弥生が並盛中学に転校して来てから一ヶ月。なんとか、自分のクラスと週一度以上ある移動教室は迷わず行けるようになった。
 相変わらず綱吉の周辺はトラブルメーカーで、騒ぎが多い。その日も、彼の弟なのか牛柄の服を着た幼児が授業中にやって来て、教室前で漏らして泣き喚いていた。
 この一ヶ月。彼らと関われば碌な事が無いと学んだ。五月蝿いばかりだ。
 放課後、弥生が帰ろうとすると携帯電話にメールが入って来た。弥生がアドレスを交換しているのは二人だけ。雲雀と草壁だ。急いで着信を確認すると、それは雲雀からのメールだった。彼から初のメールである。
 わくわくとメールを開く。短い内容だった。
『赤ん坊が弥生を呼んでる。中庭へ行って。』
「……?」





No.4





 学校のフェンスの内側を二周。三年校舎も含め、校舎の一階を三周。校庭に出る事二回。校舎裏に出る事四回。体育館前に出る事二回。二回目には、他校の生徒に流れて校外に出てしまいそうになった。それからまた、弥生は校舎内を歩き回っていた。
 ――中庭って何処。
 赤ん坊が呼んでいると言う事は、雲雀自身はいないのだろう。赤ん坊では、例えいたとしても小さくて目印には適さない。若しかしたら、何度か通り過ぎている可能性もあった。
 弥生に一体何の用があると言うのか。雲雀からの頼みとあれば、勝手に諦めて帰る訳にはいかない。
 渡り廊下を歩いていると、外から爆音が聞こえた。
 嫌な予感が弥生の胸中を過ぎる。
 続いて聞こえてきたのは、クラスメイトの怒鳴る声。
「やっぱてめー、死んでこい!!」
「ぐぴゃあっ」
 窓の外を見れば、獄寺が小さな子供の首を絞めていた。子供は授業中にやって来た、牛柄の服を着たあの子だ。
 綱吉と山本が慌てて二人を引き離す。
 ――まさか、またあいつら……?
 そのまさかだった。
 綱吉の足元に、例のスーツを着た赤ん坊はいた。
 弥生は溜息を吐き、窓の外を見回す。出入り口は、渡り廊下の終わりにあった。
 弥生がその扉から中庭に出ると、どういう状況なのか牛柄服の子供が弥生の方へと吹っ飛んできた。ちょうど正面だったのでキャッチするが、予想外の勢いに二、三歩後ろへよろめく。
 子供の顔から、白いボールが落ちる。どうやら、このボールが顔面に当たって飛ばされたらしい。
 直ぐ後に、山本が駆け寄って来た。
「わ、わりい! 野球の動作に入ると、つい加減が出来なくてな。
 弥生も大丈夫か?」
「私は平気だけど……」
 牛柄服の子供は、大声で泣き喚いていた。ボールの当たった顔は赤く腫れ上がっている。
 子供だと思うとぞんざいにも出来ず、弥生はその子を腕に抱えたまま困り果てる。
「弥生ちゃん、ランボも平気なの?」
 綱吉だ。弥生は首を傾げる。
「らんぼ?」
「そいつ、ランボって言うんだ。うちで預かってる子供で……」
 弟ではなかったらしい。弥生は未だ泣いている子供を見下ろす。
「別に、こんな小さい子供に男も女も無いよ」
「待ってたぞ、弥生」
 そう言ったのは、スーツを着た赤ん坊だった。
「雲雀経由なら、絶対来るだろうと思ったからな」
「んなー!? リボーンが弥生ちゃん呼んだの!? 弥生ちゃんにも保育係押し付ける気かよ!? 第一、弥生ちゃんはファミリーじゃないだろ!」
「雲雀の妹だ。関係者には変わりないだろ」
 綱吉に言って、赤ん坊は弥生に向き直る。
「ちゃおっス。俺はリボーン。ツナの家庭教師だぞ」
「ふーん。強いんだってね。お兄ちゃんから聞いてる」
 名前こそ知らなかったが、雲雀のトンファーを軽々と止めた赤ん坊。そう、話に聞いていた。
「それで、沢田の家庭教師が私に何の用?」
「今、ランボの保育係を決めてるところなんだ。適性テストをやってるんだぞ」
「だから、リボーン!!」
 綱吉は必死に止めようとする。リボーンは平然としていた。
「案外、適性があるかもしれねーぞ。男性恐怖症でも、ランボみたいなチビなら大丈夫みたいだしな」
「待ってください、リボーンさん!」
 今度は綱吉ではなく、獄寺だった。
「まさか、この暴力女に十代目の右腕になるチャンスを与える訳じゃないですよね!?」
「悪いけど」
 リボーンが獄寺に返答する前に、弥生は言った。未だ泣き続けるランボをそっと地面に下ろす。
「私、こんな子供の世話をするつもりなんて無いよ。別に子供好きって訳でもないし。沢田なんかの右腕になりたいとも思わないしね」
「『なんか』とは何だ、この暴力女!」
 獄寺がガンを飛ばす一方、綱吉はホッと息を吐く。
 立ち去ろうとした弥生の背中に、リボーンの言葉がかかった。
「弥生の場合は、保育係になったら雲雀が風紀委員会に入れてくれるらしいぞ」
 ぴたっと弥生の足が止まる。
「んなー! 何、適当な事言ってんだよ!!」
「適当じゃないぞ。俺が戦ってやるって言ったら、あいつオーケーしたからな」
「で、でもそんな事で弥生ちゃんが乗る訳……」
 弥生はくるりと振り返る。
「適性テストってどうするの」
「乗って来たー!?」
 リボーンはランボを指差す。
「ルールは簡単だ。あいつを笑わせたら合格だぞ」
 弥生はランボに目を向ける。まだ泣き止んでいなかった。
 弥生はランボの前にしゃがみ込む。……どうして良いか判らない。

「弥生ちゃん、風紀委員入りたいんだ……」
「あいつの兄ちゃんが委員長だもんなー」
「ただのブラコンじゃねーか。体育祭でも、敵グループのアニキ応援してたしよ」
 獄寺らの会話は無視だ。兎に角今は、何とかしてこの子供を笑わせなくてはならない。
 じっと見ていても始まらない。とりあえず、話しかけてみる。
「……ランボって言うんだっけ。私、雲雀弥生」
「弥生……?」
 ランボは顔を上げる。涙と鼻水で、顔がぐちゃぐちゃだ。
 弥生はこくんと頷いた。
 ランボはうわああっと大声で泣きながら、弥生に縋ろうとしてきた。思わず、弥生は身を引く。
「鼻水付けないでよ」
 弥生の目つきに、ランボはびくっと固まった。そしてその場で、また泣き続ける。
「あー……弥生ちゃん、目つき怖いから……」
「私、別に睨んでないけど」
 綱吉の方を向くと、彼はヒッと声を上げて縮こまった。
「てめぇ、十代目にガン飛ばしてんじゃねえ!」
「睨んでないって言ってるでしょ。第一、君だって人の事言えるの」
「何だと!? 俺がいつ十代目にガン飛ばしたって言うんだ!」
「まあまあ、二人とも落ち着けって。
 坊主、本当ごめんな」
 山本がいくらなだめようとも、ランボが泣き止む気配は無い。
「何やってるんですかーっ!!」
 叫んで駆け込んで来たのは、他校の制服を着た女の子だった。仁王立ちする彼女に、綱吉が「ハル!?」と声を上げる。どうやら、彼らの知り合いらしい。
 ハルは弥生に目を留める。
「はひ? ツナさんのお知り合いですか? ……ツナさんとは、どう言う関係で?」
 ハルは警戒するような口調だ。弥生は無感動に答えた。
「クラスメイト。雲雀弥生。君は――」
「三浦ハルって言います」
 そう言ったハルは、既に警戒を解いていた。少し頬を赤らめて続ける。
「うちの綱吉さんが、いつもお世話になってます」
「んなあ!? 何言ってんだよ!!」
「あれ? でも、沢田は笹が――」
「うわああああああああ!!」
 綱吉は大声を上げて遮り、そしてハルに食って掛かった。
「なんでお前がうちの学校にいるんだよ!?」
「転入か?」
「違います!」
 獄寺の問いを否定し、ハルは話す。
「新体操部の交流試合に来たんです。やっとツナさんを見付けたと思ったら、ランボちゃんを泣かしてるなんて」
 ハルはランボに優しく声を掛けながら、抱き上げる。そして、キッと綱吉を振り返った。
「こんないたいけなチャイルドを泣かして!!」
「いや……これは俺が……」
「例えツナさんでも、ランボちゃんをいじめたらハルが許しません!!」
 山本の声は、彼女の耳に届いていないようだ。
 ランボは猶も泣きながら、髪の中から大きなバズーカ砲を取り出した。きょとんとするハルや弥生の前で、ランボはバズーカを自分に向けて撃った。
 大きな爆発。
 そしてハルが抱いていた筈のランボは、いつの間にか弥生らと同じぐらいの年頃の少年と入れ替わっていた。突然の重みに耐え切れず、ハルは膝をつく。そして、彼を手放した。
 何が起こったのか解らず、弥生は目をパチクリさせる。ハルも同じようだった。
「はひー!? 誰ですかー!」
 彼は狼狽するハルに構わず、挨拶をする。
「お久しぶりです。親愛なる若きハルさん。おや、珍しい。若き弥生さんも一緒なんですね」
「誰……」
「キャアアアア!! エロ! ヘンタイ!!」
 ハルの叫び声に遮られ、少年の名を聞く事は出来なかった。少年は、ハルに叩かれた頬を押さえ目をパチクリさせる。
「胸のボタン閉めないと、ワイセツ罪でつーほーしますよ! 何か全体的にエロイ!!」
「こ、これはファッションで……」
 ショックを受けながらも、彼は消え入りそうな声で言い訳する。ハルは彼の方を向こうともしなかった。
 突然、獄寺が生き生きとした笑顔でやって来た。
「ハル、解るぞ! お前の言う事はもっともだ。
 それに何だ、この変てこな首輪は」
 言って、獄寺は少年のネックレスを掴む。
「おめーは鼻輪が似合ってるんだよ、アホ牛!」
「ええ!?」
 弥生からしてみれば、獄寺の付けているアクセサリーも似たような物だ。
 ――馬鹿馬鹿しい……。
 ランボもいなくなった事だし、適性テストは終わりだろう。フラフラと立ち去る少年の後に続き、弥生もその場を後にする。少年は、「ガ・マ・ン」と呟いていた。
「おい、お前。角落としてるぞ」
 山本に呼び止められ、少年は立ち止まり振り返る。弥生はその横を通り過ぎて行く。
 少年はすっかり沈みきった声だった。
「あ……投げてください」
「あいよ」
「あっ!」
 背後から風圧を感じ、弥生は振り返る。山本の投げた角は真っ直ぐに少年の所へ飛んで行っていた。彼の方向のコントロールは完璧だが、少年はそれに対応しきれなかったらしい。背を向けた背後で、どさっと倒れる音がした。
「わっ! わりぃ!!」
 少年はゆっくり起き上がる。ふらついていた。
「が……ま……」
 言いながら、ふらついた少年は弥生にぶつかった。
 鉄パイプが少年を叩き飛ばす。
「私の半径一メートル以内に近付かないでくれる」
「ランボ!!」
 綱吉が叫ぶ。この少年もランボと言う名前なのか。
「うわあああああ」
 大人ランボは、年甲斐も無く泣き出した。
「結局、こうなるのか……」
「やっぱ、ツナが面倒見るしかねーな」
「お前、最初からそのつもりだったろ!」
 弥生はぴくりと反応を示す。
「……沢田が風紀委員に入るの」
「入らないよ!!」
 恐ろしいとでも言うように、綱吉は首を左右にぶんぶんと振る。
 すると、保育係の特典は結果的に無効のようだ。綱吉が綱吉の右腕になる訳にもいかない。
 綱吉は泣き喚く大人ランボの肩をぽんと叩きなぐさめていた。
 弥生は呆れ返った眼差しでそちらを一瞥し、彼らに背を向けた。やはり、彼らとつるんでも五月蝿いばかりで何の得も無いようだ。


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2011/04/02