹さんをしっかりサポートしていけばいいのよね。
ありがとう、かりん。あなたがいて、本当に良かった……」
ありがとう。それは、かりんの言葉だ。
マミがいなければ、かりんはここにはいない。マミがいなければ、かりんは全てを失い空っぽだった。
マミがいてくれたから、かりんは希望を抱いて生きる事が出来る。マミのために、かりんは生きているのだ。
さやかの自宅があるであろう辺りまで半分ほど行った所で、それは起きた。日は西へと傾き、路地は影による闇か陽による赤の二色。
ぶつかり合う魔力の気配。強い殺気。
マミとかりんは顔を見合わせる。魔女の気配ではない。これは――
「こっちの方だわ!」
マミは変身し、駆け出す。かりんも同じく紺色のソウルジェムをかざして変身し、後に続いた。
近付くごとに、強まる気配。やがて、音も聞こえ出した。激しくぶつかり合う金属音。合間に、ジャラリ……と言う鎖のような音が聞こえた気がして、かりんは目を見開く。
――まさか。
角を曲がった先に見えたのは、三人と一匹の影。赤い鎖状の結界の向こうで、赤と青がぶつかり合う。
かりんは眼を見開き、さやかと戦う少女を見つめていた。
「かりん!」
「あ……ああ、うん!」
ハッと我に返り、かりんは頷く。新人のさやかに、彼女の相手は厳しい。もっと言ってしまえば、無茶だ。案の定さやかは剣を弾かれ、ピンチに陥っていた。
「終わりだよ!」
落下の勢いを乗せて突き立てられた槍を受けたのは、三日月型に湾曲する銀の刃だった。
瞬間移動したばかりのかりんは、足を踏ん張り衝撃に耐える。彼女の目が驚いたように見開かれる。拮抗するのも束の間、放たれた弾丸に彼女は飛び退いた。
「お久しぶりね、佐倉さん。うちの新人に、随分な挨拶じゃない?」
「遅くなってごめんね、さやかちゃん。もう大丈夫だよ」
座り込むさやかに、かりんは手を差し伸べる。
杏子は、苦々しげな視線を向けていた。
「……あんた、まだマミの傍にいるんだ」
「私とマミちゃんは、元々親友なの。そこに入って来ていたのは、杏子ちゃん。あなたでしょう?」
「ハッ……『親友』ねぇ……。その様子じゃ、まだ本性はマミにばれてない訳だ?」
「かりんに変な言いがかりを付けるのはやめてって、前にも言ったはずよ。
かりんの次は、美樹さん? 一体、どう言うつもり?」
杏子はムッとしてマミを見やる。
「あたしはただ、そこのひよっこが使い魔を狩ろうとしていたから、止めただけさ。口で言っても、解らないみたいなんでね。あんたら、使い魔はグリーフシードを落とさないって事も教えてないわけ?」
「それぐらい、聞いてる! でも、使い魔だって人を襲うんだから、倒さなきゃいけないのは一緒でしょう!!」
叫んだのは、さやかだった。杏子の苛立ちが倍増するのが、傍目にも分かった。
「……うぜぇ。超うぜぇ」
「美樹さんの言うとおりだわ。私達は、使い魔だって野放しにしたりしない。それが、私達のやり方よ」
「まだ戦い足りないって言うなら、今度は私達が相手になるけど?」
かりんは、鎌を軽く構えてみせる。マミも、動きがあれば応戦する構えだ。杏子はやや怯んだ。
「ひ……卑怯だぞ! 二対一なんて……」
「魔法少女になったばかりの新人に急襲を掛けるのは、卑怯じゃないのかな?」
「それに、私達はチームよ。仲間の一人が襲われたとなれば、皆で反撃するのは当然の事」
杏子は、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「クソ……分が悪いな……。今日のところは、降りさせてもらうよ」
そう言うなり、杏子は強く地を蹴り左右に迫る壁や非常階段を足掛かりに、建物の屋上の方へと去って行った。
「さやかちゃん! 大丈夫!?」
本人が去ると共に柵も消え、まどかが駆け寄って来る。さやかは軽くガッツポーズして見せる。
「うん、この通り元気、元気。
かりんさんも、マミさんも、ありがとうございます。何なんですか、あいつ!? マミさん達、知り合いなんですか?」
「……あの子、私達の事何か言ってた?」
一瞬、マミの瞳に憂いの色が浮かぶ。さやかはきょとんとして、首を振った。
「いえ。ただ、さっき『久しぶり』って言っていたから……かりんさんとも、何かあったみたいな口ぶりでしたし」
「佐倉杏子。君達と同じ、魔法少女さ」
答えたのは、キュゥべえだった。マミが、少し眉を吊り上げて彼を見下ろす。
「もう。キュゥべえも一緒にいたなら、私達に知らせてくれれば良かったのに」
「ごめんごめん。まどかを残すわけにもいかなかったからね」
「あ……」
名前を出され、まどかは俯く。
構わず、キュゥべえは続けた。
「杏子もまた、以前はマミ達と一緒にこの町で戦っていたんだ。そうだよね?」
「ええ。……でも彼女、色々あって。最初は凄く素直で良い子だったの。でも、段々反抗的になって……最後には、かりんにまで難癖を付けるようになってしまって……グリーフシードを落とさない使い魔は狩らないなんて言い出して、私達に縄張り争いを仕掛けて来て……」
「……結果、杏子ちゃんが去った」
かりんが、後を継いで言った。
「それが、どうして今更……」
「さあ……私達に見せ付けたい事でもあるんじゃないかしら」
「元々は、マミさん達と仲が良かったんですよね。じゃあ……」
取り成すように口を挟んだのは、まどかだった。マミは首を振る。
「昔の話よ、鹿目さん。今となっては、彼女も他のグリーフシード目当ての魔法少女と同じ。今、見たでしょう? 彼女は意見の合わない魔法少女にも、手加減しない。それこそ、暁美さんのような――」
「――噂をすれば影が立つってね」
かりんは呟き、振り返った。陽が落ち、闇に沈んだ一角に向かって大声で呼ばわる。
「いつもいつも、こそこそと後を尾行け回してどう言うつもり? 暁美ほむらさん」
闇の中から、紫と白の服を着た少女が現れる。さやかは咄嗟に剣を握り、マミはさやかの前に腕をやって一歩、前に出た。まどかは、ぎゅっとキュゥべえを抱き締める。
「私がここへ来たのは、あなた達と同じ。無駄な争いをする馬鹿を止めに来ただけ」
「何だと!?」
身を乗り出したさやかを宥めるように、ぽんとかりんは彼女の肩に手を置く。
「佐倉さんは去ったわ。もうこの場に、争う人なんていない。あなたを除いて、ね」
マミも、かりんも、各々の武器を構える。
しかしほむらは、手を両脇に下げたまま無表情で佇んでいた。
「私は、あなた達と戦いに来たわけじゃない。美樹さやかはともかく、巴マミと由井かりん――あなた達と佐倉杏子の問題には、首を突っ込む気なんてない。
ただ一つ――この後、あなた達はこのまま魔女退治を続ける気?」
「どう言う意味さ?」
さやかの刺々しい問いに、ほむらは腕を上げる。思わず三人は構えたが、彼女はただ真っ直ぐに人差し指を伸ばしただけだった。
その指し示す先は――まどか。
「鹿目まどか。どうしてあなたがこの場にいるの? 忠告したはずよ。あなたは、関わるべきではないと」
「うぅ……」
「それは……っ!」
「そうね……その点については、暁美さんの言うとおりだわ」
反論しようとしたさやかの言葉を遮り、マミはまどかを振り返った。
魔法少女になる事を拒否したまどか。自分自身が命を落としかけたあの日、もう魔女退治に一般人は同行させないと、マミは宣言していた。
「鹿目さん、あなたは一緒に来るべきじゃないわ」
「でも私……! さやかちゃんが心配で……!」
ぽん、とかりんはまどかの両肩に手を置く。
「大丈夫。さやかちゃんの事は、私達に任せて。ね? ……これは、魔法少女の仕事だから」
まどかは息を呑む。魔法少女の仕事。そこには、魔法少女でない者が介入する余地など無い。
まどかはしょんぼりと頭を垂れ、こくんと頷いた。
「キュゥべえ。鹿目さんを送ってあげてくれる? 今度は、何かあったら私達を呼ぶのよ」
「分かったよ、マミ。行こう、まどか」
まどかとキュゥべえがその場を立ち去る。
続けてそちらへ去ろうとしたほむらの眼前を、威嚇の弾が通り過ぎて行った。
「この場であなたを解放して、鹿目さんに危害を加えられるわけにはいかないわ。分かるでしょう?」
「それなら、どうするつもり?」
「美樹さんが逃した使い魔……今ならまだ、そう遠くへは行っていないはずだわ。それとも、グリーフシードを落とさない使い魔とは戦いたくない?」
ほむらは答えず、背を向ける。
かりんが瞬間移動をし、鎌をほむらの首筋に当てた。
「言ったでしょ。あなたを解放する気は無い、って」
ほむらは、涼しい視線をかりんへと向ける。
そして、彼女の姿が消えた。
「え……っ」
「き、消えた!?」
さやかが素っ頓狂な声を上げる。
路地をどんなに見回しても、もうそこに暁美ほむらの姿は無かった。マミは顎下に手をやり、考え込む。
「彼女は、かりんと同じ移動の魔法の使い手だったと言う事……?」
かりんは何も言わず、ただ暗闇を見据えていた。
2012/10/06